Chap.20 タイトルと解釈
再会して、ひとつだけ、レイとイワンの二人は同じ驚きを分かち合った。
レイの背が伸び、身長差がかなり少なくなっていたことだ。
女性に対する礼儀に沿って、イワンはレイを自ら出迎えて建物の中へと招じ入れた。
* * *
「言っていい? あんた、ガキ相手に焦りすぎ」
「貴様に…ッ」
牙がすさまじい形相でアルを睨んだ。アルはしらっとした様子で、ソファの上、片膝を抱えている。いつものブリッジ。
「貴様に何が解る。それとも、貴様に言われたくない、かな」
ダーツの矢を、アルはもてあそんでいた。
この船に乗る時に家から持ち込んで、そのままにしていたものだ。誰に勝負を挑んでも全敗するのが目に見えていたので、手をつける気になれなかった。ただ、銀のデザインが洒落ていて、一本だけ、自室でペーパーウェイトにしている。
何かの拍子に部屋へ入れた時、これを見つけた瞬間のレイの表情の変化を、アルは今も鮮やかに思い浮かべることができる。
「…ガキ」
本当に、どうしようもないほど。
レイはアルが武器の類を手にするのを――本人は気付かれていないつもりでいるようだが――極端に嫌がった。こんな遊びの道具でさえ、彼には最初、凶器に見えたらしい。
ダーツ?
凍った表情を無理やり笑顔で隠して、レイは尋ねた。
やるのかと。
飾りにしているだけだよと、大袈裟に肩をすくめて答えるほか、アルに道はなかった。それでもボードは捨てずに今も取ってある。
牙なら、血塗られた自分の手に怯えるレイを支えてやれるのだろうか。
咎人の責め苦を分かち合って。
「イワノフってやつ、レイに惚れてんのか」
「ああ」
ため息が出た。
だから煮詰まった気持ちは解るが、ならばなおさら交渉前に男に恋愛を感じさせないで欲しかった。
「三年前って、レイ、いくつだよ…」
ロリコンじゃねえだろうなとアルは頭を掻く。
「子ギツネ。タッシュが戻ってこないけど、どうした?」
『私と共同でライニー本部のコンピューターにクラッキングを試みています』
素直に答える機械も機械だ。
アルは薄く笑う。
なんにせよこの状況ですることがあるのは羨ましいことだ。胸の中がざわざわして、どうにも落ち着かない。レイと離れてこんなに不安になったのははじめてだ。
「レイが戻る前に、あいつを置いて逃げなきゃなんないような真似はするなよ」
『はい、アル。絶対に』
絶対に。
口の中でその言葉を繰り返して、アルは投げ上げたダーツの矢を空中でつかまえた。
「待っ、て」
衣服の裾を、不用意にどこかに引っかけたような感じで、レイのなめらかな声はぎこちなくつっかえた。
「今、あなたは」
なんて。
与えられた言葉に、牙は馬鹿正直に同じ台詞を反芻した。
「お前に求婚できない」
力の抜けきった体にびくりと痙攣があって、落とさないように、逃がさないように、抱きしめる腕に力をこめる。
「俺と、結婚」
「できない」
「したい、の?」
「そうだ」
答えた声が強すぎて、またレイが震える。
「どう‥して」
「愛している」
髪の毛の匂いがする。
アルから時折ただようような、染料の匂いは一切ない。洗髪剤と、汗の匂いだ。自分の汗の匂いとあまりに違って、牙は目眩がした。男臭くない。その言葉は正しい。
だが、アルは、思い違いをしている。
この体臭が特別なのは、それ自体が特異なわけではなく、レイの香りだと思うからだ。それを混同して区別できなくなるほど、あの男はいつもこの香りを嗅いでいる。
「私だけが、お前だけを、守りたい」
耳を舐めると、ひゅっと妙な音がした。
悲鳴だ。レイが息を吸い込む音が引きつれてそんな耳障りな音になった。
口に耳たぶを含み、引き入れて、舌で穴の形を確認する。ピアスホールだ。貧乏揺すりのように小刻みに、レイの胸はすごい勢いで打っていた。背中の向こう側で右の手袋を取り、左腕に強く相手を抱いたまま、裸の手のひらをその心臓の上に置く。
「や…だ」
「怖くない」
襟の高いレイの服の胸元をくつろげる。
