女神は重すぎる
「は、はい、これ今日のお金」
怯えたように男を見る女は貨幣袋をおずおずと差し出した。
受け取る男の指は女のように細い。見れば顔立ちも男らしいというよりはフェミニンな感じもする。なで肩で少し日に焼けている。
「おう、ありがとうなぁ」
「ひっ、ご、ごめんなさい! す、少なかった?」
過剰に怯えながら顔を隠す女に男は慣れた手つきで女の豊かで黄昏の黄金を思わせる髪を撫でる。
「大丈夫だって、十分十分。ってか怯えるほうが傷つく」
冗談めかしていっているが女の方は謝り倒している。
低姿勢も度を越していれば反感を買う。男としても慣れてはいるが、今日が大事な日だったためつい手近にあったナイフで女の頬を叩いた。
「黙れよ」
「ひっ」
「今日も勝ってくるから、あ、飯用意しててくれよ、一緒に食べようぜ」
女はコクコクと頷かせ、男は女のもとから去った。
「ねぇ、あんなのどこがいいの?」
男が家を出門をくぐり抜けようとすると後ろから抱きしめられた。
「あんなの、って言うなよ」
男は乾いた笑いを浮かべながら声の主から体を引き剥がした。
「フェリクスって女の趣味悪すぎぃ、貞淑って言っちゃう? あれ根暗だよ」
女の陰口に男は不快な思いはしない。共感を覚えるし事実であるからだ。
「でも、身体はいいだろ?」
「それ、他の女の前で言わないほうがいいよ」
「嫌だ、言うね、ミリアのちっちゃい胸も嫌いじゃないぜ?」
「笑いながら言うなし」
ミリア、と呼ばれた女は子供のように頬をふくらませて男、フェリクスから離れた。
「レアザは?」
「もう行ってるよ?」
「じゃあ行くか」
カジノへ、フェリクスの狼に似た笑みを浮かべ歩を進めた。
――レイダーズ・カジノへようこそ!
――お客様いつもありがとうございます!
――上着をお取りします、ッ……!
――あ、いえ、失礼をいたしました。
フェリクスには左手がない。利き手は右手だったため通常の手の欠損に比べまだ、障害は少ないと本人は思っている。
ただ、カジノをやるとなると話は変わってくる。カジノの花形のポーカーやブラックジャックではカモと思われても仕方ないだろう。
だから、彼は運命の輪の前に座した。
――おい、十九番の右手だけの客に要注意だ。
――ありゃ、なんかしてる。
――あぁ、勘だよ。根拠はない。
――ただ、ギャラリーがルーレットに集まっている。
――サマ師だとしたら配当金についてとか特別なテーブルが有るだとか言って引っ張りゃいい。
フェリクスは順調にチップを増やしていた。
そして、自分が目をつけられつつあることも気がついている。
ギャラリーの中に不穏な視線が複数集まっていることも、集まりだした三十分前から気がついている。
そのうえでこのカジノは楽勝であると判断する。想定よりも遅く従業員の練度も低い。
荒事への対処もできている。
――何だ、右手野郎、何をしている?
――賭け金をギャラリーから集めている?
――ただのデストルドーか?
――手に入れた金をギャラリーに。
――おいボルドーを呼べ、ギャラリーにも黙ってもらわなければ。
湧き上がる観客を見つめながらフェリクスはレアザを見ていた。
レアザも視線に気が付き一歩前に出た。
「すいません、お客様」
左肩を痛いほど捕まれてフェリクスが振り向くと屈強な店員が立っていた。
熱狂の渦にあった観客たちは店員の登場に寄って、まるで暴君が現れたかのように押し黙った。
「誰だい君は?」
フェリクスは怯えたような顔をしながら装う。
「ボルドー、と申します」
お客様の賭け金にあったテーブルが有ります、と託宣のようにいう。
来たか、とフェリクスは思いながらまずもったいぶる。
「いやぁ、でもね俺このテーブルのお姉さんがいいんだよね、色っぽいしおっぱい大きいし」
「恐縮です、ですが、このテーブルにも限界がありましてもう上限になっております」
また彼女よりも艶やかなディーラーもございます、ボルドーは鉄面皮のまま付け加える。
「何より次のテーブルは青天井でございます」
――よし、あとはサマ師を引っ張れ、ギャラリーも散らせ。
――ん? おいボルドーどうした、右手野郎は何を。
――って、え、おい、どういうことだ、おいボルドー、ボルドー!?
