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Chap.7 宝石眼


 面頬、ゴーグル、口元を隠すマスクに、それぞれの接続を担う留め具。急所のひとつである頸椎を隠す板状の防具と、ほぼ耳から耳まで広く後頭部を覆うバレッタ。

 顔の装備をすべて解くまでには、二分近くも時間がかかった。

 軽くうつむいた状態でずっと伏し目がちだった牙が、最後の部品を机の上に置き、顔を上げた。

 牙は正面に座るレイをまっすぐに見据え、レイは黒い両眼でその視線を受け止める。

 アルは二度目に見る瞳だ。

 極上の紺碧。

 そっと隣のレイを盗み見る。表情に大きな変化は見られず、黙っているのは牙から口を開くのを待っているのだと解った。アルは自分の二の腕を触れて、手のひらにかいた汗を拭った。

 牙が、レイの出方をうかがっている。

 やがていつまでも無言になりそうなのを理解して、レイがゆるりと瞬きをした。

「ずいぶん、若かったんだな」

「お前のような子供に言われる筋合いはない」

 低い声。

 緊張しているのだとアルは思った。レイはちょっと肩をすくめると、気安い仕草で机に肘を突いた。空になったコーヒーカップを手で触れる。

「あんまり子供って言うな。一応、法的にはあと‥二時間で十七だ」

「何?」

 ちらりと目で壁の時計を確認するレイに、牙がいくぶん目を瞠る。黒いほどの青だ。

「まあ、体の方は全部で二十ヶ月ぐらい寝てたから、実質だと二歳下だ。確かに、子供は子供なんだろうけど」

 ため息。

 悔しさの滲む声だった。アルにもう少し寝てこようかと言った時と、様子が違う。

「あなたは?」

 気を取り直したように少し笑顔になってレイが尋ねた。牙の気配はまだどこか緊迫しているのに、レイの顔が和むだけで鮮やかなほどにあたりの空気が変わってしまう。

「私?」

「聞いていいことなら、年を教えてくれないか」

 頬杖を突いているのに砕けすぎた印象がまったくない。レイの仕草はどれも洗練されていて、人に不快感を与えないとアルは思った。

 時間を置いて、牙が答える。

「二十四だ」

 レイがちょっと身を起こした。「本当に若いな」

 いくつと考えていたんだと横やりを入れてやりたくなるぐらいの、驚いた反応だ。

 素顔の牙が、かすかに眉をひそめる。

 深い独特の色合いの双眸に、乳白色の肌、髭はなく髪の毛は黒。強く型で押したようなはっきりとした鼻筋だが、彫りが深い方ではない。唇は薄く、まぶたの形は切れ長で涼しかった。

 取り立てて美形ではないにせよ、若く精悍で、目元に厳しさのある悪くない顔だ。

「この目について、何も言わないのか」

「目? 綺麗だと思うけど」

 とぼけているのか本当に知らないのか、アルに見える横顔からは判断がつかない。

 牙の強い眼差しが、一瞬、逡巡に揺らいだ。

 ふっ、とレイがいたずらな笑みに首を傾けてみせる。

「解ってるよ。俺も生で本物のバイオ・ストーンを見るのははじめてだ。確かにそこらの宝石なんか敵わないな。すごく綺麗だ。なんだろう、鳥の羽の美しさに似てる」

 澄んだ水よりも素直な声が、レイのほころんだ口元から宝石のようにこぼれ落ちる。

 世辞だろうと疑うのも恥ずかしくなるような心からの賛辞に、牙がぎゅっと眉を寄せて唇を一文字に結んでいる。怒っているのではない。困惑しているのだ。充分な知識を持ちながら、その美しさを褒めちぎってくるとは夢にも思わなかったのだろう。アルにはその心情が手に取るように理解できた。

 生体石。

 これはやや学術的な響きを持つ用語だ。単語自体は難しくもなんともないが、もっと、人口に膾炙した呼び方が他にあった。

 すなわち、『ジュエル・アイズ』。宝石眼だ。

「その言葉は、この目には、褒め言葉にはならん」

「そうなんだろうな。残念だけれど。あなたの気分を害するなら、もう言わない。でも、ゴーグルをはずしてくれたことの意味を、俺は、自惚れていいんだろう?」

「お前たちを信用したわけではない」

「なら、なぜ?」

「私は元々、エメック系であることを隠していない」

 アルが思わず顔を牙へ向けた。

 エメックというのはこことは逆側の辺境銀河に存在する惑星の名だ。

 宇宙進出初期に移住が成功した場所で、人々は数代に渡って独自の文化を築き、環境に適応していった。光線の質が他の地域とまったく違うこの星では、変わった瞳の持ち主が多いことは昔から知られていた。普通、地球由来の生き物の目の色は網膜外側の色素量で決定され、眼球内の水晶体は無色透明だ。しかしエメック人の水晶体にはうっすらと色がついていたのである。

