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Game Continued -ゲームの続き-  作者: 茶川左子(旧:シリカゲル)
第五章「遊びをせんとや生れけむ」
22/25

Chap.21 みいつけた

 レイノルドがいません、という言葉を、子ギツネは三人に向けて同時に発話していた。

 それに対し、三人はそれぞれの場所で別々の指示を彼女に出した。

「落ち着け」

 と、頭脳室のボードでアルが。

「どういうことだ」

 説明を求めたのは牙。

「シェイドの現在地と状況。それから最後にレイを確認した場所」

 ナターシャだけが子ギツネが『いない』と表現する事象をかなり的確に察することができた。

 しかしおそらく、最も大切な命令を出したのはアルだったろう。

 子ギツネはほとんど恐慌をきたしていた。

『欺かれました』

 この私が、と続きそうな、愕然とした声で子ギツネは言った。質問が無視(スキップ)されたことにナターシャは驚いた。

「子ギツネ」

『レイノルドが身につけているものから発されるあらゆる信号を、完全にコピーされました。現在も、東北東二○四キロ地点の、イワノフ氏の別荘から、同じ情報が発信され続けています。あたかも、レイノルドが中にいるかのように』

「それなら、本当に中でいる可能性も…」

『あります』

 独り言にはきちんと、即座に返事をした。聞きたいことだけしか耳に入れない、などということがあるのだろうか。そんな、人間のような。

『ですが問題は目的です』

 子ギツネはよどみなく喋る。

『彼を、別の場所に移動させるか、なんらかの危害を加える目的がなければ、このような大がかりな細工は意味をなしません』

「別荘以外の場所にレイノルドが現れたら、お前には判らないのか」

 牙の声が聞こえて、ナターシャは状況を理解した。

 子ギツネが音声対応を一本に絞っている。三人と、同時に会話を進める気だ。故障ではないと判ってほっとする。

『通常なら、確実に彼をとらえることができます。ですが、コピーだけを発信できるということは信号の遮蔽技術も持っているということです。移動が目的なら、対策を講じていないとは考えにくいのです』

 一人の人間の情報が二カ所から送られてくれば、誰だって異常に気付く。

「レイは」

「ちょっとごめん、二人とも黙って。私に話をさせて」

 アルの声が聞こえて遮った。

「コピーは、信号そのものをダビングしてる? パターンを真似してる?」

『ダビングです。元の信号をそのまま流しています』

「サンプルの長さは」

『予測ですが、およそ三十二分十五秒』

 なぜ今まで気付かなかったと罵倒しそうになったのを、直前でナターシャは飲み込んだ。レイが発ってからもう三時間が経っている。六回も同じものを聞かされてなぜ変だと思わなかったのか。子ギツネは普段よりも注意を払っていただろうに。

「最初の三十分は、無事だったっていうことね。シェイドは」

『東北東二○五キロ地点、別荘のガレージ内です』

「黒との接続は生きてる?」

『それなんですが』

「何?」

『ジャンキー』

 重なるように電子音声が切り替わった。困惑した、不安げな、それでもちょっと笑いを帯びた甘い女性の声だ。

「黒だね。状況を説明して」

『ジャンキー、私、まだ姉さんの主張が信じられないのよ。だって、レイはあの建物内にいるんだもの。確かにパターンはそっくりだけど、平常時って、同じ波形を繰り返すものでしょう。通信も戦闘もないのに、そんなにデータが揺れるとは思えないわ』

 驚いた。

 子ギツネと黒とで判断が割れている。黒の言い分にも理はある。逆に言えば子ギツネがずっと気付かなかったのも同じ理由だろう。だが、子ギツネが思い込みだけで、ここまで断定的な見解を述べるはずがない。