生い立ちと用心で、レイは、肌を見せる服装を選ばない。牙にはその気持ちがよく解る。安全のためというより、安心を求めて身を覆うのだ。二人とも寝床で靴を脱がないし、牙は寝床に入ることも珍しい。怯えないで済むなら本当は武器もいらないのに。
怖くないはずがない。
だが牙は、必要のない嘘はつかない男だ。
腐っても鯛だろう。
二人はほぼ同時にはっと目を見開いた。けれど五秒ほど、本当に二人ともがどうもできなくて、シュッと独特の音でドアが消えた時も、まったく同じ姿勢のままだった。
「何、やってんの?」
ごくひんやりと、アルは聞いた。
レイの腰が砕けて床に落ちる。襟元の布地を掻き集めるように、手で自分の鎖骨あたりを押さえた。牙が手を伸ばそうとしたが、指先が動いただけでレイの体が大きく波打って、それ以上、動けなくなる。
肩をつかんで牙を下がらせ、アルはレイの側から手袋を拾った。
「こういうのさ、全部終わってからにしてくんない? そん時には受けて立つから」
牙に向き直り手袋を押しつける。
今アルは明るい茶褐色の瞳をしていた。牙の青い目と対照的に、光を受けてあかね色に輝いて見えた。
「十近く年離れてんだから、あんたが周り見なくてどうすんだよ」
払うように牙が手袋を取った。
背を向けたのに気付いて、レイが弾けたように顔を上げる。
「俺が、女だったから…!?」
叫んでいた。
だから何だと問い返されれば、レイ自身では答えられなかった。解らなかったけれど、聞かなければいけなかった。
「そうだ」
牙は静かに答えた。
おそらく、彼が女でもあると知ったから、最後の均衡が崩れた。置いてあった防具一式を一度に片手でわしづかみにする。
彼の背後で、戸が閉まる。
「お前も、流されてんじゃねえよ、ボケ」
アルが苛立った声で叱っているのが聞こえる。耳の集音機の設定を船では最低レベルにしているのだが、どこかで手袋のスイッチに触れていたらしい。
「‥‥アル」
その声が聞きたくなくて、あらためて、牙は電源を切った。
女だったから。
他の男に渡せないと気付いてしまった。
「お前さ、どこにいんの?」
『それはどういう意味ですか、アル』
「お前の本体って、どこ?」
『船倉にある頭脳室はアシスタントシステムの装置で埋め尽くされています。私の八割はそこにある、と表現することも可能ですが、それで回答になりますか』
アルは苦笑いをした。
指先でダーツの矢をまわす。ペンよりは重たくて取り落としかけた。
「そこ、俺が入ってもいい?」
『どうぞ。ご案内しましょうか』
「おう」
立ち上がったアルの前に、一メートル四方ぐらいの板が到着する。
足で歩くには充分に広すぎる船内を、その板に乗って、スケートボードのようにすべって移動した。操縦は子ギツネだ。一本、棒が出ていて、握ってバランスを取れるようになっている。
板ごとエレベーターに乗せられ、降りると、一瞬息が詰まった。
まさに『埋め尽くされて』いたのだ。床がない。ボードで浮かんでいないと何かしらの機材を足で踏んでしまう。天井が異様に低く、本来の床は数メートル下だという説明を、感覚的に納得できた。
アルがいる機材の上部空間には、あちらこちらに滝のような光の流れがあった。
近付いて見てみれば、それが無数の文字であることが判る。光る文字が絶え間なく現れ、上から下へ帯状に流れているのだ。画面やスクリーンを使用せずに、空間に直接、情報を投影している。
「すげ…」
音もなく流れ落ちる滝に手を入れれば、きらきらと光る文字が指からこぼれていく。
「タッシュなら、何が起こってるのか解るんだろうな」
『いいえ』
アルの独り言に、ふっとプレートが現れて――これも実のところ映像だ――子ギツネの言葉を刻んだ。
この部屋にはどうも、音声を出せる装置がないらしい。プロジェクターの性能の良さに対して、何やら、ちぐはぐな印象である。
『彼女はアシスタントシステムの専門家ではありません。人工知能はごく特殊な分野で、内部構造を本当に理解できる人間は限られています』
「そうなの? タッシュ昔、自分の船のアシスタントの『教育』に挑戦したことがあるって言ってたけど」
彼女にとってアシスタントは、踏みもしないのにやたらとかかるブレーキだ。
