割れた空
階段を駆け下り、居間の扉を開け放つ。
「あら、四季。さっき大きな音がしたけど――」
「暢気してる場合か! 近くに魔物が出たんだよ」
「え?」
ぽかんとした母さんは、すぐに神妙な顔つきになる。
「四季。防災袋もって、いますぐ避難」
「わかってる」
俺たちの行動は迅速だった。
元々、地震の多い国に魔物の被害。
いざと言う時の備えは、常に万全を期している。
防災袋の近くに印鑑や通帳などをおいているし、すぐに避難できるようにしてある。
数分と掛からず、俺たちは避難の準備を終えて家を出た。
「魔物はっ!?」
玄関から飛び出すと、まず人々の悲鳴が耳に届く。
家の前には逃げ惑う人々が駆け抜けていき、遠くから獣の雄叫びが木霊する。
そこには沈み始めた夕日に照らされた、非日常が広がっていた。
「いない。今なら逃げられる」
「避難所はあっち。四季、はやく」
俺たちも早く避難しなければならない。
母さんと二人で、人の流れに紛れて先を急ぐ。
しかし。
「な、なんだ?」
逆流する。
「どうして戻ってくる!?」
一方向を向いていたはずの流れが。
避難所への最短ルートを通っていた人々が。
逆らうように、逆走し始める。
「魔物だ! こっちにも魔物がいるぞ!」
その誰かの声が聞こえた直後に目視する。
何匹かの小型の魔物が、行く手を塞ぐように駆けている様を。
いま引き返さなくては、あれらの餌食になってしまう。
「四季。私たちも」
「あぁ、すぐに――」
踵を返して、来た道を戻ろうとした、その時だった。
視界の端で何かが倒れるのを見た。
釣られて視線がそれを追う。
そうして視界の中央に捉えたのは、地面に倒れ伏した誰か。
名前も知らないその誰かを見た瞬間、俺は荷物を母さんに押しつけていた。
「四季っ!?」
人の群れを抜けて戦地に飛び出す。
すでに魔物は、倒れた誰かを襲おうと牙を剥いていた。
だから、その牙に掛かる前に、俺はこの手に得物を握る。
異能の顕現。
俺が有する異能は、刀剣を具現化させる。
虚空から生み出すのは、一振りの真剣。
刀を携え、牙を剥いた魔物に向けて一刀を振るう。
狂いのない剣閃を描き、刀身は魔物に埋まる。
肉を斬り、骨を断ち、命を奪う感触が、刃を介して手に残る。
それでも俺は勢いを止めることなく振り抜いた。
「あ、ああ……」
魔物は絶命し、地面に横たわる。
アスファルトが血で穢れ、赤い池を造り出した。
いま助けた人は、狼狽えたように声を漏らしている。
けれど、そうやってぼーっとしている暇はない。
魔物は次々にやってくるのだから。
「走れ!」
活を入れるように叫ぶ。
それを受けた誰かは、我を取り戻したように逃げ出した。
これでこの場はなんとか、逃がすことができた。
「……なにやってんだろ、俺」
けれど、同時に俺も我に返る。
なんで飛びだした。
なんで助けようとした。
目の前に、こんなに多くの魔物がいるのに。
「四季っ!」
母さんの声が聞こえる。
「先に逃げててくれ。俺はこいつらを始末してからいく」
どうせ、ここまで接近されたら逃げられない。
人間の足では、獣に敵わないのだから。
「始末って……そんなこと」
「知ってるだろ? 俺は昔、神童って言われてたんだぜ」
刀に付着した血を払う。
「行けっ!」
そう叫んで、俺は魔物たちへと突っ込んだ。
「――っ」
繰り出す剣閃は、確実に魔物の命を断つ。
一太刀振るえば、一つの命が散る。
けれど、それでも魔物の数が減っているようには思えない。
「十……二十……いったい、何匹いるってんだ」
矢継ぎ早に現れる魔物が、すこしずつ体力を削っていく。
剣士として、特別な修業をした訳じゃない。
してきたことと言えば、毎朝の日課にしている素振りくらい。
そのほかは普遍的な高校生と変わりはしない。
そんな俺が、降って湧いた剣術だけで倒せる魔物には限りがある。
「防衛隊の連中はなにしてる」
だいたい、こういう役目は防衛隊が担うべきことだ。
街に現れた魔物を駆除し、市民を守るのが仕事だろ。
どうして、俺がこんなことを。
「――くそったれがっ!」
悪態をつき、刀を振るう。
幾度となく剣閃を描き、周囲に死体の山を積み上げる。
そして、魔物の数はいつの間にか数えられるほどに減っていた。
「あと……五匹……」
母さんは避難所まで逃げられただろうか。
「四……三……」
あの名前の知らない誰かは、まだ生きているだろうか。