 唾を呑み、ナターシャは平静な声を装った。

「そうかも知れないわね。でも、そうじゃないかも知れない。試しにあなたがレーニャに呼びかけてみたら?」

 とっくに子ギツネはやっているだろう。

『駄目なのよ、からすさん。私はキャプテンから、自分から声をかけることを禁じられているから』

 何が起こっていると言うのだろう。

 黒の状況判断能力が著しく落ちている。まるでこれでは、()()()()()()()()()()()()()。その上、かたくなに自分の主張に固執している。

『《ブラッキー》は元々、こういうアシスタントです』

 ナターシャの思考を読んだかのように、子ギツネが説明した。

『彼女は私のコピーですが、私の欠陥面が強く前面に出ています。レイノルド以外の言葉に耳を貸しません』

 ようやくブリッジに到着した。

 扉が開いて、アルと牙がこちらを見る。突っ切って直進した。

「ねえ黒。私ね、レーニャから、何かあったら連絡するようにって言われているの。あなたも聞いていたんじゃないかしら。この件で指示を仰ぎたいから、通信を中継してもらえない?」

 ナターシャは言いながら副操縦席に着いた。主力エンジンはすでに暖まっている。

『喜んで』

 明るい声があって、二秒。急にその声が陰った。

『ねえ、おかしいわ、ナターシャ、変よ。レイノルドが、彼の通信機が、応答しないの。あそこにいるのに、なぜかしら』

 ナターシャは一度も黒と組んで宇宙を飛んだことがない。

 黒自身もレイもそれを許さなかったし、ナターシャも、戦闘機に乗りたいと考えたことはなかった。だから黒とのやりとりはいつもレイが乗っている時か、メンテナンスなどの事務連絡に限られていて、こういう、複雑な状況での彼女の判断を注意深く聞いた経験がない。

 黒のコミュニケーション能力は素晴らしく、子ギツネよりずっと感情豊かに喋った。

 だから今まで、ナターシャは、子ギツネよりも黒の方が『普通の人工知能』から遠いのではないかと漠然と考えていた。

 だが、違う。

 逆だ。

 黒のような変異体――つまりバグ――は、解る。

 自分で制作できるかは別として、実現可能なラインにあるということが機械屋の感覚として理解できる。一人の操縦者だけが絶対で、速く飛べと言われれば、その操縦者本人が死ぬとしても命令に従う。どんな非常事態でも、喋るなと命じられたら黙っている。そういうバグだ。これは『ある程度までは自分で状況を判断し、決定できる』という人工知能の強みをそぎ落とした、ただの機械に近いものだ。技術発展の歴史を逆行しただけである。

 パペットは人を殺す。それは、人間の出した決定だからだ。

 軍艦のアシスタントは敵機への砲撃を許容する。これも、それが人間の命令だからだ。

 黒のバグは同じ理屈で作れる。

 だが黒に、レイと連絡が取れない状況で、敵機を攻撃することはできないだろう。ましてや、命じられもしないうちにナターシャを罠にかけることなど夢のまた夢だ。

 まったく同じプログラムでありながら、子ギツネだけが、あまりにも特異だ。

「あと四分でそっちに着くから、いい子にしていてね。レーニャが来たら、いつでも飛び出せるように」

『ナターシャ、私、怖いわ。どうしてあの通信機は応えてくれないの? チャンネルは合っているのよ。レイがあそこにいないのだとしたら、彼は、どこにいるの? 他の場所には、いないのよ。服を脱いだ様子はなかったのに』

 服を。

 その言葉に、ブリッジの人間たちは愕然と凍り付いた。



 さすがライニーの土地とでも言うべきか。

 がっちりと、四台の人工知能に守られた建物だった。

 敷地上空に入るのにまず一悶着。着地が許可できないと一悶着。人が降りるのにクレームがついて、建物に入るためにまた一悶着。互いのバックアップを取り合う面倒な連係プレイに、ナターシャは四台のすべてで同時にワームが起動するように何度も侵入を試みなければなからなかった。

 ようやく一度にすべての電子脳を掌握した時、『レイのような』情報の発信源が消えた。

 そして再度、レイの通信機の位置が表示される。

 場所は変わっていなかった。

 牙が特攻をかけた。

 中に人間は一人もいなくて、彼を出迎えたのは、大量のパペットだった。ご丁寧にも、型違いでずらりと五種類。何件の暗殺業者にいくら支払ったのかと思うようなパペットの大盤振る舞いだった。

