第8話 エンカウント/都市
喧騒に酔い雑踏に息切れて、街路脇の石積みに腰かけている。
春ののどかさは青空にあるばかりだ。混雑した街中は圧倒的なまでに忙しない。溺れそうだ。この石は浅瀬か流木か。
(これが国際都市か……恐ろしいところだ)
【つまりアンタは田舎者ってことね】
(魔物に囲まれるのは慣れているが……)
【……育ちよねぇ、やっぱり。同情するわ】
千年騎士団の飛行部隊と別れて五日余りが経った。
常には見られない魔物が方々に出没しているとのことで、二日間は道中の護衛をしてくれた。蟹甲虫の群れを討ち洩らし迷惑をかけたからとの申し出だった。
【討ち漏らしねぇ……その割にはのんびりしてたけど】
(……あの程度の魔物だったからだろう?)
【一般的には充分脅威だけどね。蟹甲虫が九匹って】
彼らは始終うるさかった。
リゼルは随分と話の種にされたようで、その度にワタワタとしていた。そして頻繁に俺に触れるようになった。変な慣れが生じたか。
赤いのは機嫌がよかった。「赤い襟巻超カッコイイ」と言われたからだろう。賛美に酔うところがある。
溜息を吐く。
どうにも調子が悪い。眩暈がするし頭も痛い。
【ちょっと、アンタ……】
ふと思いつき、懐から巻物を取り出した。手紙だ。呪いの文言としか思えない内容に目を通す。腹の底から「ブッコロス」の力を汲み上げる。
絶対に居場所を突き止めてやる。
もしもアイツを見つけたなら、もはやその邪悪を謗ることなどはすまい。あらん限りの魔力を込めて≪追火弾≫を連射しよう。百発くらい。
「お待たせしました、レンマさん!」
見物だろうな……目が覚めたらダンジョン最下層だった、などというふざけた状況に比べればまだ生ぬるいかもしれないが。
「ごめんなさい。この恰好のせいで入都審査が長引いてしまって」
一発で仕留めるというよりは、圧倒的な火力で蹂躙したい。
「折角、騎士団名義で旅券の裏書きをしてもらったのに……レンマさん?」
【あーあ……駄目だこりゃ……エロスな惨劇の予感しかしない……】
もっと爆発力を強化しよう。扱いづらくとも強力無比な魔法にしたい。
「本当にごめんなさい。私の都合で迷惑をかけてばかりで……レンマさんだけなら、きっとすぐにも千年騎士団へ歓迎されるのに……」
【それはどうかなー。でも凄いわ、この子。アンタが機嫌悪いってよくわかったわね。無表情なのに。ま、具合も悪いんだけど】
待て。魔法で叩き伏せるとしても、この手に感触を残さないでいいのか? 接触発動の合成魔法が必要だ。奴の襟首を……いや、顔面を掴んで……!
「きゃうっ!?」
【天スケ即殺】
苦しさに目を開けた。俺は目を閉じていたのか。やめろ赤いの。起こすなら他に方法が……ん? 右手が柔らかなものを掴んでいる。ああ、リゼルの胸か。危うく握り潰すところだった。
「……悪い」
【ホント性質が悪いわ、アンタ……あーあー、可哀想に……】
リゼルが全身を震わせている。顔の色も赤いやら白いやらだ。
【怒ってはいるんだろうけど、哀しいかな、触られ慣れちゃってるのかもねぇ……言葉足りないから、懲罰的なものとも誤解しちゃってるし……案外嫌じゃない部分もあるんだろうし? でも恥ずかしいし? 心オーバーヒートよねぇ……何だか味方したくなってきちゃったじゃない、この金髪ちゃん】
皺にしてしまった箇所を手払いで直す。ブカブカだから、無理に伸ばそうとすると胸の膨らみが強調される。大きいな。
そういえば、母さんと妹への手紙にはそれぞれ何が書かれていたのだろう。呪いはかかっていなかった。アイツは二人には優しかった。
「そこまでにしたまえ、そこな赤布の男よ」
どうして、と思うよりも先に生死の境を彷徨う日々だった。
一度だけ母さんに助けを求めたが、そのことで母さんに大怪我を負わせたから、もう二度と巻き込むまいと心に誓った。アイツも母さんが介入できないよう巧妙に俺を狙うようになった。望むところだった。
「天下の大通りで衆目を気にも留めずの羨まけしからんその行為、断じて許し難し。他が見過ごしにしようとも、紳士たるこの私の目だけは正義をもって悪を射すくめ、可憐さも豊満さもしっかと確認したというわけさ……おい待て、聞けって! 俺はお前に言ってるんだコンニャロウ! っつかまだ揉んでやがるか!」
敵意が来た。
迎撃だ。
腕をかいくぐって軸足に手刀を入れる。魔法は間に合わなかったが、それでも体勢を崩せた。相手は人間、若い男、腰には細剣、杖の有無不明。まずは攻撃だ。考えるのは生き残った後でいい。左腕を小刻みに動かす。この距離だ。≪発火≫がいい。顔を焼けば魔法も使えまい。
【やめなさい! 馬鹿!!】
伸ばそうとした右手に赤マフラーが絡みついた。頬を張られた。首が締まった。
何だ? 何が起きた? 俺は何をしていた?
