Chap.13 白いカラスと黒いキツネ 《ファイト》
少し、食らった。
平衡感覚がなくなるような強烈な振動と、耳を破く轟音。
揺さぶられて頸椎がいかれてしまわないよう、ナターシャは奥歯を噛みしめ、首に力を入れて耐えた。
ちょうど重力波の関係で重水素とトリチウムが濃淡を描いている層だったために、黒いつばめが通った後は誘爆に継ぐ誘爆。避けるにも限度があったので、多少の時間を食うのを承知で横へ逃げた。爆発の続く空間を一息で突破し、船首が外に出るや否や、重水素の層の上に腹を押しつけた。
ちょうど、低く素早く投げた石が水面を跳ねていく要領だ。
船は質量の重たい空間に腹をあて、反発を受けて跳ねては、また表面と平行に進みながら腹をあてにいく。上手く載せればほとんど推力を減らさないで元の進行方向へ軌道を修正できる。
(気付いただろうな…)
こちらが、シールドをほとんど本来の目的で使っていないことに。
遠慮するような船乗りではないと思うが、レイの優しい顔を脳裏に描くと一抹の不安が残った。
いらないと思ったのだ。
防御障壁は、ディケンズでは重要度の高い装備だ。いつなんどき、どこからどんな速度でジャンクが襲ってくるか解らない。接触の状況によっては船体が丸ごと大破する。
だが、自分がすべてよけていれば事故は起きない。
シールドが緩衝材に使えると気付いたと同時に、彼女は躊躇なく防衛機能を殺した。
「いい子にして!」
ガン、と思い切り左下へ振られて、彼女は操縦桿を更に引いた。
嫌な音を立てて暴れ狂い続ける船を押さえつけるように無理やり御しながら、前方の戦闘機を見やる。
顔を向けたとほぼ同時に、先行の黒い機体が火を噴いた。
思わず、目を剥いた。
ごく一瞬だったが、視界――正確に言うならデータから算出した脳内の宇宙――から、相手が消えたように見えた。それだけの速度だった。探知機から報告された秒速の表示を見た途端、声を上げて笑った。
自分でもその理由はよく解らないが、笑うしかなかったのだろう。
まったく、手加減する気はなさそうだ。電気嵐への針路も一ミリすらずらしていない。彼が蒔いた爆弾の海を避けている間に二十秒ほど取り戻されたリーチを、遠慮なく広げて逃げにかかっている。
計測すれば、差の表示は秒で三六〇を越えた。
速い。
なんという速い船乗りだろう。
秒速で言えばこちらの船の方が上なのだ。それなのに、一瞬でも隙を見せると瞬く間に差が開く。つまり、船で勝って技術で負けているということになる。
ぐん、と背中に体重がかかってナターシャは息をついた。
体勢をようやく少し立て直せたのだ。今までずっと腰骨の左とか右肩とか、変な場所に体重がかかっていたのが、やっと正常な姿勢に戻った。
破損部の状況を調べる。外壁が多少は傷付いたが、機器に問題はない。
針路には彗星が来ていた。
白と青の中間のような色に光り輝くガスの帯を眺めて、ナターシャは微笑んだ。加速の準備と平行して、帯に飛び込む。まだ爆発の名残を帯びていた熱い船体が一気に冷えて、損傷していた右翼に負荷がかかった。これ以上の破損をする前に、数ブロック切り離しておく。バランスは悪くなるが仕方がない。
船体の温度を確認し、ヒーターを入れる。
操縦席はマイナス十一度だ。最初から宇宙服を着込んでいるナターシャは大丈夫でも、これ以上冷えると機材が音を上げかねない。
前方を睨んだ。
嵐がすぐ近くまで迫っている。これ以上逃げられたら、中に入った時に追いかけにくい。慎重に加速をする。さすがに、緩衝装置の限界を超え始めていた。のしかかる圧力に腕が上手く動かなくて、操縦桿の操作も完全に脳波との同調に切り替えることになった。
ふと、嵐の右側にフォックスの姿を捉えた。
鈍い銀色の、およそ速いとは思えない平凡な型の船。シェイドや白烏には劣るものの相当な速度で疾走し続けている。チェイス中の二機があまりに非常識なコースを選ぶため、四十分足らずで追いついてしまったが、こちらも尋常な船ではない。
今は誰が操縦しているのだろう。この飛び方も悪くない。面白みはないが、確実で無駄がなく、綺麗だ。だがそれでもナターシャやレイと較べてしまえば明らかに格が落ちる。
もし、これをレイが操縦したら?
