クロエ 失神する
エリカーナ奥様がお屋敷にやって来た。 使用人総出のお迎え。 最上級のお迎えだ。 閣下にもしないよ? これ。 私も、同じように並んでいた。 隣にマリオとアンナさんが居る。 みんな緊張している。 判るわぁ~~
「ごきげんよう」
にこやかに白塗り仮面がやって来た。 すんごいよ。 香水の香りが玄関ホール一杯に広がってる。 たぶん、少量ならいい香りなんだろうな。 でもコレ、暴力的だ。 クラクラする。
「そちらが、クロエ?」
エリカーナ奥様が私に狙いを付けた。 うはぁ! すんげー視線。 値踏みされてるよ。 村の奥さんが、八百屋に出てる大根を選ぶ時の目だ。 真正面からその視線を受けた。 ニッコリ微笑んでみる。 あちらが値踏みするんなら、遠慮はいらない。 しっかりと受けさせてもらおう。
「クロエ=カタリナ=セシル=シュバルツハントと申します。 御目に掛かれて光栄に御座います、エリカーナ奥様」
ばっちり、カーテシー決める。 礼法の先生に合格もらってるからね。 間違いない筈。 相手は王家の関係者。 最敬礼でも問題ない。 うん、奥様、目を白黒してた。
初戦は先制、出来たようね。 戦線は前進したみたいね。よし、貴賓応接室に行くぞ。 アンナさん、頑張るわよ。 見守っていてね。
エリカーナ奥様の後に続いて、貴賓応接室に入る。 上座は奥様に。 ちょっと離れた下座に着席。 すんごいボリュームだねぇ、奥様。 ふくよかな胸周りに嫉妬を覚えるわぁ…… 大人になったら、あのくらいなればいいのになぁ……無理だろうなぁ……
「ようこそ お屋敷まで、お越しくださいました、奥様。 ” 先触れ ” 誠に、有難うございました。 奥様と会える日をお待ち申し上げておりました」
ゆったりと、優雅に。 よし、先生の教え通り。 ちょっぴり皮肉。 効くかな?
「あら、そうなの? てっきり嫌われて居るのかと。 だって、 ” お伺い ” にも来なかったじゃないの」
来たよ、コレだよ。 反撃はね……
「田舎娘のわたくしが、奥様にお声がけするほど、増長しておりませんわ。 それに、礼法も作法も知らぬ私などが、奥様とお逢いしようなど、おこがまし事、思いも出来ませんでしたわ」
「ふーん、そうなの。 身の程を知ってるって事ね」
「はい、御婆様の薫陶は受けましたが、所詮は田舎娘で御座いますので」
「……そ、そうね。 セシル様の御孫さんでしたわね」
挑発的な癖に、ちょっと反撃喰らうとシオシオになったよ、白塗り仮面。 そうだよ。 婆様は、四年前までは、行方不明だったけど、王家の籍に残ってたからね。 父様達は貴族籍抜けてるけど、だからこそ、王族直系なんだよ私は。 相手が身分で攻めるなら、”ごめんなさい”だけど、婆様の身分を使わせてもらう。
どうする、白塗り仮面。 笑顔で、対応中の私の顔を穴が開くほど見詰めてるね。 攻め手を考えてるよね。 その眼を見たら判るよ。
「そうそう、この度の王室舞踏会、貴女のデビュタントなんですって。 大変名誉な事よ」
「有難うございます。 わたくしも、思いもかけない、名誉に慄いております。 このような卑賎の身に過ぎたる名誉と存じます」
「そ、そうね。 なんでも、我が息子のリヒターがエスコートするんですって? そう聞きましたが」
必死の反撃。 最愛の息子さんのエスコートなんか、田舎娘に勿体ないよね。 それは、同意する。
「はい、わたくしのエスコートに御家の次代ご当主様の御手を煩わせることになりました事、誠に申し訳なく思っております。 さらに、リヒター子爵に置かれましては、恐れ多くも国王様の第四御息女ソフィア様とのご婚約が成立しておられます。 デビュタントとは言え、たいへん心苦しく、出来得る限り、お邪魔せぬよう心掛けますので、どうぞ、お許し下さいませ」
よし、言いたい事は言えた。 先制が効いてたみたいよね。 こっちの立場を明確にしてから、へりくだって、後はそっち次第だと、突き放してみた。 ……さぁ、どうする? 白塗り仮面、こう云うの、初めてかしら?
