第52話 同席者の持つ力
エイデン城内で開かれた緊急会議は紛糾した。何せ計画も無しに領土を拡大したのである。その善後策について検討されているのだが、一向に結論は見いだせなかった。
「ともかく敵を蹴散らしたのです。ニンゲンどもが再統治をせぬうちに、我らで支配すべきでしょう」
そう主張するのは、クロウ筆頭の参謀部だ。彼らは元老院にせっつかれる立場にあるので、侵略的思考を抱きやすい。
「それは極めて難しいですな。とにかく兵が足りませぬ。城の軍勢を全て持ち出したとしても、領土維持すら危ういでしょう」
反論するのはグレイブたち士官である。人族の街を支配しようものなら反発は免れず、反乱が頻発する事は必須だ。治安維持で手一杯になりかねず、奪還する敵軍が押し寄せでもしたら目も当てられない。無謀な方針の為に小飼の兵を失う事は、彼らにとって身を切るよりも辛いのだ。
珍しくも文官が積極策を推し進め、武官が慎重な意思を示した。一般的には真逆の傾向が見られるのだが、ともかく真っ二つに分かれており、着地点など霞の彼方だ。
「魔王様。この現状、いかがなさいますか?」
ここはやはりトップのリーダーシップが物を言う場面だろう。期待されるは、目映いほどの叡知の煌き。割れる国論を見事に集約させ、一致団結させられるのは、もはやエイデンだけなのだが。
「おとさん。これ、なーんだ?」
「それはだなぁ。お花さんかな?」
「じゃんねーん! せーかいは、ニンジンでした!」
「そうだったか。随分と高難易度だったな」
エイデン、話を聞いてない。一応は席に座っているものの、娘のお絵描きに夢中な様子である。これにはクロウも痺れを切らし、尖った咳払いを落とした。
「魔王様。今ばかりは会議に集中していただきたく……」
「見よ、クロウ。これがニンジンだと言うのだが、難しすぎはしないか?」
「後になさってください! そもそもですよ、なぜ今日に限って御子様をお連れなのですか?」
「ニコラが、一緒だと言ってきかぬ。だから我慢しろ」
「……最低限、おおまかな話だけでも覚えておいてください!」
サジは投げられた。そして制御不能となった討論は一進一退を繰り返すが、なかなか決着までには至らない。疲弊が目に見えて積み上がる。出口の光明は遥か彼方であり、その途方も無さが気力を大いに削っていく。
ーーどうすりゃ良いんだ。
投げやりにも似た空気が漂う頃、事態は予期せぬ所から動き出した。その手始めとして会議室の扉が荒々しく開け放たれた。
「ご多忙のなか失礼します! 火急の件にて!」
「何事か! よもや敵襲であるまいな?」
「いえ、ニンゲンより使者が参りました!」
「使者……だと?」
エイデンとクロウは、思わず顔を見合わせた。何用かは分からない。ともかく会ってみるしかなかった。少なくとも、延々と議論を重ねるよりはマシである。
エイデンは主だった者たちを引き連れ、謁見の間へとやって来たのだが、相手は既に待ち受けていた。玉座に座る動きに合わせて、来訪者たちは膝をついて頭を垂れた。
「お目通り叶いまして、恐悦ぅ至極に存じます。我らはシャヨーカの民を代表して、参上した次第にごじゃります」
老齢の男が震える声で述べた。たどたどしい口調は緊張のせいなのか、あるいは加齢によるものなのか、傍目から窺い知る事は難しい。
「人族の使者よ、私が魔王エイデンである。本日は如何なる用件か」
さすがは武名をもって知られる男である。単なる挨拶でさえ他を威圧する迫力を孕んでいた。一座を見渡す視線だけでも、小心者ならばショック死してしまうかもしれない。
そんな痛ましい結果とならなかったのは、ニコラの功績が大きい。父の膝に座り、愛らしい笑みを浮かべることで、場の空気に絶妙な緩みを生み出していたのだ。おかげで使者の告げる言葉も、多少の滑らかさが上乗せされた。
「本日は厚かましくも、お願いがあって参りました。どうかシャヨーカの地を救ってはいただけぬか」
「その件については我らも検討中であった。介入すべきか否かについて」
「して、結論はいかに」
「まだだ。そなたらと話し合うことで決まるやもしれん」
「ならば、何なりとご下問くだされ」
「では聞こう。なぜ魔族側に寝返ろうとする。助けを求めるのなら、同じ人族の国に赴くのが筋ではないのか?」
「それにつきましては、ワシから話させてくだされ」
後ろに並ぶ歴戦の兵士らしき男が声をあげた。軽装であるので、官位や序列の程は不明だが、眼に込もる覇気は侮りがたいものがある。
「おや? そなたはトルルードの城で会ったな」
「その眼光、ワシにも見覚えがあります。となると、かの夜は貴方様の手によるものでしたか」
「そのような縁があっただけだ。続けよ」
「ハッ! それでは僭越ながらご説明致します」
