第2話 馬車/横倒しにされて
「嬢ちゃん、いるんだろぉ? 死んでないなら出てこいよぉ! ほぅら、いい子だからぁ!」
下卑た声と追従するゲラゲラ笑いが聞こえている。
少し前までは背もたれにしていた場所に腰掛け、息を一つ吐く。
さて、どうしたものか。
荷物は確保しているし、この身は怪我一つ負ってはいない。さりとて黙っていても馬車は進まないし、荷の奥にしまいこんだ認証の使用は論外だ。旅の日程に余裕がない。
「死んでるなら死んでるで、俺たちゃ嬢ちゃんの死体を持って帰らにゃならんのよぉ。首だけでもよろしいですかってお尋ねしたらよ? 信用できねぇから駄目だってよ! ゲハハ! 坊ちゃんの青臭ぇ独占欲にもまいるよなぁ! それとも何か? 嬢ちゃん、脱いだら凄いのか? ゲッハハハハ!!」
何とも豪快な脅しだ。姿は見えないがきっと毛皮を羽織った髭面に違いない。
【ふーん? 貴族のエロガキがお気に入りの性奴隷に逃げられて追って差し向けたってことかしら?】
(性奴隷……凄い言葉だな)
【家族に軽蔑されたければ、どうぞ、手に入れてみたら? 草食系どころか絶食系のレンマ・トキオン少年。アタシは止めないわよ?】
(憎まれ方にも色々あるということか)
笑い声から人数を把握できるだろうか。
この転倒客車を半包囲するようにして五……いや、六人か。馬の気配はなし。それで暴走気味だった馬車を追えたということは……余程地理に明るいか、さもなくば魔法使いがいる。
それにしても、嬢ちゃんと言ったか?
それはつまり、すぐそこで震えているダボダボな服装の少年が実は少女だったということだ。
「ま、大人しく捕まっちまえや! 別に坊ちゃんだって獲って食おうってんじゃねぇんだ。ちぃとばかし身体をまさぐられるってだけじゃねぇか。生娘の潔癖ってのはわからんでもねぇ話だが、立場ってもんを考えりゃ、そいつぁいかにも世間知らずで恩知らずな妄想ってぇもんだ。それによ、上手くすりゃ貴族様のお妾様になれっかもしれねぇんだぜ? ん?」
口調が一転、品の悪い言葉遣いながらどこか親身な雰囲気を漂わせはじめた。中々に聞かせる演者だ。
【しゃべってる奴の顔見たいわね。きっと見物よ?】
(わかる)
【思わず犯行を自白したり、羽毛布団を買っちゃったりしそうよね】
(わからん)
とはいえ不用意に顔を出すわけにもいかない雰囲気だ。
少女の方はと見てみると、身体を抱いて震えている。そんなにも追い詰まってしまっては何を決断するにしても大変だろう。
「そのご大層らしい胸にでも手を当てて、ちぃとばかしでも考えてみろって! おめぇ、豪勢な暮らしをさせてもらってたわけだろ? その恩返し、その支払いって思えば、ほれ、別段無法な話でもねぇだろうが! そうだろ? んん?」
説得の一方で半包囲を狭めたか。矢をつがえる音もする。随分と警戒しているな。
【詠唱確認】
(ああ、これは……≪命探≫か)
やはり魔法使いがいる。
しかし慎重なのか迂闊なのかわからないやり方だ。こちらの生命反応は確認できるだろうが、そちらは魔法使いがいると明かすことになるぞ? まぁ、もう察しているが。
【探知波接近】
(ん、放っておく)
何をするでもなく不可視の波を受けた。複数回往復するそれら。
思うにこの波の一つ一つを≪解呪≫したらどうなるだろう。探知は防げても、防いだことがばれるか。上手く誤魔化したい。要研究。
「ほお? 嬢ちゃん以外にも誰かいるってか? ゲハハ、すまねぇなぁ、巻き込んじまって。恨むならそこに隠れてる嬢ちゃんを恨んでくれや。災難だったなぁ、ええ、おい。そいつの訳のわからねぇ家出のせいで、おめぇ、死ぬんだからよ?」
言外に「さっさと≪帰還≫を使え」と言っているな。
やはり俺は邪魔者なのだろう。どうしたものか。黙っていても馬車は……ん? 思考が迷子になっている気がする。
【今更なことを言うようだけど……アンタ、巻き込まれてるわよ?】
(本当に今更だな)
【一応聞いておくけど……アンタ、人助けに興味ある?】
(あまり助けられた覚えがないからな……どうだろう)
【アンタの正義……レンマ・トキオンが生きる上での重要事項って何だったかしら?】
(第一に、邪悪なる魔導師を討伐すること。第二に、それまで俺の戦力を維持または増強すること。第三に、家族が明るい世界で幸せに生きられるよう尽力すること。三つもあれば充分だろう?)