……ウフフフ
こちとら、ロブソン開拓村で、父様の作った薬の販売で、こう云う腹の探り合いやってたからな。 白塗り仮面の腹の中なんて、読みやすいよ。ちゃんと退路も用意したから大丈夫とは思うけどね。
「……聡い方ね。 まだ九歳とは思えないわ。 分かりました。 舞踏会ではよろしくね」
「はい、奥様。 どうぞ、お引き回しの程、宜しくお願い申しあげます」
「ええ、これなら、黒龍大公家の ” 令嬢 ” としても、恥ずかしくないわね」
「勿体ないお言葉、感謝にたえません。 お忙しい中、お越し下さり、誠に有難うございます」
一連の攻防で、メイド達の緊張が最高に達している。 そりゃそうね。 敵に回したら厄介、味方にしたら、もっと厄介。 適度な距離感で付かず離れず。 コレよね、コレ。 私は、 ”終了 ” の切っ掛けを渡したぞ。どうする、白塗り仮面?
「そうね、わたくしも忙しい身。 次、お逢いするのは、舞踏会の会場かしら」
「閣下とお並びになる様は、さぞやお美しい事で御座いましょう。 楽しみにしております」
「そう、楽しみね。 それでは、ごきげんよう」
よっしゃ! 撒き餌に食いついて、引いてくれた。 良かった! エリカーナ奥様は、サッと立ち上がり、風の様に部屋を出て行ってくれた。 私も、続いて立ち上がり、深々と礼を捧げる。 チラッと私を見てから、”頭を下げている私”に、満足したのか、足取りも軽く、玄関を出て行ったね。
よし、状況終了! 戦術的 ” 引き分け ”、戦略的 ” 勝利! ” 暫く顔を見なくて済むね!
マリオと、アンナさんが目を大きく開けてこっちを見ている。 右手で拳を作り、その手を胸に当てる。 片膝を付いて、マリオとアンナさんに目線を外して頭を下げる。 騎士の最上級礼だ。 ホントに感謝しているよ。 戦えたのは、お二人のお陰だよ。
ありがとう。
「お嬢様……」
顔を上げたら、なんか、アンナさんが、ジ~って、こっち見てるよ。「騎士の礼」、気に入らなかったのかな? なんか、目に涙を浮かべてるよ。 う~ん、判んないよ。 怒ってるのかな? 周りにいるメイドさん達にも、お礼、言っておかなくちゃね♪
「アンナさん。 皆さん。 貴方達のお陰で、つつがなく切り抜けられました。 本当に有難う」
「「「お嬢様…………」」」
周囲に居たメイドさん達、なんか涙ぐんでるよ。 私、頑張れた? これで、良かった? 執事長のマリオが神妙な顔をして、話して来たよ。 こんな事、無かったように思うけど…… なんだろうな?
「あのように、早く、ご機嫌良くお帰りになられたのは、初めての事で御座います」
うん、戦術的には、痛み分けを狙ったし、まさしく、”早く帰りやがれ!” を、遂行したからね。マリオにも、お礼を云わなくちゃね。 ホントありがと!
