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Chap.14 宇宙船フォックス

「はづみ、埜流!」

 娘は大きく右手を振った。剣も杖も、武具の類はそこにない。

 代わりに左腕には一抱え以上もある籐編みの篭があって、ふんわりと布を贅沢に使った暖かな寝床と、生き物の膨らみがあった。

「よく来てくれた。褒めてくれ、双子だ!」

「えっ、と…、え、ええっ!?」

 長い旅の果てにたどり着いた寒村で、挨拶よりも先に見せつけられたものに青年二人は硬直する。

「あの‥それ‥‥未九ちゃんの、こども?」

「まだ幼名しかつけてないんだ。私にはセンスがないから、お前たちを待っていた」

「そりゃ、まあ、犬にイヌって名前つけて、黒い馬にカラスってつけたからね、未九ちゃんって」

「今のところ、上の女の子がヒトツで、下の男の子がフタツだ」

「だああぁぁぁっ、やっぱり!」

「未九」

 はづみが呟く。「……未九」

 呼ばれて、そちらを見て、いたずらっぽく娘の黒い瞳がきらめいた。

「褒めてくれないのか、はづみ。可愛いだろう。ほら、ヒトツは目元が父親にそっくりだ」

「あの、未九ちゃん、その子のお父さんって、つまり」

「年に一ヶ月はこの村に逗留しろよ。最低でもあと五人は生んでやる」

「未九!」

「なんだ、嫌なのか? でもお前、まだ私が好きだろう?」

 ぶは、と埜流が吹き出した。

「嫌だとしても我慢しろ。何しろ私は、まだまだお前を愛しているからな」


 何百年経ったって残るような家族を、私がつくってやる、はづみ。


-----------------------------


 目を開くと、やわらかい水溶液の中だった。

 ゆっくりと右手を動かし、左の肘に触ってみる。一度砕けたはずの骨が再生していた。口の中には歯もある。

(最新型の…再生装置)

 去年ようやく医療施設用に売り出された、骨細胞再生が四時間という待望の型だ。確か目玉の飛び出るような値段だ。四年ほど前に依頼を受けてプロトタイプの類似品を作ったことがある。

『お目覚めですか』

 声が聞こえて返事をしようとしたが、口と喉と肺とに入っているものが空気ではない。それでも口からは時折、泡が出た。

『溺れることはありませんので、どうぞ、落ち着いていらしてください。ちょうど、溶液を抜いてあなたをベッドに移そうとしていたところです。そうしてもよろしいですか』

 ナターシャは頷いた。

 横たえられた円筒に仰向けに浮いていたのが、重力が生じてゆっくりと背中側へ降りていく。体が安定したところで細かな泡として空気が入ってきた。

 五分ほどかけて溶液がすべて抜け、かぱりと筒の上部が開いた。

 静かに上半身を起こして意識的に咳をした。ほとんど色のない液体が口から溢れて、手の上にべちゃりと落ちる。息を吸って何度か同じことを繰り返すと、じきに胸から違和感がなくなった。

