第15話 鎮鬼森/退却と出撃
「前衛は月照院殿だ。その類まれな突破力でもって退路を切り拓いていただきたい」
「心得た」
「左翼はリゼル、右翼はビームガンだ。それぞれに敵をいなすよう戦ってくれ」
「はい!」
「……おう」
「後衛はトゥエルヴだ。追いすがる敵への牽制を頼む。メルクリンはその補佐だ。両名とも≪身体強化≫の脚力をいかしてほしい」
「……ん」
「わかった!」
ロビアットがテキパキと指示を出している。既に荷物はまとめられ、あとは野営地である洞から出るばかりだ。
「最後に、レンマ・トキオンだが……」
視線が集まる。どの目も俺の肩と左目をなぞっていく。≪治癒≫はかけたが完治していない。特に白濁した左目は時間をかけて治療していかなければ視力も色も戻らない。
「お前は負傷者だ。戦闘に参加する必要はない。位置は中央、私の前だ。月照院殿の背を無理にならない範囲で追ってくれ。苦しくなればロビアットが魔法で援助する」
頷いておく。俺は今、体内の魔力を調整することで忙しい。
「試験を中断することについては各自思うところもあろうが、事態が事態だ。騎士団へはロビアットと月照院殿とでしかと説明をし、皆のこの判断が決して誤りではなかったことを証明してみせる。今は安全圏への脱出に専心するのだ」
魂鬼捕獲具は赤マフラーで背に固定している。
「また、守護外套の≪帰還≫使用については最後の手段とする。戦う者の矜持ということもあるが、何より万一にも不具合があった場合に取り残される者が出るからだ。軍であればそれも損耗と割り切るところだが、我々は未だ受験者にすぎない以上避けるべき決断だろう。使いどころを誤るな」
守護外套にかけられた≪防護≫の残存効力は、俺と月照院が渡された時のままで、次いでトゥエルヴとロビアットが僅かな減少で済んでいる。ライアスとメルクリンは残り七割といったところか。
最も被害を受けているのはリゼルだ。既に半減している。あの三日間の特訓で支払った分が大きい。本人もそれがわかっているのか、思い詰めた顔をしている。
「では……行くぞ!」
そして未明の退却戦が始まった。
まるで森全体が牙を剥いたかのようだ。茂みから、枝葉の合間から、岩の陰から、次々と魔物が襲い掛かってくる。
しかし、ロビアットの作戦が上手く機能している。
月照院の≪魔法剣≫は見事に尽きる。無数の風の刃を伴わせることで一振りに十も二十も敵を切り裂く≪嵐剣≫と、敵の防御はおろか木も地も諸共に打ち砕く≪崩剣≫とを使い分けて魔物へ大打撃を加えていく。
そのため側面を担当するリゼルとライアスの負担は少ない。どちらも拙さが目立つ戦いぶりだが、それでも守護外套の≪防護≫をさして減少させずに対処できている。ロビアットの風属性魔法が要所要所で二人を援護している。
【大物がいないのだけは救いだけど、これは……】
(魔物へ影響する魔法……恐らくは闇属性と獣属性の合成魔法だ。召喚術ではないのかもしれないが……)
【召喚術を使えない道理もないわね。大物が来るとしたら、そこには……】
(ああ、仕掛けるのはその時だ)
魔物の原へ分け入るようにして駆ける。
各自の気合い、魔法の詠唱、励まし合う声などが盛んに聞こえていたのは夜明け前までだ。東から世界が白み、日が天の高みへと昇っていくに従って、ただ破壊の音だけが鳴り響くようになっていった。
「クソ! こんな戦い、何の意味があるってんだ!」
ライアスが細剣だったものを地面に投げつけた。猪鬼を刺した際に刀身を折ったものの、奇妙な器用さを発揮して≪魔法剣≫らしきものを使ってはいたが。
「飛んじまおうぜ! そんな簡単に不具合なんてあるかよ! 何なら認証の方を使っちまえばいいじゃねえか! 騎士団の奴に外せとは言われたが、荷物ん中にゃしまってあるだろ!? そりゃあ、試験中の母国帰りなんて誰にとっても不名誉だろうがよ? こんな死に物狂いを続けるよかマシだ!!」
叫ぶなり、ライアスが懐から取り出したのは短杖だ。魔晶石が光っている。
「ラメッド・ヨッド・ガンマ・ヘット・タヴ、ヌン・ヨッド・ヌン・ガンマ……稲妻の力よ、伝わりて打ち倒せ!」
眩い光が生じだ。放電の枝分かれが側面上空から迫る大虎蜂三匹を捕らえ、地へ落とした。≪電撃≫だ。
