第13話 鎮鬼森/進軍と対決
鎮鬼森に入って十日目となった。
日差しは未だ慎ましやかで、木々の鬱蒼が煙らせるものか視界には靄がかかる。肌寒さが赤マフラーに覆えない頬を撫でていく。
前方には月照院とトゥエルヴの背嚢を背負った後ろ姿が見える。左側にはリゼルの緊張した横顔が、右側にはメルクリンの眠そうな横顔が、それぞれ見て取れる。後方からはロビアットとライアスの足音が届く。
【どう? 護られて進む気分は】
(背中が痒い)
【こうもジロジロ見られてればねぇ……】
溜息を一つして、両手に抱えている金属器を持ち直す。魂鬼の捕獲具だ。ロビアットに着用を推奨された守護外套も息苦しい。
俺は何に対して息を潜めている?
思い出されるのは昨夜のロビアットの宣言だ。
「レンマ・トキオンの働きにより深部への道が判明した」
焚火を囲う面々を前にロビアットは力説した。
「そここそが魂鬼の居所として最も可能性が高い場所だ。持参した物資にも限りがある。明朝より一気に深部を目指したいと思う。ついては本日までのレンマ・トキオンの功労と消耗を鑑み、戦闘斥候の役割をこれまでとしたい。万一の時はまたその力を発揮してもらうとして、ひとまずは隊内にて待機を提案する」
この魔物が跳梁跋扈する森林地帯において待機とはどういうことかと思えば、これだ。
【とにかくアンタが怖いみたいね、この軍人娘は】
(怖い……)
【何しでかすかわからなくて不安なのよ、きっと。言ってたじゃない。敵も味方も混乱させる的なこと】
(……魔物扱い、か)
【あながち見当違いでもないかもよ? 非常識な力を持つ者が他者へ無関心でいる……それって危険物以外の何ものでもないわ】
振り返り、ライアスを見た。
目が合ったことに驚いたのか顔を歪めて、顔を背けた。小さく舌打ちもした。
(機嫌が悪そうだ)
【そうね。アレがご機嫌に見えてたら、アンタ、自分で自分に≪呪縛≫でもかけてることになるわ】
(俺は魔法の無駄遣いをしない)
【効率は大事ね。でも「やるべきこと」しかやらない人間ってつまんないのよ。もっとこう、命懸けで女湯覗いたり、全力で夕日に向かって走ったり、拳で友情語ったりとかしてみたら? 「やらなくてもいいこと」って、大概、やってみると面白いから】
赤いのはたまに意味のわからないことを言う。
特に魔物との遭遇もなく一行は進み、日は傾いて……ロビアットが早々と野営を提案した。
森の深部に入ったかどうかという地点だ。植生の濃さもあって辺りは薄闇に包まれている。
「火はいかん。何ぞ潜むものの気配がある」
月照院があらぬ方を見つつそんなことを言った。
勘か。しかし魔法使いの勘は馬鹿にできない。
探ろう。≪命探≫にしろ≪探単音≫にしろ、使うなら一行から離れてからの方がいい。探知波を感知する敵であれば野営地の所在を晒すことになる。
「待て、レンマ・トキオン。ここは既に深部だ。単独行動は魂鬼を逃すことに繋がりかねん」
守護外套を脱ごうとしたところでロビアットに止められた。
「慎重を期するためだ。むしろ≪避魔≫の結界を敷設するためにこそ助力してほしい。お前が魔法使いであることはわかっている。杖を見せたがらないこともな。それでも今は共通の目的のためにお前の魔法を使ってほしい。実のところ、ロビアットは敷設魔術はそう得手ではないのだ」
真摯な態度だが、明らかに俺を警戒している。小さな唇がきつく結ばれている。
首が妙に温かいな……さて。
「下がっていろ」
六人に背を向けて、巨木の根が地表へ盛り上がったところへ両の手を向ける。
【やっぱりアレ? 男部屋と女部屋とは分けて造るわけ?】
(意味がない)
【覗く楽しみについて話してあげたばっかなのに、アンタってホントにつまんないわねぇ】
魔法を使う。≪気成≫と≪根動≫の同時行使だ。土を空気に変えつつ根を変形させていく。七人分の空間を造っていく。≪石成≫を使わずとも根で包むように成形すれば柱要らずの頑強さになるだろう。半球形に根を編み上げる。床は平坦に……ここは≪土動≫と≪石成≫が無難か。
【いっそダンジョンでも造っちゃえば?】
(馬鹿なことを。魔力も続かない)
【そうかしら? アンタの父親にできたことだもの。挑戦してみたら?】
(アイツだって何かしら魔道具を使ったはずだ。規模もだが、壁も床も破壊できないほどの強度だったんだぞ)
【……愛情たっぷりねぇ】
(愛って何だろうな)
根と根の間に切れ目のようにして開けた出入り口へ降りる。≪照明≫を天井の中央に弱くかける。後は細部の仕上げだ。火を使わないのなら排気口は小さなものでいい。肝心の≪避魔≫については輪を立体的に交差させて三重に敷設だ。
【あーあ……センスを語る以前の味気なさ……圧倒的なまでの素っ気なさ……最後に匠の粋な遊び心を加えてみるとかは?】
(一晩を過ごすためだけの空間だぞ?)
