僕と金毘羅さんの不思議な話 その2
東京で「処方箋」通りに、
「金毘羅さん、よろしくお願いします」と、
21日間唱え続けた僕であったが、
その後、福岡に戻ってディレクターの仕事をすることになった。
しかし福岡のテレビ局の人たちともうまく折り合いをつけることができず、
僕は辞めて近所の蕎麦屋で出前のアルバイトをするようになった。
そして、金毘羅さんのことなどすっかり忘れかけていた2006年頃、
ある人から依頼されて、愛媛県松山市のNHKで働くことになった。
この仕事をしている時、四国八十八カ所について調べていて、
金毘羅さんが、愛媛県の隣りの、
香川県にあるということを初めて知ったのである。
松山で2年暮らしたが、どうしてもNHKになじめず、
契約が終了した時点で更新はせず、福岡に帰ることになった。
福岡に帰る前に、せっかくだからということで、
本場の讃岐うどんを食べに行くついでに、
金毘羅さんにもお参りすることにした。
金毘羅さんは、延々と石段を昇って行くお宮である。
後に心臓の手術を受けることになる僕であるが、
この頃すでに心臓はかなり悪かったようで、
ものすごく苦しかったのを覚えている。
そして、やっとお宮に到達した時、
なぜか船の写真や、船のモーターなどが奉納してあり、
変わった神社だなと思ったのが印象に残っている。
でもその時はただそれだけだった。
後に金毘羅さんが海上交通の守り神であることを知る。