「な、何だよ、皆して見んじゃねえよ。そうだよ、俺はこっちの方が上手くやれるよ。ウチは代々魔法特化の家柄なんだよ! 親父も兄貴どもも、皆そうだよ! だけど、だけどよ、『やれること』と『やりたいこと』が別だっていいじゃねえか! 悪いってのかよ! 俺が≪魔法剣≫に憧れちゃ!」
大虎蜂はまだ来る。ライアスは慌てたように詠唱を始めるが、遅い。
「ホワッチャア!!」
飛び膝蹴り、というやつだろうか。
見た目はその体勢だが実際には頭突きを命中させ、何やら空中でジタバタとしつつも二匹の大虎蜂を撃破したメルクリンが着地に失敗した。尻を打ったようだ。
「イタタ……別に何だっていいけどさ、任された仕事はきっちりこなす! これ、常識! 『やるべきこと』をやれない人間が何言ってもカッコ悪いからね! それって子供ってことだからね!」
「な、何だと!?」
「景気よくいこうよ! 趣味しかない男は話になんないけど、仕事しかない男だってつまんないんだからさ? やれるやれない別にして、『やりたいこと』も『やるべきこと』も全部バッチリやっちゃいなよ!」
ニッと笑う顔にも疲労の色は濃い。≪身体強化≫は持久力も強めるが、やはりにわか仕込みのそれでは限界があるらしい。
「足を止めるな! メルクリンはそのまま右翼を頼む! ビームガンは中央に寄って右翼の支援だ! この先に崖を貫く短い洞窟がある! そこで態勢を立て直す!」
ロビアットの言う地形には覚えがある。なるほど、そこで≪石壁≫を使うか。
「だ、だから、≪帰還≫を使えばって……畜生! いつだって俺の言葉は人に届かねえ!」
洞窟へ駆け入り、入った口と出る予定の口とをどちらも≪石壁≫で塞いだ時、真っ先に膝を着いたのは誰よりも魔物を討った月照院だった。さすがに疲労はするのか。
「腹が、減った……!」
勘違いだった。
刀の血油を拭うなり、背嚢から魚の干物やら豆やら芋やらと取り出していそいそと布の上に並べ始めた。
「リゼル、それにレンマ。これらをより美味しくしてくれ。月照院の名においてここに宣告する。胃の腑が喜べば喜ぶだけ、我が剣技は冴え渡るであろうことを」
「は、はい、わかりました!」
【月照院……というよりは、この娘の個性かしらね。アタシの知る月照院は少なくとも胡坐をかいて鍋をカンカン叩いたりはしなかったわ。澄まし顔で正座して手を叩く……あれ? やってること同じ?】
食事の時間が始まった。誰も無言だ。最も大量に食べている女以外は笑むこともない。
「……それで、どうなんだよ」
ライアスは手に紐つきの鉄片を握っている。認証だ。この場にいる者は守護外套とそれとで二種類の≪帰還≫発動手段を持っている。リゼルを除いて。
「こんなのどう考えたって緊急事態ってやつだろが。合格も不合格もあるかよ。戦う者の矜持ってのはわからなくもねえが、これ以上は意固地でしかねえ。さっさと飛ぶことを俺は提案するぜ。ああ、別に採用されなくたっていい。俺はもう外に出ねえ。飛ぶ。ただお前らがどうするのかを聞いておくってだけだ」
視線はロビアットへと集まった。一行の中で最も年若なその軍人は、腕組みをし、幼さの残る顔をしかめている。
「……これまでだな」
目を見開き、言う。
「ビームガンの言う通りだ。予想以上に魔物が多く、しかも極めて攻撃的だ。これ以上の戦闘継続は何が起こるかわからんし、そもそもビームガンが抜けては隊形を保つことが難しくなる。ロビアットも≪帰還≫を使うことを提案しよう」
「お、おう……そうかよ」
ロビアットの発言にライアスは戸惑ったような返事をし、メルクリンが大きく溜息を吐いてから「疲れたぁ」と声を上げた。
「しかしもしもの時のための備えはしたい。レンマ・トキオン、お前ならばここに取り残されたとして何日間の籠城が可能だろうか」
そんな、と声を上げたのはリゼルか。トゥエルヴの視線も感じる。月照院は満足げに腹をさすっている。
「……幾日でも」
「お前のことだ。大言とは思わん。ならば≪帰還≫の使用は最後にしてほしい。≪帰還≫に失敗した者が出た場合にはお前が指揮を執りここに篭ってくれ。成功した誰かが千年騎士団に救助のための出兵を要請し、きっと戻ってくる」
頷く。そもそも≪石壁≫を使えるのが俺だけだ。
【信じてるのか怖いのか……まあ、どっちもかしらねぇ?】
(どうでもいい……どうせ、籠城などしない)
【ま、そうね。気づいてる?】
(ああ……耳鳴りがする)
