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「先生のおかげで最近はすっかり体調が良くて、本当にありがとうございます」
目の前でケイヒ婆ちゃんが笑顔で感謝を述べる
「いいえ、お役に立てたようで僕も嬉しいです」
感謝の言葉にあの怪しい男、いやヌマが応える
何度も頭を下げながら部屋を出ていくケイヒ婆ちゃんを見送り
彼はこちらへ向きなおった
「さあ、勉強の続きをしようか」
この男は本当に恐ろしい人間だった
あの日突然村に訪れたこの男に対して村の人間は戸惑った、当然の反応だ、
村の人間を助けてくれた恩人ではあるが言葉もまともに通じないような異国人を
自然に受け入れられる方がおかしい、しかし積極的に追い出すわけにもいかず
流されるように今に至る
最初こそ疑心の目で見ていた村人たちだったがこの男が次から次へと披露する
その知識に助けられ圧倒され
ほとんどの村人の人心を掌握してしてしまった
そして今や村長に頼まれ大事な一人娘(美人)の家庭教師
という役職まで得ているのだ
この男の怪奇なエピソードには枚挙に暇がない
村に来た次の日に言葉を習いたいからと父に家の本を読ませて欲しいと
頼んだと思ったら家にある本すべて、少なく見積もっても
二十冊はあったであろう本をその日のうちに読み切ってしまい、
次の日には私達の言葉を流暢に喋れる様になっていたのだ
ある日には、突然村で開けていて平らな場所は無いかと聞いてきたら
理由も説明せずその場に行き棒を地面に突き刺し、地べたに意味不明な
文字?や記号のようなものを書き始め、まるで怪しげな儀式でもはじめそうだった
かと思えば夜中一人で家を抜け出し、空をずっと眺めていた
「何をボーっとしているんだい、朝食ならつい今しがた食べたばかりだろう」
考え事をしていた私に、しびれを切らしたように言い放つ
「人を食いしん坊みたいに言わないで!」
「食いしん坊は悪いことではないよ、子供は沢山食べるべきだ」
何より許せないのはこの男、私を事あるごとに子供扱いするのだ
最初こそ私より少し年上ぐらいかと思っていたらこの男
なんと私の倍以上の年齢だったのだ
「私は今年で十二才よ、もう十分立派なレディーなの!」
「寡聞にて知らなかったよ、この国のレディーは
口を半開きにして考え事をするんだね」
「っ~~~!!」
私はこの男が来てから何度目か分からない地団駄を踏んだ
戦略的撤退を決めた私は静かに勉強に勤しむ
隣の家庭教師は飽きもせずに家の本を読んでいる
いい加減集中力が切れた私はかねてより考えていたことについて質問してみた
「ねぇヌマさん、「養蜂」て、知ってる?」
「なんだい急に、、まぁ人並みには知っているよ」
この男の「人並み」は信用できない事を短い付き合いながら私は知っている
「まぁ、その、ほら、私も村長の娘としてこの村のために何かできないかなって」
私の答えを聞いた彼は、読んでいた本から顔を上げて
意外なものでも見るような目で見てきた
「何よその顔、ほらこの村って特に何があるわけでもないし、たまに商人が来ても何も売る物が無いのよ、村を豊かにするにはそうゆう産業?っていうのが
必要なんでしょ?」
私の言葉を聞いて彼は眉間にしわを寄せながら
「だが方法を知ったところでそう簡単に上手くはいかないぞ」
「やっぱりそうだよね、、でもやれるだけやってみたいの
何でもいいから蜂の事を教えて欲しいの」
そういうと彼は、ふむ、と考え込み
「蜂は社会性昆虫と呼ばれていて群れを作り生活している
群れの中に唯一繁殖機能をもっている個体は女王蜂と呼ばれ
繁殖を補助するその他の蜂を働き蜂と呼ぶ、女王を中心として
その共同体全体が女王蜂の繁殖を補助するシステムをもっている」
「養蜂するにはこの女王蜂と働き蜂の群れを捕まえ人工の巣に定着させるか
設置した人工の巣を蜂に選ばせる必要がある」
「蜂を定着させるための環境や、道具の工夫なども必要なのだが、、」
「ストップ!ストップ!」
少し質問してみたらこの有様である全くこの男は何者なんだ、
ただこの村に来る前養蜂家ではなかったことは間違いない
「分かってはいたけど沢山準備しなきゃいけない事があるんだね、、」
目標達成までの壁の多さに思わず弱音を吐いてしまった
「諦めるかい?」
目の前の彼が覗き込む様に問いかけてきた
「まさか!まだ何も始めてすらいないじゃない」
そうだ、そんな簡単に諦められない
決意を込めて彼を見つめ返す
すると彼は僅かに口角を上げ「そうか」と呟いた
何だか照れくさくなってしまった私は思い付きの疑問を問う
「だけど蜂って人間と似たような生き方なのね、家では女性が子供を育てて
男は外で仕事をして家を守るんだなんて」
「いや、人間と蜂の生態は全く違う、まず女王蜂は共同体で
唯一繁殖能力を持つ個体ではあるが唯一の雌である訳ではない
むしろ共同体にいる蜂はほとんどが雌だ」
「そうなの?」
「ああ、そして最も顕著な違いは不妊階級が存在することだ
女王蜂以外の雌は繁殖能力を持たず、そして女王蜂は
他の個体と明らかに見た目が違いそれはどの群れでも同一だ
だから人間の社会性とは区別するべきだろう」
「へー」
全くスラスラとよく喋る男だ
「でも子供を産めるのが一匹しかいないと大変じゃない?