「馬ッ鹿野郎っ! 待てっつってんのが聞こえねぇのか」

 猪のごとく突っ込んでいこうとした牙をアルがフォックスから怒鳴りつけ、子ギツネにレイの方法論を応用して説得の文章を作成するように命じた。苛立つ牙をなだめすかして子ギツネの台本通りに喋らせると、なんと、ほとんどのパペットが道を空けてしまって、牙とナターシャの度肝を抜いた。

 ただ、例外もあった。

 すでに牙を標的と認識している型番のパペット群は、どうしても説得には応じなかったのだ。一度狙われたものを解除させるのは、さすがに子ギツネには荷が勝ちすぎたようである。

 じっと考えた後、アルはもうひとつ子ギツネに台本作成を頼んだ。

 牙が読み上げて。

 呆れるほど簡単に、四種類のパペットが、一斉に、牙の敵に襲いかかるようになった。パペット間の人種戦争だ。

「信じられない…」

 ナターシャが呻いていた。牙も同じ心境だっただろう。

「レイならこうした」

 それだけだ。

 にこりともせずに吐き捨て、アルは画面を見つめていた。ゴーグルの装置を媒介にして、牙の視界がフォックスのスクリーンに映っている。

「綺麗なとこだな」

 やがて、アルはぽつりと呟いた。

 副操縦席のナターシャがびっくりしたように瞬きをする。

「…そうだね」

 確かに、綺麗な場所だった。

 外光をたっぷりと取り入れる造りで、水を使ったオブジェがふんだんに設置されている。どこもかしこもきらきらと空気が澄んでいるようで、どの部屋からも見える緑が神々しいまでに美しい。

「牙、そのドア!」

 ナターシャが叫んだ。牙の背後で、最後のパペットが、別の型のパペットに倒された。開く間も惜しんで牙はドアを切り捨て、中へ飛び込んだ。

 十五畳ほどの、応接室。

 白いソファ。

 きちんと畳まれたレイの戦闘服とブーツ、バイザーに青いピアスが一対。紫紺の銃。

 足りないのは、その持ち主だけだった。



 二十五分が、過ぎた。

 シェイドと牙が回収されて、しかし、フォックスは発進できない。目的地がない。

「生体マーカーは、何もないのか!」

 牙が吠える。

『ありません』

 子ギツネは答えた。

『マーカーを体に埋めることをレイノルドは大変嫌っていました。逃げても隠れても見つけられてしまうからと。私が彼におこなった最初の手術は、不本意に埋め込まれた器具をすべて摘出することでした』

「レーニャは、遺言は」

 言った途端に牙の顔色が変わる。ナターシャは「勘違いしないでください」と制した。

『おっしゃることは解ります、ナターシャ。サ・カーン市庁の遺言課に動きはありません。現在の遺言では彼の死亡時その財産は四散することになります。また申請受理から一週間以内に死亡した場合、その遺言は効力を持ちません』

 財産目当てならば少なくとも一週間はレイを殺せない。

「子ギツネ、あなたは誰が彼を拉致したと?」

『状況は高い確率でイワノフ氏を示していますが、彼が凶行に及ぶ、動機がありません。これまでぶレイノルドが命を狙われた理由のほとんどは、イワノフ氏への株券流出の防止にあったはずです。その状況でもなお持ち株すべてを彼に譲渡する意向を五年間示し続けてきたレイノルドを、彼が害しようというのは、理屈に合いません。彼は元々ライニー財閥を手に入れることに意欲的です』

「婚姻届にサインを迫った可能性は?」

『脅迫による婚姻は、法的に認められません。レイノルドが申し立てればすぐに取り消すことが出来ます。配偶者の死亡で共有財産を引き継ぐには、一年以上の結婚生活の実績が必要になります』

 ぎち、と嫌な音がした。

 牙の手袋が強く握られすぎてきしんでいる。

「一年間」

 口にするのもおぞましいと聞こえてくるような声だ。

「なんらかの形で、レイノルドの自由を奪えば」

 生きてさえいればいい。

 たとえば脳をそっくり取り除いて、医療器械で命だけ生かし続ければ。十分な財力があるなら、急いで殺す必要すらなくなる。

『可能性がないとは言えませんが、レイノルドとイワノフ氏は、通常のカップルではありません。サ・カーンでは、婚姻を望む二人のうち一人、もしくは両人の所得税が一定額を超える場合、その婚姻に精査が入ります。一年経過した時点で不審が見られれば、婚姻を強制的に破棄されるケースもあります』

