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Game Continued -ゲームの続き-  作者: 茶川左子(旧:シリカゲル)
第三章「おいかけっこ」
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Chap.12 白いカラスと黒いキツネ 《チェイス》

 船乗りが雲と呼ぶものがある。

 たとえば帯状に広がった重力波の乱流だ。ほとんどの計器が役に立たなくなってしまう。それがこの日はディケンズのはずれに広がっていた。

 幸いなことにその帯はフォックスの予定航海宙域の方向を大きく覆う形で伸びていた。

 雲の向こうなら、どんな飛行をしてもディケンズ側から察知されることはない。だからナターシャとレイは、わざわざ別のルートを取って、雲の外側で落ち合った。

 美しい、黒い戦闘機だった。

 十トンほどだろうか。戦闘機は概して小さく見えるものだが、それでも、やや小型だ。機首から機尾まで三十メートルにも満たない。

 すでに、フォックスの姿はない。

 探知機を出して探してみると、もうディケンズを出てかなり先を超高速で進んでいる。あの遅そうな船とは思えない秒速を計測して、ぞっと嬉しくなった。やはりあれも速い船だということだ。

 彼女の船はフォックスより少し大きい。

 だから、もしあちらの船の乗員がこの操縦席を見たら驚くだろう。人ひとり入るだけの空間しか存在しない。彼らの船のように歩いたり食べたりできるスペースなど、最初から用意されていなかった。ぐるりと周囲を計器に囲まれて、その座席はむしろ戦闘機のそれに近い。かさばる与圧服を着てカウチ状のシートに身を沈めたなら、それで全部だ。寝返りも打てない。

 それでも、本当はまだ船を小さくしたいのだ。

 フォックスぐらいの大きさの方が速さを追求するには望ましい。図体が大きくなるほど制御項目も増えて操縦が複雑化するし、何をするにしても余計にエネルギーが要る。だが、あのサイズではどうしても積み込めないものもあった。

 たとえば――工業用特殊原子炉。

 原子炉を積んでおけば、理論上、ナターシャの船は宇宙でも屈指の加速ができる。

 ただ残念なことに、現在市販されている船で原子炉を積んでいる商品はない。そもそも船に積めるような原子炉がまだ実用化されていない。

 だから作った。

 それがこの船だ。空飛ぶ原子力発電所。工業用の小型炉を原型がなくなるまで細工して、船に無理やり組み込んだのだが、そのお陰でどうしても船体が大きくなった。

 ターリャの船の名前は?とレイに聞かれた。

 答えたのは《白烏》。自分で愛称をつけたわけではないのだが、塗料に白を使ったせいか気が付いたら周りからそう呼ばれていた。中の人間が黒くて船が白。確かに白いカラスだ。

 見送りという名目を犯さないように、静かに機体を黒い戦闘機の後ろにつけた。すると慣性飛行をしていただけだった戦闘機が、ゆらりと少し体を揺らした。「始めよう」という合図だと察し、ナターシャは暖まっていたエンジンを軽くふかして応える。

「行こうか、からす」

 呟く声に応じる電子音声はない。

 一瞬。

 そして、戦闘機が加速する。

 ナターシャもほとんど遅れずにスタートを切った。



「映せ」

 フォックスの船内では押し問答が続いていた。

『拒否します』

「あのな、子ギツネ。別にレイは俺たちにチェイスの様子を見せるなって言ったわけじゃないんだろう。なんで嫌がるんだ?」

『余計なエネルギーを消費したくないのです。現在、優先しなければならないのは、千キロメートルでも多く飛ぶことですから』

「すぐ後ろの様子を画面に表示しておくぐらいで、運行を遅らせるほど消費エネルギーに差が出るはずはないだろう」

『訂正します、牙。私は一ミリメートルでも先に飛びたいのです。その単位では、画面の表示によって毎分かなりの差が見込めます』

「お前なぁ…」

 アルが呻く。秒速が何百・何千キロメートルの世界で、分あたりミリの話をしないで欲しい。

『あなた方のお許しさえあれば、この会話も打ち切りたいのですが』

「なぜ、そんなに先を急ぐ」

『急がなければ、レイノルドに追いつけないからです。私は、フォックスがシェイドから大きく引き離されることを恐れています』

「追いつく? 奴は遙か後方だ」

『二分前にシェイドが発進しました。あと五十二分間、先行を保てれば上出来だと考えています。フォックスが先を飛んでいる間は低速にすることで距離を縮めることができますが、抜かれてしまうと、その後こちらから追いつくことはできません』

