第22話 逆襲のレンマ/決闘暗攻
窓なき石畳の通路を行く。
静寂の端を確かめるように靴音を鳴らす。
ひどく懐かしい風景だが、首が温かい。眠気もない。コロスコロスと唱えてもいない。俺は随分と豊かな気持ちで地下を歩いている。
明かりを灯す必要はない。魔法で視界を得る必要もまた。
奥に光が見える。青白いそれは人の魂のようだ。そんなものは見たこともないが、どうしてかそう思う。しかもそれを薄気味悪いと感じるのだから、俺は根本的なところで敬虔さに欠けるのかもしれない。
半球状の大広間に、ソレがあった。
見上げるばかりの巨大な魔晶石だ。
玄妙な光彩を宿しつつも澄んだ光を放射している。
その明るさは強まったり弱まったり、揺れたり波打ったりと変化が絶え間ない。川のようでもあり、海のようでもある。空のようでもあり、大地のようでもある。時代そのものを目視したならばこのように見えるのかもしれない。
「忌わしくも畏れ多く、ただただ見事……そうは思わんか?」
俺に背を向けたまま、サイコドワーフはそんなことを言った。
「思わない」
一言答えて“棒”を構えた。
「そうか。由来はどうあれ人類の英知の結晶であり最大の力でもあるコレを前にしてなお、お前さんはそういう風に在れるのか。哀しい話じゃのう。それはつまり、この世界に何の期待もしとらんということじゃ。報われたいと願っておらんということじゃ。お前さんは絶望しとる。その若さで」
相変わらずよく動く舌だが、どう言い募られたところで俺には響かない。
全て的外れだから。
「どうでもいい……」
思わず呟いてしまった。サイコドワーフを振り向かせてしまった。
長口上は聞きたくない。俺ももう少し頑張って舌を動かそう。
「どういう風でも、それでいい……世界はそういうものだ。多分」
「……受け容れとる、ということか?」
「そうだ。俺は父親を憎んでいるし、ブッコロス気でいる。子殺しも父殺しも、どちらも、生き物としては間違っていると思う。それでもアイツはいるし、俺もいる。いられる。居場所がある。それに、俺は幸せを知っている。明るい世界を見ることだ。綺麗だと思うことを、俺は、許されている。それで充分だ」
どうして会話というのは呪文のようにハッキリと一つの目的のためにないのだろうか。合理性がなく、混沌としていて、しかも上手く意思が乗らない。魔法に魔力を乗せることは容易いのに。
「それが……そんな素朴な言い様が、お前さんの真情なのか」
呆れられたのだろうか。
「足るを知らざるは大人の方ということか……あの魔導師の子とも思えん男じゃな、お前さんは」
大きく息を吐き、肩をすくめるなどして、サイコドワーフは口元を歪めた。
「何とも格好がつかんのう。己の思わぬ強欲に気づいたとて、それを呪われた血のせいにもできん。些かといわず戸惑うわい。わかってやっとるのだとしたら、お前さん、思っていた以上に残酷ということになるわけじゃが……作為の鋭さがない分、こう、ドシンと来てしまって堪らんなあ」
ホッホ、と笑う。戦棍を構える。
見えずともわかる。きっと緑色の鬼面の奥には憤怒の眼差しがある。
「素晴らしきかな純朴なる父殺しよ……しかし、クソ喰らえじゃ」
魔力を練っている。殺意を研ぎ澄ませている。
「己の無知蒙昧なるを恥じろ、馬鹿者め。居場所? 綺麗? どちらもこの世界の背徳と醜悪から目を背けた者の世迷い事じゃ。無責任といってもいい。それほどの力を持ちながら、どうして世界の見せかけに騙されとる。己の影響力を隠し、窮屈に身を潜めとる」
両手で戦棍を構えた。どうして右腕が動く?