『慣れていらっしゃいますね』

「ええ」

『説明の手間がなくて助かります。お体の加減はいかがですか』

「おかげさまで、とても良いようです。治療してくれてありがとう。私は、どれくらい眠っていましたか」

『収容してから、三十八時間と二十二分経ちました』

「つまりここはフォックスの中?」

『はい』

「船長はどうしていますか。私よりも傷はひどかったでしょう」

『そうですね。内臓が損傷していましたので、あなたよりも重篤であったと判断できると思います。彼は現在、あなたが入っていたのと同じ装置に入って、浴室で治療中です』

「浴室?」

 ナターシャはあたりを見回す。様子からすると、ここが医務室のようなのだが。

『治療カプセルは透明で、全裸になりますので』

「余計な気を遣わせましたね」

 男女で同じ空間に裸体のままで眠っていては、先に目覚めた方が気まずい思いをすると考えたらしい。

『レイノルドが浴室で治療を受けるのは変わったことではありません』

 自動機械に優しく丁重に体を拭いてもらい、髪にあてられるドライヤーにナターシャは目を細めた。再生装置もその一例だが、この船の設備はどれも非常に性能がいい。

「あなたの名前を聞いても?」

『私はフォックスの電脳アシスタントで、《リトル・フォックス》といいます』

 そういえば、レイが子ギツネと呼んでいた。

「私の船渠に入った時の発話は演技ですか」

『はい。外部と接触する際は、レクサーンスにふさわしい廉価版の特徴を真似るように心がけています』

 レクサーンス。

 頭がくらくらした。抜群の安全性と、穏やかな乗り心地、値段に対してほどよい高級感を約束する、一般所有者向けの船の商品名だ。ディケンズではおよそ名前を聞くこともない、お上品な船である。使われている型はスコーピオン。

「そうですか。フォックスは‥、レクサーンスを真似た船だと」

『真似たのではなく、実際にそうなのです。購入当時の部品は一割も残っていませんが、この船は、基本的にはY2型のレクサーンスに個人改良を重ねたものです』

 絶句した。

 軍艦ならばともかく、民間向け商品のどこをどう改造したら、こんなとんでもない船が出来上がるのだろう。

『服をご用意いたしましたが』

 ありがとうと言いかけて、手に取った布地を広げたナターシャは口をつぐんだ。

 上質の絹の手触りだ。

「これは、誰か、船員の持ち物ですか」

『いえ。あなたの寸法を測って、私があなたのお目覚めを待つ間に作りました。お気に召しませんでしたか』

 船を飛ばすための電脳アシスタントが、裁縫。

 観念して彼女は立ち上がり、まずは下着を手に取った。着替えの間、髪を留めたいからとバレッタを頼む。ちらりともう一度、用意された服を見た。

 何事も、経験である。



「わお」

 ドアにもたれ、床に直接座っていた金髪の青年は、ナターシャを見てそう呟いた。

「似合う。すっげえ綺麗。異次元」

「ありがとう、アル。私はスカートを穿くのが六年ぶりぐらいだから、すごく妙な気分がするんだけど」

「スカートってか、ドレス?」

 それはもう、ふわふわのきらきらのつやぴかで。

 押さえた灰色の色調に、上品なデザイン。首まわりには同系色で少し暗めのショール。銀色の巻き毛と黒い肌がよく映えた。腕には長いレースの手袋。

「足は?」

 聞かれて裾をつまむ。

 これまたえらく上品な型の、高級そうなショートブーツを履いていた。

「踵がないのが救いです」

 この靴も子ギツネが作ったのだというから、あなどれない。一体、どんな材料をどこにどれだけ保管しているのだろう。

「アルはここで何を?」

「なんてのかね。うちのがきんちょ船長が、寂しくないように、っつーか」

「お前が、だろう」

 顔を上げたら真横に牙が立っていた。どうやら、ずっとそこで壁にもたれて立っていたらしい。とりあえず、「気が付かなくてすいません」と謝っておいた。牙が返事に窮する。会釈をする時に、無意識に両手で裾をつまんで屈むような仕草をしたのが原因なのだが、ナターシャは気付かず小首を傾げた。

「ここが、浴室なんですね」

 彼女が言ったのとほぼ同時だった。

 シュウッと空気の抜けるような音と共にドアが消失して、座っていた青年が後ろへ倒れる。「アル?」と訝しげな声が聞こえて顔を上げたら、レイと目が合った。

 さっ、と。

 華やかにレイの綺麗な顔に喜びが満ちた。

「ターリャ!」

 足元に転がっている人物と、横に立っている人物とを綺麗に視界から遮断して、年若い船長はナターシャの首に飛びついた。反射的に抱き留める。

「元気になって良かった。ひどい怪我だったから、心配したんだ」

「ひどい怪我って、見たの?」

「フォックスの目を使ってだけど。…あ、画像で見たのは医務室に運ぶまでだから、その、俺は」

 しどろもどろに弁明をするレイに、ナターシャがくすくす笑って首を振った。

「そうじゃなくて、感心してるの。船に戻っても意識があったんでしょう? 子ギツネがあなたの方が重傷だったって言ってたから。レニーがどんな姿をしていたか想像がつくんだよ、私」