男が語るには、大陸の覇者たる『グレート・セントラル』によって攻め滅ぼされる寸前だという。突如として大軍を差し向けられてしまい、要所で決死の防衛を繰り広げているものの、打開できる見込みは無い。
そして一方的な侵略の大義は『反乱鎮圧のため』だと言う。神水晶の開発は反逆的であり、荷担した者を誅滅するとの名目なのだった。
「例の技術はトルルードが極秘に研究したものであり、国民の大部分は知らぬものと認識していたのだが。違うのか?」
「ご明察。秘中の秘であったので、前領主および極一部の者しか知り得ませんでした」
「ならばなぜ」
「口実など、どうでも良いのです。目的は領土を拡大する事なのですから」
「なんと浅ましい。人の世にはモラルというものが無いのか」
「体面だけです。腹の中では、いかにして儲けるかとばかり考えております。此度の出兵も金の為なのです!」
ニンゲンの世も汚ならしいものだとエイデンは思う。それと同時に、母国である魔界を支配する元老院を思い出さんでもない。あの連中も一兵すら損なう事もなく、エイデンをけしかけることで、巨万の富を手にしようと目論んでいる。どこも権力者というのは変わらんと失笑するばかりだ。
「状況は理解した。しかし、それを考慮しても魔族に頼る理屈がわからん」
「隣国であるハイランドやローグランには、既に援兵を断られてございます」
「ならば降伏という手を選ぶのが一般的だろうに。人族からすれば我らは仇敵。魔人の軍門に降るくらいなら、ニンゲンによる統治を望むものでは?」
「それも叶いません。セントラルは既に多くの村々を焼き、軍民問わず殺めているのです。迂闊に降伏などすれば、どのような目に遭わされるか」
「正気か? 兵士だけでなく、戦えぬ者たちまで手にかけていると?」
「魔王様。ワシは悔しくてなりません! この横暴の極みとも言える力に立ち向かいたい、弱者をいたぶる連中に一泡吹かせてみせたいのです! なのにワシは、我が軍はあまりにも弱すぎるのです……!」
エイデンは過去の記憶を揺り動かされた事で、自ずと眼を細めた。今の言葉は奇しくも、亡き妻のものと重なってしまったからだ。ゴーガン家がひと揉みに潰そうとするのを、悲壮な決意とともに抵抗しようとしたレイア。そこへエイデンが割って入り、血の雨を降らせたのだ。何万もの同胞に血を流させた事は、彼の記憶の中でも苦々しく残っている。
これは宿命なのかもしれない、と思う。両手を朱に染め上げながら、骸の道を歩く事を運命付けられた魂なのだと、諦めにも似た感覚が過る。だが、それほど悪い気はしていない。存外にも、シャヨーカの民に親近感を覚えているようである。
「元来、力を持つものは熟考せねばならぬ。行動ひとつで多くのものを幸福にも、不幸にもするからだ」
使者たちを睥睨した。彼らは口を挟もうとせず、次なる言葉を待つ姿勢を崩さない。
「驕れる者どもの悪行ほど醜いものはない。連中が毒牙を全てへし折ってくれようぞ」
「では、我らをお助けくださるのですか?」
「無論だ。急ぎ国に戻り、援軍が来ると伝えよ。大陸最強の軍勢がかの国を救うであろう」
「ありがとうございます! このご恩を、シャヨーカの人民は決して忘れぬでしょう!」
堰を切ったように一同が落涙をみせた。抑え込んでいた感情が溢れ出した為である。
そんな彼らの元へ足を運んだのはニコラだ。咽び泣く男たちの傍に立ち、頭を叩くような、あるいは撫でるようにして小さな手を忙しなく動かした。
「なかないの。つよいこは、なかないの」
「こ、これは、お見苦しいところを。失礼しました」
一同は慌てた様子で顔を拭った。恥ずかしさのあまり、口元ははにかんだ様に歪められている。
「よくできました。いいこには、ごほうび、あげます」
ニコラは腰につけた袋より焼き菓子を取り出した。それを使者ひとりにつき、一枚ずつ配りだす。そして全員に行き渡るのを見ると、満足げに鼻で息を吐いた。
「あしたもいいこなら、またあげます。いうこと、ちゃんとききなさい」
「ハハッ。こうも早く恩賞に授かれるとは、考えもしませんでしたぞ」
「お任せくだされ。必ずや大功をたててご覧にいれましょう」
場の空気は一気に和やかなものとなった。使者たちの恐れ、そして縋るだけの態度も、今はまた別のものとなっている。そのキッカケを作ったのがニコラであるのは間違いないが、この反応は少し飛躍が過ぎるように思えた。
ーーもしかして、特性のためか?
そこで改めて愛娘の姿を注視した。その体には薄っすらとだが、金色の光を纏っているのが見えた。使者たちの変化は、いまだ判明しない特性が発動した結果なのかもしれない。それが何なのか分からぬままに、エイデンは次なる戦場に身を投じる事になった。一刻も早く小児科に連れて行きたい気持ちを抑えつつ。