つい考えてしまって、苦笑すると頭からわくわくするものを振り払う。
意識をシェイドの方へ戻そうとした瞬間、眉をひそめた。
妙な動きがあった気がした。
レイを追うペースは一秒も緩めないまま、ナターシャは躊躇なく船外探査機を出す。嵐に遮られてこちらからは感知できない場所を調べるためだ。シェイドは嵐へ近付いていっている。
探知機がそちらへ回り込む前に、フォックスが光った。
砲撃を放ったのだ。
異常事態だ。ナターシャの決断は早かった。自分の都合ならいくらでも無視できるが、今回は逆である。あの船が今、卓越した操縦者を乗せていないのは、こちらのせいだ。
「レーニャ!」
何度も交信を試みる。
なかなか繋がらなくて、背筋が寒くなった。そのうちに探査機が状況を知らせてくる。そのデータを頭に直接注がれたナターシャは息を呑んだ。
「お願い、レーニャ、右折して!」
叫んだ後で繋がったと知った。急いで角度を指定し直す。
レイが驚いて聞き返すのが聞こえる。
「ターリャ、何を…?」
間に合わない。
すでに黒い船は完全に突入の体勢を取っている。今からでは修正が利かない。先に右折を開始しているナターシャの船ですら、このままでは嵐に突っ込んでしまう。
「フォックスが艦隊に絡まれてるよ!」
叫んだ時には戦闘機は嵐に呑まれていた。ノイズが耳に大音量で流れ込んできて、思わず眉をしかめる。もう通信機は使えない。
「この…っ」
自殺覚悟で減速をかけた。
思いっきりステアリングを切って、直角に近い方向転換を行う。同時にブーストすれば、衝撃と共に、肘掛け部分に張り付いていたようになっていた腕が勝手に跳ねた。左の肘に激痛が走ったのすらどこか遠くに感じた。
いきなりの減速と超加速。
慣性の問題として、超高速から更に加速するよりも、高速から前触れなく低速にする方が操縦者への負荷は大きい。その緩衝を、ナターシャの船では普通の調整装置の他に、シールドでも行っているわけだが、ものには限度というものがある。慣性相殺が限界を超え、強烈な加圧の増減に体が悲鳴を上げていた。
(左翼が一部持って行かれた)
嵐との衝突で、右折時に船体の左側がえぐられた。エンジンの開口部は無傷だったので景気よく船の八パーセントにあたる左外壁を傷ごと切り捨てる。
さっき右側を落としてあったから、これで、
(バランスが良くなった)
そう笑える彼女は、とんでもない猛者か度を超えた愚者か。
ナターシャの船のシールドは身を守る役割をほとんど果たさない。だから、事故や攻撃で船体が損傷した場合は、他の箇所に影響が出る前に随時、切り捨てていく。飛ぶために必要なものから操縦席の近くに配してあった。
「宇宙船フォックス! こちら、白烏のナターシャ。応答を」
『こちら宇宙船フォックス』
チャンネルを合わせて呼びかければ、即座に返答があった。
今、その船には、整然と隊列を組んだ軍用機の一団が真正面から迫ってきている。雁の群れのように八の字を描いて飛ぶ十四機の小型戦闘機の後ろには、母艦らしい大物が二艘。民間の宇宙船を襲うにしてはずいぶんと物々しい。
「あなたはアシスタントね。操縦者と話をさせて」
『現在、私が操縦を一任されております』
絶句した。
その刹那の空白に、正面から迎え撃たないよう高速で位置を移動しながら、フォックスは再び輝いて緑の光を放った。
先頭の四機が沈んだ。
やけに射程の長いビーム砲。それも、恐ろしく威力のあるものだ。
「いいわ」
唾を飲み込んで彼女は言った。
操縦者なしでアシスタントが敵機を攻撃している。信じられない光景だ。
「それが可能な宙域に入り次第、白烏は援護に回ります。あなたが今、何を望んでいるか教えてください。逃げ切ること? それとも、あっちを皆殺しにすること?」
『第一に生き残ること、第二に、あなたを巻き込まないことです。ご厚意は感謝しますが、マダム、あなたは来ないでください』