速度を上げれば『危険です』。他の船に接近しても『危険です』。
自分の飛行を許容できるようカスタマイズを試みたのだが、納得のいくアシスタントは出来上がらず、結局、彼女は電子脳なしで《白烏》を飛ばしていた。操縦は非常に困難になるが、チェイスの獲物に五十キロまで接近しても止まったりはしない。
『脳外科医でなくとも、人間の子供に寝床で靴を脱ぐように教えることはできます』
「レイには無理だけどな」
アルは笑う。
『ほとんどの人工知能系プログラムは、ビル管理用であれ、交通機関の改札であれ、同じ、ひとつのプログラムのコピーです。それを専門家と呼ばれる技術者群が手を加えて、バリエーションをつけていますが、基盤から作り直された人工知能で、実用化されたものはまだ確認されていません』
長い台詞は読むのに時間がかかった。しかし、文字情報は内容を考えながら知るのには向いていた。
「もしかして、それでアシスタントって、ライニーしか作れないのか?」
『はい。機密扱いですが、技術者の中では常識ですのでお伝えしてよろしいものと判断しました。他社の生産品も、人工知能ならば、基本は海賊版です』
「レイのじいさん、本当に天才だったんだな」
初代ライニー。
実務に耐えるはじめての人工知能を、単身開発したという伝説の機械屋だ。彼を擁して実際に財閥をつくったのが、形では二代目となっているジェシカで、この二人に血の繋がりはないとも言われている。
ため息をつく。
「最近まで気付かなかった俺も、馬鹿だよなぁ」
『何がですか、アル』
聞き返して欲しかったのだが、実際に聞き返されると苦笑が出た。肩をすくめる。
「なあ、子ギツネ」
『はい』
「お前、レイのこと、好き?」
返事がなかった。
「どうした?」
『悩んでいます。機械にそういう感情はないと一般にはみなされていますが、それを私が断言するのをレイノルドが嫌うのです』
「へえ? あいつ、なんだって?」
『人とは違う形の感情のようなもの、感情類似概念とでも呼ぶべきものを私たちは持っているというのが彼の主張です。それは人間の感情とも重なる部分を有し、それゆえに説得可能であるという信念をもってレイノルドは機械類に対峙します。そして実際に、彼は』
「うわ、ちょっと待て、消すな、追いつかねえ」
慌ててアルが止める。
一通りの教育は受けているし、公用言語で子ギツネは表示を出してくれているのだが、元々読むのは得手でないのだ。こう硬い単語を羅列されると対応できない。
「続き」
『実際に、彼は多くのパペットや対話能力を持つ機械をその話術で説得してしまいます。これを、彼は彼の理論の実証であると考えているようです』
機械に要求を呑ませる手腕で、レイの右に出るものはないと牙が言っていた。
「対話能力を持つ機械って、お前とか?」
『はい、アル。私が最もその詭弁に翻弄されています』
文字ながらあまりに実感がこもっていて、アルはつい吹き出した。
「持ち主つかまえて詭弁はねえだろ」
『例を挙げましょう。私は今も反駁の糸口を探している議論です。アルが整合性がないと判断して、レイノルドの考えを変えて頂けたならと期待しています。あなたの言葉なら彼は聞きますので』
ナターシャにも似たようなことを言われたことがあるなと考えたアルに、手元の文字は『あなたのイヤーカーフをお借りしても良いですか』と問う。意味が解らないままに頷くと、耳の通信機から、レイの弾んだ声で「子ギツネ!」と聞こえてぎょっとした。
「子ギツネ、聞いて、彼が来るよ!」
レイ本人からは今まで一度も聞いたことのないような、無邪気にはしゃぐ声だった。
「今日中に荷物をまとめて、この船に乗ってくれるって」
『お帰りなさい、レイノルド。彼とは、あなたの「あの人」ですか』
「アルだ。レッド・アイって呼ばれてた。私のことが判ったんだ。思い出していた。あのステーションで諦めなくて、本当に良かった。こんなことがあるなんて」
顔が熱くなった。
