第7話 エンカウント/街道
「凄い! レンマさんは国際都市で入団試験も受けるんですね。千年騎士団の」
頷く。リゼルは何が楽しいのかニコニコと俺の顔を見てくる。
「レンマさんならきっと即戦力です! 紫紺の長外套を羽織って、すぐにも世界狭しと活躍して、それでそれで……」
足取り弾むリゼルから目を逸らし、赤いマフラーの内側に溜息をこぼす。
(凄く、懐かれてるぞ……)
【自業自得で自縄自縛で自動自爆よ。アンタ、女の敵よ】
(馬鹿言うな。俺は母さんや妹と敵対するくらいなら死を選ぶぞ)
【マザコンでシスコンとかお嫁さん超大変じゃないの。やっぱり敵よ敵。親の顔見たいくらいだけど、男親の方を思い浮かべると余計に腹が立つのよ】
(……よくわからないが、最後のところは同意しておく)
徒歩の旅となって五日、リゼルの機嫌はよくなる一方だ。しかも健脚だ。
体力も俺に勝るのかもしれない。小走りに行きつ戻りつしたり、飛び跳ねてみたり、無駄な動きばかりするのにまるで疲れる様子がない。
「私も受けてみたいな、入団試験……」
いつしか呟き声となっていたから、リゼルの方を見た。
「あ、私、千年騎士団を甘く見てなんかいませんよ? 全員が魔法使いですし、試験では犠牲者まで出るって聞きます。本人の能力以外は何も考慮されないからこその少数精鋭。身分や生まれなんて関係なく、本当に実力のある者だけが集った真の騎士団……」
勢い込んで言葉を重ねてくる。どうした?
【甘く見ているのは、アンタよねぇ?】
(……そうか?)
【ま、アンタの生い立ちを思えばしかたないか】
(千年騎士団が魔導師を捕らえ裁いたのなら、崇めてもいいが)
俺に千年騎士団への憧れなどは微塵もない。ただ所属することの利益と不利益を計算しただけだ。
「父がよく言っていました。あそこは英雄予備軍といって差し支えないと。父は軍人だったんです」
リゼルは視線を彼方へと投じた。山越えの道を登っているから、自然、それは遥かなものを眺めやることになる。
東の先にあるもの……それは大陸の中央部、即ち国際都市に他ならない。
東西南北を四つの国に囲まれて、それはある。
どの国にとっても要衝であるがゆえに永世の中立を大方針とする、文字通りの国際交流都市だ。国籍を返上した誓約者たちによって管理運営されていて、外交の舞台であると同時に国境を越えたところで学究のなされる国際研究機関でもある。世界最大の鎮守大結晶を運用してもいる。
千年騎士団はそんな都市が平和維持のために組織した独自戦力だ。
【ハーレムメンバーにもいたわね。千年騎士団の人間】
(初耳だぞ。どんな人物だ?)
【耳年増な風紀委員、といって伝わるかしら。よくメンバーへ道徳を説いていたわ)
(いい人じゃないか)
【そんなだから、アンタの母親に負けたんだけどねぇ?】
(……強いのか?)
【かなり。雷属性の精霊使いよ】
千年騎士団には精霊魔法の使い手も多いという。往々にして精霊との相性がいい者には魔法の才があるものだから、少数精鋭を謳う以上は当然のことなのかもしれない。
かつて対魔王戦においても勇名を馳せたその騎士団へ、俺は俺の目的のために入団するつもりでいる。
俺の最大の目的は邪悪なる魔導師の討伐だが、行方知れずのアイツを見つけるためには情報収集が欠かせず、世界で最も情報が集まるところでもある国際都市へ赴くことは必然の選択だ。そして情報に触れるためには立場が要る。国境を越えて迅速に行動する際にもまた同じだ。
【それでも家には帰りにくくなるけどねぇ? 赤鳳国の国民じゃなくなるのだし】
(関係ない。もとより、アイツを討つまでは帰らない)
【まあねぇ……】
また、十六歳となっては登録した国民戸籍により諸々の税を納める義務も生じてくる。領主の気分次第で課せられる労役は兵役と並んで俺の目的を邪魔するものでしかない。
千年騎士団に入団しさえすればどちらも回避できる。代わりに団員としての義務が生じるが、それらは明文化されていて恣意的に増減しないし、他国の軍隊に比べ束縛が緩く融通も利くという。貴族ならざる身の軍籍としては抜群の待遇が約束されるのだ。
「レンマさんと一緒に騎士になれたなら、素敵でしょうね……!」