 それ自体は、問題のあることではなかった。

 他の環境に置かれても見え方は変わらなかったし、彼らも不思議な魅力を持つ目の色を誇りにしていたと言える。

 だが、ある時ふとした偶然から彼らの水晶体をまるで美しい宝石のように固定化させる技術が発見された途端、エメック人の状況は激変した。

 はじめはひそかに、やがておおっぴらに。

 彼らは『狩られる』対象になり、その歴史は虐殺に塗りつぶされていった。

 連邦政府は現在、エメック人の総数を把握していない。人々は次々に故郷を離れ、子が生まれれば新天地で籍を取得させた。エメックの痕跡を抹消することで、少しでも危険を減らそうとしたのだ。当然、自ら故郷の名を届け出る者もない。統計だけ見ればエメック系の民族はほとんど滅んでしまったのかと思うような状況だった。

「隠して、ない?」

「自ら触れてまわっているわけではないがな。二つとも無事な宝石眼を持ちここに生きているというのは、どれだけ狙われても生き延びた証だ」

 誰も自分を狩ることはできない。

 紺碧の両眼が輝いて、雄弁にそう語る。アルの拳がきつく握られた。

「強さの証明か」

「そうだ」

 レイの声に牙が頷いている。

「じゃあ、確かに無理に隠すこともないな。でも、無理に明かす必要もない。交渉はもう終わっているし、俺はあなたの力を過小評価したつもりもない。その戦闘服を見る限り、普段は素顔をさらしていないんじゃないか」

 理路整然と。

 牙が答えないことが返答となった。下を向いていたアルは見なかったが、その時、牙は軽く肩をすくめてみせていた。

「言いたくないのなら別に構わない。だけど一応、もう一度だけ聞く。返事をしなければもう聞かない。牙、どうして素顔を見せる気になった?」

 苦笑があった。

 一拍の後、アルはそれが牙の笑い声だったと気付いて目を瞠る。顔を上げた先で、その男は確かにおかしそうに口元を歪ませていた。

 右耳から、何かを抜き取って机に置く。

 一種の補聴器だ。外部の音を選択的に拾い上げて増幅し、耳に送る。何か別のコマンドを入力できる端末とセットにしてはじめて役に立つ。隣の部屋の話し声も遠くの叫び声も次々拾い上げてしまうから、よほどこういった機器の扱いが巧くないとうるさいばかりの、牙の最後の頭部用装備だった。

「聞こえていた。話が始まるまでお前の耳元で延々恨みごとを言う人工脳の声がな。奴に免じて顔だけだが装備を解いた。好きにさせてやれ」

 レイが吹き出した。

 首を振り、「申し訳ない」と大人のような詫びを入れると口元へマイクを引き出す。

「子ギツネ。お前のせいで牙に笑われたぞ。用心棒として雇われることを承諾してくれた。イレギュラー(例外)から、クルー(乗務員)に変更を行え。それから、彼に関する特別設定を解除。許可をもらった。フルスキャンと個体情報の登録を許す。船内の感知器類の制限もはずしていい」

「…制限?」

 かすれたように奇妙に小さな声で、アルが呟いた。レイが首を傾げるような仕草で目をこちらに向ける。今まで隣に誰が座っているかを忘れていたような顔だと思った。

「乗務員‥俺やお前の安全を守るために、通常子ギツネはゲストが武器を所持しているかや身体的な状態のチェックを行う。心拍数や血圧に異常な上昇が見られるような、攻撃に移る予兆をなるべく早く察知しようとするんだ。それを全部しないように言ってあった」

 牙を敵視するな。

 それはつまり、そういうことだ。子ギツネが恨みがましく目を逸らしてみせたのも当然だろう。立て続けの非常事態に船は警戒態勢で遊泳中。船と乗員の安全を第一に考えるのが仕事の人工知能に、新参者を野放しにしておけと命じるとはとんでもない暴君だ。

「なん、で」

「え?」

「どうしてそこまでするんだよ」

 アル? とレイが不思議そうな声を出している。体が震えて仕方なかった。

 悔しい。

「どこにどんな武器隠してるか、解んねえんだぜ。何してくるか解らないんだ。この船をジャックされたらどうする気だったんだ。奴が攻撃してきたら」

「でも、自分が敵陣で丸裸にされたらアルだって嫌だろう。それが礼儀だと思ったんだ」

「なんだってお前はそう簡単に人を信用しちまうんだ。こいつがもし――」

「アル、だけど」

 激しく食ってかかるアルにレイは戸惑いを隠せない。彼らの向かいの席で、照射される薄紫の光にボディチェックを受ける牙が失笑した。

「放っておけ。ひがんでいるだけだ」

「っ!」

 図星を指された。

 一瞬で耳まで真っ赤になったのが自分でも解る。

「ひがむって」

「うるせえなッ! 確かに俺は弱いさ。ナイフも銃も使えない、シェイドにも乗れない、この船も操縦できない。何の役にも立ちやしねえ。自分でも解ってんだよ。子供みたいに簡単に誘拐されて、レイを危険な目にあわせて、なのに自分は逃げ回るしかできなかった。だけど仕方ねえだろ! それしかだけ能がないんだよ。逃げるだけで生きてこれたんだ。隠すだけだって必死だったんだ。二週間前はバーテンやってたんだ、俺は。戦い方なんか知るかよっ」