「宇宙船フォックス、もう一度言ってください。今、来るなと言ったんですか」
『そうです。援護は謹んで謝辞いたします』
ナターシャはフォックスごと前方の宇宙を睨んだ。
戦闘機は味方を撃たれても微塵もひるまずに、即座に隊列を直して再びフォックスへと向かっていた。フォックスはじきにあちらの射程距離に入って、リーチの長さを活かせなくなる。
それでも来るなと言うのだ。
「残念です。ですが、了承しました。援護はしません」
『ご理解ありがとうございます』
まだ一対十二。
長距離砲の影響なのか、わずかだが推力が落ちている。ルートは逃げに入っているのに足が遅くなった。
「白烏とフォックスは無関係だという前提で、勝手に攻撃します」
『マダム。それは詭弁です』
「こちらに文句を言っている暇があるなら、針路を座標YNK八一七に向けて修正」
緩衝調整が追いついて、体にかかるGが落ち着くと同時に、再びナターシャはエンジンに鞭をくれた。背中が硬い合成樹脂のシートにめり込むぐらい、容赦なく前方から圧力がかかる。一気にフォックスの前に出た。
新手に気付いて三機が隊列を離れてこちらに向かってくる。
攻撃と言ったが、ナターシャの船には、威嚇に使う軽い砲台しか載っていない。しかも砲弾は装着済みの数発を残して外壁と一緒にジャンクとなって宇宙を漂っている。
要するに、丸腰だった。
武器は?
誰かに聞かれれば、こう答える。
スピード。
「子ギツネ、これはルール違反だぜ」
ついに正面スクリーンに映されていた前方宇宙の画像まで切られて、アルが不満の声を上げた。
「さっきの話じゃ、あと十分もしたら前にレイたちが来るんだろ?」
そこまでして見せないってどういうことだとわめくが、今回、子ギツネがまったく返事をしない。肉体のある相手ではないから、沈黙されると非常にやりにくかった。
「子ギツネ、返事しろよ」
『牙』
やっと口を開いた子ギツネは、アルではなく牙に向かってやけに厳しい声を出した。
『何をしているんですか』
「することもない。装備品の具合を見ている」
『同調を切ってください。これ以上私をハッキングするなら、自衛措置として、あなたの新しい道具を壊すことになります』
「どんな船の乗員でも、自分の置かれた立場を知る権利はあるはずだ」
『勘違いをされては困ります。フォックスは通常の船舶ではありません。レイノルドだけのための船です。この船の中でなんらかの権利を有するのは、彼だけです』
「何?」
聞き間違えかと思った。
『良い機会ですので申し上げておきます。それが私の船長のために必要だと判断すれば、フォックスは、いつでもあなたを殺す用意があります、牙』
地獄のような沈黙が落ちた。
ゴーグル内側の画面にエラーメッセージが溢れて、牙は、静かにその電源を切る。
乗員には、何も権利がない。
それはたとえば、生存の権利すら。
ひとつの宇宙船を管制する機械の言葉として、これほど恐ろしい文句はなかった。船が人を殺すほど簡単なことはない。室内の酸素を抜いてもいいし、宇宙と気圧を揃える――つまりほぼ真空にする――こともできる。ヒーターをすべて切ってしまえば、人間など、あっという間に冷凍保存されてしまう。
「すげえ」
沈黙の中で、くつくつと喉を鳴らしてアルが笑い出した。
「お前も相当いかれてんのな。俺、機械って絶対人殺しできないんだって聞いてたぜ」
『あなたの認識はきわめて一般的であると思います、アル。通常、機械は自己の判断では人間を殺傷しません』
「それが可能な機械は、普通、欠陥品と言う」
『その通りです、牙。もしも市販の電脳アシスタントが自分は人を殺せると主張すれば、著しい欠陥があるとみなされて廃棄されます。つまり私を欠陥―――』
突然、ふつりと子ギツネの声が切れた。
電源が落ちた様子はなく、ブリッジ内の風景はいたって正常だ。子ギツネが人間だったなら口をつぐんだと表現するのが良いような奇妙な空白になった。