「ああ、あなたも船乗りだから、隠せないな」

 レイが顔を赤らめていた。

 ナターシャが両手で、頭の形を確かめるようにレイの髪をなでつける。お互いがお互いしか見ていない、二人の世界がそこにあった。

 はじめて彼らのやりとりを見るアルは呆然として、二度目の牙は凍結させた窒素のように強烈な冷気を発している。

「速かったよ、レニンカ」

「え」

「あなたはとても速かったし、それに強かった。対戦できて光栄でした、レイノルド・ザ・フォックス」

 わずかに驚いた顔をしていたレイが、見る間に嬉しそうに相好を崩す。

「私もです。あのまま続けていたら逃げ切れなかったと思う。あなたと一緒に宇宙を飛ぶことができたのは、本当に幸運だった、白いカラス」

「次は、決着を付けたいね」

「同じ先行後追いなら、今度は後ろがいいな。シェイドだと追いかける方が楽だ。後ろにつかれると向き直って撃ち落としたくなる」

 物騒な台詞にナターシャが笑った。戦闘機は後方へ攻撃することができない。操縦中にずっと敵が背後でいるというのは確かに居心地が悪いことだろう。

「それから、フォックスを助けてくれてありがとう。嵐の中にいた時間の記録を見たよ。タトチカがいなかったら、この船は今のように無傷ではいられなかった」

 二人は互いを呼ぶ名前をころころと変化させた。

 ナターシャの変形が、ターリャにターシャ、タトチカ。レイノルドの方は、レニーからレーニャ、レニンカともはや原形をとどめていない。

「いつまで、抱き合っている?」

 牙の低い声がした。

 おそらく抱き合っているという言葉は適当ではない。ただ、手を握っているというのも少し違う。寄り添うような近距離で、相手の腕や肩や頬を自然な仕草で常に触れていた。

「牙が妬いてる」

 きょとんと瞬いてレイが言った。「この前もだった。彼は本当にあなたが好きなんだな、ターリャ」

 アルがつい吹き出して、牙の殺気に肩をすくめた。



「駄目だよ」

 静かにレイノルドは言った。

 ブリッジの操縦席。

 その斜め後ろにナターシャは立っていたが、レイはまったく振り向こうとしなかった。牙は壁際の床に、アルは自分のソファに座っている。

「あなたは次のステーションで船を拾ってディケンズに帰るんだ。白烏の操縦席は、もう九八のドックへ向けて発送してある」

「足手まといにはならない」

「この船は、俺と子ギツネだけで完全に手が足りる。余計な人員はいらない」

「本当に手が足りている?」

 聞き返した声に、レイはちらりと首を引いた。

「戦闘の最後に一瞬だけ、フォックスの動きが変わった。その前にあなたは『よこせ』と叫んでいて、その後に戦闘機のアシスタントが跳躍を自分一人に任せるなと言っていたね。つまりあなたは、レーニャ、戦闘の真っ最中に、シェイドの中から子ギツネに同調をしてこの船を動かして、それからまたシェイドに戻った」

 ごく一瞬だが、交戦中の戦闘機を兵士の意識が『留守』にした。

 無謀も度が越えている。

「あの時もしも優秀な操舵手がこの船に乗っていたら、あなたは戦闘機の操縦だけに集中できた。違う?」

 レイは答えない。

 なぜか一瞬、アルの口元に笑みが浮かんだ。

「子ギツネは常識はずれなぐらい操縦が上手だけれど、あの完璧さは旅客機に求められる種類のものでしょう。安全で、無難で、対峙した相手に動きが読まれてしまう。あなたのように戦うことはできない。だからレニーは戦闘になると必ずフォックスかシェイドかを選ばなければいけない。どちらかを生かすには、どちらかを殺すことになる」

 シェイドで出れば思う存分、宇宙を駆け回って攻撃することができる。だが、フォックスに残った素人二人、牙とアルを子ギツネに任せることになる。

 逆にフォックスを操縦する限り、シェイドを使うことはできない。

 いくらレイが優秀でも、同時に二つの船の性能を最大限に発揮しながら戦闘をすることはできない。人間の脳はそういう風にはできていない。毎回あんな馬鹿なことをしていたら、二兎を追いきれず彼の頭がクラッシュしてしまう。

