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第3話  馬車/置き捨てにして

 世界とは大気の海の底だ。


 風よ吹け。そしてかき混ぜろ。水流が水底を洗うようにして。


「ち、風が吹いてきやがった……脅しの火矢は使えんな。本当に燃やしちまう」

「隊長、埒が明きません。力ずくで捕まえてしまいましょう。このままではあまりにも馬鹿馬鹿しい」

「ゲハハ、ま、そう言うなや。いい加減にしてぇのは俺も同じだが、あの嬢ちゃんは暴れさせっと厄介なんだ。さもなきゃあの伯爵が俺たちを出すかっての」

「……御曹司の命令だとばかり。唾を飛ばしてまくしたてていましたし」

「らしくねぇな。考えてもみろ。あの嬢ちゃんは既に一度国境を突破してるんだぜ? 名も身分も性別も偽ってだ。並みの奴にできることかよ」

「確かに……ここでの捕捉も運に助けられました」

「な? 慎重にいこうや。嬢ちゃんが認証ルーラーを持ってねぇことはわかってんだから、ジワジワやりゃいいんだよ。十六の小娘には違いねぇんだし、ま、もうじき挫けるさ」


 荒々しい風貌の髭男が腕組み佇んでいて、傍らの褐色肌の女と話している。どちらも身を鎧いつつ林野に潜むものの装いだ。腰後ろに矢筒を備えている。杖は見えない。


 魔法使いか否かに関わらず、その二人が襲撃者集団の中核だ。


 先に倒すか、それとも最後に回すか……位置が悪い……先には無理だ。そうとなれば残る四人は一気に倒さなければならない。


【≪風動≫の発動率、八割を切ったわよー】

(了解)


 風に揺れる草木の間を走る。襲撃者六人は誰も俺の行動を気に留めた様子がない。俺の疾走に気づいていない。


【周囲の景色に溶け込んで姿が見えにくくし、自分の発するあらゆる音を遮断する魔法……≪潜伏歩フォルスネイク≫だったっけ? シンプルにえげつない魔法よね】


 ≪潜伏歩フォルスネイク≫は完全無欠の姿隠しの術ではない。


 地の草を踏めばそれは折れ潰れるし、草むらに分け入れば俺の体積の分だけ不自然な空間が生じる。たとえ静止していたとしても、注意深く観察すれば人体の輪郭が浮かび上がってくるかもしれない。嗅覚による察知に対しても無防備だ。


 だから≪風動≫で風を起こした。


 ありとあらゆるものが吹かれ揺られるその中に紛れ込んでしまえば、この状態の俺を発見することは難しくなる。事前にいると知っていればまだしも、そうでないのなら至難といっていいだろう。


【何かこう、アンタって発想がミリタリーなのよね。性格なのかしら?】

(ミリタリー?)

【軍事的ってこと。効率を極めて合理的に対処しようとするのよ】

(褒め言葉だったか)


 自分の性格などわかるものか。


 目標へと接近……意識を奪っていく。一人ずつ、一人ずつだ。静かに確実に。


 孤立する者は背後から腕で首を締め上げる。呼吸ではなく血流を止めるように。近い位置にもう一人いる場合は片方を赤マフラーに任せる。赤いのは伸び、その度に溜息を漏らすから……二つの疑問を思う。


 何でうんざりしている?


 無呼吸のくせに首に吐息を当ててくる機能はさすがに無駄すぎやしないか?


 とにかくも殺すことなく襲撃者を無力化していく。


 一人、二人、三人、四人。


 探知系の魔法をかけられたならすぐにも発見されるが、襲撃者は一度≪命探≫を使った。風が吹いたくらいではもう一度使おうとは思わないだろう。動きようもない横転客車の内に追い詰めたという意識も働いているに違いない。視線すら一点に集中させていて、周囲への警戒が疎かだ。


 そういうのを「油断」あるいは「居つく」という。戦いでは厳禁の代物だ。


「これは……!?」


 褐色女が気づいた。咄嗟に構えたのは剣でも弓でもなく、取り出した杖か。先端に魔晶石が取り付けられている。やはりコイツは魔法使いだ。


「魔物……いや、魔法使いか!」


 言うなり、すぐにも呪文を詠唱し始めた。不意を突かれても即座に行動を起こす……大事なことだ。『動揺するならアレをソレ!』だな。いざという時に反射的に出せる魔法を訓練しておけという教えだ。


【≪火薙≫よ】

(ん、絞めの方、頼む)


