転校初日
火灯影司。
小学生の時からの付き合いで、中学の途中まで仲が良かった友達。
いや。
途中、という暈かし方は良くない。
正確には、俺が後天性サヴァン症候群になるまで、仲が良かった友達だ。
「てめぇ。こいつはいったいどういうことだ!」
影司は、突然現れると、大きな足音を鳴らして近づいてくる。
俺はというと、突然のことで身動きが取れなかった。
いま目の前にある現実を、脳内で処理することでいっぱいになっていた。
「なんとか言えよ、この――」
その手に蒼い焔が灯る。
握り拳は、炎熱を得る。
「裏切り者がっ!」
その拳は容赦なく、俺へと飛んだ。
迷いのない右ストレート。
しかし、その蒼焔が届くことなく終わる。
その寸前で、止められたからだ。
「おいおい、いきなりすっ飛んでいったかと思えば、なにしてんだこんなとこで」
訓練場の入口方面から、幾つもの糸が飛ぶ。
それは影司を絡め取ると、行動の一切を封じてしまう。
「ぐっ、ぬぬぬっ」
燃え盛る蒼焔が、より火力を増す。
しかし、それでも糸は焼き切れない。
身を縛るそれに、影司は抗う術を持たなかった。
「お前はこれから街の警備に行くんだろうが」
「ふががががっ!」
「なに? なんだって? まぁ、いいや」
恐らく、影司が所属するクラスの担任教師は、手元をかるく動かす。
すると、糸はまるで生き物のように動き、両手足を一纏めに括り付けた。
「どーも、お騒がせを。すぐ、引き上げますんで。それじゃ」
そう言い残して、男性教師は去って行く。
縛り上げた影司を引きずり回しながら。
「ぷはっ――おい、四季!」
訓練場を出る刹那に、影司は意地で声の自由を得る。
「俺はお前を絶対に許さないからなっ!」
「うるさいな。そういう青春は休日にやれっての」
「もがぁあああっ!」
また、縛り直された。
そして、今度こそいなくなった。
「知り合い、なんですか?」
「あぁ……まぁな」
影司は、もう俺のことを友達とは思っていないみたいだけれど。
「おっほん――」
それから改めて桜坂先生の歓迎の言葉をもらい、俺たちは訓練場をあとにする。
そこからは残りの学園施設と、今日から住むことになる寮を案内してもらった。
特待生専用の寮は、ほかよりすこし豪華みたいだ。
高級ホテルの一室みたいで、その夜は寝付けないほどだった。
ベッドの寝心地が良すぎるというのも、考え物だ。
過ぎたるは及ばざるが如しとは、昔の人はよく言ったものだと思う。
そうして、一夜が明けた早朝のこと。
「ふっ……ふっ……」
寮の近くにある雑木の庭にて。
人気のない静かな場所を見つけ、日課の素振りを行っていたところ。
不意に人の気配がした。
「――こちらでしたか」
澄んだ空気に響く、聞き慣れた声。
尋ねてきたのは、詩織だった。
「精が出ますね、毎日してるんですか?」
「まぁ、このくらいのことはな。それで、俺になにか用なのか?」
素振りを続けながら問う。
「はい。今日から四季くんが正式に虹霓学園の生徒になるので、授業の説明に」
「説明?」
なにか変わった授業でもするのか?
「そうです。今日は二クラス合同で市街地戦をしますので」
「しがっ……なんだって?」
思わず、素振りも止まる。
なにかの聞き間違いか?
いま市街地戦と聞こえたような。
「市街地戦です」
聞き間違いじゃなかった。
「空が割れて街に魔物が出た、という状況を想定して行われる戦闘訓練なんですよ。ちなみにこの授業の出来がダイレクトに成績に響きますので。真面目にやってくださいね?」
「いや、うん、授業は真面目にするけど」
先の一言で、聞きたいことが山ほど出来た。
「市街地戦って言っても、どこでやるんだ? まさか、本当に街を貸し切るわけじゃないんだろ?」
市街地戦を行うなら、公道や民家から人を追い出すしかない。
一流の異能学園であろうと、一教育機関がしていいことじゃない。
「まぁ、最初はそうなりますよね。私もそう思いましたもん。だから、説明なんです」
そう前置きをして、詩織は説明を開始する。
「場所は学園敷地内にある地下です」
「地下? 地下に……じゃあ、市街地を造ったってことか?」
「その通りです。地上にある市街地を、そっくりそのまま再現したんです」
地下空間に再現された市街地。
地下都市と書くと、とてもロマン溢れる場所なんだけれど。
なんというか。
スケールが大きすぎて、あまりピンとこない。
「地下に市街地を造ったって言うのは、まぁいいとして」
良くはないし、漠然としかわかっていないが。
「なら、魔物のほうはどうするんだ? 飼い慣らせるような生き物じゃないだろ」
初めて魔物と人類が接触してから数十年。
家畜化に成功したという話は聞かない。
飼い慣らしたという一例もない。
市街地戦を想定するなら、魔物の存在は不可欠なはずだが。
「そこは問題ありません。教師の中に、適した異能持ちがいますから」
「適した異能……幻覚とか?」
「それも一つです。幻覚のほかにも、再演や複製なんかが、そうですね」
「なるほど……異能も使いようか」
生徒に魔物と戦う幻覚を見せれば訓練になる。
魔物の生態や動きを再演できれば、上々。
複製で魔物を増やすことができれば、この上ない。
市街地戦を想定した訓練の実行は十分に可能だと言える。
「あと四季くんはこの街に来たばかりですから、桜坂先生からこれを渡すようにって」
詩織から差し出されたのは、一つの端末機。
大きなディスプレイが貼り付けられたそれを受け取り、起動してみる。
すると、画面に地図が浮かび上がった。
地図上には、現在地を示すアイコンが表示されている。
「ナビってところか?」
「はい。慣れるまではそれを使っていいそうです」
「そいつは助かる。地理もわからないのに、市街地戦もなにもないからな」
土地勘がない俺にとっては必需品だ。
逐一、現在地を確認しなくてはならないけれど。
迷わずに済むのなら、それくらいの手間は惜しくない。
「しかし、流石は虹霓学園だな。やることなすこと常識外れだ」
この前まで普通校に通っていた俺には驚きの連続だ。
枚挙にいとまがない。
「ところで、四季くんはまだ続けるんですか? 素振り。もう良い時間ですけど」
「ん? あぁ、そうだな……」
そう呟きつつ、刀を振り上げて振り下ろす。
「よし。これで終わりだ」
締めの一振りを終えて、刀をオドに帰した。
得物の手入れも持ち運びも考えなくていいのが、この異能のいいところだ。
「じゃあ、これから一緒に学食に行きましょう。まだ学園について知らせておきたいことがあるんですよ」
「あぁ、わかった。でも、その前にかるく汗を流して来ていいか?」
素振りだけでも、長時間続ければ汗を掻く。
どうせこの後の市街地戦でまた汗を掻くことになるけれど。
気持ちの問題として、汗を流しておきたい。
「はい、もちろん。私は先に行って場所取りをしておきますね」
「悪いな」
「いえいえ」
話はまとまり、雑木の庭をあとにする。
その途中で、ふと先を歩く詩織の背中に色を見る。
「薄緑……」
「――っ」
また口をついて色を言ってしまった。
詩織はそれにぴくりと反応したが、けれどなにも言わなかった。
聞こえはしていたはずなので、とうとう外れたのかと謎の安堵を覚える。
けれど、俺は目敏く見つけてしまったのだった。
詩織の耳が、真っ赤になっていることを。