「二……一……」
最後の魔物に刃を向ける。
一刀を浴びせ、斬り伏せた。
「ゼロ……」
倒した。
倒し切った。
小型の魔物は、すべて叩き斬ってやった。
「はっ、はは――ざまぁ見ろっての」
危機が去ったことに、ほっと安堵する。
膝が笑うし、呼吸が痛い。
腕が上がらないし、骨が軋むようだ。
けれど、それでもやり遂げた。
「――」
物事が上手くいっている。
その時ほど、注意深くなるべきだ。
警戒心を持ち、不測の事態に備えるべきだった。
「なん……だよ……」
影が差す。
夕闇から出でるように覆われる。
振り返った先で見たものは、見上げるほどの絶望。
地を揺らしたあの魔物が、目の前に立っていた。
「――上等だっ!」
笑う膝を拳で叩き、上がらない腕を無理矢理に上げる。
自分より何倍も大きな魔物へ、立ち向かうために。
魔物は拳を握り、獲物を目がけて振り下ろした。
アスファルトすら打ち砕くそれを飛び退いて躱し。
その腕を足場にして、一息に駆け上がる。
「――」
わかっているんだ。
どうして俺が、こんなことをしているのかなんて。
いま俺を動かしているのは、責任感だ。
意図せずに手に入れた超人的な能力でも。
それを持っていながら、目の前の助けられる誰かを助けない。
それは見殺しに他ならず、俺が殺したに等しい。
だから、あの時の俺は飛び出した。
自分のものではない才能を振るった。
誰かのためじゃない。
自分のためだけに、動き出した。
それが力を持った者の責任だから。
俺はその責任を、果たさなければならない。
「――くっ」
魔物の腕を駆け上る最中、もう片方の手が迫る。
血を吸いにきた蚊を叩き潰すように。
しかし、抵抗もなく潰されるわけにはいかない。
その掌に向けて、刀で一閃を描く。
その一撃は何本かの指を切断し、掌に深い一太刀を刻む。
走る痛みに、魔物が一瞬だけひるむ。
その隙を、見逃さない。
「これで――」
腕から跳び、斬り裂いた魔物の手に足をかける。
空中にて足場を得て、そこから更に跳ぶ。
目指すは生物の急所。
首。
「死んでろ」
振るった剣閃は、なによりも速く馳せた。
刀身は魔物の首を刎ね上げて、鮮血が宙を舞う。
赤い斑が地面に浮かび、着地とともにごとりと鈍い音がする。
首を失った魔物の巨躯は、指令をなくして力なく崩れ落ちた。
「はっ……はっ……倒……した」
その事実の認識に伴い、身体の力が一気に抜ける。
手足が震え、心臓が跳ね、肺が今にも破裂しそうだ。
立っていられるはずもなく、刀を支えにして膝をつく。
もう一歩たりとも歩ける気がしない。
もう一太刀たりとも、剣を振るえる気がしない。
このまま地べたに横になりたいくらいだ。
「――こっち! こっちです!」
遠くから誰かの声がする。
それはすこしずつ大きくなり。
「いた! あの人です! あの人が、たった一人で!」
「四季くん!」
大きな声で名前を呼ばれた。
重い頭を上げてみると、多文詩織の姿が目に映る。
その後ろには何人かの、同じ学生服を身に纏う生徒がいた。
そう言えば、虹霓学園って、街の警備を手伝っているんだっけ。
「大丈夫ですか? 怪我はっ!」
「まぁ……なんとか……平気だよ……」
本当は言葉を発するのも辛いけれど。
「よかった……」
彼女はほっと安堵した様子を見せる。
それから周囲へと目を向けた。
「この数を……大型まで……たった一人で?」
「助かる……ために、必死……だったからな」
無我夢中で剣を振るった。
お陰で明日は筋肉痛だ。
「――よかったっ! 生きててくれて!」
冗談を考えられるくらい気力が回復してきたところ。
俺の側に、誰かがくる。
本気で俺の身を案じてくれているこの人には見覚えがあった。
あの時、俺が飛び出す切っ掛けになった人だ。
転んで、魔物に襲われていた人だった。
「ありがとう! 本当に、ありがとう! キミが助けてくれなかったら、俺は今頃……」
彼は心からの感謝の言葉を述べてくれた。
「や、やめてくれ。そういうの……悪いけど」
けれど、俺はそれを途中で遮ってしまった。
聞いていられなくなったからだ。
「え?」
剣を支えにして、なんとか立ち上がる。
「あんたを救ったのは俺の力じゃないんだ。その、なんて言うか……」
口頭で説明をするのは、無理があるな。
「とにかく、感謝されるような人間じゃないんだよ、俺は」
感謝されるべきは、この降って湧いた剣術だ。
