閉幕話 昼食/リンドリムの仲間
風に撫でられて首元が寒かった。
日差しは温かで、眠たげな青空へ大小雑多な洗濯物がはためいている。家並みに遮られて大通りの喧騒は遠く、雑草がそこかしこで小さく花を咲かせている。水の音も聞こえる。生活用水の単調で淡白な音だ。
俺はぼんやりとしている。そんな俺を叱咤する声はない。
頬に触れるものも、肩をさするものも、首を絞めてくるものもない。俺の身なりに赤色はない。
だから、ぼんやりとし続ける。置き捨てにされた石材に腰かけて、串焼きを咀嚼する。もう三本目だ。
「いやー、やっぱりバングランプ印の屋台は最高だよね! 価格を抑えつつも確かな満足!」
「一口ごとに大きな声で言わなくても……もうわかってますから。美味しいですから」
「放っておいてあげたまえ、リゼル嬢。彼女には自家の収益を増さねばならない、のっぴきならない事情がある。健気なことじゃあないか。このライアス・ビームガンはその勤労を応援してやまない」
いつもの三人も並んで座っている。屋台で買った色々を食べている。
「彼女は貴重なる守護外套を破いてしまった。それはいい。名誉ある軍務の中のことさ。しかし、しかしねぇ……ププ……それを繕おうとして機能停止させるとか……ブハハハハ! 何だそりゃあ! ギャハハハハ! 笑い殺す気かよ! 縫い針で≪防護≫の根幹ぶっ壊すとかどんだけ馬鹿力……ぎゃああああ!!」
ライアスが悲鳴を上げた。その手に持っていた串焼きをメルクリンに強奪されたようだ。
「な、何てことしやがる! 指どころか手首が折れっかと思ったわ!」
「乙女の健気を笑う男は、美味しいものを食べる資格なし! 没収!」
「は? ざっけんな! 強盗かよ!」
「ライアス君の! ちょっとでもカッコいいとこ! 見ってみたい! はい、没収没収没収ぅ!!」
「うわあああああ!?」
串焼きだけでは済まなくなった。魚揚げやふかし芋といった食べ物を満載した大皿……ライアスが昼食用にと買い集めたそれらを奪い取って、メルクリンが驚くべき速度で駆け去っていく。
「返せテメエェェェェ!」
「はいはーい! 皆さんご注目ぅ! これなるはバングランプ印の屋台食! 試食してみっませっんか!」
雑踏の方へと賑やかさが遠ざかっていく。きっとまた往来で一騒動も二騒動も起こして客を獲得してくるのだろう。ここではそう珍しいことでもない。
まだ音楽は聞こえてこない。どこか遠くで鐘が鳴っている。
「あ、あの……レンマさん」
リゼルが俺を呼ぶ。顔を向ければ、食べ方を知らないのか、黄棒果を皮も剥かずに持て余している。
「最初の想像とは全く違いましたけど……そろって千年騎士団へ入団できましたね」
咀嚼しつつ、頷いて返した。
リゼル、メルクリン、ライアス、ロビアット、月照院、トゥエルヴ……そして俺。
結局、『雷帝』モーデンキアの愉快な仮装を見た面々は誰一人欠けることなく千年騎士団の一員となった。今回の合格者はこの七名きりということだ。
「嬉しくてフワフワしてるんです、私。怖いことも大変なことも沢山あったのに、何だか全部が夢だったみたいに遠くて……戦いが終わってから、まだ十日しか経っていないのに」
思い出すのもおぞましい魔法適性検査から、魔物の跋扈する森での探索を経て、鬼面との決着をつけるべく再び国際都市へ……怒涛のようにも思われる日々からもう十日か。時間の感覚が曖昧だ。
「……今日、この日から、新しい生活が始まるんですね」
今朝がた、千年騎士団への入団式をつつがなく終えたばかりだ。リンドリム宮殿の敷地内に宿舎もあてがわれた。夕方には私物をそろえて部屋に入る。
「私、思うんです。きっと素敵なことが始まるんだって。素晴らしい日々が私の前に開けたんだって。そして、それは全部、レンマさんのおかげなんだって……」
ワッと歓声が沸いて、リゼルはそちらへ視線をやった。以前、空を見上げていた時と同じ横顔をしている。陽光を受けて金色の髪にしろ碧色の瞳にしろキラキラと輝いている。
「……レンマさん」
小さく俯いて、リゼルは思い詰めたように俺の名を呼んだ。
「私の……ううん、私たちの出会いって、きっと……きゃあああああ!?」
とてもうるさい。
何事かと思えば月照院だ。いつの間にやらリゼルの隣りに座っていて、黄棒果の中身を満足げにほうばっている。どういう手技か、リゼルの手には皮しか残されていない。
「美味なり。他にも要らぬものがあれば言うがよい。この月照院が平らげてくれよう」
「いいいい要らないとか言ってなかったですけど! べ、別にいいですけど!」
「レンマの方は肉ばかりか。うむ、それもよし。お主は今回、些かといわず血を流しすぎた。魔力もその源は血と肉であるし、心身が健やかであることこそが肝要というもの。心ゆくまで食らうがいい」
ウムウムとやはり満たされた顔で頷いた月照院は、ごく自然な動作で、己の財布をリゼルへと渡した。
「同じ串焼きを……フム……とりあえず三十串ほど頼む」
