第6話 物思い/金髪碧眼
ダンジョンに行き倒れて、どれくらい眠っていたろうか。
【さてねぇ……アタシがいたならきっちり計っておいてあげられたけど】
目覚めるなり、まずは己の置かれた状況を呪った。不死系の衣をまとった身を苦労して起き上がらせた。生きる者と死なぬ者の差とは何だろうかとつまらない自問自答をした。
【本当につまらない問答ね。そんなの、自分の言葉を持っているか否かよ】
そして、また一つの敗北に思い至った。砂漠突破のための手段においてだ。
張り紙の文言を鑑みるに、奴の合成魔法≪隠飛翔≫は≪闇視≫と≪飛行≫と≪静寂≫までは俺の選択と同じで、残る一つが異なっている。恐らくは≪風盾≫の代わりに≪幻覚≫か≪透明≫を選んだものではあるまいか。
【どうだったかしらね。合成魔法はアタシも把握しきれないのよ】
(……落ちたコウモリで砂の脅威が活性化していた。≪風盾≫は誤りだったんだ)
俺は冷静さを欠いていた。興奮し、好戦的になっていた。勇者や英雄でもあるまいに。
俺は敵に見つからず先へ進むことを第一方針として合成魔法を研究した。簡単なことではなかった。そも合成魔法の作成とは至難の技なのだから。
【そりゃあね。並みの魔法使いじゃ二種を組み合わせるだけだって叶わぬ夢よ。十年かけようが二十年かけようが】
合成魔法は複数の効果を持たせつつも、同時制御よりも効率よく仕上げなければ意味がない。素材とする魔法への深い理解と高い熟練だけでは足りない。既存を超える閃きが必要だ。使う際にも独特のコツがいる。
【アンタの才能は大したもんよ?】
(……身近に化け物魔法使いがいたからな。正直なところ、よくわからない)
【ま、ね……アレを基準にすると、色々と馬鹿馬鹿しくなるわ】
魔導師の異常性は合成魔法において顕著だ。≪隠飛翔≫にしろ、あの起床時の≪首洗浄≫にしろ、四種もの魔法が合成されているのだから。
【≪首洗浄≫とかまじウケるんですけど】
(……滝で洗ってやろうか?)
【引き摺りこむわよ? ≪水息≫使ったって無駄よ? 首締めるし】
(それ、もう、水中である必要がないぞ)
俺は出来得る最大限として≪幻影≫と≪静寂≫を合成した。停止あるいはゆっくりとした移動であればほぼ完全に気配を断てる合成魔法……それが≪潜伏歩≫だ。
以後、俺のダンジョン攻略は随分と物音静かなものとなった。保存食が用意されていたから食料を得るための戦いがさして必要なくなったことも大きい。
もっとも、それだけで安全な行程になどなろうはずもなく、その後も危機と工夫の競争だった。致命的な罠が多くなったり、どうあっても撃破しなければ先へ進めないよう強力な魔物が配置されたりと、ダンジョンの難易度は上がる一方だった。
【そんなの基本じゃない。アールピージーって知ってるかしら?】
(知らないし知りたくもない。どうせまた俺を苦しめる言葉だ)
地上へと出るまでの間に、俺はあと二つの合成魔法を創り出した。
一つに≪探単音≫だ。
これは各種の感知系魔法に共通する情報探知波にのみ特化していて、それを一瞬だけ広く放射する魔法だ。ただし使うと耳鳴りのような高音が生じるという不具合を今も残している。
感知系といえば鉱物や植物の種類、生命力や魔力の強弱を判断するなどの情報処理が可能だが、この魔法は周囲の物体の輪郭を把握するだけだ。多少減退するものの壁向こうにも届くので、落とし穴や隠し矢などが発見できる。この魔法がなければ、俺は見るも無残な何かに成り果てていただろう。
【何だかアレね、潜水艦のアクティブソナーみたいね】
(それは何だ? どういう魔法だ? アイツの合成魔法か?)