「マリオが、わたくしを ” 鍛えて ” くれた、お陰です」
「一つ、宜しいでしょうか?」
「はい?」
「なぜ、クロエ様が、エリカーナ奥様の ”お立場の事” をご存知だったのでしょうか?」
ああ、直接的には、奥様のこの屋敷での評価は聞いてないよ。 でもね、判るよ。 その位。 空気で。 いつも居ない奥様。 御実家の御自分の部屋でお過ごしになってるんでしょ? この家の使用人としては、かなり、面白く無いよね。 それも、判る。 要は、黒龍大公家の家族じゃないんだよね、白塗り仮面は。
「あぁ、その事でございますか…… ―――閣下の奥様への御様子、メイドさんや、その他の皆さんの対応、アンナさんのドレスのチョイス、マリオさんの強張った表情。 断片的では御座いますが、そういった物から、お屋敷の方々が、奥様と距離を置かれていると判断しました。 ……万が一、奥様を怒らせてしまっても、それは、わたくしの責となりますように、お話、致しましたし、後から皆様に苦情が来る事も無いと思います」
「クロエお嬢様……貴女は……」
伝わったかな? だったら、嬉しいけどね。 【 戦闘《対決》していたのは、私。 みんなは、そんな事に成るとは思っていなかった。】 これを、押し通す事にしてた。 私が出来る事はこの位だしね。 でも、王族を相手にするのは、疲れる。 ホントに、精神的にガリガリ削れる。
「少し疲れました。 下がって宜しいでしょうか?」
「勿論でございます。 お部屋で、ごゆるりとお過ごし下さい」
よし、マリオの許可がでた。 今日の授業は全部キャンセルしてね。 もう、ほんと、無理だから。
「ありがとう」
ドレスの裾をさばいて、部屋に続く廊下に出た。 膝から、崩れ落ちそう…… しんどかった~。 ちょっと、休もう。 ほんと、膝がガタガタ震えてるよ。 大人の、それも、王族に何てことしたんだろう。 自分から相手の警戒度を上げるなんてね。 本気で、ロブソン開拓村に帰りたくなったよ。 いつか、帰れるのかなぁ……
ほっとしたら、気が抜けた。なんか、目の前が暗いなぁ…… ちょっと、ふらついてるし…… あぁ、あそこに椅子がある、ちょっと座ろう。 うん、足が重いや…… あれ、……あれれ? なんで、床が目の前に……あれれれ? 誰か燭台の明かり消した? 真っ暗だよ……あれれれ?
*******
爺様が、私の頭をガシガシ撫で繰り回してる。 いつも剛毅な、爺様だけど、表情が硬い。 笑ってるけど、目が笑ってない。 覚悟を決めた人の目だ。 私は、その眼をした爺様を知っている。
「クロエ、待っていろ! 必ず守る! お前は、婆さんと、母さんを守れ。おい、行くぞ」
爺様のクロークが翻る。背中の紋章は近衛騎士の ”月桂樹の葉”。
父様が跪いて、私の顔を覗き込んでる。 爺様と同じ目をしていた。 この目と、この顔を私は、忘れない。
「お義父様、ただいま。 クロエ、母さんと、御婆様を頼む。 なに、必ず守ってやるから。 ここで待て。 御爺様もそう云ってらしただろ。 絶対に、守るからな」
父様は、そういって身を翻した。 クロークの、背中の紋章は近衛筆頭魔法騎士の ”月と二重の柏の葉”。
二人は、闇の中に消えた。 あっという間に、闇の中に消えていった。
”爺様、父様……いかないで……クロエ達を残して逝かないで”
婆様の細い声がする。 切々と母様に訴えるように、私が覚えている言葉を紡ぐ。
「……あぁ、あの人達が逝ってしまう……気配が薄くなっていく……カタリナ、お前は、クロエを連れてお行き」
「母さん! そんな身体で、何を言ってるの!」
「良くお聞き、私は王家に連なる者。 一人でも民が居るなら、最後まで守り通さなければならないの」
「それじゃぁ! 私だって、そうよ!」
「貴女にはクロエを、”龍印を頂く幼子”を、守らねばならない ”義務”があるの」
「……」
「だから、分って頂戴、カタリナ」
「母様……分かりました。 クロエを、……民を守ります」
婆様の足元にある、王家の娘だけが扱える、最強の防御魔法陣が淡い光を放ちながら、霧散し始めている。もう、婆様の魔力は限界まで削れ込んでいる。 彼女の命の炎が揺らぎ始めるのが分かる。もう、いくらも持たない事を私は知っている。 母様の綺麗な瞳に決意の色が浮かび上がる。
「クロエ、必ず守ってあげる。 でも、私も ”龍印を頂く者”。 民に背中は見せられない。 クロエも民も守る。 よく聞きなさい。 クロエ……愛しているわ。 御爺様も、御婆様も、お父様も、私も……みんな、クロエを愛しているの。 誇り高く、穢れなく、生きなさい。」
母様の周りに「聖なる光」を集める魔法陣が浮かび上がる。 母様は、母様のすべてを引き換えに、ここに精霊の力を集めようとしている。魔法陣がどんどん広がる。大きく、大きく……もう、見えないくらいに大きく……
”やめて! そんな事したら、母様が!母様が!!”
微笑みを自分に向けていた、母様が大きく手をあげて、魔法陣を起動させた。 真っ白な光の渦が、奔流が、激流が、魔法陣の中に沸き立った。
”なんで、クロエを置いて行っちゃうのよ!!!!”