「子ギツネ?」
『アル、牙、よろしければ席にお着きになってくださいませんか。遊泳速度を速めた上で蛇行をする必要が出てきました』
「どういう意味だ?」
『席についてください、アル。無理にとは言いませんが、私の操縦時は、客観的に言ってレイノルドの操縦時より少なくとも五割は余計に揺れますので』
牙が座った。
それを見てアルも座席に着く。
操縦席と副操縦席は今床下に収納されていて、ディケンズに入る時に用意されたままになっていた後部座席に牙と仲良く並んで座ることになった。
座った途端にシートを泡のような半透明のカバーが覆って、体を奇妙なクッション材で包み込まれる。額にぐるりとはちまきを巻かれたような感触があった。人体の構造として、深く腰掛けた状態で額を押さえられると自分の力では立ち上がれなくなる。アルの方はそのことに気付かなかったが、牙が眉をひそめた。
「何事だ。やけに厳重だが」
『お答えするべきかを悩んでいます』
「なぜだ?」
『レイノルドが、アルに余計な心配はかけたくない、と言っていたからです』
「お前な…」
アルが呆れる。子ギツネは頭が良いのか悪いのか判らない。
「それ言っちまったら心配するなって方が無理だろ。教えられない方が心臓に悪いぜ。レイに関係があることなら余計にだ。喋りな」
『レイノルドには関係がないことなので迷っていたのです、アル。私は留守を預かる身として、あなたに彼の身を案じさせないことは心がけるべきなのですが、あなたにあなた方の身を案じさせることも回避すべきなのかと』
「おい、解りにくい言い方してんじゃねえよ」
アルが悲鳴を上げたと同時に、船が下からすくい上げられるような感覚があった。進行方向に対して上の方へ針路を変えているのだ。
「つまり」
牙が問う。
「危険なのは、奴ではなく、この船だということか」
『そうです』
子ギツネの腹は決まったようだ。隠すことをやめて、すらすらと状況を語る。
『十四機の戦闘機と、二艘の大型戦艦とが、フォックスへ向かって隊列を組みつつ進んでいます。画面を映しますか?』
映せという声が、アルと牙でぴったりと重なった。
真っ暗になっていたスクリーンが輝き、現在の前方の画像を背景に宇宙空間の模式図が現れて、敵機の位置が赤い点によって表示される。数は十六。二機を先頭に、綺麗なVの字を描いている。
「子ギツネ、もう一度聞くが、なぜシェイドの様子を映さない?」
『理由はもうお答えしたはずです』
「では質問を変える。お前が言った速く飛ぶためという理由の他に、さっきの、こいつに心配をさせたくないとかいうレイノルドの発言に考慮しているということはないか?」
『もちろん大いに考慮しました、牙』
平然と言う。
ようやく本当の理由を知ったアルが呻いた。「この石頭…」
『私のことですか、アル』
「そうだよ。お前そんな理由でチェイスの様子映さなかったわけ」
『はい』
「人間ってのは見えない方が不安になるもんなんだよ」
『シェイドに関しては、ご覧になった方が明らかに深く心配なさることになるかと』
「すげえ台詞」
ため息をつく。前髪を掻き上げるために右腕を持ち上げようとしたら、ゼリーの中を動かすように、やけに重くて時間がかかった。彼を包むシートシェルの影響だ。
「シェイド映しな」
『できません』
「レイの考えは後で俺が変えさせる。どっちにしたって、あいつは俺に『余計な』心配をさせたくないって言ったんだろ。だったら俺からレイの置かれた状況を隠すな。どんなに心配することになったって、『余計』なんてありえねえ。俺の感情を、お前が自分規準で勝手に判断するな」
『記憶します。ですが、それとは別に、シェイドを映すことは技術的に不可能です』
どういう意味かと聞き返そうとした時だ。
画面がまばゆい緑に輝いた。
車の中で急ブレーキを体験したかのように、ぐん、と体が座席に押しつけられる。少し時間が経って我に返ると、表示される点が、四つ、消えていた。
