第48話 仇討ちは宵の内
エイデンの元にまたもや客人が訪れた。初対面でないので、謁見の間の空気は比較的砕けたものとなっている。
「久しいな婿殿。元気にやっているか?」
ナテュルの実父、リガイヤ・フゴーである。娘に会いに来たとの言葉通りに軽装だ。いつぞや相対した時とは違い、武装といえる物は腰に履いた剣だけだ。身に纏うのも甲冑ではない。薄手のローブを着込み、上に官位を示すためのストールを巻いていた。夏用の礼装である。
「一応は元気だ。生まれつき、病に縁が無くてな」
エイデンはどこか無愛想に答えた。魔界の政争に巻き込まれたせいか、何かと煩わしさが増え、送られる書状や来客も随分と増えた。この煩雑さにはウンザリしないでもない。なのでこうして迎えている最中も、再開の喜びは薄かった。それどころか、礼服の似合わぬ男だと、胸中で溢すくらいである。
「そういえば、聞いたところによると、元老院の策を看破したのだとか?」
「あれは見破ったという程ではない。何か偶然のようなものが重なった結果である」
「フフフ。さすがは婿殿、手柄を取っても謙遜するとはな」
「その呼び方はよせ」
リガイヤはいつの頃からかエイデンをそう呼ぶようになっていた。いわゆる、外堀を埋める作戦である。一向に進展しない娘との縁を少しでも強めようと、親心を熱くした結果なのだ。効果のほどは気休め程度にも現れてはいないが。
「あのケンシニーという男だがな、中々やりおるぞ。あくまでも静かに、しかし着実に味方を増やしておる」
「そうなのか。それは幸いな事だ」
「おかげで我が陣営は活気づいたぞ。ここの所、ゴーガンにやられる一方であったからな」
「フゴー家も、魔界では3本指に数え上げられる名家だろうに」
「まぁな。大きく水をあけて、の話となるが」
リガイヤはこれ見よがしに眉を歪めてみせ、ため息をついた。大貴族の当主という身の上にあっても苦悩は尽きないらしい。いや、大身だからこそ、抱えるべき問題も大きくなるのかもしれない。実体験を持たないエイデンには、想像するしかなかった。
「それはそうと、娘御はいるか? 言い換えれば、ワシの孫娘たちは」
「勝手に一族に加えるな。ニコラたちなら別室で遊ばせているところだ」
「ここに呼んでくれ。手土産を用意している」
「まぁ、よかろう」
遣いを出して呼び寄せると、2人はマキーニャが伴って現れた。上機嫌であったニコラだが、見慣れぬ巨体の老人を目の当たりにする事で、すっかり怯えてしまった。エイデンの陰に隠れるようにしてリガイヤを注視した。
「はじめまして、おじいちゃんだぞ」
好々爺と見紛うほどの笑みで、ニコラに挨拶が向けられる。しかし、その程度で警戒心が解けるほどジャッジは甘くはない。子供の真贋を見極める目というのは意外とシビアであり、敵味方の線引きは大人が思う以上に厳格なのだ。
「そう睨まないでおくれ。今日は良いものを持ってきたぞ」
そう言ってリガイヤは、懐から小さな人形を取り出した。それは熊を象った布製のぬいぐるみで、中に綿が詰め込まれている。肌触りや弾力は申し分ない。そして何よりも、デフォルメされた見栄えが愛らしいものだった。
ニコラがピクリと肩を震わせた。顔は忙しなく動き、それだけでも興味津々である様子が窺えた。
「ニコラよ。欲しいのであれば受け取ると良い」
「いいの? おとさん、これいいの?」
「お嬢ちゃん、遠慮なんかいらないよ。さぁどうぞ」
「あいがとぉーー!」
おずおずと受け取るなり、早くも人形の魅力に取り憑かれたらしい。その場に座り込んで、頬を寄せて抱きしめるのだから。口からはしきりに『いいこいいこ』と、愉快そうな声が飛び出した。
「さて、エイデン殿。養子を取ったと聞いたのだが、ここに居るのか?」
「もちろんだ。そこのメイドの脇にいる者が、そうだ」
「はじめまして。メイと申します、宜しくお願いします」
拝礼による挨拶を、リガイヤは眼を見開いて受け止めた。
「ちょっと待て。養子とは女子であったのか?」
「見ての通りだぞ。何を驚くというのか」
「いやな、剣術や軍学に勤しんでいると聞いていたのでな、てっきり男子かと勘違いしていた」
そんな言葉を溢しながら取り出したのは、一振りの剣だった。普段目にする長剣より多少短いものだが、扱いやすさを重視したのだと察しがついた。
「参ったな。他に渡せそうな手土産など持ち合わせていない。後日送る、という事にしよう」
「リガイヤ様。もしよろしければ、その剣をいただけませんでしょうか?」
「良いのか? 何なら、金細工の首輪やブレスレットを用意できるのだぞ」
「いえ。私はそれが欲しいんです。貴金属を貰ったところで、武器にはなりませんから」
「ハッハッハ! 勇ましい事だ。ならば与えよう、特別にあつらえた剣をな」
メイは両手でそれを受け取ると、静かに鞘を払った。反りの無い両刃の剣だ。刀身の美しい輝きに心を奪われたのか、自身の顔を映しては無邪気に微笑んだ。
「割と良さそうな剣だ」
エイデンがメイの頭越しに、その仕上がりを褒め讃えた。
「だいぶ拘ったからな。重心の安定度や持ち手の握りやすさ。最初に履く物としては上等だろう。ちなみに切れ味は落としてある」
「なぜだ。危ないからか?」