 役割を終えた≪潜伏歩フォルスネイク≫を解除して次の準備をする。既に相手の間合いだ。褐色女が目を見開き口を素早く動かすその懐へと跳び込む。


 今まさに魔力が火炎と成らんとするところへ……褐色女の杖へと。


 俺は左手に握る「棒」を突き出した。


「なっ!? ば、馬鹿な!!」

【アンタの≪解呪≫ってエグイわよねぇ】


 魔力が消し飛んだ。僅かに火の欠片も散ったか。髪と頬とを撫でた熱量もまた魔力に由来するものだろう。魔法として完成するその直前に分解されて、儚くも無駄になったものの残熱だ。


 そして、褐色女の首には赤いものが巻き付いている。


 一を数え二を数え、腕力では振りほどけないと判断した褐色女が剣を抜いたところで三を数えた。鋼の刃が赤いのを切断するどころか僅かにも傷つけられない様を見ながら四を数えた。五を数える必要はない。


 褐色女は意識を途絶し、崩れ落ちた。赤いのの介添えにより柔らかな着地をしたようだ。


「……何者だ、オメェさんは」

【レンマ・トキオン。妹に求婚されたことのある男】

(おい)


 矢は来ず言葉が来た。すぐに赤いのが余計な口を叩いた。口はないが。


 髭男が弓を構えるでもなしに歪んだ笑みを浮かべている。その姿勢は犬鬼コボルトのそれと似る。何か泥臭いしぶとさのようなものが感じられる。


「乗客なのはわかってんだ。情報を買ったからよ。最初に馬車に乗った、赤いカッチョイイ襟巻をした若ぇのってのがオメェさんのこった」

【この人、いい人かもしれないわ。馬車乗り場のスタッフやモブも素敵。皆、わかってる】

(黙ってろ)

「旅券は国民券。つまりは赤鳳国人。裏書きから察するに、オメェさん、北西部の村から長々と旅してきたんだろ?」


 話しながらも視線が拡散している。俺だけを見ているようで俺以外も見ている。首の筋を慣らすような動作に紛れて一瞬だが背後へも視線を振った。


「剣も杖も持ってねぇって話だったが……いや、その棒もどう見たって杖にゃ見えねぇな。そのくせ魔法を使ったとしか思えねぇとくる。どういうこったい?」


 手の指も細かに動いている。何かを判断し、何かを仕掛ける気配だ。


(……転ばす)

【はいはい、了解】


 脳裏に呪文を浮かべつつ屈む。右手を褐色女の杖へと伸ばす。視界の端で閃く何かが赤いものに巻き込まれた様子が見えた。足から魔力を伝わらせて≪土動≫を発動、右手で地に触れて≪石成≫を上掛けした。


「ぐ、クソが……!」


 杖を拾い立ち上がった俺が見たものは、尻餅をついた髭男が地面から生えた石の帯に固定されもがく姿だ。胸側へ垂れ下がっていた赤マフラーを払う。小剣が二本、ポトリと地面に落ちた。


(凄いな。一挙動で二本投げてきたのか)

【両手の袖に隠し持っていたみたいね。アンタ、アタシが防がなきゃ首と胸にもらってたわよ?】

(魔法を使わずともこういう巧妙がある……身につけたいな)

【手数は多い方がいいわねぇ。決め手になるかどうかは別にして、ね】


 ゆっくりと髭男へ近づいていく。春の陽気が何とも眠気を誘う。


 対人戦闘はそう場数をこなしているわけでもないが、魔物を相手にする場合と比べると小技のやり取りになることが多く、気を使う。力任せにしてはすぐに殺してしまうからだ。


 今の攻防も小技の応酬だった。


 髭男の攻撃は魔法にあらずと察して防御を赤いのに委託、わざと隙を晒して髭男に行動を起こさせた。


 更には杖を拾う動作に注意を集めておいての≪土動≫。身体の任意の場所を発動点とする技術は生活と生存の知恵だ。拘束された状態で顔面の水を≪解呪≫する時になど重宝する。


 ≪土動≫の狙いは髭男の足元を陥没させることと、その分の土でもって身体を拘束することだった。不意をついたから容易く成功した。そしてすぐさま≪石成≫で柔な土の拘束具を強固な石のそれへと変じた。


「ゲハ、ゲハハ……とんでもねぇ野郎だぜ。たった一人で、俺の隊を全滅させるたぁよ?」


 様にならない恰好で不敵に笑う髭男を、ただ静かに見下ろす。


「……逃げるなら、追わない」


 未だ倒れ伏す褐色女の方を見ながら、彼女の杖をへし折って、言う。


「追うのなら……殺す。次は」


 唱えた魔法は≪根縛≫だ。幾本もの草の根、木の根が褐色女に巻きついていく。


 精緻に魔法を構築したから≪解呪≫はされにくいだろうし、半日以上は効果が持続するよう魔力を注入した。隙間なく手足に絡みつかせたから刃物で取り除くことも困難だ。


【ねぇ……こんなにしたら、この人、逃げられないわよね?】

(あ……)

