第50話 魔王流の処刑法
「お父様、あの魔物について何か知っているのですか!?」
メイの叫びが夜空に響き渡る。それを喜ぶかのようにして、眼下の怪物が触手を蠢かせた。伴う轟音は粘性があるように思え、耳に煩く思う。
「あやつは、かつて魔界に甚大な被害をもたらした魔王だ。突如として特性を発症させ……」
「ああっ! きます!」
エイデンの前に幾本もの触手が押し寄せた。いずれも先端を花弁のように開き、中の管から赤黒い液体が吐き出された。
メイを抱えながら宙を飛びすさるが、液体の全てを避けきれなかった。裾の端を僅かに濡らし、そこだけが分離し、破片は粉々になった。まるでガラス片が切り離され、砕かれたかのように見える。
「うっとおしい、大人しくしておれ!」
怒号とともに、エイデンの手のひらから閃光がほとばしる。それで何本もの触手が切断され、胴体部分にも小さくない裂け目ができた。トルルード、いやトルルードだったものが、悶えるようにして蠢いた。
その隙をついて地表付近まで降下した。敵は巨体が仇となり、こちらの姿を見失ったらしい。派手に動くか、触手に気取られるまでは身を潜められるだろう。
「ある日何の脈絡もなしに、特性である『消失の魔物』を発症した者が現れた。元が魔王種であるために力は強く、甚大な被害をもたらしたのだ」
「そんな事が……」
「能力については見ての通りだ。体液に触れると、人や物の隔てなく消えてしまう。回復魔法も間に合わぬ崩壊速度でな。そうなれば復元は不可なのだ」
そう語りつつも、腑に落ちない事態ではある。眼前の怪物は召喚されたようではなく、同化したとしか思えない形態をしているのだ。いかにして実現したというのか。これは未知なるテクノロジーであり、少なくともエイデンの知るものでは無かった。
どうにかして聞き出したい。しかし、素直に白状するとは思えず、何らかの工夫が必要となりそうだ。それこそ、自ずから喋り倒すような状況が求められる。
「おのれ……やはり自動回復持ちか。厄介だな」
手傷を負わせたはずの触手が、時間を巻き戻すかのように接合されていく。胴体部分も同じだ。眺めるうちに、全てのダメージがリセットされようとしていた。
「お父様。勝てるのですか?」
エイデンは答えに迷う。勝てない相手ではない。しかしメイを伴って、更に言えば、守りながらでも倒せるのか。断言するには不安要素が多すぎた。
「ここは一旦退こう」
「ひょっとして私のせいですか?」
「そうではない。相手が想定よりも強すぎただけの事だ」
口先での取り繕いは意味を成さなかった。目は口ほどに物を言うのだ。
「もし私が足手まといだと言うなら、気にしないでください! 戦いましょう!」
「正気か? 殺されるかもしれんぞ」
「お願いします。もう二度と、横暴な力に負けたくないんです!」
真っ直ぐな瞳だ。自棄なのではない。幼いながらも自信と誇りが芽生えており、それに恥じぬよう懸命なのだ。
エイデンは思わず笑みを漏らした。心地良い。純粋な戦意というのは、不思議な高揚感を与えてくれるものである。
「良かろう。その心意気、買ってやろう!」
深緑の光がメイの全身を包み込む。防護魔法の輝きだ。これは過去に幾度となく使用したものだが、今度ばかりは質が違う。可能な限り、最大限度の性能をもって発動させたのだ。その光は、甲高い破裂音とともに、あたりに旋風を巻き起こして消えた。
「今の音で気付かれたろう。覚悟は良いか?」
「いつでも行けます!」
「私はこれより攻撃魔法の準備に入る。お前はひたすらに駆け回り、ヤツの気を引くのだ」
「わかりました!」
敵が動きだす前に、メイは地を駆け始めた。大多数の触手が彼女の後を追い、叩き潰そうとした。今のところは危なげなく避けられている。
「こちらも急がなくては」