 ダン、と椅子を蹴って部屋を飛び出す。

 取り残されたレイが慌てて立ち上がったが、事態が飲み込めずに呆然としてしまった。

「奴は、私を同郷と呼んだ」

 不意に牙が言って、レイは振り向く。

 光の照射は終わっていて、彼は手袋の折れた仕込み刃の具合を見ているところだった。

「両目を見せた私に、お前がどう反応するか息を殺してうかがっていた。おそらく奴も、エメック系だろう」

 その言葉が終わった時には、レイは部屋の中にいなかった。



 部屋に駆け込むと、衝動的にアルは壁に埋め込まれた棚の観音開きの扉を勢いよく開け放った。

 一段をずらりと占領する、大量のコンタクトレンズ。

 その下の段には、髪の色を変えるための道具や櫛などの一切がそろっていた。

 黒髪に白い肌、青もしくは緑の目。

 エメック人に最も多い色だ。皮肉なことに、色素の面で彼らの遺伝は非常に強かった。水晶体内の色素に関してもである。最初の大虐殺の時期から八十年ほどが経つが、今でも純系と変わらぬ遺伝的特徴を持つエメック系新生児は少なくないと言う。

 チャイムが鳴った。

 廊下の音声が部屋に入るようになる。

「アル。この扉を開けるには三つ方法がある。ひとつは、今アルが自分から内側から鍵を開ける方法。ひとつは、俺がレーザーナイフで枠からぶった切る方法。最後のひとつは、あんたが出てくるまでこの部屋に食料の供給を停止する方法。どれがいい」

 思わず笑った。

 入れてくれと一言あって、それをアルが無視して、それから再挑戦してくるのが順当な手順というものだ。それをレイは一足飛びに省略してきた。

「兵糧攻めは勘弁しろ」

 一日ほとんど何も食ってないんだからと苦笑で扉を開けた。

 弾かれたように顔を上げた廊下のレイと目が合って、一瞬アルは言葉に詰まる。ひどく思い詰めたような真剣な顔よりも、なぜか、ぼろぼろの服装の方に目がいった。

 黒ずんでいるのは、血だ。

「子ギツネが」

「え?」

「何も言ってないってことは、怪我はないんだよな」

 ジャケットを軽く掴んで見下ろす。何を言われたのかに気が付いて、慌ててレイが首を振った。「ない」

 ベンチのような横に長い椅子に、二人で腰掛けた。

「アルは?」

「何」

「怪我」

「主に打撲だな。子ギツネなんとかしろよ。あいつ風呂場で治療してくる」

「効率的じゃないか?」

 血や液状の薬剤が流れて床を汚してもすぐ洗える。裸なら全身チェックできるし、服も最後に清潔なものを着られる。どこが悪いのかと問われて、お前の趣味かとアルは複雑な顔をした。

「戦うのとか、慣れてんのか」

 アルが聞いた。レイがどんな風に戦ったかは知らない。しかし、これだけの血を浴びて自分は傷付けられず、牙への賛辞として『本気になれば自分を殺せる』と言ってのけた。並の戦闘能力ではないのだろう。

「うん」

 小さな声でレイは答えた。「慣れてる」

「そか」

 酒場の前で殴りかかった時のことを思い出す。アルは一撃もレイに入れられなかった。

 自分は喧嘩しかしたことがない。だがレイや牙は戦闘をしている。

「怖かったんだ」

「は?」

「アルに、話すの、怖くて」

 何がと言いかけて、口を閉ざす。ライニーに関する事情を黙っていたことを言っているのだろうと。

「最初に言っておくべきだったんだけど」

「嫌味?」

「え」

「気付いたんだろ。俺も奴と同じ、宝石眼だ。『最初に言っておくべきだった』?」

 そんな意味じゃとレイが息を呑んだ。

 ささくれた気分で無意味に傷付けていると自覚はある。後ろめたさと、もっと遠慮なく残酷なことを言ってしまいたい気持ちが胸の中に同居していた。

「同じ宝石眼だけど、俺は、何の役にも立たない。いざという時には売ったら結構な金になると自分では思ってたけど、お前には、はした金もいいところだろ」

「何言って」

 塗りつぶすようにアルは高く笑った。自嘲でひどく冷たい笑い方になった。

「ふざけてる。ほんと、俺って何の役にも立たねえ」

「アル!」

「自覚はしてんだぜ。船のこと何も知らなくても実際に中で生活してれば、そこそこ何か手伝いとかできるだろうとか、考え甘っ、て感じ。結局ほとんど出来ることないし、ただ飯食いで、態度でかい居候?」