【悪酔いしてトラウマエンジンオーバードライブって感じかしらねぇ……】
(どんな魔法だ、それは……だが目が覚めてきたぞ)
周囲を見回した。人の群れに囲まれている。二十人以上はいるか。ざわめきが聞こえる。「喧嘩か?」「女の取り合い」「いや、男三人かも」「その方がいいわよ」などと聞こえる。
仕立てのいい服を着た平民、埃っぽい身なりの冒険者、探るような目つきの商人、行儀よく髭を整えた貴族……人の壁の向こうには二頭立ての馬車を停まらせ窓越しに見物する者もいる。
(たくさんいるんだな……人間って)
【まだ寝ぼけてるわけ? アンタだって人間よ】
近くから高笑いが聞こえてきた。色の薄い金髪を撫でつけた男で、飾りの多い服を着ている。昔飼っていた鳥を思い出させる派手さだ。
「なかなかすばしっこいじゃないか、紳士にあらざる者よ。追わないで上げるからそのまま逃げ去るといい。お前を懲らしめることは容易いが、こうも注目された中で叩きのめされるというのも愚かで惨めで憐れに過ぎる。行け。そして二度と彼女に近づかな……ってアレ!? え、どうしてついてくの!?」
うるさいので別な場所に避難しようとした。リゼルが後ろに続いた。派手男が何事かわめきながらついてくる。人の輪を振り払えない。
「ちょ、待てよ! おっかしいだろ! 君、君、名前なんていうの? 俺はライアス。ライアス・ビームガン。蒼龍国の男爵家の人間だぜ。君は? ね、ね、君は?」
「リ、リゼルですけど……」
「リゼルちゃん! 服だけじゃなく名前まで男物! ゴホン、んんっ……その稀なる美貌を隠すために随分とたくさんの偽りをまとっているのだね、お嬢さん。誰かに見つけられることを待ち望んでのことなのかな? そうだとして誰の意思か……君自身の慎ましさなのか、それともご両親の思慮深さなのか」
息が詰まる。都会というのはどうあっても人間が群れ成す場所か。
【一応報告しとくけど、そこのキザ男、剣に魔晶石を仕込んでるわ。柄の所。≪魔法剣≫使いかしらね】
(柄に手をかけたら……)
【殺すのは駄目よ? そんなこともわからない馬鹿だとは思いたくないんだけど?】
(何で殺す? 加減して対処できる内は命を奪わない)
【そうよ! 何たって、赤いマフラーは正義の証なんだからね!】
(ああ……)
また頭痛の波が来た。強い耳鳴りもする。どうして今日に限ってこんなに具合が悪いのか。
「あの、困ります。離して……離してください! レ、レンマさん……!」
リゼルが男に腕を掴まれたようだ。そしてそのリゼルが俺の腕を掴んだ。周囲がどよめいた。
「げえっ、嘘だろ!? 流れおかしいっしょ! そいつに弱みかなんか握られてんのか? まさか身請けされたとかじゃないよな?」
「レンマさんは私の恩人です! 変な勘繰りはやめてください!」
「いや、だってさっきは……あ! ままままさか、調教!? 悪玉貴族が嗜むとかいう、あの!!」
バチン、と強烈な音がしたから振り向いた。リゼルが平手打ちを振りぬいたところだった。淡くだが光を発している。
派手男は華麗に一回転半し、地に倒れ伏した。失神したのだろうか。しどけない姿を晒している。
沈黙は一瞬、次いで歓声が上がった。
「拍手! 皆さん、拍手を送ろうよ! 烈女の勝利に大拍手!!」
威勢のいい声が観衆を煽った。身のこなしも軽く飛び出してきた少女の仕業だ。どこかで見覚えのある軍服風衣装だ。
【あら、ゲロ娘じゃない。ほら、馬車で二回も吐いてた】
(いたな、そういえば)
【あの帽子……新調したのよねぇ?】
(さぁ?)