『向かって左手に、空間があいているのが解りますか。これは実際には何もないわけではなくて、電位が乱れていて情報が得られないために空白になっています。船乗りはこれを嵐と呼びますが、現在シェイドは、その中です』
「嵐の中だと」
「ナターシャの船もその中なわけ?」
『いいえ、彼女の船《白烏》は』
激しい振動と共に、十数秒の間フォックスは嫌な音を立てていた。牙は表示の情報から自分たちの船の移動速度が落ちたと知る。
『フォックスを中心に考えて左斜め後ろ、やや下方にいます。チャートでは左下に緑色の点で表示してあります。それから付け加えるなら、現在、私は彼女と交信中です』
「は?」
『援護を申し出てきましたが、お断りしました‥‥が。今、援護としてではなく、勝手に攻撃すると言っています。敵陣に白烏が攻撃対象と認識されました。この人は強情さでレイノルドと良い勝負ですね。説得に失敗しました』
揺れる。
少なくとも五割と言ったのは、正確を期するために誤差を大きく取った数字だったのかも知れない。アルには船がいつもの倍以上は揺れているように感じられた。少なくともという言葉がなければ嘘つきと言ってやれるのだが。
『大丈夫ですか、アル。酔い止めを差し上げましょうか』
慣れない揺れに体を緊張させていると、子ギツネが気付いて声をかけてきた。
知らず、目眩を覚えた。
小学校の遠足で宇宙遊泳に出た時、その宇宙船のアシスタントにも同じことを言われた記憶がある。
「いらねえ。この状況で酔えるか」
『嘔吐感がある時は、遠慮なくおっしゃってください』
ナターシャの白い船舶が画面をかすめた。
遠視装置で捉えられるぎりぎりの距離だったらしくズームをかけても巨大スクリーンの中で手のひらほどの大きさにしか移らない。アルは身を乗り出そうとしたが、額に力が入らず、どうしても体を起こすことができなかった。
左から来て、右へと抜けていく。
やや左へ針路を取っていたフォックスの前を、逆向きに横切る形になった。チャートでは三機が左翼の陣形から離れて迎え撃つ姿勢のようだが、映像では確認できなかった。
『抜かれましたね』
機械のくせに、妙にひんやりとした声で子ギツネが言った。
真正面を横断されたのが気に食わなかったらしい。
多数の熱反応が検知され、一度に三十を超える点がチャート上に現れて移動を開始した。射程に入った途端の、ミサイル一斉射撃である。フォックスがビーム砲で応じ、爆撃の輝きが次々と現れては消える。
「いい腕だ」
牙の独り言があった。
ごく素直な、含むところのない称讃だ。船での戦闘に乗り合わせた経験も多い彼には、迎撃する子ギツネの手際の良さが実感として解る。細かい最小限のレーザー照射で、上手にミサイルを叩き落としている。
「機械とは思えん」
『お褒めにあずかり、大変光栄です』
危機感のない会話が成立しているが、牙は喉の奥に重苦しいものを感じていた。確かに子ギツネは巧いが、それでも、楽観できない戦況だということが読めてきたからである。
ミサイルを放ったのは母艦二隻を含めた、陣形後方の六隻である。
フォックスが上方へ逃げながら対応を余儀なくされている時間を使って、前方の数機が特攻をかけに来ている。こちらに較べ動きが速く、船体が小さいだけに小回りが利く。かなり距離を詰められていた。
「子ギツネ、お前に、私たちと話をしている暇があるのか?」
『能力的には充分、余裕がありますので、ご心配には及びません。乗員の精神衛生の管理も私の役割です』
「お前が黙っていたところでパニックにはならん」
『そうですね』
否とも応とも意図の読めない相づちを返して、子ギツネは画面を切り替えた。
白烏の位置が中央に配されたチャートが現れる。
牙が眉をひそめた。
「いつの間に、二機減った?」