 己の言葉に胸を切り裂かれている。

「そういや、レイって最初俺に接触すんの諦めてなかったっけ。カサス降りてからうちの仕事場来るまで一ヶ月近く空けてさ。挙げ句、何? お前には新しい生活がとか言って。本当はこの船に乗せたくなかったんじゃねえの。そりゃそうか。当たり前だ、こんな弱い奴が隣にいたら、どう考えたって足手まといじゃん。だからあんな、牙に」

 喉に気持ちがつかえて、不自然に言葉が途切れた。

 解っていた。

 レイが自分一人では対処できないと言ったのは、敵が増えるからではない。自分だけを守っていれば良かったのが、アルを抱え込んでしまったからだ。何かあれば共倒れになると冷静に判断し、牙を見つけてちょうどいい人材だと考えたのだろう。

 自分は、負担になっている。

 レイが口を開こうとした。反射的に止まっていた口が動く。

「仕方ねえか。お前、はづみだもんな。来るなとか、言えるはずないって。邪魔でも船に乗せるしかなかったよな。迷惑でも助けるしかなかったよな。敵に居場所が知られるって解ってて金つくって、しかも生身で飛び込んできて。俺なんか見捨てた方がずっといいのに、それができないんだよな、お前は。損な性格。馬鹿みてえ。大体な、会ったばっかの人間ころっと信用してんじゃねえよ。俺は元が埜流だったってだけの、育ちの悪い文無しだぜ。牙なんか犯罪のプロだ。大財閥の坊ちゃんが何を簡単に――――」

「いい加減にしろよ!」

 ガンッ、と。

 音よりも振動の方がはっきりと感じられた。見るとレイはいつの間にか立ち上がっていて、横ではなくほぼ真正面にいた。黒ずんだズボンを纏ったその右足が、横長の椅子の、アルの左側に乗り上がっている。蹴ったのだ。

 言葉が、出なくなった。

 全身に毛のある動物だったなら、毛が逆立っていただろう。怒髪天を衝くとばかりに、レイの体を怒りが覆っているのが見える。黒い目がぎらぎらと輝いて、凄まじい威圧感でアルを圧倒する。

「俺が接触をためらったのは、いつか必ず危険な目に遭わせると解っていたからだ。そうなった時に、アルが俺を恨むのが怖かったからだ。ライニーのことを話せなかったのは、喋ったらあんたが俺に付き合うのは嫌だって言うんじゃないかと怖かったからだ。連れていけないんじゃないかと思ったから、船を降りてしまうんじゃないかと不安だったから、事態がここまで逼迫するまで話せなかったんだ」

 悪かったな、と。

 叩きつけるようにレイが叫ぶ。

「簡単に他人を信用するとか、損な性格だとか、人のこと勝手に決めつけてくれるけど、本気で俺を解ってるつもりなのか。俺が生まれてから今まで、どれだけ敵ばかりの環境で暮らしてきたと思う。どれだけの人間を、ほんの少しでも信頼できたと思う。そんなの、十本の指で‥余るんだぞ。兄でさえ生きてた頃は敵だった。誰の笑顔を見ても裏があるとしか考えられない自分がどれだけ惨めか解るか。俺の盾になって死んだボディーガードを、死んだ後でさえ疑う俺の醜さが、解るって言うのか」

 レイの顎からぽたりと涙が滴る。

 鼻をすする音が、清潔な部屋の中に生々しく響いた。

「どういう物好きが二年もかけてあんたを探したと思ってる。会いたかったんだよ。ほんの一瞬、十数秒でもいいから、あんたと話がしたかった。宇宙の中でたった一人、俺の敵じゃないって最初から解ってる人と話がしたかった」

 それだけのために、宇宙船が一台と、無数の戦闘と、二年の時間が必要だった。

 そうしてまで追い求めるほどに、信じることを禁止された子供だった。

 彼は『はつみ』なのに。

 愛されるべく生まれ、たやすく心を許すことで愛情を繋ぎ止める本能を持った存在なのに。

「船に乗せたくないはず、ないじゃないか」

 うなだれていく。

 足をアルの横にかけたまま、背中が丸くなり、顔が下を向いていく。涙が頬を伝うことなく床に落ちる。震える拳を右膝に押しつけて体を支える。

「アルだけが、俺に、息をさせてくれるのに」

「レイ、お前」

 呆然となった。

 船上生活が二年を超えることは聞いていた。その時はただ、そんなに自分を探していたのかと口元が緩んだだけで、その切実さの意味を探ろうなどとは考えもしなかった。

 さっきライニーの名を聞いて、金持ちだと思っただけだった。

 レイのことを、理解しようとしていなかった。

「連れて行っちゃいけないって解ってるのに、アルが思い出したって知ったらもう誘惑に勝てなかった。船のことを何も知らないなんて当たり前だ。自分でも言ってたじゃないか。船に乗ってたった十日とちょっとだぞ。半年乗ってたのとは訳が違う。戦いができないのは、アルが俺や牙よりずっと人間らしく生きてきたってことじゃないか。俺には、アルが羨ましい。一度銃を持ったら引き返せないんだ。自分を守る銃声が敵を呼び寄せる。人を傷付けずに逃げられるアルが羨ましい。俺は…」

