第1話 馬車/乗り合わせて
ポックリポックリと乗合馬車が山間を行く。
椅子もない客車で、俺は親の仇と向き合うようにして親からの手紙を睨みつけている。傍目にはきっと無表情なのだろう。そういう顔だ。
「……はぁ」
何度読んでも、最後には溜息が出る。
さりとてこの手紙は破けないし捨てられないから、せめてもと乱暴に懐へ突っ込んだ。何度やってもいっかなくたびれない。
この一巻には恐ろしい魔法が仕込まれている。
俺の≪解析≫ではその全容を把握することができなかったが、少なくとも俺が死ぬことだけはわかった。人間、焼け死にながら凍え死ねるものなのだろうか。そんな哲学的に物騒な物を作った奴の狂気を思う。
何ともおかしな話だ。
この手紙……文頭に「愛」と書いてあるのだが。
頭皮に爪を立てて髪を掻き上げる。また抜け毛。濃い灰色のそれを数える。十六歳のやる行為ではないと思う。
よく言われた。俺の顔立ちは冷え切っていて熱がないと。瞳の色は赤色だが光が感じられないと。若々しくないという意味だろう。
寒い世界だから……頭も身体も凍えてしまいそうだ。春だが。
目を細め、マフラーの温みに頬を浸した。
肩にかかった部分が励ますように揉みさすってきて、最後にチクリとつねられた。耳元に囁かれる声が俺を叱る。
【どこのノルマ諦めたサラリーマンよ、アンタは。シャキッとしなさい、レンマ・トキオン!】
ノルマっていうのは、キギョウとかいう名の苛烈な騎士団が団員たるサラリーマンへとかける≪呪縛≫のことだったかな?
うちの家庭は悪ではなかったが、邪悪が一匹混入していたのは確かで、そいつの呪いは致死の代物ときている。嫌な相似だ。
(俺は諦めていない)
だから今、馬車に揺られている。
(頑張っている)
マフラーの内側に囁き返すと、返答は即座かつ早口かつ大量だった。
【当然よ! アンタお馬鹿で忘れっぽいから、何度でも何度でも教えてあげるわ。よーくお聞き。正義の具現者たるこのアタシを首になびかせる者とは必ず正義の味方なのよ! どんな困難に出くわしたとしても力の限り戦うべきなのよ! アハ! アハハ! アーッハッハッハッハ!!】
(耳元で……迷惑な……)
マフラーを首から解こうとしたが、あり得ないほどの力強さで抵抗された。ならばと平たく潰そうとしても信じ難い強度で立体感を失わない。
何なんだ。アイツ絡みの道具は全部が全部呪われているのか?
傍目には俺がモゴモゴと暑そうにしている風にしか映るまいが、現実としてこのマフラーにはそういう機能が備わっている。呪いの手紙以上の強力かつ複雑な魔法がかけられた魔道具なのだ。
独自の人格を有し、持ち主と会話することも持ち主を絞め殺すこともできる真っ赤なマフラー。
その正体はさる邪悪な魔導師が制作した人工精霊……銘は『紅ジャスティ子』。赤き正義を意味するその銘は金糸で洒脱に刺繍されている。
事実、その赤色はまるで炎のようだ。
俺の身なりは濃淡様々な黒色灰色を重ね着した重苦しい旅装だから、余計にマフラーの赤が際立っていることだろう。他に類を見ない非常識な多機能を誇るこのマフラーだが、どうしてか色ばかりは変わらない。
いや、違う……変えないのか。
何ものにも染まらず、己の色を表し続け「うぎゃああああああ!!」何だどうした。
今の雄叫びは御者か。馬のいななきも聞こえる。揺れが酷くなった。馬車が速度を増したようだ。
俺の他には四人の乗客がいて、それぞれに荷を抱え黙り込んでいたが、かかる異常事態に誰もが目を見開き慌てている。
「ちっ、襲撃か!? こんな山ん中で!」
真っ先にそんなことを言ったのは、精悍な人相風体の男だ。使い込んだ様子の革鎧に道具袋を連ねた太帯、踏破性能の高そうな靴……長剣も所持している。恐らくは冒険者だろう。
「赤鳳国の治安はどうなっているのですか……まったく」
迷惑そうに言うのは留め具の多い窮屈そうな服を着込んだ痩せぎすの男だ。揺れが激しくなるまでは俺と同様に巻物を読んでいた。身綺麗な印象で、どこか学者のようにも見える。