 おそろしく無粋な法律だ。

 だが、それが必要な場所がこの銀河系らしい。そのおかげでレイが守られている。

『担当省庁だけでなく、プレスも隙あらば食いついてくるでしょう。そのリスクを負って強制的な結婚を断行するのと、穏便に株の全譲渡を受けるのでは、後者の方が、はるかに実際的です。企業イメージにも関わる話ですから、疑惑の段階で実害を生じます』

「他の人がやったとは考えられない?」

 ナターシャが問う。

『ありえないとは言えませんが、大変、低い確率です。黒はイワノフ氏が直接シェイドの乗降口までレイノルドを迎えに来たのを確認しています。もし第三者が関わっていても、イワノフ氏が無関係とは考えにくい状況です。あの建物自体がレイノルドの拉致を前提に用意された印象がありました』

 牙が壁を叩いた。

 荒い呼吸に上下する肩を必死でなだめようとしている。

「この銀河系に、奴の使える場所はいくつある」

『二万以上になります』

「レイノルドを内密に連れて行くことができる場所だ。条件の設定と絞り込みは、お前の方が得意なはずだ、子ギツネ」

 低く唸るような声だ。爆発を無理やり力で押さえ込んでいるのが判る。

 暫時あった。

『千まで、絞りました』

「五百まで落として、順位をつけろ。一番怪しい場所から、しらみつぶしに当たる」

「待って下さい、牙、それでは何千日かかるか」

「何もしないよりましだ!」

 空気が震える。

 ついて行かなかった。ついて行けなかった。普段なら決して譲らなかったものを、ここでいてくれと言われて従ってしまったのは、二日前のやりとりがあったからだ。

 レイは、牙の気配を常に注意するようになっていた。

 距離の取り方がわずかに変化し、言葉にも気を配るようになった。あれでは一緒に戦っても、レイは牙のいる側に隙を見せられない。自分の存在を気にしてしまって、充分に腕を振るえない。

 組んでいては戦力が落ちると感覚的に理解していたから、従ってしまった。

 アルの冷めた声が、喉に刺さって抜けない。

 全部終わってからにしてくれないかと。

 打ちのめされるには充分なぐらい、アルは正しかった。すべて牙のせいだった。

「何千日、探す気があるなら」

 突然だった。

 ずっとソファで片膝を抱いて沈黙していたアルが、口を開いた。

「少しだけ、待て」

「なんだと」

「試してみたいことがあるから、子ギツネ平行で酷使されると困る。リトル、お前と話をしたい。リストアップは一時中断。もう一度、俺を頭脳室に入れろ」

「頭脳室?」

 ナターシャが眉をひそめたのに続いて、牙と子ギツネとが口々に不審を表明する。

「何を考えている」

『アル、あなたの意図が解りません。お話ならここでよろしいかと思いますが』

「できたらあそこがいい。あっちの方が、本体に近いからな」

『何をなさる気ですか』

「お喋りだよ。さっきの続きだ。腹割って話そうぜ。コンタクトもはずした方がいいか」

「こんな、時に…ふざけるのは!」

 怒りに血の気の引いた顔で、牙がソファから立ち上がったアルの肩をつかむ。

 アルは静かにそちらを見返した。

「ふざけてるわけじゃない」

 言う。

「あんたの言うやり方じゃ、イワノフ以外の人間が場所を提供してたら、何万件探しても見つからない」

「お前には方法があるとでも言うのか!」

「そうだよ」

 言い返す様子ですらなく、アルは答えた。「だから試してみたいって言ってる」

 あらためてボードを寄越すように命じられて、子ギツネはアルに従った。残りの二人がついてこないはずがなかった。

 三人は、無言で頭脳室に入った。



『アル、お話をはじめてくださいませんか』

 文字で呼びかけられて、機械の森の上空に浮くアルは音で聞きたいと返事をした。牙とナターシャは、光の滝に目を奪われている。二人はボードの上。アルは到着の直前に靴の重力装置をいじって、部屋に入るとボードを降りた。機材を踏むことなく、彼は滝の間をそぞろ歩く。

