架かる虹
「流星。それが私の異能よ」
学生食堂にて。
朝食を取りつつ、夕美の話に耳を傾ける。
「能力は弓と矢の具現化。威力を調節することで、殺傷非殺傷の切り替えができるわ」
俺に向けて矢を射った際は、非殺傷だったと言う。
飛来した矢はすべて捌いたので、この身に受けて確かめた訳じゃないけれど。
拳で殴られる程度の衝撃にまで、威力を抑えることができるらしい。
「射程はおよそ四百メートル。けれど、これはただ矢を遠くに飛ばすことだけを考えて出した距離よ。攻撃として成立するのは二百メートルから。確実に仕留めるなら、もうすこし縮むわね」
「なるほど」
話を聞きながら、朝食に手を伸ばす。
朝は美味しいと評判のカツサンドだ。
なんとか、確保することができた。
口の中に広がる味は、前評判に違わぬ美味しいもの。
この味なら、人気になるのも頷ける。
俺も、病み付きになってしまいそうだ。
「ちゃんと聞いてる?」
心の中を見透かされたように言われてしまう。
「もちろん」
そう言って、カツサンドのことは脇に置いた。
「でも、あの時、四方八方から矢が飛んできただろ? あれはどうやったんだ?」
「それも異能の能力よ。私を中心とした半径百メートル以内なら、好きな位置に矢を造れるわ。あとは弦を弾いてしまえばいい。まぁ、威力や強度が設定値より下がってしまう欠点があるのだけれどね」
「道理で姿が見えないわけだ」
身を隠しながら矢を射られる。
姿を見せるのは、自身が矢を射る一瞬だけ。
四方八方から攻め立てて、生じた隙を縫うように一矢を放つ。
矢の強度に気づくのが遅かったら、危なかったかも知れない。
「夕美ちゃんも同じ特待生ですから、私を含めた三人で行動することが、何かと多くなると思いますので。そのつもりでいてくださいね、四季くん」
「あぁ、わかった。ところで、人数はこれ以上、増えないのか?」
「人数ですか? いまのところ、予定はありませんけれど」
「そっか」
じゃあ、当分はこの女所帯で行動することになるのか。
「あら。両手に花のこの状況が不服なのかしら? 三人目の女がほしい?」
「べつにそんなつもりで言ったんじゃねーよ」
なんだ、三人目の女って。
「ただ、そろそろ男友達がほしいなって思っただけだ」
みんな、転校生の俺によくしてくれている。
けれど、どこかよそよそしい。
胸を張って友達だと言える人が、まだ出来ていないのだ。
ただでさえ、今後は班行動が増えると言う。
なら、せめて班員に男が加わればと思ったのだけれど。
しばらくは、それもなさそうだった。
「え? でも、たしか居ましたよね? 友達」
「例の戦闘訓練の話ね。派手にやりあったって聞いているけれど」
「影司は……まぁ、いろいろと複雑なんだよ」
まだ俺を許していないし、胸を張って友達とは言えない。
すくなくとも俺のほうからは。
「さぁ、もういい時間だ。はやく出ようぜ」
皿の上にあるカツサンドを口に放り込み、食器を持って席を立つ。
その話題から逃げるように。
二人も察してくれたのか、それ以上はなにも言わなかった。
その心遣いにほっとしつつ、学食を出て校門へと向かう。
校門前では、桜坂先生が待っていてくれた。
「第七十二班。全員、揃ったな」
「はい」
整列し、声を揃えた。
「よし、なら行ってこい」
桜坂先生に見送られ、俺たちは街の警備に出発した。
初の参加とあって、すこし緊張気味に道路を歩く。
登校のために通る道が、いつもと違って見えた。
「――えーっと、次ぎはこっちか」
端末機と睨めっこしつつ、設定された巡回ルートを通る。
まだまだ街の構造に慣れていない俺には、このナビが手放せなかった。
「懐かしいわね、それ。私も入学当初は持たされていたものよ」
「そうなのか? まぁ、そりゃそうか」
道に迷ったりでもしたら大変だ。
その間に事件が起こるかも知れないし、現場へ到着するのが遅れるかも知れない。
そのためのナビ。
警備に慣れないうちは、無理せず頼りにするべきだ。
「ナビを持っているうちは半人前だって、よく言われましたっけ」
「なるほど。じゃあ、はやく一人前になれるように頑張らないとな」
いつまでも半人前ではいられない。
巡回ルートを憶えて、一人前にならなくては。