「この世界は間違っとる。それを認め、正すべく働け。力ある者の責任として」
「魔力の多寡が、どうして、世界を好きにする権利になる? アンタ、あの魔導師と同じなのか?」
「……なんじゃと?」
「我儘をいうのは、せめて、身内の中だけにしろ。いい歳をして」
「生意気を……!!」
≪首水刑≫を≪解呪≫することが始まりとなった。
「風よ、叩け」
「風よ、叩けぃ!」
≪風撃≫の相打ちだ。無形の打撃が正面衝突し、四方に衝撃が散った。それは俺の方への割合が多かったようだ。後方へ転がった。身を起こしたところへサイコドワーフが肉薄してきた。
「火よ、薙げ」
「風よ、護れ!」
競り負けた。
≪火薙≫の火炎は≪風盾≫によって消し飛ばされた。
その魔法を成したのは左手の戦棍か。残る右手の戦棍が唸りを上げて迫る。速い。避けられない。左腕を支払うか。
【オラァッ!!】
赤い大きな平手打ちだ。それがかぶさるように命中した。戦棍の軌道を逸らしつつ、反動を利用して俺を後方へと飛ばす。威力の証か、赤い繊維が千切れて血のように飛び散った。
【今の、腕一本じゃ済まないわよ! 気張りなさい!】
(了解)
サイコドワーフの魔法が威力を増している。精度や速度は変わらない。呪文に込める魔力の量が多い。
死力を尽くしている? こちらも対抗しなければ。
「火よ、打ち砕け」
「風よ、叩け!」
≪火弾≫が≪風撃≫とぶつかり爆発した。これは拮抗したか。爆煙にまぎれて距離をとる。≪幻影≫は……来ない。煙を突き抜けてサイコドワーフが来る。両手の戦棍を顔の前に構えている。
「岩よ、立て」
床石を突き破って≪石壁≫が発現した。打撃音。連続して。壁にヒビが入っていく。砕かれる。ならば。
「礫よ、飛べ」
「風よ、護れ!」
≪飛礫≫の斉射を≪風盾≫で?
崩れた壁の向こうを見やれば、彼我の間合いは開いていて、無傷のサイコドワーフが両手の戦棍を十字に構えている。その口元には歪んだ笑みが張りついている。
「不思議じゃろう? 儂の魔法が俄かに強力となったその理由……知りたいじゃろう?」
ほとほと話したがりな男だ。しかし魔力を整えるには好都合だ。黙って聞く。
「お前さん、守護外套について不思議に思ったことはないか? 各種魔法への抵抗力にしろ≪防護≫にしろ、その効果を支える魔力はどこからもたらされるのか……≪帰還≫については認証もそうじゃな。才能豊かな魔法使いであっても苦労するその魔法をいかにして諸人の扱えるものとしておるのか、と」
語らせるに任せて深呼吸を繰り返す。
森からの連戦と移動とで消耗が甚大だ。≪追火弾≫五十八連発の反省から細心の注意を払いつつの魔法使用でここまできたが、限界はそう遠くはない。
「全て、鎮守大結晶が支えとる。不可視超空間の魔力回路でもって登録済みの守護外套および認証と繋がり、蓄えられた膨大な魔力を都合して各種魔法効果を発動させておるのじゃ。知っとったか?」
首を振る。事実、知らなかったし、話を続けさせたいからだ。
「ならば、今、もう一歩先の疑問を持つことじゃ。鎮守大結晶に蓄えるための魔力はどこからやってきたのか、と」
確かにそれは謎だ。魔力の調整を最優先としつつ、頭の隅で考える。
鎮守大結晶は各国首都と国際都市とに設置されている。
守護外套は各国の切り札として軍の精鋭がまとう。
認証は各国の成人した国民の全てに配布される。
そしてそれら全ては魔力回路とやらで結びついている……五つの鎮守大結晶を中心として無数の糸が放射状に広がる様が想像された。
一般に≪帰還≫が莫大な財貨を代金とすることも思い出した。最近知った事情としては、守護外套をまとう者は認証を身につけないということだ。森へ入る際に外せと厳命された。
つまり、それは。
「……認証による供給、か?」
「ご明察じゃな。知られざる血税とでもいうべきかのう。この世界に成人した者は誰しもが認証を首に下げ、日々秘密裏に魔力を吸い取られておる。鎖に繋がれた家畜が乳なり卵なりを支払い続けるようにして、の」
鼻を鳴らしてサイコドワーフは嗤う。
「守護外套をまとうということはの、そんな無体の集積を己が力とし、誇るということじゃ。何とも高慢ちきな話とは思わんか? そもそもは魔導師が魔王討伐に際して開発したものじゃが、何のことはない、特権階級が大衆を支配する仕組みとして大いに活用されておるわい。それ以上の暴挙にもな……」