絶叫が木霊した。世界が暗転して、何も見えなくなった。 静かだ、本当に静かになってしまった。
ポツ……
ポツポツ…………
ポツポツポツ………………
あ……雨。
「クーちゃん!! 見るんじゃない!!」
村長さんの声。 そうか、永久の別れだ…… 村長さん。 ダメ、止めないで。 ……これは私の役目。 私が、 ” 送り人 ” だから、…… 私は、直視しないといけない。 「永久の別れ」を告げるのは、最後に残った人の役目。 だから、目を背けるなんて してはいけない。 だから、目の前にある、みんなの亡骸を見た。
”カール=グスタフ=シュバルツハント 御爺様”
四肢があらぬ方向に捻じ曲げられ、袈裟にザックリと切り裂かれている。
”セシル=ニーア=ハンダイ 御婆様”
魔力という魔力をすべて失い、げっそりと頬をこけさせても尚、慈愛の微笑を浮かべてる。
”エルグリッド=アーサー=シュバルツハント 父様”
切り刻まれ、人の形すら怪しい。 ボロボロの ”月と二重の柏の葉”の紋章が縫い込まれた布にくるまれた肉塊。
”カタリナ=エバングリュー=ハンダイ 母様”
人としての全てを精霊に差し出し尽くし、カラカラに乾いた ”薪” のように成ってしまった。
みんな大好き。 どんな姿になってても、大好きよ。 痛かったでしょ、苦しかったでしょ、でも、みんなのおかげで、大勢の人が助かった。 龍王国の民としての【矜持】と、人としての【誇り】と、貴族として生まれた者の【義務】。 みんなの思いは、この村に住む人達みんなに届いたよ。 そして、私も まだ 生きている。 だから、 だから……本当に……ありがとう。
⦅遠き時の輪の接するところ、刻が意味をなさぬ場所、精霊様のご加護により、彼の者達の御霊を導き給え。 彼の者達の成した諸々の所業に相応しき場所へ。 私の愛した、彼の者達の、魂の平安をここに祈ります⦆
御霊を呼び、みんなの魂を送る。また、暗転する……寒くて……暗い。
ポツポツポツ…………
雨が……雨が冷たい…………
泣くもんか。
心が張り裂けそうだけど、絶対に、何が何でも、泣くもんか!
精霊様…… ”泣き言” は、言わないから、”強い心” を下さい。 もし、お願いを聞いて貰えるなら、【誓約】致します。 何があっても私は―――、
「 クロエは、 誇り高く、穢れなく、生きて行きます。 」
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長い長い、夢を見てたみたい。 父様、母様、爺様、婆様が出てきた。 うん、みんなの事ちゃんと覚えてた。 王都シンダイに来て、いろんな事があって、忙しくって、暫く見て無かった夢。 ちゃんと覚えていた。 意識がふんわりと回復して、周りの物が見えるようになって来た。 ここ、何処だっけ?
「クロエ! 大丈夫か!」
あんまり、見慣れない天井。 ふわふわ過ぎて、私には寝心地の悪いベッド。 温かい上掛け。 そっか、自分の部屋で寝かされてたんだ。 あれ? 最後の記憶は……たしか、廊下で床にキスしてたような? はて?
ウラミル叔父様が青い顔をして、私を見てた。 心配かけちゃったね。 ちょっと、疲れただけ。 私はもう、大丈夫。 思い出したから。 私が私となる原点を。 だから、もう大丈夫。 起きれるから。
「ダメだ。 まだ、横に成っていなさい。 お医者様に私が叱られたよ。 まだ十歳にもならない子供に、こんなスケジュール組む方がどうかしていると。 あまりにも出来の良いクロエに、年の事を忘れていたよ。 謝罪する」
「伯父様……クロエは、大丈夫です。 問題ありません。 だから、心配しないで下さい」
「クロエ…… もう少し、眠りなさい。 いいね」
「……はい」
優しく威厳に満ちた、ウラミル伯父様の目……父様に似ていた。 伯父様の言う通り、もう少し、もう少しだけ、眠らせてもらう事にしよう。
……おやすみなさい。
前書きの伏線回収
クロエの原風景は、四つ並ぶ肉親の壮絶で矜持に満ちた遺体
彼女の心の奥底に、深く深く、刻み込まれた 彼女の誓約
彼女は、彼女らしく、疾走を始める。