『十二秒前です。ごく一瞬、外部探査装置の反応速度を超えたため、表示が遅れました。申し訳ありません』
次の瞬間、赤、緑、白の三つの点が一直線に並んだかと思うと、緑ひとつを残して残りの二つが消えた。赤は敵機、白はミサイル。つまりナターシャは追尾機能のある敵のミサイルを誘導して、敵の目前で針路を変え、ぶつけてやったのだ。
原理は簡単だが、実現させるのは並の腕では不可能だ。
再び、フォックスが長距離砲を放った。
こちらへ近付く三隻をまとめて狙ったのだろうが、消えた表示はひとつだけだ。大型の砲台は発射までの準備時間が長く、熱反応で砲撃が読まれてしまう。
「逃したな」
『いいえ』
避けた一機を、ナターシャが屠った。
二キロメートルという至近距離に船体を寄せて、エンジンを噴射するという、とんでもない戦法で。
牙が装備を調えていなかったら、彼の顔から血の気が引いたのが見えただろう。
「あの女、まさか」
『あなたが懸念したのは、あの船が武器を積んでいないのではないかということですか』
「そうだ」
「おい、なんだって?」
アルがぎょっとした顔になった。
武器なしで、戦闘機の前に躍り出たというのだろうか。
『使っていないだけで小型砲は搭載しているかもしれませんが、大型の装備はサイズ的に無理でしょう。どうやら、核分裂炉を積んでいるようですので』
「核って‥んなもん、船に積めるのか」
『通常は積まないものだと言われています、アル。一般の原子炉は場所を使いすぎます。ですが、先程のエンジン噴射が核爆発の検知器に反応しました。核のエネルギーは宇宙を飛ぶのにはあまり向きません。予想ですが、普段は熱核ジェットとして核による熱の力で推進剤を噴射しているところを、攻撃に限り、核爆発をなんらかの形で直接利用しているものと思われます』
これまでに都合九機を失って、相手側の陣形が崩れはじめていた。
先程の砲撃は道を開けるためのものだったらしく、敵の減った場所を通ってフォックスはナターシャとは逆に左へ寄っていく。
「なぜ左に動く。嵐の方へ追いつめられるぞ」
『白烏からこちら側へ寄るようにと求められたこともありますが、それより、シェイドが現れた時なるべく迅速にこの船に収容したいからです』
「そうか、この中にいるんだっけ」
『レイノルドは白烏が追いかけてこないことに異変を感じて、外へ出てくる可能性が高いと考えています』
「でもこっちから中が見えないってことは、中からも外は見えないんだろ? いきなり、こんなドンパチやってる所に出てきたら」
人間の肉体を持っていたなら、子ギツネは微笑んだところだろう。
『シェイドは戦闘機ですよ、アル』
その時。
カラスが被弾したことを示す文字と灯りが点滅した。
シールドも用をなしていないようです、と、フォックスの船橋では子ギツネが説明していた。
轟音と、シェイクとでも呼びたくなるような激しい揺れ。
警告音が鳴り響き、あまりの騒々しさにナターシャはうっすらと目を開けた。
どうやら気絶していたようだ。
上に反りかけた船首を戻して、真正面まで追いつめていた一機のシールドの内側まで飛び込むと温存してあった小型砲弾をお見舞いして身を翻す。
派手な花火が上がる横で、見れば、近くにいたはずの船が見つからない。こちらの左翼側には戦闘機と大型戦艦が一台ずつ控えていたのだが、探してみると右翼側へ大きく移動している。元々のターゲットであるフォックスに攻撃の対象を絞ったようだ。
残りは、六隻。
まずい状況だった。
フォックスは中距離の攻撃をほとんどしない。おそらくあの馬鹿でかい砲台の他には、大きな武器を持っていないのだろう。あの遠距離砲で数機の戦闘機を一度に相手にするのは、拳銃で数匹の小バエを撃ち落とそうとするようなものだ。狙いを定めるうちに逃げられるし、とても追いつかない。
しかも後ろは電気嵐。中に逃げ込んだとしても生存確率は五割を切る。
