第14話 鎮鬼森/空戦と雷火
閃光、轟音、衝撃。
恐らくは≪雷光≫。さもなくば強力極まる≪電撃≫。どちらにせよ≪石壁≫で防ぎ切った。
【魔力感知! もう一発どころかもう何発も来るわよ!】
≪岩壁≫を何枚も発生させる。目と耳が役に立たなくなる中で破壊と防御が連続している。しばらくはもつ。もつだけの魔力を込めた。
トゥエルヴの腕を掴んで固い地面へと引き上げた。咳き込む首筋を押さえつけ≪治癒≫をかける。負傷箇所を考慮せず全身に。細かな調整などしていられない。
「お、お前は……!」
「野営地に戻れ。誰も外に出すな」
言って≪作煙≫を使う。辺りを灰色で覆う。これは撤退の援護と同時に攻撃へ転ずるのための一手だ。≪風撃≫を四方八方へ放つ。これも陽動。耳鳴りの聞こえない今、俺の位置は把握されていない。≪探単音≫。敵は直上から動かず。
【探知波来るわよ!】
≪命探≫は探知波の発信と受信とに時間差がある。情報を解析する間は攻撃魔法を使えまい。
≪飛行≫で空へ飛び出す。速度と高度を得る。敵を目視。
遠いがわかる。わかるぞ。わからいでか。
この尋常ならざる魔力の量、独特なる魔力の性質、魔法の威力、精度、速度……何もかもが証拠だ。アイツだ。魔導師だ。見つけた。俺は追いついた。
ブッコロス。
「≪追火弾≫」
二発の火球を放った。すぐさま≪飛行≫を再開して上空へ。もう二発。飛翔。更に二発。合計六発だ。一発でも命中すれば人体など四散させるぞ。
【飛翔体、大量に接近! これは……鳥よ!】
(何!?)
眼下の森から黒い群体が飛んでくる。普通の鳥ではない。剣尾烏の群れだ。≪召鳥≫で魔鳥を動かす……しかも群れ単位でだと?
「風よ、護れ」
≪風盾≫で鋭利な体当たりを防ぐ。数が多い。狙いを違えたところで四つの爆発が生じた。視界を遮られ動きの鈍くなったところへ剣尾烏が体当たりをしたのだろう。残る二発もこのままでは……また一つ爆発が。残り一発。
「……ちっ!」
その一発も制御しきれない。≪風盾≫と≪飛行≫を同時行使したままに操れるほど≪追火弾≫は易しくない。
【高魔力反応! また雷が来るわよ!】
(方向)
【二時、やや下!】
不正確でもそこへ火弾を向かわせる。爆発。しかし命中はしていまい。剣尾烏の群れが俺を襲うことをやめない。
【来る!】
「水よ、生じよ。力よ、留めよ」
≪作水≫で周囲に大量の水を生み出し、それを≪固定≫で空中に維持する。俺は水に触れていない。水塊の核に俺一人分だけ空間を確保した。周囲の剣尾烏たちは水の中だ。
光と音とが襲い来た。≪電撃≫だったか。≪雷光≫の下位たる≪電撃≫でこの破壊力か。しかし俺には通らない。≪固形≫を解く。夜空の水中に感電死した魔鳥たちが森へと降っていく。
【また何か呼んだわ……って、嘘、夜翼鬼!? これって……!】
(召喚魔法か……?)
召喚魔法。
獣属性の≪召鳥≫や≪召獣≫とは似て非なる魔法だ。その属性は二極。光属性であれば人類に益なす存在を招き、闇属性であれば人類に仇なす存在を招くという。
【一体……二体……三体! まだまだ出てくるわよ!】
(……ク……)
【魔力反応! ≪闇弾≫が来るわよ!】
「……クハハ、ハハハハハ!!」
飛ぶ。高く。俺の髪色のような雲を目指す。突入する。暗く塗り込められた空間を行く。
【≪闇弾≫は撃ち込まれてるけど、雷は来ないわ!】
さもあらん。雨雲の中だ。目晦ましであると同時に電気を拡散しやすい空間だ。
「ギュフ、ファレッグ、マンズ、ヒポクラム・バイル……」
小手調べはここまでだ。
「ラッド、ミカエルン・アウィス……」
一言一句にあらん限りの魔力を込めて魔法を編み上げていく。
「飛び行き追い打ち焼き砕け。緋の火、燕の炎、疾くも疾く」
目に物見せてやるぞ、異世界人。
骨の一本くらいは母さんに届けてやる。
「≪追火弾≫」
両手を広げ、魔法を解き放つ。狙いなどつけない。数だ。六発で通じないなら、その十倍でも二十倍でもお見舞いしてやるまでだ。俺の憤怒を乗せて、生じろ、火球ども。
【二十……三十……四十……五十、八! 何て数!!】
わざわざ数えたのか、赤いの。律義者だな。しかし五十八発か。百には遠いが、それでも鳥獣と魔導師一人を掃滅するには充分だろうよ。
雲の下へと落ちていく。一気に視界が開けた。
鬱蒼たる森林地帯の風景を背後にして……そこか、魔導師キョウヤ・トキオン。
お前は……お前は、何に、乗っている?