 言葉が切れた。

「……何も思わずに、人が殺せる」

 怖いと。

 レイは震えていた。

 人が殺せることがではなく、それをアルがどう受け止めるかと。この血まみれの姿を、アルがどう思っているのかと。乗り込んでいった時、レイは部屋に飛び込むと一瞬の隙をつき、迷いのない的確な手順でバロの首に爆弾を取り付けた。自分が巻き込まれる心配のないよう、爆薬は最小限にとどめ、それだけきちんと頸動脈を狙った。

 自分ははづみではないとレイは言った。

 彼ならこんな残酷なことはできない。もし誘拐されたのがアルでなかったら、見向きもせずに身代金の支払いを断った。そんなのは、埜流を魅了したはづみではない。

 それを聞いた時、アルはなぜレイが限界を超えて怒鳴り散らしたのか理解した。

 アルが明らかにレイに『はづみ』を見ていたからだ。

 彼が『怖くて話せなかった』のは、自分がライニーの者だということではなく、はづみとは違うものだということだ。その事実がアルの心を自分から遠退かせるのではないかと恐れていたから、はづみとレイを同じものとして語られたあの瞬間に耐えきれなくなった。

 アルは立ってレイを抱きしめた。

 無言で、強く、父親のようにしっかりと。

 ただ単にアルは牙に妬いていたのだ。レイがあまりに激しく彼を求めたから。自分には何も価値がないことに焦った。

 誘拐された当初には、ちゃんと一番大切なことを理解していたのに。

 生き延びてこの船に戻る、それだけが自分の義務だと。それ以上の何をもレイは望みはしないはずだと。だから無力であることを絶望しなかった。だから牙の興味を引くほどの冷静さで事態に対処した。

(ごめんな)

 喉まで出かかったが、言葉にはしなかった。

 どちらが悪いという話ではない。謝ることがきっと相手を苦しめるだろう。この小さな体には驚くほどの苦しみが鬱積しているのに、これ以上はいらない。

「レイ。俺の目、見るか?」

 静かに腕をほどいてアルは尋ねた。

 レイがはっと顔を上げる。泣いたせいで目が赤く充血していた。レッド・アイだ。羨ましいなと少しだけ思った。

 さっきの棚を開け、レンズの吸着力を落とすための点眼薬を取る。目に点して、時間を計り、指でレンズを取った。二度は使えない。指先で丸めてゴミ箱へ捨てる。

 振り向いて。

 その時のレイの顔がほころぶさまを、アルは一生忘れない。

「ああ」

 淡い笑みを浮かべてため息をつき、首を振った。最後の涙が落ちる。

 この時、牙に与えたような絶賛はなかった。レイの口からこぼれたのはたった一言。

「アルだ」

 それは万の言葉にも勝る賛美。

 海がねたむくらいのと運び屋相手に説明した青が、そこにあった。



「よう、兄弟」

 飽きもせずにさっきの席から動いていない牙に、アルは唇だけで笑いかけた。

 彼が捧げ持ったトレイには簡素な食事と水差しが載っている。

「飯だ。一緒に食わねえ?」

「…は?」

 なぜ貴様と顔を突き合わせて食事をしなくてはならないのだと、口で語るよりも雄弁に表情で訴えられて、アルは内心おかしくなった。この男、結構簡単に表情が変わる。

「だってさあ、レイの奴、お前はブリッジ入ってくるなとか言うし」

「ブリッジ。操縦席に戻ったか」

「まあ、あんだけ泣いた後じゃ恥ずかしいのは解るけどな」

 牙が眉をひそめた。

 生じた隙に乗じてアルは遠慮なくその正面に座り、食事の盆を置いた。許可も取らずに食べ始める。少し待たせてみたら、牙が促すような声で言った。

「奴が泣いた?」

 アルは内心、拳を握る。餌に食いついた。

「大人のふりしてたってガキはガキだぜ。泣くことぐらいあるだろ」

「…お前が泣いたならともかく」

 ぼそりと言われてアルの口元が引きつる。食事の手が止まりかけた。

「どういう意味だそりゃ」

「明らかに分のないことを言って飛び出したのはお前だが」

「それは、そうだけどよ」

 確かに追いつめられていたのは自分だ。

 言い返す言葉がなくてアルはむっつりと芋にフォークを立てる。牙はまだ何も取ろうとしない。立ち去ればいいものを、レイが泣いたの一言で動けなくなっているのが解る。

「あの勢いで、俺なんかいない方がいいんだろっつったら、あいつ怒らせてさ」

「…ふん?」

「ガキには敵わねえよ。あの減らない口で泣きながら説教してくんの。正直、きつかったぜ。肉親でも疑う自分を醜いとか、人が殺せる自分を俺にどう思われるか怖かったとか、俺の他には誰も信用できる人がいないとか、言わせたら駄目だったんだ。あいつ、自分の言葉で傷えぐっちまって。聞いてる方が辛かった」