まるで子供が空を飛ぶことを願うような言い方だった。
しかし視線を地へと落とした時、リゼルの顔には力ない微笑みが張り付いているばかりとなっていた。
「とにかく、全ては魔法適性検査の結果次第です。私は国際都市でそれを受けるために、養子となっていた家を飛び出してきたんです」
【ふーん、伯爵家の養子だったのねぇ。可愛いからかしら? それとも魔法の才を見込まれてかしら?】
(黒竜国か……風の精霊使いが多いと聞くな)
【そ。神速の機動戦がどーたらこーたらと言ってたわ、アタシの知ってる精霊使いは。アイツも貴族だし、この子を手籠めにしようとしたエロガキのことも聞けば色々とわかるかもね】
(……ん)
【はいはい、興味なし! 興味なしね! ホントにもう、アンタって……もう!】
意識を奪うべく交戦した相手を思い出す。私兵だったのか、それとも正規の軍属であったのか……どちらにせよ決して弱卒ではなかった。
長い溜息が聞こえた。
「魔法使いの才能を認めてもらえないと入団試験を受けられませんし、結果によっては国籍返上の誓約だってさせてもらえるかどうか……就労滞在権は得たいですけど、私の場合、国へ強制送還されることもあり得ます。そうなったら、レンマさんともお別れしなくちゃいけません」
楽しい夢ってすぐに覚めちゃうんですよね、と寂しげに笑ったリゼルを見る。
何を言っているのだろうか、この少女は。
魔法適性検査の結果などもうわかりきっている。最良だ。属性力を伴う魔力の放出など並大抵の才能では起こり得ない。しかも光属性だ。その稀有さたるや筆舌に尽くし難い。
心配するとすれば、国際都市と黒竜国との間でリゼルの身柄が綱引き状態になることをだろう。国籍返上の誓約だけでは弱いかもしれない。それを補う意味でも千年騎士団への入団は望ましいか。
いずれにせよ、とぼけた話だ。だから俺は笑った。
首が締まった。何だ。赤いのがお怒りだ。
「……大丈夫だ。リゼルは、護られる」
「レ、レンマさん……」
苦しみから逃れるために声を出したのに、おかしい、余計に締まる。
「俺はお前の持つ光に、他の誰にもない可能性を、見た。きっと凄いことに、なる。その行く先を、俺は、この目で見てみたい。だから、安心していい。俺は、お前と共にいる。鎮守大結晶の前で、お前が祝福される姿を、最もよく見える場所から、見た、い……」
息ができない。洒落にならない。
さっきから耳元では赤いのが叫んでいる。
【アンタって奴は! アンタって奴はぁっ!!】
どうしてだ。頑張って話したのに。この前もこんなことがあった。
やはりかリゼルも真っ赤な顔で唸っている。
「ううおおお……」
細かに震動もしているか。意味がわからない。
苦しい。これはもう、赤いのを魔導師の最後の罠と位置付けて排除しなければならない局面なのか。左袖に隠し持った棒を意識する。≪解呪≫か≪念動≫か。俺は声もなく呪文を詠唱できる。
いや、ここは≪風盾≫か。
「え!?」
【ちっ、戦闘ナビ入れるわよ!】
頭上に急速展開させた風流が三つ四つと人の頭ほどの大きさのものを弾き飛ばしていく。それらは硬い音を立てて上り坂の方々へ転がった。まだ来る。山側の崖の上から合計九匹。
「魔物! こんなに!?」
「俺の背に張り付いていろ」
蟹甲虫だ。
強力な顎と二本の鋏足を持つ昆虫系の魔物で、死肉漁りを主としつつも群れが大きくなれば家畜はおろか人間を襲うこともある。それが九匹。森深くならばいざ知らず、山間部とはいえ街道で出くわす数ではない。
【どれも雄、しかも繁殖期でもないのに大興奮してるわ。追い立てられたのかしらね?】
(節足の数が足らない個体がいる。魔物か人間か……いつ、どこでか)
【大物の先触れってこともあるわよ】
(物騒な話だ。早急に始末する)
【首に気をつけなさい。こいつらはまず獲物の息の根を止めようとするわ】
(了解)
意識を分ける。≪風盾≫を維持しつつ≪火薙≫を放つ。広く焙るように。
強固な外骨格を炭化させるには至らないし、体液を沸騰させるにも届かないが、関節部と羽へ損傷を与えるのには充分な火力だ。こちらへ接近せんとする動きは鈍り、風の壁を越えられないものとなった。