ナターシャが戦闘機を引き受けて、フォックスには大型戦艦を狙って欲しかったのだが、なかなか思い通りにはいかない。ミサイルを食らって《ホワイト・クロウ》は、四割近くの部品を持って行かれていた。普通、こんなに体を削られたら遊泳そのものができなくなるのだが、幸か不幸か、それを織り込み済みで作った彼女の船はまだ充分に動くことができる。
「行きますか」
呟いたら、口の中に血の味と異物感を覚えた。
どう何をしたのか判然としないが、気絶していた間に唇が腫れて右の犬歯が折れていた。舌でかけらを移動させ、ちょっと考えた後で飲み込んでしまう。宇宙服に身を覆っているから、吐き出したら顔の周りをからからと折れた歯が飛び回ることになる。
失速していた船体に鞭を打って、加速をかけた。
最も近い船は、一艘の軍艦。
覆面船、とでも呼んだら良いだろうか。装いは一般の大型客船に似ているのだが、今まで見てきたデータはことごとく、その外見を裏切っている。装甲兵のようにがっちりと防具にくるまっていて、前後左右上下あわせて五十二の砲台を持っているのだ。ものすごく重たそうな重装備である。
守りが堅すぎて白烏の砲弾では当てても実害が出ない。
足はこちらの方がずっと速くて、すぐ相手の射程に入ったのだが――何しろすべての方向へ砲撃可能な船だ――、威嚇のためにすら撃ってこないのは、完全に無視することに決めているかららしい。
ディケンズのジャンキーを舐めてかかってくれるとはありがたいことだ。
やがて、二万キロメートルの近距離まで接近した。さすがにここまで近付くと、相手も動いた。『他の戦闘機のために、とりあえず落としておくか』という感じで、砲撃を開始する。
放たれるのは、大型ミサイルではなくビーム砲。
さっきナターシャが敵側のミサイルを攻撃に使ったからだろうが、目標追跡機能のない直線の攻撃など、暖まった砲台の向きを注意していれば簡単に見切れる。他に対処すべき戦闘機かミサイルがあれば話は違っただろうが、一対一で大型船が白烏を始末しようと考えるのが思い上がりだ。彼女は楽々と攻撃をかわして相手に近付いた。
差が縮まる。
生き残った機器を駆使して、相手のシールドの種類と範囲の割り出しをかけていた。彼女の頭で予想した限りでは、あと五分ほどで防御障壁の内側に入れるはずだ。
「この、大馬鹿野郎!」
突然だった。
一瞬も途切れない各種アラームの洪水の中、それでもはっきりと若い声が響いた。
「レニー」
「あんたはフォックスに合流しろ」
命令と同時にシェイドらしき反応を船外探査機が捉えた。
現在の針路の遙か先、ちょうど敵方の後ろを取ったような位置に、凄まじい高速で移動する熱源がある。
「子ギツネ、十八秒後の俺に向かって砲撃用意。出力は六十二パーセント」
『了解』
ナターシャとの通信をそのままに、レイが自分の船に指示を出している。アシスタントからの返事すら、シェイドのスピーカーから音を拾ってこちらに届いた。
「撃て!」
まさに自分がその位置に来る瞬間を狙って、レイはゴーサインを出した。
戦闘機が二隻と、大型戦艦が一艘。
見事に一直線上に並んだ瞬間を、フォックスの長距離砲の閃光が串刺しにする。エネルギー波は大型戦艦に巨大な横穴を開けて貫いた後、逆側のシールドに最後の力を阻まれて消失した。
そこで待ちかまえていたシェイドが――あとほんの少しでも砲撃の威力が大きかったら彼も撃ち落とされていた位置で――、シールドの損壊部分を狙って容赦なくレーザー砲を打ち込む。シェイドが沈むようにすいっと方向転換した途端に、その船は巨大な火の玉になった。
「早く針路を修正しろ、ぶつかるぞ、ターシャ」
言われなくても今やっているところだ。
完全に自爆するつもりだった設定を全部解除しなくてはいけなくて、その上絶え間なく降り注ぐレーザー砲を回避しなければならない。このまま突っ込んでしまった方がずっと楽なのにと思ったら、なぜか、勝手に顔が笑ってしまった。