荷造りが改められていく。万一のために食料を全て置いていくからだ。魂鬼捕獲具はトゥエルヴが抱え持つ。落とさないようにとの配慮だそうだ。ロビアットは≪帰還≫に対して不信の念を抱いているようだ。
「では、飛ぶ。レンマ・トキオン、束の間のこととは思うが、後をよろしく頼む」
「レンマさん、あっちで……国際都市で、また会えますよね!?」
薄暗い洞窟の中に淡く光が生じ、そして消えていく。リゼルも無事に飛んだようだ。いざとなれば俺の守護外套を渡そうと思っていたが。
そして、ここには俺ともう一人が残った。
「お前……お前は飛ばない気だろう」
トゥエルヴだ。
「お前は、あの、鬼面と会うつもりだ」
会敵という意味なら、その通りだな。
「お前は……たった一人、本当に父様の子であるお前は……こんなにも特別に愛されたのに、愛されてるのに、父様の敵になるのか?」
訳のわからないことを言う。
確かにアイツの実子は俺だけで、生死の境を彷徨う育ち方をして、この胸には愛という文字で始まる致命的な呪詛の手紙を所持している。この手紙が欲しいわけでもあるまいに。
「答えろ……!」
【答えてあげなさいよ。ボコボコにしたんだし】
赤マフラーの内側で、少し笑う。
「魔導師は、俺の敵だ」
今更それを口にするのも滑稽な話だ。
「だが、あの鬼面も敵だ」
トゥエルヴ程度ならばまだしも……あの魔力の量と質、あの魔法の威力と圧縮呪文……捨て置けない。
「どちらも……」
この手で魔導師を討つという、その宿願を邪魔させるものか。
「……倒すべき敵でしかない」
情報も必要だ。隠れることが得意という魔導師を見つけ出すためにも、俺の知らないアイツを知る者からはどんな些細なことであれ話を聞くべきだ。
「魔導師を父と呼ぶお前は……アイツの居場所を知っているのか?」
「それを知って、どうする」
「討つ。そのために俺はいる」
「子が……子が親を、そんなこと……!」
「逆襲だ。親も子もあるか」
笑ってしまう。まるで俺が悪者のようだ。
「し……知っていても、言うものか……!」
「知らないのか。なら、用はない」
【……アンタって……】
耳鳴りが強まっている。
トゥエルヴ、お前以上に似ている奴が……俺にもアイツにも似ている奴が俺を呼んでいる。もうお前に構っている時間などない。
「な……何ぃ……!」
今度は逃さん。絶対に。
「この声……私は、何を聞いて……?」
この洞窟に至るまで、雑魚を相手に戦う六人を横目に俺は魔力を整えた。あの鬼面に言わせれば呪われた力らしいが、知ったことか。武器には強弱しか求めない。
もとより、俺はずっと暗い世界で生きてきた。ダンジョンはその極端な一例でしかない。
母さんたちの生きる明るい世界は、眺めるものだ。俺が大切に思ったものは生物だろうが無生物だろうが区別なく消えていくから、近づくわけにはいかない。
「こ、この光景……! お前……お前は……!」
どうしたトゥエルヴ。そんな“ネズミ”のような顔をして。
お前の顔はそう呼んでいた白毛の鼬を思い出させる。沢山の動物を飼ったが、特に可愛がっていたよ。“ネズミ”は。一年以上も一緒にいられたのは“ネズミ”だけだったからな。
俺は動物が好きだ。可愛くてしかたがない。だから消えていく。ある日突然に。
どうせあの魔導師が碌でもないことをやっていたのだろう。動物が消えると、決まって次の動物を用意していたからな。“ネズミ”の次は“ニク”……金色の毛並みの愛くるしい犬だった。半年で消えた。
「これは! こ、これが……!?」
ん? 何だ、この魔力は……ああ、俺の魔力が魂鬼捕獲具を反応させたのか。
それは精神感応を引き起こす魔道具だ。魂鬼というのは精霊に近い存在だから、精霊との契約がそうであるように、対話することが捕獲につながるのだろう。
【来たわよ!】
衝撃と震動、パラパラと降る小石交じりの土埃。魔法か、それとも何か大物を招き寄せたか。焦れたのかもしれない。耳鳴りが潮騒のように強まったり弱まったりしている。
入ってきた方へと歩いていき、石の壁に触れる。
「……礫よ、飛べ」
≪飛礫≫を発動する。そこに群がる魔物どもを無数の肉片と化すために。
壁が崩れて外の明かりが差し込んだ。血臭を嗅いで天気を見る。そういえば春だった。
守護外套を脱ぎ捨てる。お仕着せの≪防護≫は俺の魔法を阻害する。
「お、お前……!」
「我は風なり」
空へ。
赤マフラーをたなびかせ、俺の戦いを貫くために。