「お、おうっぷ……無ぅ理ぃ……揺れ過ぎぃぃ……うっぷ……堪忍してぇ……」
息も絶え絶えでいるのは、軍服を仕立て直したような服の少女だ。赤褐色の癖っ毛を押さえ込んでいたろう軍帽風のそれを汁皿のようにして、食事とは真逆の何かに備えている。死んだ魚のような目は緑色だ。
「…………」
最後の一人は乗り合わせてから一度も声を聞いていない。顔も見ていない。外套の頭巾をかぶり続けているからだ。しかも外套も服も体格に比べ大き過ぎる。頭巾の作る闇も深く濃いものとなる。
「やべえ! 御者の姿が見えねぇぞ! 『飛んじまった』か!?」
「こんなん、人間の乗り物と違う……うう……魔の物、魔の物だぁ……!」
「魔物じゃねえ! 人間だ! 馬に矢が刺さってやがる!」
今の会話は噛み合っていたろうか。
冒険者風の男は怒鳴るなり剣を掴んで客車前面口へと消えていった。
別な意味でのっぴきならないこととなっている少女は、蒼白な顔をして何事か呪詛を呟き続けている。
【レンマレンマ、戦闘ナビ、いるかしら?】
(……いい)
【そ。ところでそこなレンマ氏、バトル解説などは御入用で?】
(多分だが、それ、似たようなものだろう。必要ない)
【わかったわよ……チッ】
布製品なのに舌打ちをする。心底無駄な機能だと思う。音だけなら唾吐きも再現するこの赤マフラーは製作者の狂気を色濃く反映している。
とりあえずは自分の背負い袋一つを引き寄せた。右手で左腕に触れる。袖の内側に隠し持った短い木の棒をゆっくりとなぞる。
「人間相手となりますと、さっさと『認証』を使ってしまった方が正解かもしれませんね。職務熱心な御者さんすら早々にそうご判断されたようですし?」
学者風の男がそんなことを言って鼻を鳴らした。彼は革鞄の他に荷物がないようだ。襟元を緩め、首にかかった紐を手繰って黒い鉄片を引きずり出した。
「私は国際都市の役人です。皆様の認証がいずこのご登録かは存じませんが、今回のことで何かございましたらエヴァン・ベイスの名を添えてご連絡を。状況証言くらいはさせてもらいますよ?」
面倒そうに言葉を連ね終えると「では」と会釈などして鉄片を握り込んだ。眩さが生じる。魔力光だ。その輝きに包まれるなり、彼はこの場から掻き消えた。後には何も残らない。僅かに光の粒が漂うばかりだ。
これぞ認証の機能である。
それには≪帰還≫の魔法が刻まれていて、発動させると事前登録先の『鎮守大結晶』の下へと瞬間移動することができる。つまりは各国首都または国際都市の軍関連施設内へと『飛ぶ』ことになるわけだ。到着後は身柄確保、事情聴取、所持品検査と立て続き、奉料献上をもって施設外へと解放される。
人の命を救う素晴らしき魔道具、認証……魔物住まう土地を旅する者にとっては命綱ともいえるそれは、しかし中々に教育的で経済的で支配的だ。
奉料が高い。とてつもなく。場合によっては首都に家が建つ。
命の代金といわれてしまえばそれまでなのかもしれないが、金貨の扱いに慣れているくらいでなければ借金を背負っての強制労働となるのがオチだ。身一つの基本額でもそれなのに、荷物の量に応じて驚くべき加算がされていく。滅多なことでは使えない。
風切音が鳴り、矢が木に突き立つ音の幾つかがそれに続いた。
【十時の方向、四本、命中一】
(おい)
【世間話よ。今日は矢の降る暖かさよねぇ?】
つくづく勝手なマフラーだと思う。今から夏場にもこれを巻く羽目になる自分が想像できる。
「おい、逃げるなら早ぇ方がいいぞ!」
冒険者風の男が戻ってきた。顔には焦りがある。左の二の腕に矢傷があって、しかもそれは赤く大きく腫れあがっている。毒だと? 馬は走るに任せてきたか。
「ただの野盗じゃねぇ……かなり訓練された連中だ。下手すりゃ魔法使いも交ざっているかもしれねぇ」
「魔法……僕、何で、魔法使えないの……家庭教師、いたのに……おぇ……何で? 魔法って、何?」
「知るかよ。何にしても話し合いの通じる相手じゃあねぇな」
「どうしたら……僕どうしたら……うぁ……おぅ……!?」
「飛ぶしかあんめぇ」
会話が成立している……のか?