ああ、そういうことか。
それで俺は認証にしろ守護外套にしろ身体が受け付けなかったのか。
幼くから魔法に頼らざるをえなかったから、俺は己の魔力を隅々まで調査し、把握し、管理している。今現在、頭髪の内のどの一本が抜けかかっているかもわかる。そこに微細な魔力の停滞を察知できる。魔力の掌握に没頭してきた成果だ。
「さて、種明かしの時間じゃ。儂は今、鎮守大結晶との間に無形の魔力回路を繋いどる。お前さんが来る前に、そういう儀式を済ませた」
威嚇のつもりか、サイコドワーフは右手の戦棍を大きく振り回している。
「まだ上手く馴染んでおらんが、徐々に引き出せる魔力の量が増えておる。もう少し……今少しじゃな。鎮守大結晶自体の≪防護≫を消滅させるには、一時に莫大な魔力が必要じゃ」
戦棍の動きが異常な速度に達している。≪幻影≫でもあるまいに、複数の腕に分かれて見えるほどだ。
「言うなれば、お前さんが魔導師に由来する力をもって魔導師を討たんとするように、儂は、鎮守大結晶の力をもって鎮守大結晶を破壊するのじゃよ。そのためにこそ、ここへまで来た……ブルウを見殺しにしてまで、のう!」
≪念動≫で動かしていたか。それは。
目にもとまらぬ速さで戦棍が飛来、右肩に命中した。しかし衝撃は全身を打つ。視界が訳のわからない高速を映し、新たな衝撃と共に俺は床に頬ずりをしていた。吹き飛ばされたのか。
【すぐ≪治癒≫しなさい! 右腕が千切れかかってる!】
言われるままに≪治癒≫を施す。赤いのが巻きついていて怪我の度合いは見えないが、その赤いの自体も大きく損傷している。硬化して防ごうとしたのだろう。砕けた破片が床に散らかっている。
「この威力でも、まだ足りん。まだ鎮守大結晶を破壊するには至らん……」
床に広がっていくのは俺の血か。赤いから、赤いのかと思った。
何だ? 血が遠くまで広がらない?
そこまでしか世界がないとでもいうように、血は俺を中心とした一定の半径を保っている。そこから先は消えていく。床に沁み込む……いや、違うな……影が呑んでいるのか。
「しかし、千年騎士団も間が抜けておるわい。まだ誰も来んとは。保安体勢が魔導師の構築したそのままになっておるでは、儂の魔力を異物として感知することもない……いっそのこと、鎮守大結晶の破壊は後回しにして、気の向くまま破壊活動に勤しんでやろうかのう?」
何度もこんなことがあった。慣れている。だからわかる。
まだだ。まだ死なない。
筋肉の筋の一本一本、血管の描く精緻な樹形図の端々までを俺は記憶している。≪治癒≫でもって再構築していく。材料は己の血だ。影の内に蓄え始めたそれを使う。そういうことができる。
「あるいは、強力な魔獣を召喚してやろうか……ホッホッホ……力に溺れそうになるのお! 魔獣といわず、世界の壁を破って、外禍の軍勢に侵攻の道を用意してやろうか! 何も知らん者どもに……知らんで犠牲を踏みしめとる阿呆どもに、絶望を思い知らせてやろうか!!」
本当によくしゃべる男だ。
しかし耳障りだな。横転した馬車の中で聞いたあの脅し文句の方が遥かに聴かせるものだった。これは酔っ払いの大声でしかない。悪酔いしてるぞ、サイコドワーフ。
「闇よ、帳を……」
この空間の全てを闇で包んだ。汎用魔法≪作闇≫だ。闇属性の魔法としては初歩初級の代物だ。
「ホッホ。悪あがきを……光よ、照らせ」
≪照明≫を使えたか。しかし。
「ムゥ……何と濃密なる闇よ。僅かも照らせんとは……闇よ、視界を」
≪闇視≫か。簡単な魔法はそれなりに使えるようだが。
「馬鹿な! 見通せんじゃと!? 何たる闇の属性力……ならばこの膨大なる魔力で!!」
過ぎた力は怖いな。
それで何もかもを押し通せると思ってしまうと、他の何もかもが見えなくなる。盲目になり、頑なになり、単純になる。想像力を失う。
足音を立てずに歩み寄る。この暗闇に相応しい、泥棒のような歩法で……こっそり金貨を運ぶようにして。
「ホッホ! どうじゃ、見通してやったぞ! お前さんの得意とする属性は火だとばかり……?」
グリインといったか。
アンタ、初めて戦った時の方が強かった気がするよ。
「ま、待て……!」
「火よ」
“棒”をサイコドワーフの背に触れさせて。
俺は魔法を炸裂させた。ありったけの魔力を込めて。