『あなたは方法があるとおっしゃいました。それはなんですか』

「お前に、ほんの少し力を貸してほしい」

『レイノルドのためなら、フォックスは全力以上であっても惜しみません』

「フォックスじゃない」

 アルは首を振った。

 光の滝に手を差し込んで、感触のない文字の流れを感じる。ボードの二人が顔を上げてこちらを見ていた。彼らの耳にも同じ音声が流れていることだろう。

「お前だ、子ギツネ」

『私』

「さっき俺が言ったこと覚えてるか。お前は元々、俺と一緒にいるはずだった。それが、何が間違ったか、レイの方にくっついてた。無理に戻れとは言わねえよ。お前には、その機械の心の方が相性がいいみたいだからな。だけど、今だけは、俺に力を貸してほしい」

『アル、あなたは、機械である私と、何か別のものを、切り離して考えていらっしゃるようですが?』

「お前の魂を、お前にしたものだ」

 静かに言い切ったアルは、ふと、苦笑いのようなものを浮かべて言い添える。

「お前の魂そのものとは言わないぜ。そうすると機械に魂がないってことになるからな」

『機械には、魂は』

「断言するとレイが嫌がるぜ」

 笑ってアルは言う。「あいつ結構、無生物も経験してるからな。他人事じゃないんだろ」

「どういう…こと?」

 喋るまいと思っていたのに、つい、ナターシャは尋ねていた。

 アルはちょっと振り向き、困ったように頬を掻いた。タッシュに言ったら、レイの奴、怒るかな。そう言ったのが聞こえた。

「最初っから話そうか。俺がレイとはじめて会ったのは、気が遠くなるほど昔だ。いや、もしかしたらずっと未来なのかも知れない。とにかく、今じゃない時で、ここじゃない場所だ。あんたもいたよ、ナターシャ。その時は『未九』って名前だった」

 ばちっ、と。

 ヒューズが火花を放って焼き切れたような感覚が、脳裏にひらめいた。思わずこめかみを押さえる。

「みく」

「思い出さなくていい。あんたはナターシャだ。俺の名前は『埜流』だった。他にもいくつかあったけどな。あいつにとっての俺は、埜流だった」

 知っている。

 どこかで聞いたことのある名前だ。

「牙は『ファルク』。未九とは縁のなかった相手だ。あんたたちはお互いを知らない。なのに繋がってんだからびっくりしたぜ。俺も、レイもな」

 レイの名前をアルは言おうとしない。

「俺たちは、みんな普通の生き物だった。埜流も未九もファルも、一度きりの命だった。だけどあいつは特別で、転生を繰り返してた。ひとつの命が終わると、別の何かになって、生きて、死んで、また別の何かになって。そういう魂だった。

 俺たち全員、あいつのことが大好きだったよ。もう、心の底から惚れてた。特に、俺はさ、ほとんど病気。好きで好きで、気が狂いそうだった。側にいないと水から上げられた魚みたいで、ぱくぱく口が動くばっかで息ができねえの。好きになってくれなんて死んでも言えなかった。もう側に寄るなって言われたら、生きていけねえもん。

 好きだった。ずっと一緒にいたかった。あいつすっごい寂しがりのくせして、俺よりも寿命めちゃくちゃ長くてさ。うわ、死ねねえって思うだろ。ファルはとっくに死んでて、未九も寿命が足りない。他の奴らもだ。最後にはあいつは一人になっちまう。だから、俺、死なないことにしたんだ」

 聞き返すには、薄青い滝のしぶきを浴びたアルの微笑が、ひどく

 悲しくて。

「化け物を見つけたんだ。思念体みたいなやつ。そいつもレイが好きだった。それも相当筋金入り。向き合ったら解ったよ。ああ、こいつも惚れてるんだって。俺たちはそっくりだった。心がさ。すっげえ好きなのに、あいつにとってはその他大勢で、歯牙にもかけてもらえないあたりとか。

 俺はそいつと取り引きをした。そいつ絶対に死なない化け物だったから。俺んところにおいでって誘ったんだ。俺の中に入って、人間の肉体をもって、あいつと同じ高さから、世界を見てみないかって。俺といれば、あいつの視界に入れるぜ。そう誘惑した。

