第10話 鎮鬼森/移動と分析
馬蹄と車輪とが硬い音を立て続けている。
目を閉じ、日暮れ前には到着するのだろう森林地帯を思い描く。
「うう、どうしよう……僕、勢いだけで決めちゃった!」
「私は迷わず選択しましたけど、その、実戦経験が……」
「あんな言い方されたら逃げますとか言えないし、魔法使いの減税率ってばウマウマだし?」
「お父さんが教えてくれた戦技……どこまで私に……」
メルクリンとリゼルがささやき合っている。
「ふふふ……心配はいらないよ、二人とも。このライアス・ビームガンがいる限り、たとえ大鬼が来ようが戦鬼が来ようが、二人の肌には指一本とて触れさせないさ……くそ、清いまま死にたくねぇし、兄貴どもに目に物見せるまでは死んでも死にきれねぇぞ、畜生……」
ライアスは床に向かってブツブツと言っている。
【しょうもない連中ねぇ……どうする気?】
(どうもしない。いつものようにやる)
【ま、結局はそれが一番いいのかもしれないわね。どうせ命の危険はないんだし】
赤マフラーの内側に深呼吸する。心身を休めるための眠気を招く。馬車に揺られるこの時間は貴重だ。
とりとめもなく記憶が浮かんでは消えていく。
思い出されるのはあの白い部屋での茶番の結末だ。
「ほう、全員が薦められざる選択をしたか。これは重畳」
不死者を装うモーデンキアは厳かに言ったものだ。
「ならば早速に死地へと向かってもらおうか。行く先は魔物の跳梁跋扈する『鎮鬼森』、目的は彷徨える魂鬼を捕獲することだ。森に入ってからの行動は自由とする。せいぜい寒くなる前に戻ることだな。冬には次の魔法適性検査がある。森の民として先輩面をしたいというのなら、ま、それも自由だが」
高らかに笑い、部屋を出ていった。赤いのがしきりに感心していた。茶番だ。
その後は別のまともな恰好の団員がやってきて、試験会場たる森へ向かう馬車が既に用意されていることを告げた。こちらの事情を忖度しない手際だった。
意識を今に戻し、薄目に車内を見まわす。
【寝ないの?】
(寝ようとは思ったんだが)
受検者から受験者となることを選んだ七人は、まるで制服のようにして同色同形の長外套を羽織っている。紫紺の長外套……入団に先んじて貸与された、千年騎士団の『守護外套』だ。
守護外套とは強力な防御の魔道具だ。
各種魔法への抵抗力を有し、生半な呪詛や小威力の攻撃魔法などは跳ね返してしまう。物理的な攻撃に対しても≪防護≫の機能が続く限りは刃はおろか衝撃すらも通さない。防具というよりは特殊な魔法として捉える方が正解だ。
たとえ被害が累積して≪防護≫が破れたとしても、自動的に≪帰還≫が発動して登録先の鎮守大結晶へと装備者を逃がす。認証以上の機能だ。意識的にも発動させられる。
それら機能は鎮守大結晶への登録が必須条件となっており、鎮守大結晶の規模により同時に起動していられる枚数が決まる。まとう者は優れた魔法使いであることが専らだ。
つまりは守護外套の起動数はそのままに軍事力の指標となる。
この世界に鎮守大結晶は五つ……四国それぞれの首都と、国際都市だ。それぞれの国色をもって染め上げるそれを、国際都市ではこの色に染めている。夜空の深淵を思わせる色に。
【どうしたよの、そんなに嫌そうな顔をして】
(この外套……息苦しい。胸がムカムカする)
【アンタ、それ、認証にも言ってたわね】
(アレは気持ちが萎える。コレは落ち着かない。どちらも俺の魔力を乱す)
【その感覚、大事よ? けど今は着ておきなさい。『郷に入らば郷の猿真似』よ。何かをすることと同じように、何かをしないことでも人間は目立ってしまうものなの。気配りは忍術よ】
(……わかった)
背嚢から水筒を取り出し、唇を湿らせた。
【皮肉な話よねぇ。ダンジョンで用意されてたのは使えもしない金貨と木の棒だけだったのに、お金の使える地上じゃ実用品を支給される。冬の地下を寒そうなパジャマで戦ってたのに、春の森は暑そうなマントで戦うことになる。笑うところかしら?】
(油断すれば死ぬ。それだけだ)
【わかってるじゃない。むしろ油断させて隙をつきなさい。アンタにはそれができるはずよ】
誰の、とはいちいちに口にする必要がない。俺と赤いのとは同じ人物を討たんと志している。
「一つ、試験場へ到着する前に確認したいことがある」
車中に響いた声は、桃色髪の少女ロビアット・ジャンジャックのものだった。
「魂鬼捕獲用の魔道具が一つしか支給されなかった以上、我々七人は隊を組みこの試験に挑むことになる。一致団結は絶対条件だ。そして千年騎士団が精鋭集団であることを踏まえれば、高い水準の結果を出すべく、各自の特性を活かした役割分担が必要になる……ロビアットはそう考えるが、皆の同意を得られるだろうか」
堂々たる態度だ。目が合ったので頷いておく。
「感謝する」
大仰に腕を組んで、ロビアットは話を続けた。
「さて、隊員の戦力を把握することは軍務において必須の作業だ。そこでこれより各員の戦力についてロビアットが分析した内容を述べるが、作戦成功率を上げる以外の意図はないことを各員には留意されたい。そして誤りあらば積極的に発言し、正確な相互認識をここに確立しようではないか」
【ああはいはい、黒竜国の軍人だわ、このちっちゃいの。そのうち国歌歌い出すわよ】
(国歌?)