俺自身じゃない。
ただの何の力も持たない俺なら、たぶん彼を見捨てていた。
自分と母さんが助かることを最優先にしていたはずだ。
俺はそう言う人間で、たまたま力を得たから責任を果たしただけの卑怯者だ。
感謝の言葉なんて、もったいない。
「それでも言わせてあげてください」
そんな俺の考えを否定するように、彼女は言う。
「助けられた者には、助けてもらった人にお礼を言う権利があります。たとえ、本人がそれを否定していても」
「そ、そうだ。俺はキミに感謝してる。だから、何度でも言うよ。ありがとう! 本当にありがとう!」
その時、俺がどんな顔をしていたかなんて、自分ではわからなかった。
けれど、とても驚いていたことだろうと予想はついた。
はじめて魔物と戦い。
はじめて人を救い。
はじめて魔物を殺し。
はじめて、このような感謝の言葉を受けた。
はじめてを経験し、胸の奥から経験したことのない感情が湧き出てくる。
嬉しいという喜びと、助けられたという達成感。
それらをどれだけ抑え込もうとしても、掻き消そうとしても、叶わなかった。
俺にそんな資格はないと言うのに。
「――四季っ!」
それから俺たちは、虹霓学園の生徒たちに避難所へと送り届けられた。
そこで怪我一つない母さんと再会し、親不孝なことにも泣かせてしまった。
生きて帰ってきたことが最大の親孝行だよ、なんて台詞まで言わせてしまう始末だ。
泣き崩れる母さんに抱きしめられながら、そして俺は一つの決心をした。
それは。
「――いやー、地方新聞とはいえ一面ですよ、一面」
魔物の一件から数日が経ったころ。
多文詩織は新聞紙を片手にまた俺の前に現れた。
「神童、再び。現代の宮本武蔵。街をたった一人と一振りで守り抜いた英雄。どこに目をやっても賞賛の言葉しか見つかりませんね」
「お陰で学校では散々だったよ」
質問攻めの雨霰だ。
復帰一日目にして疲労困憊だ。
病み上がりの人間には、もうすこし配慮と言うものをしてもらいたい。
「しばらくは、まともな学校生活を送れなくなっちまったよ」
「あっ! じゃあ、虹霓学園に転校しましょう! そうすれば万事解決ですよ!」
転校していったい何が解決するというのか。
けれど、まぁ、それもありだ。
「わかった。虹霓学園にいくよ」
「いやいや、そう言わずにすこしだけでも――って、え?」
彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
俺の言葉を、欠片も想像していなかったって表情をしている。
「ど、どういう風の吹き回しですか!? だって、あんなに嫌がってたのにっ」
しつこく誘ってきたくせに、こちらがその気になったらこの反応だ。
「気が変わったんだよ。もう両親にも話しは通してある」
「それはまた、凄い行動力ですね……でも、本当にいきなりどうして」
「決めたんだ」
足を止めて、彼女に向き直る。
「この剣術は、誰かを助けるために使うべきだって」
勝ち取った訳でも、願った訳でもないけれど。
「それが俺なりの責任の取り方だ」
力を手に入れた者としての責任を果たす。
あの一件で、そのことの重要さが身に沁みてわかった。
母さんにはまた心配をかけてしまうけれど。
それを吹き飛ばすくらいの活躍をしてみせる。
「そうですか……わかりました。では、おほん」
わざとらしい咳払いをして、彼女は俺に手を伸ばす。
「ようこそ、虹霓学園へ。私たち一同は、あなたを歓迎します」
「あぁ、よろしく」
その手を握り、スカウトを受ける。
こうして俺は、虹霓学園の生徒となったのだった。
「ところで……どうしてわかったんですか?」
「なにがだ?」
「その……色ですよ、色っ」
「色? あぁ」
あの適当についた嘘が当たってしまったあれか。
「……たまたまだよ、たまたま」
「本当ですか?」
疑いの目を向けてくる。
それに苦笑いしていると、ふと脳裏に色が浮かぶ。
「あっ、赤色」
「――ま、またっ!」
即座に彼女は赤面し、両手でスカートを押さえた。
随分と派手な色のものをお召しで。
「これはどういうことですか! ちゃんと説明してください!」
「だから、たまたまだって言ってるだろ」
彼女から逃げるように走り出す。
「あっ、こらっ! 待ってください! 納得のいく説明を!」
彼女に追いつかれないように逃げる。
守ることが出来たこの街を駆け抜けた。