【何、あれ……え? 魔物?】
魔導師は≪飛行≫を使っていない。夜よりも黒い、巨大な何かの上に立っている。生物か無生物かもわからない。河原に転がる丸まった石がそのままに大きくなったような、一軒家ほどのそれは……何だ?
わからない。
わからないが、それ諸共に、くたばれ。
「行け……!!」
曇天を飛翔していた五十八発の火球が……俺の殺意が……一点へと殺到していく。
爆発。爆発。爆発。
夜も吹き飛べ。全部、全部、塵になってしまえ。
ああ……揺れる。空間が揺れている。≪飛行≫の制御が難しい。底力が抜けてしまった。頭痛もひどい。さすがに消耗したか。
だが、もうすぐ穏やかに眠れる……ようやく休める。
【馬鹿! 油断して!!】
何だ。今の音と衝撃は何だ?
赤マフラーだ。伸びたそれが何かを薙ぎ払った。襲い来る黒い触手。何だそれは。もう一本来る。二本、三本と来る。何なんだ、それは。全てを赤マフラーが迎え撃つ。相手に合わせ八又に分かれて戦っている。赤と黒の闘争が行われている。
「な……に……?」
魔導師が杖を掲げて立っている。
乗っていた黒い塊は大きさを縮ませていて、今は牛馬ほどの大きさでしかない。
【迎撃されたのよ!】
赤いのの声がする。
【≪電撃≫と≪水盾≫、捨て身の夜翼鬼たち、それにこの黒い触手! あれ、あの黒いの、人工精霊じゃない!? 親近感の湧く忠義と強さよね!】
しのがれたのか? 俺の渾身の魔法が……捌かれたのか?
【しっかりなさい、レンマ・トキオン!! アンタの魔法は確かに効いてるわ! 見なさい、魔導師は次の魔法を使えないでいるし、夜翼鬼もいない! 黒いのも触手を吹き飛ばされて小っちゃくなった! あと一息よ! もう一回やんなさい! 次で倒しなさい!!】
次……そうだ、次の魔法だ……呪文……くそ、思考がまとまらない。吐き気がする。鼻の奥に血生臭さがこびりついている。手足が痺れて上手く動かない。
【ちょっと、馬鹿、落ちてる! 落ちてるわよ!?】
≪飛行≫が維持できない。まずい。一気に大量の魔力を消費した反動だ。魔力が乱れて魔法を編めない。
「力よ、支えよ……!」
≪浮遊≫発動。しかし弱い。落下速度を殺しきれない。木々が迫っている。枝葉に突入する。バキバキと音がする。大小の枝に打撃される。しかし切り裂かれることはない。赤いのが俺を包み護っている。
「ぐっ……!」
肩から着地した。泥が散った。見れば剣尾烏の死骸が幾つか転がっている。
【鎖骨、ヒビが入ったわよ】
≪治癒≫を使う余裕はない。寸時も惜しんで魔力を整えなければ。赤マフラーが勝手に肩と背に撒きついてきて骨を固定した。痛みがやわらぐ。
また、耳鳴り。何をそんなに調べたいのか。俺の今をか?
【……来たわ!】
黒い塊が降りてくる。≪浮遊≫か。杖の魔晶石が淡く光を放っている。闇色の長衣をまとうその者は……何だそれは……青い仮面で顔の全てを隠している。
【何、あれ……鬼? 青鬼ってこと?】
青鬼。禍々しい仮面だ。憤怒とも苦悶ともつかない激情に顔を歪めた、亜人の鬼気迫る表情……声なくも慟哭が聞こえてきそうだ。
「素晴らしい……実に素晴らしい魔法であった。レンマ・トキオンよ」
女! 女の声だと!?
「目障りゆえ魔導師の尖兵ごと消してしまおうと思ったが……惜しい。あまりにも惜しいぞ、その猛々しき力。使い方、使いどころを誤っていることの何たる歯痒さよ」
袖から覗く手首の色は……青紫色。
「お前は魔導師を追っている……その手で討つために。そうだな?」
頭巾から零れる黒髪に隠されて、それでも奥に垣間見える長い耳。
「我と共に来い。その願い、お前の望む以上に叶えてやろう」
ダークエルフだ。
この女、エルフでありながら剛の属性をも操る妖精族だ。
「この世界のあるべき姿を乱し、己に都合のいい秩序を構築した者の罪は万死ですら生ぬるい。子に討たれる非業ですら足らん。そうは思わんか?」
恐るべき魔法特化種族……魔力の強大さは、あるいはそれで説明もつこう。
しかし≪隠飛翔≫を使えた理由は? その異質なる魔力は?