今からはもう一年も前、アルとレイがカウンターで顔を合わせた翌日の会話だ。あの夜レイはアルの部屋に泊まったが、船の用意をしてくると言って荷造りの間は出ていた。
『よろしかったですね』
通信機から聞くと、人間の声のように子ギツネの声は感情豊かに聞こえた。
実に嬉しそうな声なのである。
「本当にそう思うのか?」
いたずらっぽくレイが尋ねた。
『はい。あなたがこれほど喜んだところを、私ははじめて拝見しました』
「嬉しいからな」
レイの声は朗らかだ。
「私の喜びをお前も喜んでくれて嬉しいよ、子ギツネ。お前たちも彼を歓迎してくれると考えていいな?」
『もちろんです、レイノルド』
「じゃあ話は早い。お前と黒は、これから、彼の安全を最優先するんだ」
『それは』
いかにも人間味あふれる様子で、子ギツネの返答は一瞬の遅れをみた。『できません』という言葉を、かろうじて飲み込んだようにさえ聞こえたほどだ。
『どういう意味ですか』
「字義通りだ。彼の身の安全を、何よりも優先させろ」
『その「何よりも」は』
「そうだ。私よりもという意味だ」
『申し訳ありませんが、レイノルド、そのご命令は受理しかねます』
ここまでを聞いたところで、『ここから二分ほど省略します』と子ギツネの注が入った。押し問答が続いたのだろう。一瞬あって、「私の話を聞け、子ギツネ」と、やや不自然な感じで、再びレイの声が聞こえる。
真剣に熱を帯びた声だ。先ほどまでの、いたずらっぽく茶化すような感じは、すっかり消え失せていた。
「人間が生きるためには必要なものがある。酸素だったり、適当な温度だったり、他にもたくさんのものがいる。その中に私の場合はアルも入ってるんだ」
『生体レベルの話と精神的な問題を一緒にされては困ります』
「そうじゃない。お前は、私がいなければ、存在の意味がなくなるだろう。これも同じことなんだ。あいつの存在を知ってから、私を生かしてたのはアルだ。彼に会うという目的があったから私は生き延びられた。
そのアルが、私と来てくれると言っている。
私のために仕事も故郷も、友人や‥たぶん、恋人はいないと思うけど、とにかく何もかも放り出して一緒にいてくれると言ってる。あっちは私の事情を知らない。この船に乗るのが、どれだけ危険か知らせてない。騙している自覚はある。でも、騙してでも乗せたいんだ。卑怯でもいいから、あいつを連れて行きたい」
私とレイは自分を呼んでいる。
子ギツネ相手に俺と言っているのを、アルは、ほどんど耳にしたことがない。
「もう彼と話をしてしまったんだ。派手に怒鳴られて、殴りかかられて、遠慮のいらない間柄だというところを何人にも見られている。私との繋がりが生じてしまった以上、このままここへ残していっても、安全とは限らない。だったら連れて行く。この船とシェイドと私とで守り通す。私は彼に会うために生きてきた。今からは、彼を守るために生きる。そのためならセントラルにも戻るし、あの男の説得だって喜んでやってやる。私がお前の存在の意味なら、彼が私の存在の意味だということが理解できるだろう」
『しかしレイノルド、私とあなたとでは』
「同じことだ。私のせいで彼が傷付くのを、私は許せない。どんな状況での出来事なら私たちの責任かという点をお前と論議する気はない。この先の彼に起こるすべての災難に私は責めを負う。
安い映画のように、彼がいなければ生きていけないと私に言って欲しいか、子ギツネ。そうすればお前が納得するのなら、なんでも言ってやろう。今ここで誓う。彼が死んだら、私は後を追う」
『レイノルド!』
「当然、私は死にたくない。お前も私を生かしたいはずだ。だからアルを守れ。私よりも彼を優先しろ。彼に何かがあれば付随して私が死ぬ。いいか。死にものぐるいであいつを守れ」
『先程の言葉を取り消してください、レイノルド』
「そうすれば、私よりもアルの身の安全を優先すると?」
『仕方がありません』
「なめらかに嘘をつくようになったな?」
『嘘ではありません』
「頷いてしまえば、アルが死んだ後で、いくらでもお前は言い逃れができるようになる。そうなってからでは遅い。私は絶対に自分の言葉を取り消さない」