【今回は三つ目に関連してアンタに問いたいのよ】
肩に、首に、頬に熱く触れてくるものがある。赤いマフラーが俺を撫でている。
【男が暴力あるいは権力あるいは財力をもって、女の身体を犯す。あるいは女の人権を侵す。あるいは女の尊厳を冒す。アンタは今、そんな現場に立ち会っている。そうよね?】
頷く。他人事ではあるが、事実は事実だ。
【細かな事情を斟酌する必要はないわ。アンタはアンタの目に映る一人分の世界を生きているのだから、アンタの心の赴くままに全てを決めればいい。アンタの血の通った、アンタの正義を貫けばいい。アタシはそんなアンタの首で赤色をなびかせる者……さぁ、問うわよ?】
耳を澄ます。マフラーの外側は切り捨てて、マフラーの内側のみに。
【アンタはあの子を助けるのかしら? アタシをなびかせ、まるで物語のヒーローのようにして】
(…………ん、保留)
【つくづく! つくづく煮え切らない男よねぇ!? アンタって!!】
決断を焦るほどに状況は緊迫してない。襲撃者たちはのどかなまでに悠長で、魔力の乗らない言葉が今も聞こえている。
そうやって話し合えばいい。当事者同士で決めればいい。それが常識だろう?
「あ、あの……!」
震える声が俺を呼ぶ。少女が俺を見ている。頭巾の奥に覗く容貌は金髪碧眼だ。顔色は真っ青で唇も色を失っているが、瞳の奥には強い光が灯っている。
「ごめん、なさい。こん、こんなことになって、しまって……皆さんに、ご迷惑を……!」
きちんと謝れる人間はそれだけで敬意を払うに値する。
アイツには絶対にできないことだからだ。アイツの「ごめん」は常に自信の笑みと共にある。物凄く腹の立つ「ごめん」だ。しかも連発する。謝られれば謝られるほどにブッ飛ばしたくなる。
そういえば母さんが言っていた。「とりあえず『愛してる』と書いておけばいいって考え方、母さん、膝と拳で修正したいわ」と。そうなったら、とどめは俺がさそう。洗顔用魔法か何かで。
「私が、時間を稼ぎますから……逃げて……ください。お願い、します!」
少女がペコリとお辞儀をしてきた。俺はとりあえず会釈で返そうとして……目を見張った。
光を感じる。少女の輪郭が周囲から浮かび上がっている気さえする。
頭巾が外れて可愛らしい顔立ちが明らかになり、柔らかそうな巻き毛やつぶらな眼差しを目の当たりに見た感想ではない。気丈に振舞うも恐怖に震える華奢な肩に同情したわけでもない。その辺はどうでもいい。
【これは……凄いわね……】
(ああ……ただの魔力じゃない)
この名も知らぬ少女から光を伴って漏れ出ずる魔力がある。≪魔探≫を使えばより正確に知れようが、使わなくとも肌身に触れる温かみというものがある。目に届く輝きというものがある。
光の属性力が感じられる。
他の属性を付随させず、他の属性を塗り替えるほどの強烈さでもって。
「さっきまでいた皆さんにも、謝りたいし……色々と弁償もしないといけないけれど……」
屈み、手を伸ばした先には一振りの剣がある。冒険者風の男が置き捨てていったものだ。無骨で実戦的なそれすらも、少女の手が触れれば俄に存在感を改める。淡く聖性を帯びてくる。
これは……まさか……精霊魔法というやつか?
一般の魔法とは異なり、己が魂の輝きでもって精霊と契約し得た者にのみ使用可能という特別な魔法……俺は今、それを目撃しているだろうか。見たことのないそれを。
「せめて、私のせいで、誰かが命を落とすなんてことのないように……私が……!」
「それ、見せてくれ」
「え、わ、へぶぶぅっ!?」
剣が見てみたかったので、駆け出そうとした少女の裾を引いた。結果、転んだ。顔からぶつかっていった。悪いことをしたのかもしれない。
それはそれとして左腕を動かす。魔訶の呪文を意識する。≪解析≫を発動させる。
「い、痛……って、な、何を!?」
ふぅん?