【暖炉とか、小粋なサイドテーブルとか魅惑のソファーとか。あ、そうだ、トイレは?】
(魔導師の隠し部屋と一緒にするな。俺はふざけない)
扉代わりの垂れ根をくぐり、外へ出た。六人は何をするでもなくただ待っていたようだ。ついてくるよう促す。
次は食事か。火を使わないなら≪加熱≫頼みの調理になる。それも俺だ。
「凄ぉい! 凄い凄い凄い! 魔法ってこんなこともできるんだ!? これ建築に使えば大儲けじゃん!! あああああ、どうして僕は魔法の使えない魔法使い……ん? ≪身体強化≫で掘れるかな……?」
「やっぱりレンマさんの魔法には驚かされます……ここ、もう野営地っていうよりは避難所とか拠点とかいったほうがいい感じですね。あ、柱の代わりに根が使われているんですか……凄い……」
メルクリンとリゼルがペタペタと壁や床に触れている。
「ほぉ……何と見事な……!」
月照院が楽しくて堪らないといった風に声を上げた。
「魔法建築は東でも盛んなれど、これほどの技は目にしたことはおろか耳にしたこともない。土の精霊使いとて真似できまい……いや、あるいはこれこそが精霊魔法というものか?」
好奇心に満ち満ちた表情でそんなことを問うてくる。馬鹿なことを。精霊魔法とは魂に刻まれる唯一無二の魔法だ。一つきりしか会得できないものだ。洞穴を造るためだけの精霊魔法などあるか。
「ば、馬鹿な……!!」
「う、嘘だろ……!?」
似たようなかすれ声を絞り出して、共に腰を抜かしているのはロビアットとライアスだ。
「何という、何という威力と精密さなのだ……!! 土属性と木属性の魔法を同時行使したのか? それとも合成魔法なのか?」
「合成魔法じゃねえぞ……合成魔法ってのは専門性は高いが応用性には欠けるもんだ。この状況に合わせて、こうも的確な造りにできるはずがねぇ……それに、恐らく主に使われたのは≪気成≫だ。入り口から空気が噴き出てたじゃねえか」
震える声で互いの顔も見ずに話し合っている。
「なるほど……土砂が出ていないこともある。風属性と木属性の併用だったか……」
「まあ、床は土属性によるもんだろうが……」
「……夜、遠く響いていた爆発音があった」
「……ああ、ありゃ火属性だろうよ。≪爆破≫にしちゃ地の揺れがなかったから……それもあるいは……」
「いずれにせよ、四つもの属性の魔法を、それぞれにかくも強力に扱うというのか……!」
「そういうことにならぁな……とんでもねぇぞ、畜生が……!」
二人は身を寄せ合っていき、手が触れた。ライアスは悲鳴を上げて飛び退き、ロビアットは不思議そうな顔をしてそんなライアスを見ている。
そして……射殺すような眼光を俺へ向けている者がいる。トゥエルヴだ。
【魔力の高まりを観測したわよ】
(そうか)
トゥエルヴはどこか俺に似ている。
性別は違うし、体格や見た目が似ているわけではない。魔法に特化した俺と≪身体強化≫を使うトゥエルヴとでは魔法使いとしての立ち位置も対極といっていい。
それでも似ている。
だから何とはなしにわかる。
(……やる気か)
【いきなりどうしたのかしらね。あんなに敵意をむき出しにしちゃって】
(敵と判断したんだろう。迎撃する)
今ここでは戦わない。しかし今晩の内だ。
「レンマさんってこの試験を受ける必要があるんでしょうか? あの怖い仮面の人だって、レンマさんには絶対に敵わないと思います」
「千年騎士団の幹部って精霊使いばかりって話だよ? まあ、精霊魔法がどんなものか僕知らないけど、強いんじゃないの? 魔王討伐の時にも精霊魔法が決め手だったっていうし」
「英雄小隊にも千年騎士団から『雷帝』と呼ばれる精霊使いが参加したと聞く。その実力たるや、我が師、先々代の月照院をして『敵に回せば最も恐ろしい女』と言わしめたほどぞ」
「女……あの骸骨仮面の人だったりして。幹部っぽかったし」