「ターリャ、あなたも船乗りだろう。他人の船を操縦したいというのは、すごく、失礼なことだと思わないか」

「礼儀知らずな申し出だというのは、充分、承知しています」

 頷いて認めた。

 無意識のうちに言葉があらたまっていた。

「でも、レニンカ。無礼ついでに言わせてください」

 ゆっくりと一歩踏みだし、ドレスの裾を払って操縦席の肘掛けの真横へ屈む。しばらく視線を注ぐと、やがてレイが彼女を見た。

「私が要るんでしょう?」

 静寂が降りて、機械のかすかな唸りだけが遠くに響いていた。

 見つめ合ったまま暫時。

 レイがため息をした。

「正直に言うと、目眩がするぐらい魅力的なオファーだ。でも受けるわけにはいかない。絶対に駄目だ」

「なぜ?」

「俺は、あなたが、大好きだから」

 スクリーンを見ながら、呟くようにレイは言った。

「危険な目に遭わせるということ?」

「それもあるけど、ただ単純に、これ以上は近くにいて欲しくない。俺には、人を疑うことしかできない。ターリャは俺が好きで、俺はターリャが好きだ。あなたの命と引き替えになら、死んでもいいと思うよ。けどそれでも、この船を降りたくないと言われると疑いを抱かずにはいられない。俺は、あなたがいるといずれ来るかもしれない裏切りを警戒し続ける。今も、牙と契約を結んだことで誰かがあなたに金を渡して、俺と接触するように仕向けた可能性を、捨てきれないと考えている」

 ただ淡々と語る、レイ。

 冷ややかな声でもなく、苦しげな声でもなく、だから、胸が裂かれるほどに痛かった。

「俺には、それは、すごく辛いことなんだ。俺はずっとターリャを好きだろうし、これからももっと好きになっていくと思う。好きになるほど、疑うのは、辛い」

「レニー」

「その服、よく似合ってるよ。今子ギツネにもう少し普通の、動きやすい服を用意させている。いくらなんでもそれでステーションに降りたら、人目を引きすぎるからね。ドレスとアクセサリーは銃のお礼だ。持っていって」

 話は終わったのだと一方的に決めて、レイは優しい声を出した。バイザーをつけていてもなお目を奪われずにはいられない端正な横顔が、かすかに微笑んでいる。

 ナターシャはうつむき、黙して、立ち上がり、背を向けた。

 乱れのない確かな足取りでブリッジを突っ切ると、ドアをくぐって出ていった。

 そして。

 重苦しい沈黙が、船橋を支配した。



 最も近いステーションまでまだ距離があったため、その日はそれぞれ各自で食事を取り、そのまま就寝となった。レイが操縦席から離れようとしなかったので、牙は部屋に戻らずブリッジの床で仮眠を取る構えに入り、アルはそんな牙の肩を叩いて船橋を出ていった。

 翌朝、まだ早い時間だった。

 通路脇の、船外の宇宙を望むことができる小窓の縁に腰掛けて、外を見ているところに出くわした。

 知らない顔をして引き返そうか悩む前に、相手がこちらに気付く。

「おはよ」

「おはよう、アル」

「よく寝れた?」

 尋ねられて、ナターシャはにっこりした。寝てないのかとアルは小さな驚きを覚える。旅の供を拒否されたからといって、落ち込むような人間ではないと思っていた。

「二日間、寝てましたから」

 アルのポーカーフェイスをあっさり見破って、彼女は種明かしをした。なるほどとアルは苦笑する。

「朝、一緒する?」

「いいですね」

 しっかり食べるというので、遠慮をしないでなんでも取るように言ったら、ナターシャは本当に成人男性の三人分ぐらいの量を平らげた。見ているアルの方が彼女の健啖家ぶりに圧倒されてしまって、途中で自分のトーストを食べろと差し出すシーンまであった。