「だから、俺らもその青天井の卓に連れってくれよ」
フェリクスは予定調和を感じながら、レアザの扇動の妙を堪能した。
そもそも、最初にフェリクスに賭け金を渡したのはレアザだ。でも、それも十分にずらしてからだった。初めにフェリクスに否定的なことを言って観客の気持ちを代弁した。お前は詐欺師だ、と。そして、フェリクスも勝っていって勝ち続け、それでも尻馬に乗らないのか、と煽っていく。
あとはレアザの言葉を皮切りに観客たちはフェリクスの選択に賭け金を載せる。
その為フェリクスの賭け金は観客のものでもあるようになった。
だから、ここで終わり、あとは青天井の卓にフェリクス一人を連れて行く、その対応は今まで投資してきた観客にとっては儲けるチャンスの喪失であり、ここで終わってしまうことに未練が生まれる。
それによってフェリクスは観客を連れて青天井の卓へと向かった。
女神の加護のあるコインを眺めながら。
「しっかし、これもヒーローの仕事なのか?」
レアザは潰したカジノで得たコインを指先で回しながらミリアに尋ねた。
「どっちかって言えばマーチャントのレアザ寄りだよね、それにしても邪道だと思うけど」
「クローザーのミリアでもそう思うか」
「まぁ、遊び人としては左手までなくなったんだったら、こんなことまでして魔王と戦おう、なんて思わないけどな」
「魔王の資金源を潰すヒーロー、一般的ではないわな」
「魔王側にとっちゃ搾取される側の皮を被った狼だもん、ヒーローってかテロリスト?」
「まぁ、うまい汁がすすれるからついていくだけだ、今どき剣を振るって命がけなんてスタイルは御免被りたいな」
「お、それ合理的ってやつだね、私も同感だけど」
「俺としてはミリアが働いていないことに不満を覚えるわ」
「はー? 働いてますぅ。情報とか集めてますぅ、遊び人のコミュ力なめんなよ」
「で、我らがダークヒーローは?」
「帰ったぞ」
フェリクスは食卓に突っ伏しながら静かに寝息をあげる女を見ながら対面の椅子に座る。
「なぁ、テミス」
フェリクスはつぶやく、語りかけているようであり独り言のようでもあった。
「お前、愛が重いわ」
左腕を掲げ昔に思いを馳せながら続ける。
「ヒーローとしてやっていけなくなった左手を奪われた事件で、なんでここまで責任感じたんだ?」
俺はいちヒーローだろ? 笑いながら右手の人差指でテミスの頬を突く。眠りながらもごめんなさいと寝言をつぶやくテミスは可愛らしい。
「俺がそれでもヒーローやっていきたいって言って、お前は突き放せばよかったんだよ。俺みたいなクズと関わることなんてなかった」
今となっては、フェリクスは覚めたスープをすする。
「お前は俺に肩入れして幸運のコインを作ることで天界には戻れなくなった」
自分を不幸にしてまでどうして俺についてきた、愛を感じその重さをフェリクスは重いと感じた。
「――魔王は倒す」
でも一人じゃない、フェリクスは残った右手を拳にして眺める。
「俺以外のヒーローが倒すかもしれない、俺はヒーローとして名を残せないかもしれない」
それでも、フェリクスはテミスの額に唇を寄せる。
「俺についてこい」
幸せにしてやるよ、視線を下げると心なしかテミスの頬が紅いようだった。