 本心だから、苦渋の顔をつくるのは楽だった。

 正面で牙の顔から表情が消えている。体感気温が少し下がった。懺悔のような体裁で、アルがしているのは自慢話だ。のろけと言ってもいい。自分がどれだけレイにとって特別な存在であるか、レイの言葉を引くことで嫌というほど知らしめる。

「俺がいないと駄目なんだ、あいつ」

 ぼんやり考え事をしているような声で呟いてみせたら、ぎちりと合皮のきしむ音がした。手袋がきつく握られている。相手に見えないように密やかにアルは笑った。

 言葉が染みこむのを待つために、食事を進める。

 音もなく牙が立った。椅子がかたりと音を立てていた。あれだけ完全に気配を殺す彼に、今は人の息吹が感じられる。動揺のほどがうかがえるようだ。

「部屋なら、ブリッジ行ってレイに言えばどっか空けてくれると思うぜ。てか、空き部屋ばっかなんだけど」

 返事もせずに背を向ける。

 牙、とアルはそれを鋭く呼び止めた。

 その声の響きに何かを感じたのだろう、足が止まった。

「あんたが何考えてレイに頷いたのかは知らねえ。ライニー使って名前売るチャンスだと思ったのか、そんなに金持ちならもう少し搾り取れると見たのか、本当にパペットだけが目的か。どれだって、別に構わない。仕事さえきちんとやってくれるなら」

 損得が理由ではないと重々承知していて、敢えて突き放す。

 硬い声に、警戒を顕わにして。

「俺はエリエゼル・バセ・ベンダヴィード。レイノルドには瞳を見せ、名前を明かした。お前が奴を裏切ることがあれば、俺はお前を許さない。『谷に掛かる月にかけて』」

 冷たい群青の目で、牙がアルを見下ろしていた。

 睨み合いが暫時。

「レイブ・アズリエル・コーエン」

 やがて牙が名乗った。

 受けて立たれて、ざわりとアルの背筋が粟立つ。

『その言葉を受け取ろう、純系の負け犬。私が私の言葉を違えた時、私は谷に掛かる月にかけて、お前の剣によって自らの真実を問う』

 いい根性をしている。

 誓いの決まり文句だけにエメックの古語を使ったアルに対して、牙は全部エメック語で言い切った。決闘の誓いが結ばれ、牙が今度こそ体の向きを変えようとした時に、アルはトレイに置いてあった一枚の封筒を取り上げ、手渡した。

 牙が去り、ふーっと大きく息をつく。

「レイブ…ね」

 アルの出身地ならイェーダーとなるところだ。エメックの名前は種類と発音の変化からある程度どのあたりのコミュニティの出身かが判ることがある。アルの名を聞いて純系と牙が判別したのもそれが理由だ。

 牙の名前から思い浮かぶ土地と言うと。

「シェルトの狩猟場か」

 かじるパンに砂でも入っているかのように、アルは口を歪めていた。初期の虐殺を前に、多くのエメック人が移住した区画だ。元々人種構成が雑多でエメック系以外の住人も多く、表立って大きな襲撃もない。

 だが、まるで作物を間引きして一定の刈り入れを確保しようとするかのように、常に、少しずつ人が狩られる場所だとアルは聞いていた。だから『狩猟場』の名で呼ぶのだと。それを承知していても、全滅の恐怖と隣り合わせの他の土地より安全だと考えてしまえば人は他の銀河系に移らない。隣人が消えた日には、しばらく自分は大丈夫だと安堵する。そういう土地。

 牙がなぜ、強さを求めたのか解る気がした。

 白馬の王子と救世主を嫌っていた。物陰にひそんで震えているだけでは、日々の暮らしになんの保証も得られなかったのだろう。

「だけど俺は、これからも隠して生きるぜ、牙」

 今は黒いアルの瞳。

 それを恥ずかしいとも思わない。レイだけが本当の目を知ってればいい。銃を取ったら戻れないとレイが言った。自分は自分にできる方法で彼を守る。

 そのために、まずは第一歩。アルは薄く微笑んだ。

「うまく行くかね」



 操縦桿を握る少年が、ブリッジに足を踏み入れたと同時にこちらを振り向いた。

 お互い、未だに汚れた戦闘服を纏ったままだ。

 夜中の二時過ぎ。

 昼前から今までまったく気を抜く暇はなかったはずだ。警戒する必要がある時にそれを怠らないのは当然のことだが、それにしてもタフな子供だ。

「まだ起きていたのか、牙。少し休んでおいた方がいいんじゃないか」

「部屋がない」

 そう返事をすると、あっと小さな叫びが上がった。レイが額を押さえる。

「悪かった。子ギツネ、部屋だ」

『部屋ならばいくらでも余っていますが、そうですね、左翼二号はいかがですか』

「いいだろう。彼を案内してくれ。ホテル程度の備品は揃ってるだろうな」

『既に整っています。下着の替えは同じ材質のものはご用意できませんでしたが、サイズ等に問題はないでしょう。先程武器の型番を調べましたので、ご希望があれば弾薬の類もお持ちいたしますが』