「魔導師の造り出した三種の邪具……認証、守護外套、そして鎮守大結晶。それらに支配されたこの世界を正そうではないか。異世界に汚された全てを洗い清めようではないか。これこそは世界正義……!」
魔導師ではないが、魔導師の何かを知っている。生捕るべきだ。
「我らならばそれができる。レンマ・トキオン。呪われた力を持つ我らだからこそ、できるのだ。この身を毒する異世界の力……忌まわしくも強大なこの力で、共に!」
存分に語れ。聞いていないが。
探せ、隙を。整えろ、魔力を。一撃で決める。狙うべきは杖だ。
(あの黒いのを任せていいか?)
【やったろうじゃないの。アタシの前で正義を口にした以上は容赦しないわよ。ぶうっ飛ばすわよ!】
(頼む)
加減はしない。≪風爪≫で手首ごと飛ばす。
「……紅ジャスティ子は我の正義が気に喰わんと見えるな」
「なっ!?」
全身に黒い何かが絡みついた。あの黒いのの触手ではない。影だ。俺の影から闇を伸ばして俺を縛る……闇属性の汎用魔法≪影縄≫。赤マフラーごと多重に拘束された。
「試作品の人工精霊を相棒にして、杖ともいえぬ杖を用いる……哀れなことだ。いかにお前が虐げられてきたのかがわかる」
この女は俺と赤いのとの会話を聞いた……あり得ざることだ。小声どころか半ば魔力の振動で会話しているのだから。何か仕掛けがある。
……十中八九、あの仮面だな。
あの仮面は『魔眼』だ。看破系か探知系かはわからないが、何か強力な魔法が込められた魔道具に違いない。
「もう一度言う。我と共に来い、レンマ・トキオン。我とお前との出会いは運命の必然。我とお前とは他人ではない。親子とも姉弟ともいえる存在なのだから」
黒い塊に乗ったまま、その女が近づいてくる。細い触手で蜘蛛のように歩かせているのか。浮かせることをしない……黒いのの重量……≪影縄≫に供給され続ける魔力……。
「ふむ。随分と風変りな口説き方よな。奇怪極まる」
凛とした声が場を貫いた。
「そしてその面妖なる鬼面……近頃巷では魔物の大量発生と異常行動が問題視されておるが、その現場ではしばしばそのような面を被った魔法使いが目撃されると聞く」
泥の上にも足音一つとて立てず、黒髪の剣豪が悠然と歩いてくる。
「月照院……推参なり」
何の偶然か、まさに雲間から月明かりがこの場へと注いだ。
【そういう奴なのよね……何だかそうなっちゃうのよ。ああ、ほら見て、あのドヤ顔……やっぱり月照院は月照院なのね。美味しいところを持ってく生き物なのね。く、悔しいけど……カッコいい……!】
歯ぎしりは赤マフラーから聞こえたのか、それとも鬼面の女から聞こえたのか。
「月照院……代は替われど、その嗅覚は継承されるというのか……!」
「笑止。ああも戦の音を轟かせておきながら、どうして事が隠密に運ぶと思うたか」
「く……怯えて穴倉に篭っていればいいものを!」
「それこそ、笑止千万。誰に向かって申しておる。我こそは月照院なるぞ?」
「減らず口を……!」
【……何か、魔法の質だけじゃなくて……こう……苦手意識も似てるのかしらね? 月照院が調子に乗れば乗るほどに、あの青鬼仮面、カッコ悪くなってない?】
急にかしましくなってきた。しかし絶好の機会だ。
無言詠唱をもって……≪解呪≫。影でできた縄を霧散させる。そして。
「火よ、薙げ!」
「電よ、打て!」
俺の≪火薙≫と鬼面女の≪電撃≫がぶつかり合った。魔力は拮抗しても性質の違う破壊は通り抜ける。頬が、肩が、電気の糸に打たれて引き攣った。向こうはどうだ?
【アンタの魔力の流れを“見られた”わ! さもなきゃ今の、相打ちになるわけがない!】
黒い塊が跳躍した? 足が痙攣して立ち上がれない。感電していたか。だが逃すものか。
「風よ」
「早まるな」
肩を掴まれ押さえられた。月照院か。邪魔する気か。
「見よ、空には魔鳥の大群が集まりつつあろう。聞け、地には魔獣の駆ける音が無数に響いていよう。そしてお主は重傷だ。気づいておらぬのか? 肩は裂けているし、左の瞳は白く濁っておる。戦える身体ではない」
振り払おうにも凄まじい腕力だ。
「今は退くぞ、レンマ。皆も心配している。その皆を魔物どもから護るためにも、退くのだ。これは敗退にあらず。お主の炎は彼奴めを焼いた……再戦の機会は必ず訪れる」
小脇に抱えられた。そのまま有無をいう暇もなく運ばれる。木々の風景が高速で流れていく。とてつもない速さだ。どういう身体能力をしている……≪魔法剣≫を使う以上、≪身体強化≫は使えないはずだぞ?
【気にしない方がいいわよ……月照院なんだから、コイツは……】
今は……これまでか。
運ばれながらも、俺は腰の袋から黒い飴玉を取り出した。舐める。
今はこれまででも……次はすぐに来る。それはわかっている。わかっているから。