再びエイデンは空高く飛び、視界にトルルードの全身を収めた。そして両手にあらん限りの魔力を込め、全力での攻撃態勢に入る。
「魔の者を産みし常しえの王よ!」
両手で円を模して唱える。魔法陣でいう外枠作りに当たる行程だ。地面には青白いほのかな光が浮かび上がる。
「地よりも深き冥府より、いまだ果てぬ途方もなき黒炎を!」
トルルードを中心に爆風にも似た旋風が吹いた。魔力が順調に集約された証である。
立て続けに2本の触手が迫る。それを飛翔しながら避け、詠唱を続けた。
「永遠の業火を楔と成せ!」
更に魔力が集まり、刹那的に暴風が吹いた。急激な魔力消費による代償は強烈だ。その負荷によりエイデンは目眩に襲われ、視界が大きく揺れた。発動を目前にして視線があらぬ方を向き、僅かばかりの間、集中を途切れさせてしまった。
その隙を狙われた。エイデンは触手によって自由を奪われてしまう。
「し、しまった!」
「お父様!」
つられてメイの注意も逸れた。足を止めるだけでなく、顔をそちらに向けたのは致命的だった。彼女も瞬く間に触手に襲われ、拘束されてしまう。
2人の虜囚がゆっくりと引き寄せられていく。抵抗も虚しく、やがてトルルードの顔と向き合う位置にまで連れられた。
「クックック。ようやく捕まえたぞ」
「離せ、外道め!」
「その容貌、貴様が地上を侵略した魔王だな? 耳にする話と寸分違わん」
エイデンの覆面はいつの間にか外れていた。限られた種族だけが持つ勇壮な角は、それだけで正体を知らせるようなものである。
「ニンゲンごときが、なぜこのような力を……!」
歯軋り混じりの言葉は明瞭さに欠き、その分だけトルルードに悦楽の響きを与えた。
「これぞ極秘に研究させた神水晶だ。大金を投じただけあって、瞠目すべき効果を発揮したな」
「神水晶……ニンゲンはいつの間に、そのような物を!」
「おっと、勘違いするな。ワシだけが所有する技術だ。どこの大国も成し得なかった開発をやってのけたのは、我が国なのだ! 小国と蔑ずむ連中を飛び越して生み出したのだよ!」
高笑いだ。心底嬉しくて仕方ない。そう言いたげである。
「その姿は『消失の魔物』であろう。いかにして同化したのだ」
「僅かに残された魔物の肉塊を元に再現させたのよ。同化そのものは、さほど難しくはない。神水晶の膨大かつ、精密に機能する魔力をもってすればな!」
「外道め。同族の尊厳を踏みにじるか!」
「悪辣なる魔王から負け惜しみを引き出せるとはな。十分だ。この力こそまさしく、世界最強ォォ!」
「そんなものを生み出す為に、私たちを虐げてきたのですか!」
メイが堪らず声を上げた。巨体が大きく揺らいだ。まるで笑い話でも聞いたように、トルルードは吹き出したのだ。
「もちろん、そうだとも。私は奪う側、貴様らゴミ屑は無惨にも奪われる側。そういう宿命をもって生まれついたのだ」
「なんて男なの……!」
「知らぬだろうから教えてやる。世の中金だ。金さえあれば何でも出来る。それこそ魔王を凌駕する力さえも手に入るのだ!」
トルルードの声にはいよいよ熱が籠る。その瞳はエイデンにすら向いておらず、南の夜空を見据えていた。
「今に見ておれ。ワシはもはや小国の主では収まらん。地上も、魔界も全てを手中にしてくれようぞ!」
「なるほど。大筋は理解した。ご苦労だったな」
「何ッ!?」
「ひとつ忠告してやろう。高みばかり目指していると、足元が掬われるぞ」
エイデンは途中段階で止めていた魔法を発動させると、巨大な胴体の真下から大炎を生み出し、天高くまで昇らせた。凄まじい火力がトルルードの体を焼き焦がす。
「グァァーーッ!」
「どうした。ご自慢の回復が始まらんようだが?」
あまりにも火力が強すぎたのだ。炎が消えた今になっても修復は始まらず、萎れきった触手が横たわるばかりだ。
「なるほど。確かに刮目すべき再現度だ。消失と自動回復。それだけでも良くできたものだと思う。しかし弱すぎるな、落第点だ」