茶褐色の癖っ毛に緑色の大きな眼……どこか猫を思わせる容姿は確かにあの時の少女かもしれない。
「やあ、お疲れさんお疲れさん! これどうぞ。僕の奢りだからさ?」
ニコニコと渡されたのは串焼きだ。竹串にタレの塗られた焼肉が四切れ湯気を立てている。そういえば腹が減っていた。左腕を動かし≪探毒≫をかけた。問題ない。
「はい注目! 色好みが美少女に手を伸ばし、美少女が美少年に手を伸ばしたこの騒動! 誰が勝利した? この赤布の美少年か? 違う! 美少年が手を伸ばしたその先にあったものは……コレだぁ!!」
手首を掴まれ、無理矢理に掲げ上げられた。
「さあ、ご覧あれ! 美少女の胸よりも魅力的なこの素敵串焼き! 魔法と炭火の併用ならではの照り! 香り! 噛みご、た、え! あ、ほら、食べて食べて。ね? 美味しいっしょ? 笑顔よろしく。あ、無理。ならモリモリ食べて……さあさ! 気になるそのお値段はボッタクリ排除の銅貨一枚だあ!! オメデタからオクヤミまで暮らしを支える適正価格! 露店巡りもバングランプ印を目印にどうぞお気軽に!!」
位置関係上、帽子に飾られた金紋章が目に入った。軍帽であればそこにあるべき国家の象徴に代わり、油量過多で破裂しそうなランプの意匠が飾られている。
周囲もそれに気づいたようだ。「ありゃ『爆発提灯』だぜ」「げ、バングランプ家かよ」「財布の紐締めろ」「俺、何で宿暮らしなのに長柄剪定ハサミなんて買っちまったんだろう……」などと聞こえる。
【バングランプ……ああ、あのビックリネット高島みたいな商家。いたいた、そんなの】
赤いのの呆れたような声を聞きつつ、少女を見る。左手を己の頬に当て舌をぺロリと出している。
そうだ、思い出した。メルクリン・バングランプだ。
「さあさあ、解散解散! あ、串焼きの露店はあっちだよ! あの段だら模様の幟のところ! 覗いてって!!」
【ちゃっかりしてるわねぇ。さすがが爆発提灯。魔王軍にすら商売を仕掛けようとした家だものね】
人の輪が解けて往来へと散っていく。本来の流れに戻っていく。幾分は串焼き屋の方へと向かったか。雑踏は小さな騒ぎの一つになど固執せず流れていく。
一陣の風が吹いた。
ここは外門から広く真っ直ぐに続く大通りだ。目抜き通りだ。
街路には石畳が敷き詰められ、樹木花壇の手入れも上々、方々に並ぶ露店もどこか品よく客引きをしている。通りを挟む堤にも似た建物群は身綺麗に軒を連ねていて、その大半も何某かの商店だ。食事処、武器屋、雑貨店、宿屋、食品店、道具屋、酒場、魔法屋、菓子店、服飾屋……ああ、あそこか。服屋は。
「ごちそうさま」
頬ばったままに言うと、二カッと笑顔が返ってきた。
「お粗末さま! 一杯宣伝できたし、お代わりが欲しいなら輪銅貨一枚でいいよ!」
メルクリンはまた舌を出す愛嬌顔をした。
「僕はメルクリン・バングランプ。赤鳳国の名物商家の娘だよ! よろしく!」
「……レンマ・トキオン。同じく赤鳳国出身」
【そうね。初対面にしておいてあげなさい。それが優しさというものよ……二発だもの】
手を差し出してきたので握手かと思いきや、メルクリンの手の平は上を向いていた。出しかけていた手を戻し、銅貨を一枚取り出して、その手の中央へと置いた。
「毎度あり! ちょっと待っててね!」
輪銅貨四枚のお釣りは商品と一緒にということらしい。
それにしても、走るという行為はああも楽しげにできるものなのか。
「あ、あの……レンマさん……」
リゼルが弱々しく俺の袖を引いた。メルクリンが猫ならこっちは犬だ。上目づかいに見つめてくる様子が微笑ましい。
「その、上手く言葉にできないんですけど……それでも私、レンマさんと一緒がいいなって、思ってて……できれば、できればですけど、その……」
「大丈夫」
【おっとぉ?】
温かな気持ちのままにリゼルの頭を撫でた。柔らかで艶やかな金髪だ。犬の毛並みとは感触が違うものの色は似ている。
「肉は、リゼルの分だ」
首が締まる。どうしてだ。人間相手にやっていいことではなかったか?
赤いのと取っ組み合いになった。リゼルはふくれっ面だ。やはり撫でては駄目だったか。メルクリンが駆けもどって来るのが見えた。派手男は未だ倒れ伏したままで、通りすがりの子供につつかれている。
まだ耳鳴りはすれども、頭痛はいつの間にか治まっていた。
遠く鐘の音が響いている。魔法適性検査を受ける刻限が迫っていた。