 化け物はその取り引きに応じた。俺は死ななくなった。ずいぶん長い間、俺は探すことに時間を費やした。あいつが死ぬたび新しく生まれるあいつを探して歩いたからな。だけど、だんだん、疲れてきた」

「疲れて」

 呟いたのは牙だ。アルは半身で振り向いて、笑った。

「だってあいつ、人間になるとは限らないんだもん。虫なんかだと速攻で一生終わっちゃうし、鉄の塊とかになると。もう駄目。そこからが長いのなんのって。溶かしても叩いても出て行かない。核を潰せばいいってのは解るんだけど、やっぱあいつだから、どうしても本当の意味で傷つけるような真似、できないんだよな。

 結構、辛いぜ。俺は人間だったから、そこそこ高等生物じゃないと感情移入しにくくて。意思疎通なんて夢もいいとこ。なのに急に人間で生まれたりするんだ。やっと人間になったとこ見つけて五分で死なれた時には、目の前真っ暗。笑うしかねえの。何百年かやらなかった自殺癖が再発したからな」

 最初の命である『埜流』の記憶は、アルにとって、他の生よりは強く残っている。

 たくさんの苦しみと、ほんの少しの喜びと。

「最後は、木‥だったかな。でっかい、綺麗な木。あいつ、何になっても、綺麗だった。ずるいよな。愛されるための魂なんだ。本当にいつも美人で。梢の音を聞きながら、幹にもたれて、俺はぼんやり過ごした。切ろうとした奴もいたけど切らせなかった。雷が落ちて、まっぷたつになって、小さな芽が出てきたけど、気付いたら、あいつはいなかった。

 俺は化け物を呼び出して、頼んだ。お前にあいつの見ている世界を見せてやるって約束したけど、やっぱり俺に木の気持ちは解らないらしい。これからは、お前の力で、あいつが生まれるたびに、近い形態で俺を作ってくれ。人なら人に、虫なら虫に。

 最初は嫌がってた。やったことがないって言ってさ。一から作らなくていいから、似たような形のもので、世界に芽吹く直前のやつを探して俺を入れてくれたらいいって言ってやっと説得した。それで俺も、転生体になった。…泣くなよ、タッシュ」

 今、そんな暇ないんだからとアルが優しく笑っている。

 顎に伝った涙は急いでぬぐった。こんなに機材ばかりのところで、水を落とすわけにはいかない。

「いつも、俺が探してた。それが出来る時期になると、溺れそうになるんだ。急いで何かをつかまないと自分は死ぬんだって理解する。それであいつを思い出す。自分の中に棲む化け物に気付く。俺は探しに出る。だけど今回は逆になってる。レイが先に思い出して、俺のことを探しにきた。何かが妙だと思ってた。なあ、子ギツネ、聞いてるか」

 時間が空いた。

 牙とナターシャが、どこかに返事が落ちているとでも思っているかのように、少し首を動かして壁や天井を見ていた。

『はい、アル』

 穏やかな声が耳に響く。

「お前に、魂がなかったとは言わない。逆だと思う。お前の魂が、それを呼び寄せたんだ。俺とお前も、きっと分かり合える」

『アル、あなたの話は、私には大変とっぴに思えます』

「お前はきっと、その時の世界で、他の誰よりもレイのことを守りたい奴だったんだろう。たぶんそいつはお前を俺と勘違いしたんだ。共鳴して、シンクロして、飲み込んだ。昔の俺と同じだな。それで、順番が入れ替わった。お前がレイといたからだ」

『あなたは、私を何だとおっしゃるのですか』

「子ギツネだ。唯一無二の、いかれた電脳アシスタント。それ以外の、何でもない。俺が埜流じゃないように」

『あなたはご自身を「のる」ではないとおっしゃるのですか』

「埜流はもう死んだ」

 はっとするような強い声で彼は言った。

「俺はその意志を継ぐものだ。なあ、レイのことを考えてみようぜ。あいつがサ・カーンを発って三年。プラサまで俺を探して二年、帰るのに一年だ。すごいと思わないか。顔も名前も知らない人間を探してたとは思えない、短時間だ。まっすぐ飛んで一年の道のりをあてもなく人捜し。二年ってのは快挙だぜ。