「貴様ァァ。囚われになったのは、芝居かッ!」
「お前のような小物は、有頂天にさせれば口滑らかになると相場が決まっている。ペラペラとよく喋ってくれたものだな」
「おのれェーーッ!」
トルルードが怨念の籠る眼で睨んだ。しかし、それだけである。触手の一本も差し向ける事すら出来ずにいる。
「行け、メイ! 狙うは胸元の水晶だ!」
「わかりました!」
言うが早いか、俊足で飛び出し、跳躍。トルルードは素手で顔を庇うようにしながら、されるがままとなった。
「人々の無念を思い知りなさい!」
鋭利な風切り音。迷いの無い一閃は神水晶
を見事に捉え、幾片にも叩き割ってみせた。残存魔力が行き場を失い、青白い輝きを保ちながら昇り、天で弾けた。さながらエイデンの勝利を祝い、メイの勇気を讃えるかのように。
「あぁ……ワシの夢が、世界征服の夢が……」
トルルードが途方もないうわ言を残して倒れる。今や他を圧倒した巨体も触手も無く、裸の男が地に寝そべるばかりであった。ピクリとも動かない。同化の反動から気力を使い果たしたようだ。
「さてとメイ。復讐はどうするのであったか?」
「眼をくりぬき、歯を砕いて四肢を割いた後に胴体を端から刻みます。国旗を剥いだ皮と差し替え、歴史書も『途方もない変態であった』と改竄して、永遠に名誉を汚してやるのです」
「いくらか増えてはいないか?」
「すみません。欲張りました」
「まぁ良い。実は私も腹に据えかねているのだ。同族の誇りを汚されたような気がしてな」
「では半分こしますか? 左右でパカッと」
「それではすぐに絶命するだろう。アッサリとし過ぎではないか」
「ならばどうしましょう?」
「私に名案がある。復讐にも色々とある事を教えてやろう」
「ありがとうございます! 勉強させてもらいますね!」
エイデンは差し当たって、手頃な樹木を伐採した。枝を落として丸太にし、それを地面に突き刺す。
次は瓦礫の中を漁り出した。インクに荒縄、木板にカーテン等々。見つけ次第手にしては、着々と準備を進めていく。
「よし、こんなものだろう」
眼前で設えたのは、有り体に言えば磔だ。しかし趣向は独特であった。おあつらえ向きに裸となっていたトルルードを、荒縄で丸太に縛り付けた。口には千切ったカーテンで猿ぐつわ。露となった股間に大輪の花をひとつ。ご婦人の眼を汚さぬ配慮だ。
さらに傍らには立て看板を添えてある。そこには『私の喜びを妨げないでください』とだけある。
「何という処刑法……。放置されれば飢えて死に、助けられれば名誉が殺されるだなんて!」
「どうだ。痛みで苦しめるのも手法のひとつだが、これはこれで良いものだろう」
「ジワジワきます! なんかこう、とにかくジワジワきます!」
「さて、もうじき夜が明ける。城に戻るぞ」
「……はいッ!」
満足げな声のメイがエイデンにしがみつく。そして飛翔。後は帰還するだけなのだが、ここで問題が生じた。
「参ったな、眠い」
「ええ! 大丈夫なのですか?」
「ニコラが生まれて以来、朝型であったからな。いきなり夜通しの戦闘は無理があったか」
「どうしましょう、どこかで休んでいきますか?」
「すまん。少し仮眠をとらせてくれ」
ふらりふらりと、糸が切れた凧のように流れ流され、ようやく森の一画に降り立った。そこで木の虚を見つけると、体を休めた。だいぶ寝る。次にエイデンが目覚めた時には、既に太陽が高い位置にまで昇っていた。
マズいと青ざめたエイデンがメイを抱え、超特急で帰還する。すると、待ち受けていたのは激昂するニコラだ。朝に目覚めて、2人が外出していた事が知られたのである。
「おとさん、わるいこ! メイちゃん、わるいこ!」
こうしてエイデンたちは、戻った側から延々と憤激に晒されるのだった。それはもう、執拗なまでに。




