第51話 みんなが一緒で
ニコラが不機嫌だ。それはもう大層不機嫌だ。過去に例のないほど不機嫌で、言い換えるなら、めっちゃ不機嫌であった。
幼子は荒んだ心を隠そうともしない。新品の絵本を壁に投げ、卓上のコップを払い退け、怒り一色の声をあげた。そこまでしても気が済まないのは、初めてと言って良い事態である。
「ニコラちゃん。怒ってますね」
メイは昨晩の件について、とにかく反省しきりだ。せめて相談してから動くべきであったと自責の念に囚われている。
「早急に対策を施すべきです。このままではお可哀想でなりません」
マキーニャがニコラの動きに合わせて、指先をピクリと反応させた。それが頻繁になされるので、紐で繋がっているかのように思える。
「まぁ、気晴らしに遠出でもしたらどうですか」
既に呼び出されていたシエンナが付け足す。右手のハタキを手のひらで器用に回しながらだ。彼女は深刻な事態とは考えていないようである。
「気晴らしか。それは良い案だな」
エイデンは布を体に巻き付けて、ニコラを抱っこした。痛烈な拒絶が邪魔しても厭わない。空いた両手はシエンナ、メイの手首を掴み、
「では行くぞ」
と言っては飛び出した。返事は聞かない。
「お父様、どちらへ?」
「桜がまだ残っているはずだ。花見をしようじゃないか」
「ちょっと陛下! アタシはまだ仕事が残ってるんですけど!」
「王命だ、休め」
有無を言わさず飛翔し、彼らは桜の園へとやって来た。一呼吸遅れてマキーニャも到着した。
「わぁぁーー、きれい!」
桜の花はだいぶ散ってしまい、新緑の葉が目立つのだが、見ごたえは十分だ。特に散った桃色の花びらが地面を染め上げ、辺りの花畑を一層美しく彩るのだ。
ニコラの駆ける後を追うようにして舞い上がる。フラワーシャワーにも似た光景が、幼心を比類無き喜びで満たされていく。早くも機嫌は上向き始めたようである。
そうして賑やかになった桜の園に、ひとひらの光が舞い降りた。薄桃色の球形は、地表付近で形を変え、やがて人型を模したように変化した。
「何よ、こんな時期に。もう見頃は過ぎちゃったわよ」
桜の精霊である。吐き出された言葉とは裏腹に、声は弾むようにも聞こえた。
「最近は多忙でな。ところで、元気でやっているか?」
「もちろんよ。ニンゲンどもさえ荒らしに来なけりゃ、ここは楽園みたいに快適なんだから」
「それは何より」
「つうかさ、満開の時に来なさいよね。いつまで経っても恩返しが出来ないじゃないの」
「わかった、わかった。来年は必ず良き時に訪れよう」
「約束だからね。覚えの悪い頭にキッチリ焼き付けておきなさい!」
ひとしきり言い聞かせると、桜の精霊は木の枝に腰を降ろした。いつぞやと光景が被る。定位置を決めている節でもあるようだ。
「そんでさ。今日は何しに来たのよ。散策?」
「花見のつもりだ、一応は」
「ふぅん。その割には手ぶらなのね。珍しい」
「慌てて飛び出したからな。子供たちが楽しんでいるようなので、問題ない」
子供たちの方へ眼をやると、ニコラはメイと共に花畑に腰を降ろしていた。2人が微笑みながら手にするのはシロユメクサである。細長い茎の先端に、白い球状の花を咲かすという、極々ありふれた物だ。その手頃さから、女児にとっては馴染み深い素材なのである。
「花より団子ならぬ、花よりご機嫌伺いってところかしら? 遊ぶ姿をただ眺めるだなんて、アンタも暇人よね」
「まぁ、酒とつまみも要らないと言えば、嘘になるな」
「その辺のキノコでも噛ったら? ちょうどソクシツルタケが生えてる所よ」
「貰っても良いのか?」
「えっ、冗談でしょ? 口に入れただけで死んじゃうやつだけど」
「私は病魔無効を持っている。あらゆる毒も同様だ」
その言葉を合図にしてか、マキーニャが1歩前に出た。
「エイデン様。私も金属生命体なので、御相伴が可能です」
「何よアンタら。これは変態の集いなの?」