「よく食べたね」

「昨夜はあまり食べられませんでしたから」

 ナターシャは詳しい説明を避けたが、再生装置の後遺症だ。溶液が胃の方にも入ると、装置から出た後もしばらく満腹感が持続して食が進まなくなる。

「今日の午後には、ステーションに着くって」

「でしょうね」

「やっぱり、降りるの?」

 食後のコーヒーを飲みながらアルは尋ねた。ナターシャの恰好は、昨日とは一転して、すっきりしたパンツに厚手のジャケットになっている。アルが着てもおかしくないようなユニセックスな服だが、これもよく似合っていた。

「残念ですか」

 きらりと瞳を光らせて、いたずらっぽくナターシャは尋ねた。

「割とね」

「私を残らせたい?」

「うん」

「どうして」

「昨日の話だと、ナターシャがいた方が、レイは楽になるみたいだから。せっかくタダで働いてくれるって言ってるんだし、逃す手はないと思うんですけど」

 単純明快だ。

 ナターシャの口元に華やかな笑みが広がる。

「あなたは、私を疑わないんですか」

「さあ? でも、疑ったって俺は困らないでしょ。ほとんど他人だもん。レイみたく良心が咎めるわけでもないし」

 あっけらかんと言われて、ナターシャはますます笑った。

 頬杖をついて興味深くアルの顔を眺める。

「言っておくけどさ、レイが怖がってるのって裏切りじゃないぜ。裏切られたらさっくりお姉さんを殺せちゃう自分の方。レイはそう簡単に裏をかけるような奴じゃないし、牙の奴もレイにはべた惚れだからさ。ちょっとでも挙動が怪しければ、それこそ容赦しないだろ。あの二人相手に裏切るぐらい根性あるなら、それはそれで悪くないんじゃない? 変な言い方かも知れないけど、その時までは、徹底的に味方してくれそうっつーか」

 前半は脅しだが、後半は独創的な意見だ。

 ナターシャにしてみれば警戒が緩んだところで裏切られては元も子もないはずだと思うのに、そのあたりは頓着しないらしい。

「アルの目的は?」

「とりあえずは生き残ることっすね。俺だけでもなく、レイだけでもなく、二人で。牙も残ると楽しそうなんだけど」

 いざとなったら自分たちのために死んでくれていいと暗に言ってのけ、無邪気に笑う。牙だけではない。同じことをナターシャにも言っているのだ。最後に自分たちが生き残ればそれでいいのだし、そのためなら誰でも利用したいと。

「そんなに、彼を取り巻く状況は過酷ですか」

「誰?」

「レニー」

「俺も実感はないけど、そうなんじゃないかなと。レイが『決着をつける』までは、俺ら命を狙われるんだって」

 明日の天気は晴れだって、と言うような気安い口調だった。

 両肘をテーブルの上について指を組み、ナターシャは何かを透かし見るように目を細めた。

「金持ち、ですか」

 彼女の視線の先には、朝食に使った調理台(クッカー)がある。食材はある程度限られたが、既製の調理台には難しいと言われる料理ばかりを選んで注文してみたら、ことごとく素晴らしい出来栄えで舌を巻いた。

「あんま、そういう感じしないんですけどね、あいつ。ケチだし。‥何?」

 笑ったナターシャに、アルが眉をひそめている。

「毎日この船で暮らしていて、ケチと言えるのがすごいなあと」

「やっぱ、フォックスって金かかってる?」

「同じ大きさのダイヤモンドの方がよっぽど安くつきます。連邦主席だってこんな船にはそう乗れないでしょう」

 アルが口笛を吹いた。

 宇宙船フォックス

 採算性をどうこう言うつもりはないが、こうも遠慮なく金を食うであろう船を見たことがない。すさまじい設備投資をしているだけでなく、何もかも性能が高すぎて、恒久的に金がかかる。年間の維持費や燃料費がいくらかかるのかと思うだけで頭痛がした。コストパフォーマンスが絶望的に悪い。