【んー、そういうわけじゃないんだけど……アタシも詳しくはないから説明できないわねぇ】
もう一つに≪追火弾≫だ。
これは≪火弾≫と≪念動≫を組み合わせたもので、火球を俺の意識した地点へ向けて獲物を追う猛禽類のように飛ばすことができる魔法だ。攻撃魔法を当てにくい敵が増えたために工夫した。
続けざまに火球を放った場合、どれもが目標へ向かって殺到することになる。高速で飛ぶガーゴイルと戦った際には八個の火球が追いかけていた。制御が難しいため地上で使うと誤爆の恐れがあるが、発展性のある魔法だと思う。最大数を増やす、同時に複数放つ、複数目標を狙う……要研究だ。
【アクティブホーミングミサイル……空対空、もしくは地対空……】
(……さっきから「アクティブ」という言葉が出てくるが、魔法か?)
【アッチの魔法といえば、ま、魔法なのかもしれないけれどねぇ……うーん……】
合成魔法を駆使し、俺は豊富な悪意と押しつけの善意とが綯い交ぜになったダンジョンを攻略した。
身も心も荒みきった。
一万回以上はコロスと唱えたし、服装も食生活も酷いものだった。人として失っていはいけない何かを失ったような、そんな漠然とした不安は今も少し感じている。
金貨百二十枚は死守した。一枚とて失わずに運びきった。これは守銭奴と蔑まれる類の行いだろうか。
【誇りなさい、レンマ・トキオン。アンタは間違いなく家族のために頑張ったのよ。アタシが認めるわ】
(……ありがとう)
地上へと続く扉のある、最後の部屋。
そこは腹が立つほどに居心地のいい作りだった。
重厚感のある暖炉の前にはこじゃれた長椅子と小机が置かれ、観葉植物や織物に飾られた壁際には小粋な戸棚が各種酒類や杯を取り揃えて澄まし顔だった。
俺は破壊衝動を抑えることに苦労した。
そこは、魔導師が家族にも立ち入りを制限していた地下室だった。
【言いたくはないんだけど……いろんな町にあるわよ。そういう隠し部屋。アタシが知っているだけでも二十室くらいは】
(……一つ一つ潰して回りたいな)
【やめておきなさい。人造鬼が護衛している部屋もあるわ】
(アイツ、何が目的で生きているんだ……本当に……)
小机の上には手紙が三巻置かれていた。家族宛てだった。俺へのものを読んでいて、破り捨てないために大変な努力を要した。魔導師討伐こそが我が人生であるとの思いが改めて命に刻まれた。
【何はともあれ、ダンジョンをクリアしたアンタはアタシと出会ったというわけね! 扉の取っ手にエレガントな赤色として巻きついていたアタシを見て、アンタ、感動のあまりポカンとしてたものね! ウフッ、フホッホホホホホ!】
何という笑い声か。
(……聞きたかったんだ。何であんなところにいた?)
【あー、あれはね、契約だったのよ。アンタが出てくるまでの間、あそこで代返しておくのが】
何だ?
何かとんでもないことを言い出した気がする。
【ノックされたらノックを返し、呼びかけられたら「マスターはご子息の試練に随時介入し、安全を保障しておいでです。心安らかにお待ちくださいませ」って言うのよ。胸糞悪くなる台詞だけど、それと引き換えに会話機能を付け加えてもらったからねぇ……ほら、アタシって義理がたいじゃない?】
(おい、ちょっと待て)
アイツはいつまで地下室にいて……そして、いつからいなくなった?
俺はアイツに追いつくつもりで旅に出た。少なくとも足跡を追えるつもりでだ。母さんの話を聞く限りでは充分に間に合うはずだった。奇襲を仕掛けている気さえしていた。
アイツの予測を凌駕した。一年以上はかかると思わていたダンジョンを一冬で攻略した。それは大きな強みとなっている……そう考えていたが。
俺は……俺はアイツに、このままで……!
「……間に合うのか!?」
「きゃうっ!?」
額に強い衝撃があって、すぐに後頭部への衝撃が続いた。
攻撃か? どういう状況だ? 俺は床に転がっている。身体は自由に動く。
【おはよう。アンタはね、寝てたの。今ね、起きたの。朝よー】
(寝て……どこから……あ?)