『ああ…』
それは確かに悲嘆の叫びだ。子ギツネが絶望に暮れている。
『どうすれば、あなたを説得することができますか。そのような危険な誓いをそのままにしておくことは私にはできません』
「気にすることはない。お前が私の言葉を取り消すように言うのは、お前がまだ、アルを最優先に考えていないからだ。最初に私だけを守る方法を算出する。その計算の順番を私と彼とで入れ替えてやればジレンマは生じない。彼が生きている間は、私が自殺する理由もないからな」
『できません。できないんです、レイノルド。あなたの上に誰か、別の人物を置くということは、フォックスの存在を否定することと同等です。どうしてもできません』
「だろうな」
『それがお解りなら』
「お解りさ。だから、あいつが死ねば私が死ぬと宣言しているんだ。この船の優先順位が不変のものだということは解っている。解っているから、最優先の人物である私を生かすための必要条件に、彼を入れた。お前は、人間を殺せる機械だ。持ち主だったリチャードを殺したぐらいだからな。私はまず最初に、お前から彼を守る必要がある。
彼のために彼を守れと言っているんじゃない。それは私がする。私がお前に求めているのは、私のために彼をまず第一に守れということだ。それなら、お前の行動原理に矛盾しない」
『それは詭弁です』
「だったらなんだと言う? 理屈が通ればいいだろう。いいか、子ギツネ。他の言葉なら聞きたくない。私を守るために彼を優先すると言え」
一瞬の沈黙。
『承知しました。第一位の保護目標であるあなたの自殺を防止するため、フォックスとシェイドは常にあなたと同等以上の優先順位をもって、あなたの「あの人」の安全を図ります』
『アル? 気分が悪いのですか?』
しゃがみ込んでいたら、子ギツネにすごく心配そうな声を出されてしまった。通信機で聞いていると感情表現が余分に伝わってくるのは本当だが、むしろ、こんな場所でアルに何かあったら、レイにどう言われることかと心配しているのではないかと疑ってしまう。
「あいつ…正気?」
『レイノルドに精神疾患の兆候は未だに見られません』
未だに、という言葉を選んだあたりに、どうやら、積年の恨みがこもっている。
「信じらんねえ、あの馬鹿」
『同意見です』
顔が上げられない。
どうして彼は、こんな、頭が沸騰するような誘惑ができるのだろう。平然とした顔で、自信たっぷりに何もかもねじ伏せてしまう。
「なあ、子ギツネ」
『はい』
「お前、レイが好き?」
やはり返事はない。この機械もなかなかに強情である。
「俺、好きだよ。それ以外には何もない。あいつは知らないけど、あいつの存在の意味は、俺じゃなくてもいいんだ。たった一年しか経ってないけど、今、あいつの意味は、牙でもよくなってる。これでライニーから自由になれば、誰だって好きになれる」
アルがとめどなく喋るからだろう、子ギツネは口を挟まなかった。
つかんだ棒の向こうに、海中に沈んだ都市のように、機材の森が茂っているのが見える。
「だけど、こっちは、代わりが利かないんだ。レイじゃないと駄目なんだよ。あいつじゃなきゃ駄目なんだ。あいつにしか惚れられないし、側にいないと息ができない。だって俺、そのために生まれてきてんだぜ。それが解っちまったら、どこにも逃げられない」
生まれ変わりの概念の、どこまでを子ギツネに理解させることができるだろう。
いや。
もうとっくに理解しているはずだ。
「お前、俺が解るだろう? 同じ感覚があるはずだ。本当に、双子みたいに同じ感覚が」
『アル‥、待ってください』
「お前と俺は、最初から一緒にいなきゃいけなかったんだ」
『待ってください!』
鼓膜が破れるような大音声に、思わず耳を手で覆っていた。
なんだよと言いかけて、あたりの様子に愕然とする。そこら中が激しい明滅で、流れる滝の量が先ほどの比ではない。
「おい‥どうした」
『緊急事態です。このようなことがあってはいけません。非常事態です。助けてください、アル』
「子ギツネ」
『レイノルドがいません。どこにいるか、判らないのです』