 面白そうにきらきらと目を光らせていた後で、アルはふと不満げに口を尖らせる。

「なんでそいつが、椅子ひとつ買うのにあんなに金に細かいかな」

「そうなの?」

「ジャンクのバーゲン品、さんざん値切り倒して買った後で、傷を見つけてクレーム入れて二脚交換した上に、そこからまだ半額返金させたんだぜ。覆面で買ってんだから、少しは遠慮しろっての」

「やり手だ」

 感心してナターシャは明るい笑い声を立てた。

 ディケンズで、覆面、椅子を扱うくず屋となるとどの店か見当はついた。言い値で買えば新品を買えば良かったと後悔しただろうが、そこまで値引きさせたとなれば、相手の店も採算ラインをいくらか割っただろう。

 ジャンクゾーンでは売り上げのうち純利益の割合が高い。値段はあってないようなものだ。売り手と買い手の手腕が物を言う。

「たぶん、アル、私は」

 底光りするような黒い瞳を細めて、ナターシャは言った。

「レニーの『正体』に関して、目星はついています」

 刹那。

 アルの目がナターシャの目を鋭く射抜く。

「大胆すぎる仮説かも知れないと思っていましたが、どこかの軍事国家から強奪したのでなければ、こんな船を作成して、維持できる個人は限られます」

 年齢や船籍、レイの言葉の端々に落ちていたヒント。

 総合すれば見えてくるものがある。これでも一応、裏の情報を扱っている人間だ。その大財閥の息子はここ数年、行方不明になっていたはずだ。

「それで?」

 獲物に狙いを定めた肉食獣のようなひそやかさで、金髪の青年は尋ねた。

「私がこの船のクルーになったなら、私は決してあなたたちを裏切らない。誰かに言われて牙を待っていたということも、もちろん。それを保証するものは、言葉の他には何もありませんが、私はそれが真実であると知っています」

 アルは微動だにもしない。

 口元には緊迫した空気を裏切ってかすかな笑みが浮かんだまま、瞳ばかりを強く光らせているから、やけに楽しそうなようにも見えた。それを見ているうちにナターシャの口もほころぶ。

「役に立ちますよ。アルには計り知れないぐらい、レニーの負荷は減るはずです」

 笑み交わす。

 それは決して穏やかな心温まるものではなかったが、チェイスの最中のような渡り合う――つまりは解り合う――高揚感があった。

「そうだとしたら、あなたは、私をこの船にとどまらせたいですか」

「ああ」

 即応というにふさわしい反応で、彼は力強く頷く。「是非、そうしてほしいね」

「じゃあ」

 ナターシャは言った。

「あなたが、レーニャを説得してくれませんか」

 一拍。

 青年の青い目が丸く見開かれた。

 それから、額を押さえたかと思うと弾けるように笑い出す。

「うっわ、何それ、ありえねえ!」

 ナターシャは笑顔でそれを眺めている。爆笑がなかなか収まりそうにないので、彼の分と二つのカップを取って立ち上がり、飲み物をお代わりするために調理台に向かう。

「超絶卑怯ー」

「そうですか」

「普通、他人にやらせるか?」

「私は袖にされました」

「俺に説得できるって?」

「少なくともアルがやった方が成功率は高いでしょうね。レニーはあなたのことをとても大切にしているみたいだから」

「た…?」

 聞き返された。頷き、塗り重ねるような声で繰り返す。「大切に」

 ナターシャはアルの前へ湯気の立つカップを置いた。元の席へと座る。正面ではアルの目が青い。

 三匹、狐がいる。

 フォックス、子ギツネ、それにレイノルド。

 湯水のように金を注いだ船と、常識はずれの能力を持つアシスタント、卓越した船乗り。

 彼らは限りなく『完全』に近い何かだ。

 すべての部品が欠けることなく調えられた、完結したもの。ナターシャの作品が必然として使い手を選ぶように、この船も並の操縦者では満足しないはずだ。逆に、レイという底知れない船乗りを本当に活かすには、このえげつないまでに金をかけた船がどうしても必要なのだろう。

