5
何が、なんで、どうしたら
茫然とする私の目の前に彼の影が映りこむ
「ベスペルが、早く、治療を!」
必死に訴える私を横目に彼は一歩一歩ゆっくりと進み彼女の元へ向かう
いつもどうり診察するかのように彼女を診る
見守っているだけの私の呼吸が荒くなる
お願い、どうか、、
一向に治療に入らない彼は動きを止めこちらに顔を向け首を横に振った
そんな、、
私の中から何か大きなものが抜けていくのが分かる
いきなり体が軽くなったような錯覚に陥り、地面に座り込んでしまった
何も考えられず座り込む私の前で彼は彼女の顔に手をかざして目を伏せさせ
上着を脱ぎ風をはらませ彼女の上に被せた
その一連の動作は流麗で何かの儀式の様だった
彼女の横で立ち上がる彼の表情は怒りに染まっていた
静かに、だが確かに怒っていた
彼が怒っているところなど初めて見た
彼は空を睨み上げながら呟いた
「これが望んだ結末か」
そしてゆっくり息を吸い、長く息を吐き出した
深呼吸を終えた彼はこちらを向き座り込む私に向かってくる
「ヘリアン、落ち着いてゆっくり聞くんだ」
私の前で彼は目線を合わせて問いかけてくる
「君には三つの選択肢がある」
私の前で指を三本立てる
「一つ、この場で心が落ち着くのを待つ」
「二つ、君の父上にこの状況を説明しに向かう」
「三つ、私と一緒に容疑者の元へ向かう」
「申し訳ないが、あまり時間に余裕はない」
どうしよう、どうするべき、どうしたい?
「私は、、一緒に、一緒にいくわ!」
そう答えると彼は悲しそうな顔で
「そうか、それじゃあ急ごう」と家から出ていった
私は慌ててその後を追った
家を出ると外で待っていた彼が話しかけてきた
「一つ聞きたい、北の森に向かうのに一番近い道は分かるか」
「うん、分かるわ」
返事を聞いた彼は道を進み始めた
「それじゃあ行こうか」
「この物語を終わらせに」
辺りはすっかり暗くなった道を彼の背中を追いかけ進む
彼が片手に持つランタンは無造作に揺れ辺りを照らしている
息を荒くしながら彼を追いかけていると灯りの揺れが収まっていく
そして暗闇の道の先を照らす明かりが人の足を捉えた
いた、本当に
近づくにつれて明かりがその人を昇っていく
片手に鉈を持っている、血に塗れている鉈を
この人が、ベスペルを、
そして明かりが全身を照らした
「え、、」
その道の先に立っていたのは、プロボさんだった
ベスペルの父親である、プロボさんだった
プロボさんは無表情でこちらを見つめていた
私が状況を理解出来ず立ち尽くしていると
「プロボさんですね、今晩は、いや初めましてと言ったほうがいいですかね
私はこの村でお世話になっております、ヌマと申します」
彼の言葉に対しても全く反応を見せない
「実は今日は貴方に要件がありご自宅まで伺ったのですが
御在宅されていないようだったので、ここまで参りました」
慇懃に喋る彼にプロボさんは彼と私を順番に見ると
「、、俺を止めに来たのか」
「さて、なんのことでしょう」
噛み合わない二人の会話に我慢出来ずに割って入る
「プロボさん!本当にあなたが、ベスペルを?」
しかし私の問など聞こえていないかのように沈黙する
「なんであなたが!自分の娘なのに!」
「それが彼女の望みだったからだよ」
予想外の答えは目の前の彼からもたらされた
「そうですよね、プロボさん」
その言葉に初めてプロボさんは反応した
「なぜ、、」
望み?ベスペルが?死を?
「彼女はとても賢い人だった自分の命がもう長くない事を知っていた
そして彼女はとても優しい人だった、これ以上迷惑をかけるわけには
いかないと思ったのだろう」
そんな、ベスペルがそこまで思い詰めていたなんて
「でも、だからって、いくら頼まれたからって
ベスペルは、たった一人の肉親じゃない!」
「黙れ!!」
暗闇が包み込む道の上で怒号が響き渡る
対面には悪鬼が立っていた
「お前に何が分かる!誓ったんだ!幸せにしたかった!
守れなかったんだ!守りたかった!」
それはまるで世界を呪うような慟哭だった
その負のオーラを浴びて、身が竦む
その時、私の前に彼が立ち塞がった
「そんなに許せませんでしたか?」
「あぁ?」
彼は全く動じず対峙する
「そんなにベスペルさんの罪が許せませんでしたか?」
「なっ!」
その言葉を聞いたプロボさんは目に見えて動揺していた
罪?ベスペルが?死ななければいけないほどの?
彼は一体何を知っているの
「どういうこと、、」
私の方を伺う気配を見せ彼は語り始めた
「君も見ただろう、あの家でベスペルさんの周りに散乱していた食料を」
食料?、、確かにあったような気がするけど何の関係が、、
「あれだけの食料をどうやって手に入れたのか気にならないか」
「うっ!」
その言葉を聞いてプロボさんは苦しそうに胸を掴んだ
じゃあベスペルはあの食料を手に入れるために罪?悪い事をしたの?
「ベスペルが村のどこかの家から盗んだっていうの?」
「彼女はきっとすぐに死ぬつもりだったのだろう
せめて最後の晩餐を、と思い食料を手に入れたんだろう」
「そしてプロボさんは彼女がこれ以上穢れる事を受け入れられなかった
ならばせめて自分の手でと、、」
そんな、、一体どうすれば、、
「一体どうすれば、、どうすればよかったのだ!」
プロボさんが泣く様に吠える
「貴方は頼るべきだった、他人を」
「人間は一人では生きていけない、泥水を啜ろうが他人を頼るべきだった」
「ふざけるな!この村の人間など頼ってもベスペルは幸せになどなれない!」
「それが貴方の誤りでした」
「は?」
「彼女は幸せになることなど望んではいなかった
しかしあなたは幸せにすることに拘った
そのすれ違いが今回の出来事の本質なんです」
「何を言っている、あんたにベスペルの何が分かる!
幸せになりたくない人間などこの世にいるか!」
彼は肩で息をするプロボさんを静かに見つめ、徐に手を懐に入れた
「、、プロボさん、最前に言ったように今日は貴方に用事があったのですよ」
そう言うと懐から小さい容器を取り出し、差し出した
「傷薬ですよ、何の変哲もないね
実は私には一人薬師の弟子がいましてその弟子に薬の仕上げを頼まれて
今日ようやく完成しましたので届けに参ったのです」
「なにを、、」
プロボさんが怯える様に後ずさる
「その弟子がね調薬している時に言っていたのです」
あぁ、見える
ベスペルが、目の前にベスペルの姿が
ベスペルの声が聞こえる
「この薬でお父さんを笑顔に出来るなんて思ってないんです
ただ、お父さんの体にある沢山の傷の一つでも癒してあげられたら
私はそれで満足なんです」
本当に嬉しそうに笑顔で喋るベスペルがそこにいた
「彼女は幸せなど望んでいなかったのです
彼女はたとえ不幸でもただ静かに暮らしていたかっただけなのです」
「あぁ、、あぁ、、」
形を得ない言葉をこぼしながら、よろよろとこちらに近づいてくる
鉈を落とし、差し出しされた容器の前に跪き
そして震える手で容器を受け取った
私はただ見つめていた
地面にうずくまるその姿のなかで
大事そうに握りしめるその手を