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Chap.15 船舶制御用人工知能「子ギツネ」

 ブリッジにいたのは牙だけだった。

「レイは?」

 誰にとはなく問いかけると、牙が顎を動かし、子ギツネが『仮眠室です』と答えた。牙が示した方向には小さな部屋があって、板と布だけの簡素なベッドがある。

 入り口まで歩いて、悩んでいたら『どうぞ』と子ギツネが言った。

 勝手に戸が開かれたので中に入る。

 一拍があって、腰掛けていたレイが顔をこちらに向けた。座っているのは、壁から鎖でつながれたベッドの敷き板だ。手で壁の一部をおろしてそこで眠るようになっている。

 レイが少し驚いた顔をしたので、子ギツネが独断で自分を室内に入れたと知った。

 狭い部屋だ。

 本当に眠ることぐらいしかできないのではないだろうか。天井が低く、レイの位置では立ち上がると頭がぶつかりそうだ。

「おはようさん」

 挨拶すると彼は「うん」と答えて、時間を確認した。「こんな時間か」

「お前、寝てねえだろ」

「寝たよ」

「へえ?」

「…三十分ぐらいは」

 アルに意地悪く笑われて、決まり悪そうに目を逸らす。ぐしゃぐしゃ頭をなでてやって、了承も取らずに隣に座る。

「そんなへこむなら、最初っから、ありがとうっつって乗ってもらえばいいんだよ」

「別に、だからってわけじゃ」

「だったらどうしてお前、そんなに鬱入ってんの」

 レイの返事がない。

 開いた両膝の上に組んだ手を投げ出して、少し前屈みに床を見ている。アルは待った。

「解ってたけど」

「うん?」

「シェイドに乗る間は、フォックスが空になるのはまずいかなって漠然と思ってはいたんだけど、ターリャに言われると」

 彼女は素人ではないから、もともと痛い場所を突かれてダメージも大きかったようだ。アルは真横のレイを見る。そしてふと表情を変えた。

「レイ、ここなんかついてる」

「え?」

「ここんとこ。まつげかな」

 自分の右目の少し下、ほお骨のあたりを触るアルに、レイは反射的に、相手と同じ動きで己の顔を触って異物を探した。指で探っただけではよく解らなくて、何度か払ってアルの方を向く。

「取れた?」

「まだくっついてるぞ。あ、動くな」

 アルが身を乗り出して、レイの頭を支え、素早く。

 唇を重ねた。

「‥っ!?」

 後ろへ飛び退こうとして、体を起こした途端に頭を天井にぶつけ、床にしりもちをつく。目をまん丸く見開いて呆然と見上げてくるレイへ、アルは遠慮なく爆笑を浴びせた。

「すっげえ、マジで引っかかった」

「あ‥アルっ!」

「『ターリャ』にさあ、キス預かってたの忘れてて。ほら、チェイスの前。愛してるって伝えてくれって言われたんだよな」

「それはとっくに聞いてるよ!」

「言葉だけだったろ?」

 ウィンクしてみせる。レイは真っ赤になって口を押さえていた。相手がいつまで経っても床から動かないので、アルも寝台から腰をずらすようにして真正面にしゃがむ。

「ほら」

 右手を出すと、かなりうさんくさげにその手を眺めてから、ちらりと天井の高さを目で測り、頭を低くする猫のような姿勢で天井の高い場所から少し這い出てきた。

 こっちが手のひらを差し出しているから、ぽんと軽く片手を置かれた時には『お手』をしているような感じになって、アルは笑いをこらえるのに苦労した。

「よっ」

 かけ声ひとつ。「おい!」と焦った声で抗議が来た。

 両脇の下に手を差し込んで持ち上げてみた。猫をこんな風にすると思ったからそうしたのだが、流石に猫よりずっと重かったし、身長差があると言っても十数センチなので、高々と掲げるには都合が悪い。すぐに腕を深く差し入れ、肩近くで重さを支える、しっかりと抱きしめる形に移行する。

(華奢…でもないな)