 レイが見上げてきた。目だけで頷いた。

「そこまで気が利くなら、先に部屋に通していて良かったんだぞ、子ギツネ?」

『隣室でおくつろぎかと思いましたので』

「お前、そろそろ牙を乗務員と認めろ」

『おっしゃることが解りません、レイノルド。クルーへの登録は済ませております』

「都合のいい時だけ機械ぶりっこをするな。とにかく彼を」

「それよりも、船の構造図を見たい」

 レイの言葉を遮って操縦席の横に立ち、牙は告げた。同時にレイがそうだなと呟いて、正面スクリーンの真ん中に二次元と三次元の図面を並べて表示した。

 さっと目を走らせて、数秒間。

「もういい」

 驚嘆すべき短時間で構造を頭に叩き込んだ牙が言うと、レイは驚きもせず表示を切った。その反応から、同じことが相手にもできるのだと知る。

「レイノルド」

「うん?」

 はじめて名前で呼んだのだが、レイの方に取り立ててそれを気にした様子はなかった。最初だという事実そのものに気付いていないのかも知れない。

「追われている気配はあるのか」

「今のところ、ないな。少なくとも今は近くにまったく船がないから、とりあえず五時間程度はあなたもゆっくり休めるよ」

「なら、お前も席をはずせるな」

「え?」

「話がある。お前が部屋まで案内しろ」

 そう言って連れ出したくせに、牙の方が先に立ってずかずかと歩いた。途中で、ここがアルの部屋だと教えられ、お前の部屋はと問い返す。

「俺の部屋は‥一応、あるんだけど、滅多に使わないな」

「使わない?」

「アルには怒られるけど、食事も寝るのもほとんど操縦席で」

 その時、彼らの行く手で二人の接近を察知して、勝手に扉が開いた部屋がある。迷わず牙は中へ入った。

 さっぱりした、簡素な部屋だった。真新しいシーツが張られて使用できるように出してある収納式のベッド。机には衣服の替えや細々したものと、武器関連の備品がどっさりと山にしてあった。アルが持っていた酸素の小型カプセルも無造作に一箱置いてある。この一箱で誘拐団が牙に提示した最低賃金の五分の一が支払えることを、アルはおそらく知らされていないのだろう。コスト高で実用化が進んでいないと言われているのに、ある所にはあるものだ。

 机の側で顔を上げると、隣のバスルームに続くドアが見えた。

「子ギツネは呼ばない限り私室には干渉しない。中で生存しているかを確認する程度だ。そっちに調理台(クッカー)がある。食べ物や飲み物がいる時はそこで。牙さえ嫌じゃなければ、俺は三人一緒に食事したいけど」

 食事という言葉に、アルとのやりとりが脳裏によみがえった。

 思い出すだけで胸がざわつく。非常に気分の悪い喧嘩を売られた。最初からあの若者は牙の感情をやけに掻き乱すのだ。それを助けてしまったのも自分だが、この船に来てからは興味より苛立ちの比率が明らかに肥大していた。

 癪に障る、のだ。

 とにかく彼の言うことすべてが。

 戦う力もないくせに、誓いを求めてきた。まるで自分だけが本当にレイを守ろうとしているのだと言わんばかりの目で。

「それで、話って」

 言いながら見上げてきたレイの顔を見つめる。

 幼い甘さの残る、女と見まごうばかりの綺麗に整った顔立ち、細い首。艶のある黒い髪、やや華奢な顎、今はかすかに開いた唇、標準サイズの鼻。頬の肌のやわらかな色と質感、瞳の黒。まぶたに少し腫れたような感じがあって、それに気付いた瞬間、ぐっと黒いものが胸にせり上がってきた。