草原の風の匂いがする。入り口からは光も入り、柱や荷物の影を長く伸ばしている。金色の髪の少女が顎を押さえてプルプルと震えている。不思議な座り方だ。
【女の子座り。アンタにはできない座り方よ】
(どうでもいい。心底)
【報われない子なのかしら。うなされるアンタを膝枕してくれてたんだけどねぇ?】
赤いのの口振りからして、俺の寝ている間に少女が不審な行動をとることはなかったようだ。何かあれば勝手に迎撃し、俺を起こしていただろう。
「お、おはようございます!」
少女が緊張した顔で挨拶をしてきた。少し涙目だ。朝日を受ける頬はプックリとしていて血色も良い。健康状態に問題はなさそうだ。男物の服を着ているせいで華奢に見えるが、手足そのものは長くしっかりとしている。
一方、表情は不安げだ。俯きがちになっていく。上目づかいの眼差しが俺へオドオドと向けられている。その仕草はどこか懐かしい……昔飼っていた犬を思い出させる。
【ほら! ちゃんと挨拶を返しなさい。馬鹿】
(……あ)
指摘されてすぐにも「おはよう」を発言すると、パッと、まるで花が咲き綻んだかのように少女は笑顔となった。そして勢いよくお辞儀をしてきた。
「助けてくれてありがとうございました! 私はリゼルといいます。十六歳です。黒竜国アクマリアン伯爵領からここまで旅してきました」
「……レンマ・トキオン。この国の北西の方から」
最寄りの村の名前を言おうとして、止めた。我が家は辺鄙を極めたところに立地していた。
【いい子じゃない。何か初々しいし。瑞々しいし。敬語可愛いし】
(……随分と気に入ってるな)
【アタシを皺にならないよう整えてね、カッコいいって言ってたのよ。何て素敵な赤色って】
(…………よかったな)
【あ、そうだ、アンタもアタシに敬語使いなさいよ】
(足で洗うぞ)
【首締めるわよ】
それにしても、リゼルか。男の名だ。
改めて見るともう少年には見えない。優しげな印象だ。小首を傾げると髪の房が揺れ落ちてキラキラと光を含む。精霊との相性に関係があるのだろうか。
「あの、貴方は凄い魔法使いなんですね。人一人を抱えて飛べるなんて、私、驚いちゃいました」
「軽いと思ったから飛んだ。重かったから、疲れた」
「そ、そ、それは……! うう……す、すいませんね! お、おお……重くて!」
【アンタさぁ……ホントにさぁ……】
プイと横を向いた。頬が膨らんでいる。コロコロと表情が変わる。黙って観察していると、まず目だけがチラチラとこちらの様子を窺い、次いで顔もこちらへと向き戻った。咳払いと共に。
「た、助けてもらっておいて、こんなことを聞くのもおかしいのかもしれませんが……その……」
何やらモジモジとしている。
「……あの!」
不意に真っ直ぐな眼差しを向けてきた。
「どうして、私を助けてくれたんですか? あんなに危険な人たちを相手にして……認証もない密入国者の私のために戦ってくれたのは……なぜ?」
即答しようとして赤いのに首を絞められた。
【声出すのケチらないように! くれぐれも!】
何を突然に言い出すのか。
【見える……アタシには未来が見える……アンタが無用な誤解を生む未来が! 無自覚イケメンが女心を翻弄する、正義なき畜生の光景が見えるの! 『英雄エロを好む』ってのもいけすかないけど、それでもアクティブじゃない? 攻めの姿勢があるじゃない? アンタみたいな……アンタみたいな、舌と喉を省エネしただけの無気力が人の心を動かすだなんて、そんなこと、アタシの色が赤い内は……!】
(黙れ。ちゃんとしゃべるからもう黙ってくれ。うるさくてめまいがする……)
うずくこめかみを指で押さえ、灰髪を掻き上げ毛が抜けて……俺は一生懸命に口を動かした。
「お前に、感謝されたかったからだ。あの状況で剣を握ったお前は、眩しかった。強さが、あった。俺にはない強さが。俺は、欲しかった。剣ではない。お前のことだ。俺の気持ちは、伝わっているだろうか。俺には命懸けの……一生の懸かった話だ。どうしても、お前が必要だった。必要だと思ったんだ」
頑張った。俺は頑張ったぞ。
それなのに赤いのは俺の首を絞める。
【アタシは良かれと思って! 正義の心で! なのに!!】
リゼルという名の少女も変だ。
「わ、わぁ」
と顔を輝かせたり。
「お、おおお……」
と奇声を発して赤いのと同じような色に頬を染めたりする。会話にならない。精霊について聞けない。
どうしろというんだ。どうしようもないのか。
もう……どうでもいいか。
俺は朝食の支度を始めた。いつものように≪作水≫を唱えるところから。