【見捨てられたりしてね、この人。認証ルーラーも使えない感じに縛られちゃってるのに】

(う……)

【この森にも色々と住んでるわよねぇ……獣も魔物も色々と】

(…………)


 いかん。髭男に頼んでおこう。


「女を……護れ」

【どの口がそれを言うのかしらねぇ?】

「オメェさん……そういう……」

【無意味に勘違いさせるような、無駄ぁな声節約でねぇ?】


 赤いのが眼球もないくせに白けた目で俺を見ている気がする。


 俺は穏便に済ませたいだけだ。一人は野犬に食べられましたなどということになると憂いを残す。どういう事情で追いかけっこをしているのかは知らないが、殺し合いでないことは明白なのだから。


 固まったように動かない髭男をそれでも警戒しつつ、倒れ伏した五人を巡る。矢と杖を残さず折っていく。剣はどうするか……≪念動≫で高い木の枝に引っ掛けておこう。まさか木登りができないということもあるまい。


 荷物を取りに戻ると、倒れた客車の脇に少女が立ち尽くしていた。


 金色の髪が柔らかく風に揺れていて、碧色の瞳は大きく見開かれて俺を映している。


 両手の指を胸のところで絡め合わせているし、長過ぎる袖が細い手首を露に垂れさがっているしで何やら祈る者を思わせる。その足元には俺と彼女の荷物が置かれているきりで他には小袋の一つも増えていない。火事場泥棒なし。育ちがいいようだ。


「貴方は……貴方は、いったい……」

【ほら、こっちも夢見る眼差しじゃないの……】

(ありがとうがない。あまり感謝されなかったか?)

【これだから天然は……】


 何やら呆然としている様子だが、すぐにも移動しなければならない。予定とは違って全員を気絶させなかった。また追われるにしろ距離を稼いでおく必要がある。


「荷を背負って、落とさないよう縄で縛れ」

「え、な、何で……」


 背負い袋を肩掛け紐だけでなく、腰紐の要領で更に縛りつけた。両手を手ぶらにする。少女も物問いたげではあるが同じ作業を完了させた。


「さ、来い」

「え?」

「対面抱っこだ。俺とお前の身体を、固定する。縄で」

「ええええっ!?」


 顔を真っ赤にした少女の両腕を取る。


「わっ!」


 それを俺の首に回させる。


「わわっ!?」


 両脚の付け根へ腕を回して持ち上げる。


「きゃっ!?」


 その足は俺の腰に回させる。


「きゃあっ!?」


 腹と腹を合わせ、互いの荷物と背中の間へ縄を通してから脇でガッチリとそれを結んだ。


「あんっ!!」


 よし、作業完了。


【アンタさぁ……】

「飛ぶぞ」


 宣言し、≪飛行≫を発動させた。


 さすがに重いが飛べないほどではない。全身が鉄で覆われた大鎖蛇チェーンギアに巻き付かれた状態でも飛んだことがある。そうしなければ水魔の渦に呑み込まれていたから必死だった。


 ゆっくりと樹木の上にまで浮上した。見れば髭男が拘束されたまま大口を開けてこちらを見上げている。やはり面白い顔をしている。表情が豊かだ。


「わ、わわわ……」

【どっちが誘拐しているのやら……やれやれね……】


 魔力を調整して飛翔を開始する。


 青い空と緑の森の間に広がる透明な世界を、鳥も置き去りにして、放たれた矢のごとくに。


「きゃあああああああっ!!」

【……ホントごめんなさいねぇ、ウチの天スケが振り回しちゃって】


 とりあえずはあの峠を越えるまでか。ある程度の魔力は温存しておかないと不安で喉が渇く。そんな何が起こるかわからない人生を歩んでいる。


「凄い……何て凄い魔力……まるで貴方はあの……」


 耳に轟々と音を立てる風に紛れて、少女の声の先は聞き取れなかった。しかし無性に全力を出したくなったから、俺は今から大荷物状態にも関わらず最高速度を試す。我こそは疾風なれば……!


【思いっきり聞き取ってるじゃないの……】

(……ブッコロス……ブッコロス……)

【ああ、もう! この魔法使い親子は……全くもう!!】


 何か柔らかいものの声にならない悲鳴を聞きながら、俺は峠を越えて飛び続けた。

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