 なぜ、奴なのかと思った。

 あるいは、本当に、奴でなければならないのかと。

「契約をする」

 牙の言葉に、レイは最初、飲み込めない顔をした。それから、そうかと呟いてこちらを振り仰ぐ。立っている位置が近いせいで、見上げないとレイは牙と視線が合わない。

「そうだな。書面にした方がいいか。電子証明をつけるなら少し時間がいるけど」

「いや」

 手の動きでレイを止める。

「言葉は、誓いを交わすのに充分神聖だ。私はお前から念書を取っても、明るい場所には出られない。契約書は意味がない」

「じゃあ」

「私は」

 その一声を耳にした途端に、レイの表情が変わり、背筋が伸びた。

 牙の言葉が、誓約の厳格さを帯びたことを肌で感じたのだ。

「お前が与えたものと与えるものに対して、お前をあらゆる害悪から守ることを」

「俺と、アルを」

「…私の誓いを受けるお前と、お前の財を等しく守ることを、誓う。『谷に掛かる月(ヤレアハル・エメック)』にかけて」

 言ってレイの額に触れ、十文字を書いた。

 それから膝を折り、相手の前に片膝を立ててひざまずく形を取った。

「私の額に、縦横に一本ずつ線を交差させろ」

 一度自分がされたことだから、求められていることは理解できる。レイは大人しく牙の言葉に従い、その額に十字をなぞった。

「それを丸で囲め」

 指先がくるりと円を描く。

 牙が何かに耐えるように目を伏せ、深い息をついた。誓約は受領された。

 レイに手を差し伸べられたのでそれを断って立ち上がる。

「私の名前は、レイブ・アズリエル・コーエン。戸籍の名前ではないが、もっとも神聖で真実の私を指し示す特別な名だ」

「エメックの隠し名、と呼ぶらしいな。返せる名前がライネイで申し訳ないが」

 苦笑で肩をすくめていた。

 アルに名乗られた時にエメックに関する事情や名前に関わる慣習を聞いたのだろう。

「これで、私はお前の従僕だ。裏切ったなら罰する権利がある」

「ちょっ…、待て、もう少し言葉を選んでくれ。私とあなたは対等な契約を交わしたはずだぞ。従僕は…違うだろう」

「同じだ。お前に仕える存在なのだから」

 あまりに当然という声で言われて、レイが反論の糸口を失い混乱している。

 十字の誓い。

 アルが見たなら、どんな顔をしただろう。パフォーマンスと笑うには彼も故郷の風習に忠実すぎる。十字は殉教の誓いを立てる時に用いるシンボルだった。個人を相手にすれば、お前のために命を捧げるという意味になる。

 どうせなら、奴の目の前でやってやれば良かったとちらりと牙は後悔した。

 こちらがどれだけ本気か見せてやれば、あの傲岸不遜も少しは焦り出すかも知れない。この少年を守るのは自分だ。あんな負け犬ではない。

「それはともかく、珍しい形式だな。すごく観念的というか。報酬や仕事の範囲の規定をほとんどしてない気がする。少し落ち着いたら、そこらへんは詰めないと」

 経費の負担割合とか、と言われて牙は口元をほころばせた。

 自分が主人になったことに気付いていない彼を、ひどく、愛おしいと思った。

 愛おしいと。

「私は、小さな頃から見る夢がある」

「え?」

「お前とよく似た人が出てきた。彼が、私は大嫌いだった。恨んでも憎んでも、その人の夢を見た。その夢が振り払いたくて私は強さを求めた」

 自分を自分で守る力があったなら、あんな夢にすがりつくこともなくないだろうと。

「もう、あの夢は見ないだろう」

 確信がある。

「お前を見つけたから」

 その声にはまるで、恋人に愛をささやくような熱っぽさと恍惚がひそんでいた。

 二度と夢の中の自分に嫉妬する必要はない。

 現実の中に、仕える相手が見つかった。そして今の牙は彼から必要とされるだけの力を持っている。助けを待ちわびる愚かで無力な子供ではない。

 入り口まで歩いてドアを開ける。

 レイを見ると、呆然と目を丸くしてこちらを見ている。微笑みかけて、出ていくように促した。生まれてはじめてと言っても過言でない暖かな笑顔になっていることに、牙本人が気付いていない。

「時間があるなら着替えて少し仮眠を取っておけ。食事もな。お前以外船の操縦ができる人間はいないんだ」

 物問いたげな目でレイは牙を見上げたが、言葉は出てこない。夢の内容をもっと詳細に聞きたがっているのだろうかと牙は内心首を傾げた。

「あの、牙」

「そうだ。人質の小僧からお前に手紙だ。自分はブリッジに入れないからと」

 小さな封筒を手渡され、レイの言葉は立ち消えになる。

 瞬きをして、受け取ったものを眺めていた。

「行け」

 肩を触れられてレイは部屋の外へ出た。

 シュッ、と扉が閉まる。

 しばらくためらってから歩き始め、難しい顔で、ほとんど無意識の仕草で封筒を開きにかかる。が、ご丁寧にも糊付けがされていて、やっと思考を中断されたレイは、ちょっと小首を傾げた後で腰からレーザーナイフの柄を出した。

 斧で鉛筆を削るような間違った用途だが、すっぱりと封筒の一辺を一ミリほど切り捨てて、レイは中身を取り出す。

 出てきたのは、簡素な一枚のカード。

 一行目に目を通したレイは思わず顔をほころばせた。ところが、先を読み進むに連れて顔色が変わっていく。最後には足が止まった。

「…嘘だろ」



 レイノルド、誕生日おめでとう。

 一応、俺と同い年だな。

 贈り物を買う前に誘拐されちまったから、何も用意できなかったけど

 代わりにとびきりのプレゼントがあったからいいだろう?

 牙をお前にやるよ。

 お前が昔ファルクって呼んでた、くそ生意気なガキだ。


           エリエゼル・レッド・アイ




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