 レイがフォックスの操縦席に座っている限り、閉じた輪のように彼らは安定している。過不足は一切なく、完成した、ひとつの理想の形だ。ナターシャの付け入る隙はない。

 そこにシェイドが入るから話がおかしくなる。

 レイは自分の船を空にして戦闘機に乗る。操縦者が一人しかいないのに二つの操縦席があるという状況そのものが無理をはらんでいるのだ。

 それでも彼がシェイドを保持し使い続ける理由はおそらく、ナターシャの目の前にいる、この青年。

「なぜそう思ったかは、解らないなら教えません」

「は?」

「教えたら、レニーが怒るはずだから。私は彼が好きだし、悔しいことに、アルのことも結構気に入ってる。こんなに恨めしいのに」

「う‥うらめしい?」

 恨みと言うよりむしろ憎悪だ。『お前さえいなければ』と思わずにいられない。

 冒涜だと思う。

 あれほどの船乗りの、足枷になって、そのことを自覚していない。

 シェイドはアルを危険な目に遭わせないための機体だ。レイとやりあったナターシャは肘を砕き、歯を折り、数十の打撲傷を負って再生装置に放り込まれた。レイの方は圧力で内蔵を損傷したというから、血を吐いたことだろう。場合によっては手足は血管の破裂で赤黒くふくれあがっていたかも知れない。

 二人は、それだけ異常な船乗りだ。自分が生き残れる限界を見定めて、その直前まで遠慮会釈なく己の肉体と船体を酷使してしまう。だから速いし、強い。

 しかし同じことをフォックスでやれば、アルが死ぬ。

 強靱な肉体を持つ牙でも、シェイドのシートに座らせてあの戦闘の再現飛行をさせたら生きて帰れるか。生存確率は七割を切るかも知れない。限界を超えた飛行での加圧には、経験で慣れる以外には耐える方法がない。自分の体で学び取り、少しずつ速くなったレイやナターシャでも危険な領域だ。素人などあっという間に首の骨を折られてしまう。

 レイは、フォックスにアルがいる限り、本気では宇宙を飛べない。

 あんなにも速い船乗りが。

「悔しいよ」

 心の底から。

 両翼を無惨にむしられた鳥を見せて、憤るなという方が無理だ。彼が普通の船乗りならばいい。だが、レイは違う。危険速度を知らせるアラームに舌なめずりする、ナターシャと同じ種類の気狂(きちが)いだ。

 それでもレイはアルを選んだ。

 だからシェイドがあり、牙がいる。そして、同じ理由で、彼女も必要とされる。アルさえいなければ、レイには必要のないはずの、たくさんのもの。

「私は、あなたが説得するべきだと思います」

 彼にはその責任がある。

「アルが説得できないとしたら私にはもっと難しいし、私に説得できるなら、アルの方がもっと簡単に話を聞いてもらえる。それなら、最初からあなたが説得にあたった方が効率的でしょう?」

 にっこりと。

 アルはごまかされた部分を問いただしたいような複雑な顔をしていたが、やがて、肩をすくめて笑った。

「敵わねえな」

 暖かなコーヒーを喉に流し込んで、ふっと息を吐く。

 カップが空になるまで二人で時を過ごして、アルが立ち上がった。ひややかな目になり、見下ろす角度で問う。

「ひとつ、いい?」

「何?」

「あんたの目的は」

 慣れ親しんだ土地を離れ、仕事を放り出し、明らかな命の危険に身を投じ、自分だけの船を自在に駆っていたものが、他人の船で、別の船長を擁したまま、無償で働く。

 その負の要素を補う何が、彼女にあると言うのか。

「一度でいい」

「うん?」

「レーニャが本気でこの船を駆るところに、一度でも、立ち会えたなら」

 どんな代償にも、おつりが来る。

 凄味のある微笑みが彼女の口元に浮かんでいた。チェイスの前に話した時と同じ顔だと、アルは気付いた。

「失ったとしても、私の命ひとつ」

 それなら安い賭け金だ。

 アルの視線をどこか遠く感じつつ、虚空を睨んで呟いた。

「私はレーニャとは違う」

 守らなければならない誰か(アル)はいない。速さのためだけに、すべてを捨てられる。

 だから、ジャンキーと呼ばれている。



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