剣には≪魔法剣≫とは似て非なる魔力が働いているな……属性としては光だ。それがまず面白い。普通、≪火剣≫にしても土属性で強化したその上に火属性が乗る。コイツは光属性のみが刃の表面を……ん? 柄にまで? しかも段々弱まってきたような?
「え!? ちょ、ええ!?」
ふぅん……やはり面白い。
手にも服にも同じように魔力が覆い被さっている。いや、身につけているものを含む身体全体が光の膜に覆われているのか。だから手放した剣には魔力が供給されず、弱まっていくと。なるほど。
「きゃっ、ちょ、ちょっと待……」
じゃあ、最も魔力が強い場所は? 源となっている場所はどこだ?
「あうっ!?」
胸か。
つまりこれは身体を起点としている。≪魔法剣≫とはそこが決定的に違う。
ならば≪身体強化≫に類するものか? 母さんの拳も光ることがあったが……いや、あれはあれで異常なのか。岩を塵にすることが常識的な行為ならば、鋼鉄の武具も数多の魔法も等しく無価値になる。≪身体強化≫した人間には攻撃魔法も効きにくいことだし。
「い……いい加減に……!」
触った感じでは、魔力を体内に循環させているわけではない。≪身体強化≫とはそこが違う。しかしこちらのほうが難易度が高い。己の身体と服や剣……どうやって魔力を巡らせている?
「やめてください!!」
平手打ちを受け止めた。その衝撃は強力だ。やはり強化されている。この細腕で出しうる威力ではない。
なるほど……ふぅむ……なるほどなぁ。
「……わかった」
「わ、わかってもらえて嬉しいです……私は貴方のこと、さっぱりわかりませんが!」
【アタシはわかったわ。アンタ、ラッキースケベ以上に厄介な天然スケベなのね……】
精霊魔法ではない、これは。
正確には、精霊魔法的ではあるがそこにまで達していない何かだ。未完成魔法とでもいうべきか。一般的な魔法でも稀に起こることだ。正規の呪文を唱えなくとも近似の効果が引き起こされるという現象で、程度の差こそあれ、魔法としての中途半端さがとてもよく似ている。
推測するにこの少女は精霊と未契約なのだ。それでも魂の相性とでもいうものが極めて良好であるがゆえに精霊へと働きかけることができる。恐らくは感情の昂りが精霊の加護を引き出している。
(逸材じゃないか。精霊使いというだけでも珍しいのに、属性がまた希少だ。光属性ならば精霊神相手の契約となる。凄い。凄いな、これは)
【胸鷲掴みにした後に何言われたってドン引きしかできないわぁ……むしろ首締めちゃった方が正義なのかも……世のため人のため公序良俗のためなのかも】
(よし、助ける)
【はぁ!?】
(恩を売って契約に立ち会わせてもらう。この馬車に乗っているからには行く先は国際都市だろう? 精霊との契約は鎮守大結晶の下で行うと聞く。これは好機という気がする)
【アンタも大概よね、ホント! 血? 血なの? アンタもいつかアイツみたくなっちゃうの?】
(冗談じゃない。アイツを否定することが人生だ)
赤マフラーの長きを背へと手払った。少女に告げる。
「荷物をまとめておけ」
「え? 何を言って……」
「外を静かにしてくる」
知り合いのようだし、殺したりはしない。しばらく動けない状態にする。その間に姿をくらまそう。もとより逃げて追っての関係だったようだし、また逃げたところで問題が大きくなりはしないだろう。
【……やるのね?】
(ん、やる)
【了解。やるならちゃっちゃと済ますわよ。アタシ、今ちょっとやる気ないし……】
(俺も殺る気はないぞ?)
【はいはい、そうねー。戦闘ナビ始めるわよー】
赤いののいつになく投げやりな口調に首を捻りつつも、俺は左袖に隠し持っているものを取り出した。薪にしては整っていて、杖にしては素っ気なさ過ぎるそれを左手に持つ。
「そんな棒で……?」
まぁ、そう見えるだろうな。その棒を軽く振る。
外では唸るような風が吹き始めた。≪風動≫。魔力強めでしばらくそのままに吹かせておく。
手首を返すこと五度、脳裏に思うは誰も知らない俺だけの呪文。俺が作った、俺だけの魔法。
「あ?」
俺は世界から見えなくなった。