【いざ進めとか、覚悟しろとか、我ら万歳的な歌よ。無駄に八番くらいまであんのよ】
咳払いが聞こえた。「ロビアットの分析」とやらが始まるようだ。
「まずはロビアット自身の戦力を説明する。魔法に特化している。使える魔法の数は二十を超える」
(二十……合成魔法を、ということか?)
【汎用魔法に決まってるでしょ。二十なんて優秀じゃないの。百も二百も使えるアンタが異常なのよ?】
「得意属性としては風だが、軍務に必要な魔法は概ね使えるつもりだ。≪治癒≫が使えることも先に伝えておく。負傷した際はすぐに申告してほしい」
おお、と声が上がった。リゼルたちだ。
「凄い……ジャンジャックさんは『治療師』なんですね!」
「それは違う。治療師を名乗る者とは少なくとも≪治癒≫、≪解毒≫、≪快気≫の三大回復魔法を使いこなす。多くは≪鎮静≫や≪覚醒≫も使うし、中には≪払呪≫を使える者もいると聞く。今挙げた中では≪治癒≫しか使えないロビアットを治療師と呼ぶことは誤りだ」
そう言いつつもロビアットは得意気な様子だ。どことなく昔飼っていた兎を彷彿とさせる。
(俺は治療師だったのか)
【治療師でもあるだけよ。師職も色々とあるけど、アンタにはどうでもいい話じゃない? 普通、治療師は火の魔法使わないしね】
確かにそうだ。社会的な区分などどうでもいい。
「武器は杖を使う。これだ。それと呼称についてはロビアットで頼む。軍階級の付属しない家名で呼ばれると、家族の内の誰のことかと混乱する」
「おお、軍人さんの家なんだ。僕んとこは家名で勝負してるけど、軍じゃそうはいかないよね。ロビアットはどんな階級だったの?」
「中尉だ。機動兵中隊の副隊長を務めていた」
「はー、道理でテキパキとしてるわけだ! 頼もしいね!」
メルクリンの声に紛れて、それは聞こえた。
「……けっ、お子ちゃまが尉官かよ。どうなってんだ、北の蛮国は。とち狂いやがって」
ほう、と呟いたのは誰だろうか。
「何だ? 質問があるのなら大きな声で言うがいい、ライアス・ビームガン」
ロビアットは楽しげに言った。
「そう……蒼龍国の『咆哮』らしくな」
「やめろ。それは親父や兄貴たちのことだ。俺には関係ない」
ライアスがロビアットを睨み上げている。怒気が身体を膨らませている。
「そうか。家出か家逃げか知らんが、勇猛なる男爵家にも名乗り手が増えればそういう男が交じるのだな」
「家柄を豚の品種くらいにしか考えられねぇ蛮族の言い草だぜ。反吐が出る。クソが」
「ふむ、噛みつく気概はあるのか。言うなれば『遠吠』といったところか? 何の、とは言うまい。ロビアットは軍人だ。結果を見るまでは何事も断じない。期待する。分析した内容を述べるならば、お前は戦場と劇場の区別が曖昧な夢想家だ。適性の有無まではわからんが、まずは実戦に試されることだな」
「テメェ……舐めやがって……!」
「お前こそロビアットの目を侮らないことだ。新兵は見慣れている。たとえ我が国と蒼龍国に魔王戦以前からの長い対立の歴史があるとはいえ、このロビアットを相手に啖呵を切ったお前には見所がある」
何も言えなくなったライアスをそれ以上相手にせず、ロビアットはリゼルの方を見た。
「リゼルといったか。お前は新兵の大多数と同じ様子をしている。未知の己へと向けた期待と不安で震えている。支給品として長剣と丸盾、鎖帷子を選択したのは魔法が使えないからだな? しかも実戦経験がない。それはつまり、戦力としては最も当てにならんということだ」