「華々しく散るはずだったのに」
「馬鹿ッ」
もう一度、罵倒された。
レディを相手にして失礼な男だ。
「盾も剣もないカラスに、うちのキツネの護衛艦を気取られてたらこっちが困る。シェイドは戦うための船だけど、そっちは飛ぶための船だろう。生かすためじゃなくて、生きるために飛べ。死ぬ気になったんなら、そこからできる事がいくらでもあるはずだ」
あっという間に、シェイドは二機の戦闘機を屠った。
二機のちょうど中間に躍り込んで、攻撃しながら突っ込んできたのを充分に引き付けてからいきなり下へ逃げたのだ。一機は味方によって撃沈され、もう片方はシェイドが撃ち落とした。
残るはナターシャの横の大型船のみ。
砲撃の反動とブーストを組み合わせて無謀とも思える大胆な方向転換を繰り返し、見る間にこちらへと迫ってくる。
戦うための船、戦闘機。
これ以上速く飛べるはずがないと思った、追いかけっこの最中と較べてさえ、操縦者が違うのではないかと疑いたくなるほど鮮やかな手並みだ。
「子ギツネ、よこせ!」
ナターシャには意味の解らないことをレイが叫んだ。
見れば、いつの間にだかフォックスがかなり近くまでやってきている。
そこでようやくカラスは戦艦の脇をすり抜けた。追いかけていたものが、追い抜くような形で前に出る。後ろを見せた途端に、再びビーム砲とミサイルが撃ち込まれた。フォックスの側に出たので、今回は砲弾を節約する様子もなく雨あられと攻撃される。
二発、かすった。
レーザーが消えたところへ、フォックスが庇うように飛び込んできて発動する前のミサイルを自身のシールドで叩き落とす。突然の超加速と捨て身の戦法にナターシャの方がぎょっとした。
『レイノルド、待って、こんなもの一人で跳ばせないで』
「解ってる」
急に女性の声がしてナターシャは眉をひそめた。
『はらはらさせないでよ。角度一定、安定度一四二。隣の嵐の影響で少し揺れてるから、気を付けて』
その言葉でレイが何をしようとしているのか理解できた。
空間のひずみ、それもいわゆる《踏み切り板》を使って次元跳躍をする気だ。壊れていないのが不思議なぐらいの計器をなだめすかして確認すると、シェイドの目前に船乗りが《踏み切り板》と呼ぶタイプの、特徴的な磁場の乱れがある。
背筋が凍った。
あれに腹を乗せれば一気に加速ができる。できるが、この状況はまずい。
「レーニャ、それ以上出すと空中分解するよ!」
『大丈夫です』
答えたのはフォックスの電脳アシスタントだった。
『それよりお話があります。私の船長であるレイノルドはあなたを保護するように求めておりますが、曳航の許可をいただけますか、ミズ・ナタリア』
その瞬間に、シェイドが跳んだ。
弓弦を放たれた矢のように、戦艦に向かって一直線に距離を縮めてくる。
当然、戦艦は攻撃の大盤振る舞いをしているのだが、相手が速すぎて照準設定が遅れる。
それは、『ありえない』スピードだった。
現在の科学技術では、この速度に達してまで慣性の相殺ができるはずがないのだ。船が砕けてばらばらになる。万に一つでも分解が避けられたにしても、中にいる人間が無事では済まない。
シェイドは砕けなかった。
そして、なんと、いくつかの砲撃を自力で避けた。レイが生きている。
「どうして…」
何故あんなことが可能なのだと呟くと、『あなたが、その方法を彼に教えたのです』と、フォックスから冷めたような声がした。
「私が?」
『あの戦闘機は今、シールドを緩衝に使っています。ああ、終わりましたね』
戦艦が、沈められた。
小さな一隻の戦闘機によって。
『マダム。あなたの船を曳航したいのですが、よろしいですか?』
目を伏せた。
操縦席を脱出ポットにして密閉すると、手際よく外装を切り捨てていく。減速しながらの作業だったので、船の破片は前方へと流れていった。
「牽引して、私を収容してください。私は少し、眠ります」
今日は疲れた。