「いきなり高威力の武器を持つのは良くない。いずれ武器の性能に寄りかかり、技を磨く事を怠るようになるからだ」
「なるほど。そういうものか」
リガイヤも伊達に長く生きてはいない。ましてや魑魅魍魎が蠢く政界において、一目置かれるような男なのだ。贈り物ひとつとっても隙が無い。メイの性別を間違えるという失態はあったものの、今回に限って言えば良い結果となっていた。
「さて、ナテュルも呼んでくれ。久しぶりに会っておきたい」
「恐らくは客室に居るはずだ。今、人を遣る」
エイデンはマキーニャにその役目を命じ、しばらく待った。だが一向に戻る気配はない。もしかすると寝ているのかもしれない、と思う。彼女が夜型の生活になりかけている事は、目の当たりにしたばかりである。
「ところで婿殿」
「婿殿はやめろ」
「もう随分とナテュルを傍に置いてるのだ。そろそろ乳のひとつも揉んだのではないか?」
「いつぞやと同じだ。指一本触れてはいない」
「なぜだ。何がそこまで頑なにしてしまうんだ?」
「咎められる謂れは無い。逆に、何らかの手出しをしていれば、そなたは激昂するのだろう?」
「もちろんだ。父として殴らせてもらう。だがその後には、同じ男として酒を酌み交わしたいとも思う」
「相変わらず面倒な男だな」
手前勝手な言い分に、エイデンは思わず苦笑を漏らした。どんな選択をしても面倒が付きまとうらしい。
「エイデン殿よ、もしやその若さで枯れてしまったのか?」
「唐突に何を言い出すのか」
「もっと情事を愉しめ。ワシなどあれだ、魔界のあちこちに愛人を囲っておるぞ。先日はとうとう500人を超えたわ」
リガイヤは豪快に笑ったのだが、それも束の間だ。背中に凍りつくような殺気を感じた。恐る恐る振り向くと、そこにはナテュルの姿がある。彼女は親子の再会を喜ぶように微笑んではいるのだが、不思議な迫力が醸し出されていた。
「父様。今の話は本当だべか?」
「あ、いや……」
「もう女遊びは控えるって約束したでねぇか! 母様に言いつけてやんべよ!」
「ま、待ってくれナティ! 今のは言葉の綾というか、弾みで飛び出したものでな……」
大股開きで退室したナテュルに追いすがる様にして、リガイヤも出ていった。廊下には『待ってくれ』『さわるでねぇ』という押し問答が繰り返され、遠ざかっていく。
謁見の間は静寂とともに、気まずい空気に包まれた。仕方なしにエイデンは、話は終わりだと告げ、居並ぶ者たちに解散を命じた。
そうして迎えた夜更け。寝静まったエイデン城から、ひとつの小さな影が飛び出した。それは電光石火ともいえるスピードで、物陰を縫うようにして駆け抜け、やがて遠ざかった。その人物とはメイである。彼女は小高い丘までやって来ると足を止め、おもむろに背後を振り返った。
「お父様、ニコラちゃん……」
眼下には、かがり火で仄光るエイデン城が見える。後ろ髪を引かれるような想いが、彼女の足を縛り付けた。腰につけた真新しい剣の鐺が、月明かりを受けて、人知れずに輝く。
「さようなら。生きて帰れたら、また家族に」
夜空の下で最拝礼を送る。震える両手も厭わず、ただひたすらに頭を下げ続けた。風が強い。轟々と吹き荒れる音が、誰かの泣く声のようである。
メイが拝礼を解いた。それから身を翻すと、脇目も降らずに走り出した。
孤独の旅路。あぜ道を踏みしめる音がいやに耳につく。独りの寂しさを紛らわせようと、正面の空をに浮かぶ月を見た。満月がもたらす光は暖かで、不思議と心を落ち着かせてくれる。かつて森で行き倒れになった折にも、こうして空を探したものだった。
メイは森の入り口に差し掛かった頃、渇きを覚えて足を止めた。水を満載した皮袋を手にとり、口を僅かにしめらせた。唇を袖で乱雑に拭う。それから再び駆けようとした、まさにその時だ。不意に頭上から耳慣れた声がした。
「子供が一人で夜歩きとは、感心せんな」
木の枝から飛び降り、メイの眼前に現れたのはエイデンだ。彼は責めるようではなく、普段と変わらぬ茫洋とした視線を向けていた。
「お、お父様! どうして」
「何気なく窓の方を見ていたら、お前の姿を見たのでな。何事かと思って追いかけたのだ」
「そう、ですか……」
メイは反射的に腰の剣を隠した。まるで悪戯をごまかそうとする子供のようである。
「仇討ちに行くつもりか」
「……はい。その為の努力は惜しみませんでした」
剣を授けたとき、エイデンは予感していた。このような事態に見舞われる事を。近々メイと話しておかねば、などと考えていたが、ここまで性急な気質とは考えもしなかった。
「独りでやらせるものか。私も共に行こう」
「でも、この前頼んだ時はダメだって」
「事情が変わったのだ。それよりも急ぐぞ、明日の朝食までには城に戻らねばならん」
エイデンが手を差し伸べた。いつもと何ら変わらぬ素振りで。
「……はい、お父様!」
メイは全身を委ねて胸元に飛びついた。父娘はすぐに飛翔し、誰も居ない夜空を突き進んでいく。まるで彗星が走るようである。エイデンの視界に浮かぶのは大きな月、そして明星と冥星だ。もうじき招魂の儀が近いのだと思う。亡き妻レイアとの再会も近い。
間もなく人族の地に攻め入るという段階にあっても、エイデンはそのような事ばかりを考えていた。