「しかし、暇だな」
街の警備に出たからと言って、何かが起こるとは限らない。
出先で必ず事件に巻き込まれるなら、そいつは疫病神か死神だ。
街はいたって平和な様子で、穏やかな時間が流れている。
「警備が暇なのは良いことですよ、四季くん」
「わかってるよ。魔物が降ってくるより、平和なほうがいいに決まってる」
空がずっと割れなければいいのに。
そんな風に考えたのは、一度や二度じゃない。
それでも割れるものは割れてしまうのだ。
俺たちはいつだって後手に回り、被害を最小限に食い止めるよう努力するしかない。
「案外、魔物よりも人間に注意を向けるべきなのかも知れないわね」
「異能犯罪って奴か」
異能は人によって異なるもの。
融通の利かないものや、汎用性の高いものもある。
犯罪に適した異能だって、存在しているのはたしかだ。
防衛隊の役割には、そう言った犯罪者の逮捕も含まれている。
まぁ、飽くまでも警察の補助ということに、なっているけれど。
「平和がずっと続けばいいんだけどな」
そう呟いて、警備は続く。
その後も特に事件らしい事件も起こらず、時刻は昼時となる。
俺たちはちょうど巡回ルート上にある喫茶店で、昼食を取ることにした。
「ふー……意外と、疲れるもんだな」
窓際のテーブルにつき、一息を入れる。
長い距離を歩くこともそうだが、一番の疲労は精神面だ。
平和だからと言っても油断はならない。
いつ何時、空が割れてもいいように、常に姿勢は正していた。
それが気疲れの原因となって、予想以上の消耗を生んでいる。
単純に緊張して無駄に力が入っているだけ、と言われれば、それまでだけれど。
「巡回も折り返しで、あと半分ですよ。頑張ってください」
「でも、食事は軽めにね。食べ過ぎるとあとが悲惨よ」
「わかってる。じゃあ、今朝と同じサンドイッチにするか。えーっと」
メニューを眺めてすこし悩み、注文を済ませた。
サンドイッチが運ばれてくるまでの間、胸の中に宿るのは非日常の文字だ。
平日の昼間に学生服を着て喫茶店にいる。
しかも誰に咎められることもなく、堂々と。
そのことが新鮮で、現実味がなく、だからかすこし落ち着かない。
けれど、悪くない居心地の悪さだった。
「おまたせしましたー」
店員がやってきて、頼んでいたものがテーブルに並ぶ。
どれも軽めのもので、食べるのに時間の掛からないものだ。
「いただきます」
サンドイッチを手に取り、口へと運ぶ。
レタスと卵とハム、それにチーズ。
ありきたりだが安心する味が口の中に広がった。
「これを食べたら、次は――」
そう話す詩織の声に耳を傾けつつ、外の景色に目を移す。
今日は天気がいいせいか、人通りが意外と多い。
だからこそ、思う。
これだけ多くの人の安全を、俺たちは守らなくてはいけないのだと。
「――四季くん? 聞いてますか?」
「え? あ、あぁ、うん、聞いてた聞いてた」
「そうですか?」
詩織は疑いの目を向けてくる。
「ずっと外を見ていたように見えましたけど」
「見てたは見てたけど。それは……ほら、空が割れてないかの確認をだな」
そう取り繕うように言って空を見上げる。
窓越しに見た、雲一つない空。
澄み渡る青が広がる中に、だが不可思議なものが映る。
「――虹?」
空に虹が架かっている。
それ自体は特に珍しくもないけれど。
問題は、今朝からずっと晴れていたということだ。
雨も降っていないのに、虹が架かるものなのか?
「虹? 見えないわよ、私には」
「なに?」
見えない?
「私にも見えませんよ。空のどこにもありません、虹なんて」
詩織にも、夕美にも、見えていない。
俺だけに見える、空に架かる虹。
それはつまり。
「オド、なのか? でもどうしてあんなところに」
空に集まったオドが虹のように見えている。
あんな何もないところで、どうしてオドが集結しているんだ?
思考は巡るが、見当もつかない。
けれど、その疑問の答えはすぐに提示された。
「な――」
オドが集結していた訳じゃない。
オドが放出されていたんだ。
異世界からこちらの世界に、流れ込んでいた。
「空が――割れた」
割れた空。
走る亀裂から落ちるは、数多の魔物たち。
またしても、魔物たちが侵攻してきた。