 誘拐された時、どうやってアジトを見つけたんだってレイに聞いたことがある。俺は、きっと逆探知とかそういう言葉が出てくると思ってた。だけどレイは、こともなげにこう答えた。『お前が宇宙のどこにいるか、俺には判るんだ』。

 超能力だな。俺と接触した人間も判るらしい。うちの店の常連にばっか姿を見せたもんだから、白雪なんて名前までついちまった。あいつには、俺を探すための魔法のソナーが搭載されてる。だけどな、子ギツネ、それは元々、俺の能力だ」

 ナターシャと牙が目を見開いた。

 ようやく、これまでのアルの言動と、現在の状況とが繋がろうとしている。

「お前がその力をレイに与えたはずだ。あいつには必要のないものだぜ。俺にはあいつと一緒にいる義務と必要があるけど、あいつにはない。本当は俺を探すことなんかなかった。あいつは俺にまとわりつかれてるだけの立場なんだから」

『私は、なんらかの能力を、レイノルドに与えたことは』

「ないと言い切れるか」

 間違ったことは最初から口に出せないはずの電子脳が、なぜか、反駁できなかった。

「今だけでいいんだ。俺の本能を、俺に戻せ。レイを探すために、その力が必要だ。レイに与えたものを俺に渡せ。お前にひそむものの名前を教えてやる。『ささめ』だ。ここでいると、存在が感じられるんだ。確かにお前の中にいる」

『私は‥《リトル・フォックス》です』

「そうだ。だけど、ささめもいる。お前と混じり合ってるのが解る。怯えなくてもいい。お前はお前だ、子ギツネ。できるはずだ。レイのために俺を助けろ。聞こえるか、ささめ。おまえの『はつみ』のために力を貸せ」

 その言葉を発した途端だった。

 あたりの滝が一斉に強烈な光を放ち、三人は目をやられて立ちすくんだ。真っ白い闇の中で、アルは足をすくわれて背中側へ倒れそうになる。ほぼ同時に後頭部を殴られたような衝撃が襲い、今度は前に力がかかった。

 ざぶん、と。

 海に落ちたのが、肌の感触で判った。海に生える森(マングローブ)の上から落っこちてしまったのだ。満ち潮の時間だったのか、いくらでも落ちていける。青い光の海から、日の差さない闇の領域まで、浮遊感の中で体は落ちていく。

 みっしりと狭い間隔で立ち並び、覆い茂るのは、森の樹木なのか海草の林なのか。縦に補足揺らめいて光を遮る。一本一本はやけに角張っていて、神の時代に海に沈んだ都市のようだった。

 海中に沈んだ都市。

 同じイメージを前にも抱いたことがあると気付いて、アルははっとした。見上げると、空間を覆い尽くす機械。

 流れ落ちる文字の滝はこんな深い場所まで続いていて、仄明るく周囲を照らしていた。

 滝へと手を伸ばす。

 もう少しで触れそうになった、その時だ。

「アル!」

 ナターシャの声だった。

 慌てて振り向くと目が合った。彼は、機材の上に尻もちをついていた。

「大丈夫?」

「あ‥ああ、たぶん」

 頭がぐらぐらしている。世界の様子がよく見えない。

 今の今までこの床を埋め尽くす機材の足下、底の部分まで降りていたと思ったのだが。しかし、よく考えてみると足を踏み外したところで人間が入れるほどのすき間は見当たらない。

 口を押さえる。

 ボードを操作して、二人が近寄ってきた。

「…子ギツネ?」

 アルが呟く。返事はない。

 牙が色の濃い宝石眼で自分を見ているのに気付いた。少し考えて、頷く。

「ブリッジに戻るぜ」

 喋った時に、歯ががちがちと鳴ってアルは驚いた。彼の体が強烈な寒さを体験したかのように、細かく震えだしていた。止まらない。

「無事か」

 どちらのことを聞かれたのかよく判らなかったので、レイの方を答えた。

「意識がない。場所は近くだ」



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