そこを更に焙っていく。一匹とて逃さず焼き殺す。
九匹全てが動きを止めたことを視認し、風を解いた。香ばしい匂いが漂ってきた。
「やっぱり凄い……魔物をこうも一方的に倒せるなんて……!」
背にリゼルの吐息がかかった。まだ油断されては困るのだが。
【渋い戦い方するわよねぇ、アンタって。若いのに】
(次に備えただけだ)
【ま、そうね。手札を明かすことはないわ。≪追火弾≫とか特にね。見てみたいけど】
(この戦闘は避けるべきだったし、本来、避けられた)
【わ、悪かったわよ……思わず首絞めちゃったのよ!】
必要最小限の魔法で敵を排除したが、それも最善の行動からは遠い。連れのいる身では≪潜伏歩≫で逃れることもできない。
「レ、レンマさん、あれって……!」
「任せろ」
水色の空を背景にしてゆっくりと降りてくる人影が五つ……≪飛行≫を使用可能な魔法使いのみで編成された部隊か。揃いの長外套を着ている。その色を見ればいずこの所属か察せられる。
紫紺……国際都市の象徴色だ。
「警戒無用! 我々は千年騎士団である!」
指揮官はこの中年男か。一目で歴戦の魔法使いと知れる。杖には使い込まれたもの特有の魔の気配が漂っている。
俺の“棒”は袖の内側に戻してあるが、遠目にも魔晶石の有無を確認されたろうか。
「怪我がないようで何よりだ。取り逃がした魔物によって街道に被害をもたらしたとあっては、我々の上に雷が落ちる。比喩ではないぞ? なあ、諸兄」
同意の声と笑い声とが沸いた。
数歩の距離が開いている。中年男は背後に四人を従えている。
「それにしても見事な魔法だったな! ≪火薙≫か! やはりお国柄が出るものかな? 赤鳳国は火属性の魔法使いを多く輩出する。ウチの騎士団にもいるよ。君の同郷……いや、違うな……こういうべきか」
わざとらしい口調に、芝居じみた仕草だ。何を言う気だ?
「君の先輩がいる、と」
何だ?
どうして勝ち誇ったような笑顔になる?
【ア、アホくさ……】
(……どういうことなんだ?)
【どうもこうも……聞いてりゃわかるわよ、きっと】
気づけば左肩を掴まれていた。反応できなかった。
「君、千年騎士団の入団試験を受けてみないかい?」
近い。
白い歯を煌めかせる中年男の笑顔が、近い。
「君の魔法、いいね! 遠目ではあったが見事な炎だった! 見たところどこの所属というわけでもなさそうなところも素晴らしい!」
両肩を掴まれた。暑い。
「熱い! 熱い騎士になれる! 君なら! きっとだ! 有給休暇を賭けてもいい!」
暑苦しい。そして賭けたものの価値がわからない。
「千年騎士団よいところ、美人が多くて飯が美味い」
「世界の平和を我らの力と団結で」
「実際、いい。給料が。それを使うための店も多い」
「いちいちこういうことやってるから、魔蟲、逃がしたけどな」
後ろの四人もガヤガヤと近づいてきた。囲まれた。どういう状況だ。
「しかし凄い火力だな。本当に≪火薙≫か、あれ。≪火線≫でじっくりとかでなく?」
「瞬間的な高温でないとああは焼けんさ。火属性の才があるのだろう。襟巻も赤いし」
「いや、待て。それでいうと風属性が得意って俺らは何色を着れば? 透明?」
「裸だ、それは。お前の趣味だ」
誰が誰かもわからなければ、何を言っているのかも聞き取れない。うるさい。この五人は。
「わ、私はリゼルといいます! レンマさんと一緒に、国際都市へ旅してます!」
威勢のいい声が耳を打ち、ひどく柔らかいものが腕に絡みついた。リゼルだ。どうやら一緒くたに囲まれていたようだ。何を言われ、何を聞かれたものか。
「千年騎士団の入団試験を受けます! レンマさんは勿論、私だって合格します! してみせます! こ、これからの私たちを、どうか、どうか! 応援よろしくお願いしますっ!!」
【何この選挙演説……テンパっちゃって……いと哀れ……】
リゼルと赤いのの訳のわからない言葉を聞き流す。
俺は雲の数を数えることにした。
蟹甲虫の腹肉は炙ると美味い……焼き加減はどうだろうか。
そんなことを考えていた。
千年騎士団の五人が紫紺の長外套の内側で杖を握っていることを、頭の片隅で常に意識しながら。