「三十!? え!? ひ、昼間から、肉の串焼きを三十も!?」
「とりあえずはそれでよかろう。リゼルも食べたいのならば好きに追加するといい。十本でも二十本でも馳走するぞ? これで月照院とは小金持ちでもある。太っ腹なのだ。ハッハッハ!」
「ま、間に合ってます……大丈夫ですぅ……」
疲れきったような足取りでリゼルが屋台へと向かった。戦闘訓練以来、この二人には師弟のような関係が続いている。
「さて……レンマよ」
表情は笑顔のそのままで、月照院は声音にのみ厳かさを乗せてきた。
「お主のお目付け役、この月照院が引き受けることと相成った。次に独断戦闘へ赴く際は一声かけるといい。いかなる死地にも笑って同道しようぞ。お主は強力にして見事な男なれど……どこか危ういゆえな」
危うい、か。
俺は騎士団への忠誠心に欠けるのだから、大いに的を射ていると思う。
「月照院殿の言う通りだ。レンマ・トキオン、お前はやはりそういう男だった。ロビアットは兵を見誤ることがない」
現れるなり腕組みなどしてロビアットが言う。
「そして、危険である以上に謎めいている。重傷を負ったお前を地上へ運び出した者についてだが、騎士団の徹底した調査をもってしても未だ発見はおろか人物像すら挙げられない始末だ。『雷帝』殿などはお主が無意識に魔法を使ったのではないかとぼやいていた。『棘夢』殿も賛意を示していたな」
反射的には魔法を使えても、意識を失った状態で魔法を使うことは無理だ。魔法は本能ではなく理性で行使するものだから。
それに、俺は事の真相を知っている。
あの日、サイコドワーフとの戦いで俺は無茶をした。接触距離で最大火力の≪火弾≫を放ったのだ。爆発の指向性と赤いのの防御を考慮しての決断だったが、力加減をやや誤り、サイコドワーフは消し飛ばしたものの俺もまた大怪我をする羽目となった。
瓦礫の中から俺を掘り返したのは人工精霊だ。
赤いの……紅ジャスティ子ではない。俺の身を護ったことで大きく損傷し、瓦礫をどかすことはおろか会話もできないほどの機能不全を起こしていた。
黒いのだ。
クロと呼ばれていた人工精霊が俺を救い出した。俺が死ねば≪虚影大蔵≫で囚われたダークエルフもまた闇の中で死ぬ。それはもう物凄まじい表情で俺を運んでいた。
「これは、貸し。返せ。必ず」
そう言っていずこへとなく消えていったが、確かに借りができた。配慮しなければならない。ダークエルフを尋問するのはもう少し落ち着いてからになるが。
「……だが、勘違いしないでほしい。レンマ・トキオン」
目の前では、桃色の髪の小さな軍人が真剣な表情で話している。常の無表情でそれを聞く。
「ロビアットはお前を嫌っていない。むしろ逆だ。お前ほどの魔法使いと知り合えたことはロビアットの喜びだ。今、戦場に肩を並べ共に戦うだけの力がないことを残念に思う。しかしロビアットは若く、育ち盛りだ。いずれはお前もロビアットを戦友と認める日が来るだろう。期待していてほしい」
小さな手を掲げ、宣誓めいたことをされた。後ろでは月照院が嬉しげに頷きを繰り返している。
「……探した」
足早に近づいてくるなりそう言い捨てたのはトゥエルヴだ。俺の顔を見ようとしない。
「親方が呼んでる」
言ってすぐにも身をひるがえす。工業区画の方へと歩いていき……しばらくして立ち止まった。肩越しに鋭い視線を向けてくる。
俺は月照院の顔を見た。
「行け。もう仲間だ」
黒髪の魔剣士は莞爾として笑い、そして腹を鳴らせた。
「それに月照院はここで肉を食わねばならん。既に舌と腹とが戦支度を終えておる。合戦でも用意されん限りは梃子でも動かんぞ。その合戦にしたところでまずは食うてからだ。いざ……いざ!」
鼻息も荒く何を言っているのだろうか。
ロビアットを見やると何とも難しい表情で頷かれた。行けということなのだろう。
「こっちだ」
不快げなトゥエルヴについていく。迷路のような裏道をたどり、炊煙とは別な煙を上げる区画へと近づいていく。目的地はわかっている。ドワーフが営む魔道具工房だ。
「……あの赤布、大切にしろ」
僅かに振り向いたトゥエルヴに、そう言葉を放られた。
「声を聞いた……私だけと、秘密に、話をしたんだ。お前が心配で、取り乱してた。そういう存在は、大切なんだ。誰にとっても……誰であっても」
頷いて返した。俺もそう思うからだ。
「父様の造った“彼女”が、お前を護る限り……私は、お前を襲わない。約束する」
トゥエルヴを見送る。もう睨まれることもない。
工房の戸を叩く。包むもののない首をさする。
「……まだ、少し寒いな。外は」
戸の前で独り言ちる。
「独りで見渡してみると、いつもより、生々しかった。綺麗さも……醜悪さも」
ドワーフの野太い声に交じって、いつもの声もまた聞こえたろうか。
「話を聞いほしいと……そう思ったよ。初めて」
扉が開いた。
赤いものが飛びついてくると思ったが、その通りだった。