「ちょっと待ってください。アタシをこんなド変態の括りに入れないで」
シエンナが手で仰ぐようにしながら否定した。発言通り、彼女だけは当たり前のように死に至るからだ。
「陛下。お酒やらが欲しいなら、アタシが取りに戻りましょうか? 途中抜けしたことを皆に伝えたいですし」
「そうか。ならば頼む」
「分かりました。空けた作業の穴は、陛下自身が責任もって埋める、とも伝えておきますね」
「いやお前、ちょっと待て……」
「では行ってきます」
「聞け!」
追いすがる声を無視して、シエンナが木々の向こうへと消えた。その背中に確かな舌打ちが飛ぶのだが、掠りもせずに麗しき花畑へと消えた。
やり場のない憤懣を抱えるエイデンの袖が強く引かれる。おもむろにそちらを見れば、眩しい笑みを浮かべるニコラの顔があった。頭にはシロユメクサの冠を乗せ、華やかな事この上無い。
「おお。良いものを作ってもらったな。似合うぞ」
「きれい? これきれい?」
「もちろんだとも。とても綺麗だよ」
「やったぁーー!」
ニコラとメイが手を取り合って喜ぶ。無邪気なものだ。褒められただけの事なのに、無上の喜びのようにしてはしゃぐのだから。世界に住まう知的生物が一様にこうであったなら、争いも起きないだろうと思わんでもない。
ひとしきり喜んだ後、次にニコラは花畑から花弁をひとつ毟り取った。オモシロイバナのものである。それを両手で大事そうに抱えながら歩き、エイデンの前にズイと突き出した。
「これ、どぉーーじょ」
「なんだ、くれるのか?」
「ここ。すって。あまいの、すって」
「もしかして、吸えばいいのか?」
エイデンが戸惑い、まごついていると、桜の精霊が助け舟を出した。
「花の蜜を吸えってんでしょ。オモシロイバナは子供の間じゃ結構人気あんのよ」
「そうか。こうやれば良いのか?」
花弁の根元を口に含み、軽く吸い上げてみる。すると仄かな甘みが感じられ、青臭い匂いが鼻をついた。自分の幼年期を懐かしむような気にさせられ、ついつい眼を細めてしまった。
「メイちゃん、どーじょ!」
「ありがとうニコラちゃん」
「ニャニーニャ、どーじょ!」
「御子様、なんてお優しい……。私は果報者でございます!」
「これで、いっしょ! みーーんないっしょ!」
エイデンはハッとさせられた。ニコラが妙に不機嫌であったのは、先日の件で仲間外れにされた、と感じたからだ。何用で出かけたのかは重要でない。ただただ、蔑ろにされた事実が許せないのだろう。
「そうだな、一緒だぞ」
囁きながら、微笑む我が子を抱き上げ、空に向けて掲げた。太陽を背にすることで、一層輝かしいものに見える。 ましてや冠つきなのだ。これ以上に尊いものなどあるものだろうか。エイデンは胸中で溢した。
「陛下。ただいま戻りましたよ。お酒と、つまむもの。それとタピオさんのジュースやら果物なんかを持ってきました」
「おうシエンナ、帰ったか。とりあえず花の蜜を吸っとけ」
「はぁ? 急にどうしたんですか」
「つべこべ言わずに吸え。さもなくば仲間に入れてやらんぞ」
「何その唐突なルールは!?」
嫌がるシエンナの口に、半ば強引に咥えさせた。一応は吸ったようだが、顔色が優れない。この手の味が苦手なように見えた。
「それはそうと、クロウ様が探してましたよ。血相変えて」
「なんだろう。穏やかじゃないな」
「あれじゃないですか? 勝手に敵地へ攻め込んだから」
「うむ、大いに有り得る。というか他に心当たりが無い」
「釈明がんばってくださいね。あの様子だと、簡単に放してくれそうにないですよ」
「クッ……面倒な」
エイデンはオモシロイクサに視線を落とした。花の蜜を吸えばみんな一緒。これをクロウにも吸わせれば、連帯感が強まり、訴えも和らぐのではないか。そんな取り留めの無い思考を巡らせていると、ニコラたちは果物を両手持ちにして頬張りだした。この時ばかりは、子供の世界を心底羨ましく感じられた。