 小さい印象があったが、肉付きは結構いい。筋肉だろう。格闘で鍛えているだけある。

「なんなんだよ…」

 レイが諦めたような声で文句を言っている。

 体の動きでの抵抗はまったくなくて、アルは喜べばいいのか悲しめばいいのか少し頭を悩ませた。

「お前、ほんと警戒心ゼロだよな」

「はあ?」

「やろうと思ったらなんでもできる気がすんだけど。キスはできただろ。これでだっこもできたし、お手もしたし、次は何するかな」

 お手って何。

 レイが腕の中で硬直している。

「次なんか、なくて、いい」

 言葉がぎこちなくて笑ってしまった。レイの顔は見えなかったが、むっとしたのが伝わってくる。アルは苦笑して、持ち上げていたのを降ろし、ぽんぽんと背中を叩いてやった。

「レイ」

「何」

「お前は、人を疑うことしかできない、なんてことはない」

 声に力を込めて語りかければ、レイの体にさざ波が走ったのが――これだけ密着していれば――はっきりと判る。

「俺は‥」

 レイの声が震えていた。「喋るんじゃねえよ」とアルはささやく。

「今はお前の言うことは聞かない。お前、自分はこうだって自分で決めつけて、縛っちまうからな。頭でっかちなんだよ。阿呆くせえ」

 子供の癖をして、保守的にすぎる。

 口先ばかりが磨かれて、言い訳ばかりが上手になって。殻に閉じこもって震えている。

「試す前に諦めるな。信じてみろ。ナターシャを信じたいんだろう。大好きだって自分でわかってんなら、そっから悩むな。泣きべそは本当に裏切られてからにしろ」

 大好きだから。

 だから側にいて欲しくないなんて、そんな馬鹿な話はない。

「怯えてんな。逃げるな。もう傷付きたくないなんてほざくな。裏切られる瞬間を考えてないで、とりあえず信じてみろ」

 だけど、と、胸元からかすれた声がした。

 それが耳に届いて、アルはゆっくりと腕から力を抜き、目を見るため互いの間に空間を作った。

「残ってもらえ、レイ」

「でも」

「そんなに俺は信用ないのか? これ以上お前に何したら、お前が俺を信じてるってのを信じさせられるか、俺、わかんねえよ」

 え、とレイが聞き返した。

 それまでとは少し違う困惑の表情で、ためらいがちに口を開く。

「アルが信じられるかの、話なのか?」

「決まってんだろ」

 解ってねえのと頭を掻く。腕はレイの体から離れていた。言う前から気恥ずかしくて、なんでもない様子を装うのに苦労する。ものすごく首が熱かったが、照れたら負けだ。

 言えと自分に命じて、息を吐く。

「もし駄目だったとしても、俺がいるからやってみろって言ってんじゃねえか」

 数秒。

 リアクションがなかった。

 そして、ぼんと音を立てそうな勢いで、一気にレイが赤面する。元の肌が白いだけにその変化は顕著で見逃しようがなかった。

「ちょ、アル‥それって」

「馬鹿っ、聞き返すな、お前は!」

 たぶん何を言われたとしても文句を付けてわめいただろう。真っ赤になったレイの顔を見たら、余計に恥ずかしくて、どうしようもなくなってしまった。

「いいか、二度は言わないからよく聞け。俺はな、二人で生き残りたいんだ。お前だけ残す気も俺だけ残る気もない。お前がシェイドに乗ってて、俺がフォックスに乗ってて、どっちかだけ撃墜されるのは嫌なんだよ。武器なしで戦闘機沈めて生還するような馬鹿な女がお前を手伝うって言ってる。上等じゃねえか。お前は俺のために牙を雇ったんだろう。お前一人じゃ俺を死なせるかも知れないから。ならナターシャだって乗せていいはずだ。俺も牙も船の操縦なんて出来やしない。お前一人じゃ手一杯なんだろう。だったら今すぐナターシャに頭下げてこい。俺のためにだ!」

 最後は怒鳴っていた。

 頭に血が上って、息が上がり、押さえようとしても肩が揺れた。

「俺たちは」

 変な声だと自分で思った。「一緒に、()()()()()()()んだよ」

 そこまで言い切ったらもうレイの顔が見ていられなくて、好きにしろと言って――なぜそんな捨てぜりふを吐いたのかは、自分でも理解できなかった――、アルは小さな部屋を飛び出した。

 残されたレイは、すとん、と床に座り込む。

(もし‥駄目だったとしても)

 誰に裏切られても。

(俺がいるから)