リゼルは唇を噛み、うつむいた。
「そう辛そうな顔をするな。この試験に選抜されたのだから、きっとロビアットには見抜けない才能を有するのだ。それを見極めるまでは無理を避けろ。魂鬼の捕獲具を持つというのはどうだろうか。荷物持ちといってしまえばそれまでだが、護る対象は一つにまとめた方がいい」
頼む、と真っ直ぐに乞うロビアットへリゼルは笑みと頷きとを返した。
捕獲用の魔道具は壺とも鐘とも言い難い形状で、抱え持つにしろ背負い縛るにしろかさばる代物だ。誰か一人の手が塞がる。リゼルがその役か。
「やー、何か納得しちゃったところ悪いんだけどさ? 僕、もっと当てにならないと思うんだけど。だって戦闘訓練とかしたことないし……商談を戦いっていうのなら、そこはもうお任せあれだけど」
アハハ、と笑うメルクリンに対して、ロビアットは首を振った。
「メルクリン・バングランプだったか。ロビアットの見たところ、お前には≪身体強化≫の才がある。魔力を体内に循環させる者特有の輝きが感じられるのだ。無自覚、無開眼のまま千年騎士団に見込まれるとは末恐ろしいことだな。誰かその道の練達者が教導すればすぐにも戦力になるだろうが……」
チラと視線を投げた先には、白毛の女が膝を抱えている。注目されたとてまるで動じない。
「……トゥエルヴといったか。≪身体強化≫の使い手だろう? その気配の希薄さ……日常においては魔力の消耗を温存しているからだ。その技術、初めて見るわけでもない」
(へぇ……母さんはそういうことしていなかったな)
【は? そりゃアンタが『閃光』のハイメルシアを知らないだけよ】
(……何だって?)
【アンタの母親が力をセーブしなかったら、ま、家事で家財が破砕爆砕大災害ね】
聞き流しにできない話だが、トゥエルヴと呼ばれた女がまた俺へ視線を寄越している。その薄水色の瞳と見つめ合う。何だ?
「できれば協力してもらいたいが、≪身体強化≫の使い手は独自の流派や伝統を重んじる者も多いと聞く。無理強いはできない。しかし共に戦うことはできるのだろう?」
トゥエルヴはただ僅かに顎を引く動作をした。俺を見据えたままだ。
「月照院殿が強者であることは知れている。周知の必要はないだろう」
ロビアットの言葉にリゼルたちが弾かれたように首を動かした。紫紺の長外套で東国の服装を覆った黒髪の女は、悠然とした態度で微笑んでいる。
【へぇ! この子が当代の月照院なんだ!】
(……名前なのか?)
【アンタ時々悲しくなるくらいに物を知らないわよね……東方白獅国で三年に一度開催される、十代限定武術大会の優勝者のことよ。男の場合は日光院、女の場合は月照院と呼ばれるの。将来を嘱望される超エリートってわけ】
(強いのか)
【多分ね。何代前になるかはわからないけど、アタシの知ってる月照院は魔王討伐パーティーの主力だったわ。アンタの父親が戦場を滅茶苦茶にしたところへ月照院が突撃するってのが必勝パターンだったもの。四国無双とでもいうのかしらね、ああいうのって】
改めて、本名も知らない月照院という女を見る。≪魔法剣≫の使い手か。剣の柄に埋め込まれた魔晶石を見ればそれがわかる。
「最後に、お前だが」
ロビアットが俺を見ている。
「レンマ・トキオン。お前は何者だ? ロビアットにはまるでわからない。強者であることは推し量れる。しかしそれだけだ。他は見当がつかない。まるで……」
少しためらってから、その桃色髪の軍人少女は言った。
「……まるで、新種の魔物と遭遇したような気分だ」