「雰囲気、凄かったですもんね」
リゼルたちの声を聞き流しながら、今も俺を睨むトゥエルヴの表情を思う。
俺もあんな顔をすることになるのだろうか。魔導師を目の前にしたのなら。
さても夜は更け行く。
≪作水≫と≪加熱≫でリゼルの料理を手伝い、メルクリンに魔法の利便性を熱弁された。ライアスとロビアットは再び唸っていた。月照院が満面の笑みでお代わりを重ねていた。トゥエルヴは食事もそこそこに毛布を被った。俺もまた壁を背に深夜を待った。
灰色の雲群れて月も隠れる暗闇の森……野営所から抜け出た俺を、トゥエルヴが待ち受けていた。互いに守護外套を着ていない。
「お前……お前の魔法は、普通のものとは、違う」
初めて声を聞いたな。
「お前は、特別な力を持っている。それなのに、安全に、護られてた……この世界で」
薄水色の瞳が冴え冴えと輝いているように見える。怒りによるものか……いや、魔力だな。体内を巡るそれを増大させている証左だ。
「どうして……どうしてお前だけが、こうも、愛されてる?」
無駄口を叩いているが隙は見せないな。≪身体強化≫の使い手は厄介だ。動きが速い上に魔法抵抗力が高いから、魔法を放つ機会を見極めなければならない。
「お前は、いらない」
声が震えている。
「私が、いればいい。お前など、表へ出てくるな」
圧力を伴った存在感が放たれている。≪身体強化≫の度合いを思えば既に間合いの内か。
「私の……私たちの父様だ! キョウヤ様は!」
やはり一息で攻撃できる距離だった。
地を蹴り急速に迫るトゥエルヴの、その握り拳に必殺を信念を感じる。
「岩よ、立て」
≪石壁≫を発動する。隆起する岩石の壁は盾であり目晦ましであり、乗り物だ。つかまっておけば木々の枝葉の高さにまで運ばれる。
母さんでなしトゥエルヴにはこの岩石を塵にする破壊力などあるまい。迂回するよりない。そら、短距離の跳躍を鋭く繰り返して壁のこちら側へと回り込んだ。俺を見失って周囲を見回す。隙も隙だ。
「礫よ、飛べ」
≪飛礫≫を発動する。岩石を材料にして大小様々な石を数百個ほど飛ばす。速度は矢を超えさせ、隙間なく密集させもした。
トゥエルヴは後方へ跳んだが、二十発は被弾したようだ。着地もできず地を転がった。
「土よ、水を成せ」
≪水成≫で俺の足もとからトゥエルヴ周辺までの土を水へ変じた。発動速度を重んじたから真水ではなく泥水だ。しかし深さはトゥエルヴの身長の三倍はある。底なし沼だ。動けまい。速いが跳べども飛べない。簡単な弱点だな。
【……勝負あったわね。あの子、怪我をしてるわ。抜け出すどころか、放っておけばその内沈むわよ?】
赤いのの声に頷く。≪水歩≫を発動する。もがくトゥエルヴのもとへ静かに近づいていく。
「魔導師の名を、口にしたな?」
泥に染まった白毛を見下ろして、問う。
「知っていることを話せ。そうすれば、命は助ける」
泥の飛沫が散るばかりで返答はない。眼光は鋭さを失っていない。
「そうか。ならば無理にも、聞く」
≪呪縛≫を使おう。俺に服従するよう心を縛ろう。その後はゆっくりと精神に作用する魔法を駆使して情報を引きずり出せばいい。心が壊れるまで徹底的……に……?
【何、どうしたの? やめるの? やっぱり正義的にこれはないかなーって気づいた?】
(静かに)
耳鳴りがする。これまでにないほどの音量だ。潮騒のように寄せては返す高音……これは。
探知波か。
≪探単音≫を使った際に生じる、あの魔力干渉を原因とする音だ。トゥエルヴや赤いのには聞こえていない。俺にだけ聞こえる。何者かが俺だけを精査している?
空を見上げた。理由はない。勘だ。
いる。
そこにいる。
俺の直上、夜の雲間に覗く深淵を背景にして。
これは……この魔法は……完全に姿を消して空を飛ぶ、この合成魔法は。
「≪隠飛翔≫……だと……!?」
月光が差し込んで……今そこに、闇色の長衣を着る人影が現れた。