 大丈夫だと。

 絶対に、俺はお前を裏切らないと言われた。

 レイは手探りで横のベッドに腕を伸ばして枕を取り、逆側の壁に当てて、ぼすっと顔を押しつけた。

 しばらく、顔の火照りは取れなかった。



 ナターシャは小首をかしげた。

 開いていた扉から中を見て、それから静かに入室する。頭の中で間取り図を展開して、位置的には浴室の裏にあたるはずだと考えていた。

「子ギツネ」

『はい』

「ここは、何?」

『第二医務室です』

 明快な発音で子ギツネは答えた。

 薬の棚。

 冷凍睡眠の大型装置と、ナターシャが入っていたような再生装置が二台ずつ。医療用の自動機械が壁に収納されているが、扉の材質が透明なので何が入っているか一目で判る。

 本棚には、ずらりと並ぶ、紙媒体のファイル。

 背表紙の簡略なタイトルをひとつずつ眺めて、もう一度子ギツネを呼んだ。

「これを、読んでも?」

『いいえ』

 穏やかに彼女は言う。『レイノルド以外の閲覧は認められていません』

「なぜ、紙に?」

『それが最良との判断からです。保全、機密保護(セキュリティー)、破棄効率、の三点を優先しました』

 紙の情報は、突然の停電で失われることも、ハッキングで外から読み取られることも、燃やした後に復元することもない。

 ナターシャの眉間が厳しくひそめられている。

「これが、マスターだということ?」

『オリジナルという言葉の方が的確かと思います』

 背筋が寒くなった。

 原本と言うより本体だというのは、つまり、電子情報としても紙の情報としても複製がないのだ。バックアップを取る気がない。

「どうして私をここに?」

『おっしゃることが解りません、マダム。あなたはご自分の意志でこの部屋にお入りになりました』

「扉が開いていたのは、レーニャか誰かの指示で?」

『いいえ。私が、機材の搬入のために開けていたものです』

 感動した。

 ぞっと恐怖を覚えたのも本当だが、それよりも感動が(まさ)った。機械が言い訳を用意して人間を陥れ、しらを切っている。

「子ギツネ、あなたの制作者を聞いてもいい?」

『ライニー社です』

「実際に開発に関わった担当者を知りたいんだけれど」

『ティム・パーマー・サード、チョウ・ヒ、マルタ・ナザーレンの三人がレクサーンスの現場責任者として記録されています』

「ちょっと待って」

 またレクサーンスだ。

「私が聞いているのはあなたの開発者です、子ギツネ。フォックスじゃなくて。あなたは廉価版アシスタントではないでしょう?」

『いいえ。私は廉価版アシスタントです、マダム』

「‥何って?」

『フォックスで出荷時からの残存部品のほぼ四割は、アシスタントシステムのものです。私は、私自身にも改良を加えましたが、基本回路がレクサーンス用の廉価版アシスタントであることに変わりはありません』

 唾と一緒に、ナターシャは悲鳴を飲み下した。

 ライニー社の廉価版アシスタントは、シェア第三位の売れ筋商品だ。対応船舶によって個々に調整はされているだろうが、レクサーンスだけでも、同型の廉価版アシスタントが何千台この宇宙に存在することかと考えると目眩がする。

「あなたは‥、『教育』を受けた?」

『顧客による個人調整のことを示す言葉ですね。はい、受けました』

「出荷前に?」

『いいえ。出荷後です。それ以後も、私は三度の初期化とライニー社による再調整を受けていますし、レイノルドは常に新しい概念を受け入れるよう私に求めてきますが、それらの作業もあなたのおっしゃる「教育」に入りますか?』

 出荷後に三度の初期化。

 その意味を聞き返そうとした時だった。

「ターリャ」

 突然の声に振り向いた。ドアが収納された枠に軽く手をついて、レイが呆然とこちらを見ていた。

「どうして、ここを」

 言いながら解答をも得たらしい。みるみる苦渋に顔をゆがませ「ごめん」と呟いた。

「あなたを罠にかけるなんて」

「私は、この船に残りたいと思ってた。計略に乗せられたのはレーニャの方でしょう」

「うん‥でも」

 ためらって、レイはちょっと見上げてきた。ナターシャは笑って近寄り、その体を抱き寄せてやる。

「とんでもないアシスタントね。怖くない?」

「怖くない」

「私は怖いわ」

「子ギツネは、俺の意に反することはできない。だから俺は平気。今回も、俺がやろうとしていたことを先回りしただけなんだ。俺の味方でいる間は、ターリャも大丈夫」

 恐ろしいことを平然と言ってくれる。

「ファイルを読んだ?」

「背表紙だけ」

「…解ったよね」

「うん」

「それでも、船に乗ってくれる?」

 尋ねた声があまりに不安そうだったから、怒るべきなのに笑ってしまった。「レーニャ、うぬぼれが強いよ」

「そ…」

 ちょっと絶句していた。「そう、かも」

「船を降りるって言ったら殺されちゃうんでしょう。死にたくないもの」

「殺さないよ」

 今度はレイが笑った。やっと二人の体が離れる。

「別にこれは、機密っていうわけじゃない。なんの意味もないものなんだ。外に流出して世界中に知られたって今さら困らない。ただ俺が、個人的に、感情的に、知られたくないだけ」

 レイはゆっくりと本棚に近寄って、並んだファイルの背をなでた。

「俺の、成長の記録」




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