酔う花は・・・
ーー花に酔い、酒に酔って、人に酔うーー
そんな一文と出逢ったのはどんな場面だっただろうか。小説だった気もするがラジオだったかもしれない。文章で目に留まったのか、音で耳に触れたのかすら確かでないないその文は、しかし確かな印象を心に残している。
師走のこの頃、少し物悲しい桜並木を歩きながらふとこの一文を思い出した。酔える花も、酒も、人も無い今、なぜこの文を思い出したのか、まるで季節外れの今、なぜこうも花に酔ってしまいたい思いにかられるのか。
去年までいた地元に比べ、今年から移り住んだここは桜が少ない。当たり前に日常の一コマに溶け込んでいた背景に、無くした今になって気がつくのは良くあることなのだ。
特別桜が好きな訳では無かった。幾つもの桜並木を通って学校に通っていた時ですら、その事を意識するのは精々春の4、5週間のみ、あとはただの背景として認識すらしていなかった。確かに目の前にあったはずなのに、それを眼に映すことは無かった。私にとってはその程度の存在だったのだ、桜は。
だが、桜とはかけ離れた季節の今、突然花に酔いたい願望にかられるのは、やはり無くした欠片を追い求めているのだろうか。
きっとこの並木道では酔えない。そんな確信に近い思いを抱きながら、歩いてきた道を振り返る。あの場所でなくてはダメなのだ。あの意識すらしなかった桜並木でなければ、酔えないのだろう。この場合、酒はあの場の空気だろうか。人はさしづめ過去の思い出といったところか。
しかしながら、いつしか今のこの場所に酔いたいと思う時が来るであろうことも知っている。今の自分を振り返る自分がいずれ現れることも。その時の私は、できればまたあの一文を思い出したいと思う。置いていくものと持っていくものの選択の連続の中で、せめてあの文は持って生きたいと思う。
ーー桜に酔い、酒に酔って、人に酔うーー