その蜂が死んでしまったらその群れはどうなるの?」
「死ぬよ」
一瞬、時が止まったような錯覚がした、私はそれに抗うように
「死んじゃうの?」
絞り出すように声を出した
「女王蜂を失った群れは無王群と呼ばれ、運が良ければ群れの中から
繁殖能力を持ったメスが出てくる事もあるが
大抵の場合は活動が弱まり緩やかにその共同体は滅んでいくんだ」
部屋に流れる空気を振り払う様に私は言い放つ
「女房を失ったぐらいで情けないね、私だったら何が起きようが
石に噛り付いてでも生きてやるけどね」
そんな私を彼は目を細め
「確かにそれは君らしい」
と笑った
ドンドン、ドンドン
「すみません、どなたかいませんか?」
誰かが家を訪ねてきた、あの声は、、
「ベスペルだわ、今日は一緒に出かける約束なの
残念だけど今日の勉強の時間はこれでおしまいね」
そう言うと彼は眉間にしわを寄せ苦笑している
いつまでも外に待たせるわけにもいかないので、大声で叫ぶ
「ベスペル-、入ってきていいわよー」
ベスペルは私の声を聞いてこの部屋まで入ってきた
「ヘリアンちゃん、お邪魔するよー、あっヌマ先生もいたんですね、こんにちは」
恐る恐る入ってきたベスペルは彼を見つけると丁寧に挨拶した
「こんにちはベスペルさん、もう足の具合は大丈夫ですか?」
「はい、おかげさまで、ありがとうございました」
そんな二人をよそに私は椅子から立ち上がり
「じゃあ私はお父さんに出かけるって伝えてくるから
ベスペルはここで少し待ってて」
そう言い残し駆け足で部屋を出ていく
「全く騒がしいな」
「、、はは」
「あの先生、実はお願いしたい事が、、」
二人の会話を背にお父さんの元へ向かった
北の森に向かう村の道を二人で歩きながらおしゃべりをする
「この間は散々な目にあったけど今日こそ成果を上げて見せるわ」
「ヘリアンちゃん、本来の目的も忘れないでね」
隣の友人が苦笑いしながら注意する
「分かってるって、ちゃんと採取の方も忘れてないわよ」
「じゃあちゃんと何を採取すればいいか覚えてる?」
「それは、えーと、ほらベスペルが覚えてれば問題無し」
「もう、そんな調子じゃ、またこの間みたいに大変な目に遭っちゃうよ」
全く怖くない怒り顔でそう言う友人とじゃれ合いながら森に向かう
道を歩いていると、ふと視線を感じた
視線を感じた方を見てみるとそこには
農奴のフロディさんが農作業の監督をしていた
「どうしたの?ヘリアンちゃん」
怪訝な顔をしていた私に友人が話かける
「ほらあそこに」
私は視線だけでフロディさんのいる場所を示す
「?」
いまいち理解できていない友人に私は愚痴をこぼす
「フロディさんがまたこっちを見てたの
気付かれてないとでも思っているのかしら」
「フロディさんが?」
「あの人、村の女を誰彼構わずいやらしい目で見るから嫌いなのよね」
「ヘリアンちゃんはかわいいから、、」
不機嫌な私を困った様に宥める友人に
彼女に当たってもしょうがないと気持ちを切り替える
「それを言うならベスペルだって綺麗な黒髪だし
顔も小さくてお人形さんみたい」
そう言いながら彼女に抱き着く
「そんな事、、ヘリアンちゃん重いよー、、」
困ってる姿が可愛くつい意地悪しながら、私達は森へ向かった
また始まった
いつもは頼りがいのある両親だが時々タガが外れたかのようにお互いを罵り合う
最近はその頻度が増しているのは気のせいではないだろう
昔の俺だったら膝を抱え、ただ嵐が通り過ぎるのを待つだけだった
だが今の俺にはやるべきことがある、守るべきものがある
隣で不安そうな顔をしている妹の頭を撫で外に連れ出す
外は既に日も沈み真っ暗だった、肌寒い季節ということもあり
俺たちは身を寄せ合って目的地もなくただ道を歩いた
「お兄ちゃん、、」
色んな不安を抱えるが、それを言葉に出来ずただこちらを見る妹
そんな妹に俺は大きめの上着を開き中に入るように示した
お互いの温もりを感じながら俺たちは道を進む