冒険者風の男は身につけていたマントや革鎧を脱いでいく。剣も帯ごと床に置いた。おっと服までか。下着一丁でもって手に財布と認証を握り締めるその恰好は男らしい。少女が吐いた。
「俺ぁ、北行きだ。あばよ!」
片目を閉じて挨拶し、そして光って消え去った。あの姿と負傷なら奉料も多少は減額されるだろう。
「少しスッキリした……気分は最悪だけど、スッキリしちゃったよ! うら若き乙女として、失ってはいけない何かを盛大に失ったよ! 許さないぞ!!」
少女が威勢よく言い放った。よく見ると愛嬌のある顔立ちかもしれない。昔飼っていた猫を思い出す。容器と化した帽子を両手で持っている。
【あら、あの子の瞳は……】
耳元に聞こえた言葉は少女の啖呵によって遮られた。すっくと立ち上がり気炎を吐いている。
「僕は! メルクリン・バングランプは国の責任を問う! ここは街道! 国際都市行きの幹線の一つ! 乗客の払った乗車賃には街道の運営費が上乗せされていた! 銅貨四枚分も! ならば、かかる事態を招い……招いた……うう……うぇっぷ……」
吐き気の第二波に襲われたようだ。帽子を絶望的な目で見ている。容積の限度か?
【揺れの割に速度が落ちてきたわ。道が随分とぬかるんでるみたい。天然のものかしら?】
(魔法なら厄介だな)
【そうね。誰かを生捕るつもりってことになるもの】
もしもそうだとして、誰を狙った襲撃だろうか。
真っ先に飛んだ役人は荷を減らすこともなく認証を使用した。役人でも奉料免除の特権はないから、何か重要な任務にでも就いていたのかもしれない。
「そ、そごの……暑苦じい恰好の人……!」
【レンマー、呼ばれてるわよー?】
俺のことらしい。同じくらいの奴がいるのだが。隅っこのところに、頭巾を目深にかぶって俺と同様に季節感を無視している奴が。
「どこの登録か、教えて……お願い……」
この世の終わりのような顔で問うてきたから、赤マフラーをつまんで見せた。
赤色といえば西の赤鳳国に決まっている。十二歳になった年に国民戸籍に登録するための首都詣でをした。認証は納税の義務と引き換えに与えられる戸籍証明だ。
【アンタさ……声出すの億劫って考え、いい加減にしたら? 食事中のお父さんじゃなしに。ながら新聞も禁止。腹立つのよ】
(アイツは何を食べていても常にうるさかったぞ? 新聞って何だ?)
【サラリーマンなお父さんの話よ。新聞っていうのは「世の中報告書」のことよ。この世界にも都会には売ってるらしいわ】
(へぇ……新聞か。面白そうだな)
少女の表情も面白い。変な臭いを嗅いだ時の猫のような顔をしてジタバタとしている。
「ちょうど、ちょうどいい……一緒に、一緒に政府へ……証言ををを!? おひっ、おひあああああ!?」
一瞬の衝撃と浮遊感、そして天地が滅茶苦茶になった。客車の横転だ。汗臭い。さっき冒険者風の男が脱ぎ散らかしていった服を顔にかぶってしまった。迷惑だが剣でなくてよかった。
「おろっ、おるぉろろろろ!!」
二発目か……哀しくなるような音と臭いが束の間充満して、そして光の粒が舞った。思わず飛んでしまったようだ。荷が残されている。帽子はない。飛んだ先の惨状を思う。
【西へ飛んだわ。首都行きね】
(同国人か)
【アンタは混界人】
(変な言葉を作るのはやめてくれないか?)
マフラーへ息を吹き付けてやると、マフラー全体が突然に熱くなった。まさかの新機能だ。寒がりの俺でもこれは熱い。早々に謝った。
「う、うう……」
呻き声がもう一つ聞こえる。まだ飛ばないらしい。嫌な予感がしてきた。
「助けて、お父さん……!」
あ……認証を持っていないな、コイツ。
気づきたくなかったことに気づいてしまった。認証なしで旅する者の事情など暗いものしか想像がつかない。戸籍未登録者か、密入国者か、重大犯罪者か、逃亡奴隷か……いずれにせよ非合法だ。
そして同時に感動もしていた。
(父親が助けてくれると思うのか……この状況で)
【……亡くなってるのじゃないかしら。あの子、祈っているわ】
(それにしたって凄いだろう。父親に祈るなんて……!)
凄いことだ。
俺の知る父親という存在は、子の危機と見るや喜々として追加攻撃を加えてくるからな。