 一瞬、牙とアルが黙った。

 ちょっと待て、という顔になっている。

「子ギツネ、お前は、チェイスはどのぐらいの時間がかかると予測している?」

『解りません』

 ごく素直に電子脳は答えた。

『レイノルドは八時間以内に終わると言いました。彼女は気狂い(ジャンキー)と呼ばれるような人間だから、戦闘機を相手にチェイスを長引かせるような真似は潔しとしないはずだと』

「八時間って」

『通常、戦闘機は最高速度で跳び続けると六時間から十時間程度で燃料が底をつきます。燃料切れで減速したところを抜かれたのだと解釈できるような、言い訳のできる負け方はさせてくれないはずだそうです。レイノルドによれば』

「待て。私たちが聞きたいのは、宇宙船の競争とは何時間もかかるものなのかだ」

『双方の船の能力や操縦技術が拮抗していれば、その可能性もあります』

「あの二人だと?」

『まだ判断はできませんが、二機は現在、この船とほぼ同じ速度を保って飛んでいます』

「それって、速いのか、遅いのか」

『とても速いです、アル。私は非常の場合を除いて、自らの判断では、これ以上の速度で運行することができません』

 船を知らない二人には、それがどれほどのものか理解することはできない。

 子ギツネがこれ以上スピードを出せないのはそれが乗員の安全を著しく損なうからだ。コースの調整が非常に難しくなり、わずかな誤差がクラッシュを招く。さらに慣性を殺す調整装置が限界を超えれば、機体が激しく揺れ、とんでもない圧力が乗員の肉体にかかることになる。

 その限界ぎりぎりの速度を、加速を初めてわずか数分の船が二艘とも出しているという状況が、すでに尋常ではなかった。そもそもフォックスの安全に遊泳できる限界の速度は他の通常船舶とは比べ物にならないほど速いのだ。同じ速度を出せば、操縦者は安全には飛べない。

「子ギツネ、さっきシェイドと離れることを恐れていると言ったな」

『はい』

「その理由は?」

『シェイドに何かあった場合、回収に行くまでに時間がかかるからです。人命救助は時間との戦いになります』

 沈黙。

 やがてアルが命じる。

「やっぱり、見せろ、子ギツネ」

『拒否します』



 チェイス開始から、三十分。

 黒い戦闘機と白い船とは、ほぼ同じ速度を保って直進していた。前を飛んでいるのは黒。レイがおよそ五分間の先行を保っている。

『前方、RAエリアに電気嵐』

 レイの脳髄に声が響く。

 音に近いが、耳から聞いているわけではない。聴覚中枢に、直接語りかけるメッセージ。頭に付けたバイザーを介して操縦者の脳と船の電脳は繋がれている。

 口に出すまでもなく、考えるだけでレイは警告のあった嵐に関しての情報を要求した。

 規模、強さ、移動の速度、進入までの時間。

 次々とバイザーの内側に表示されていく。画像情報をダイレクトで視神経へ送ることも可能ではあったが、同時にいくつもの情報をさばこうと思うなら、物理的に表示を出してしまった方が確実だし混乱しない。

『座標RDF1あたりから先は真っ暗ね。何も見えないわ。聞くまでもないと思うけど、どうする?』

 今度は音としてスピーカーから声がした。

 子ギツネのそれよりも明るく、女性らしい声をした、シェイドのアシスタントだ。名前は《ブラッキー》。影を意味する船に対して、黒という意味である。

「突っ込む」

 当然、という声でレイは返事をした。

 電子頭脳との会話の一方では、続々と襲いかかってくる小惑星やジャンクの群をひとつずつ交わしている。ディケンズに入った時と較べるなら、障害物の数も船体のスピードも桁違いだ。あんなものは問題にもならないほどのアクロバット飛行である。

「やられそうな機器は先に全部切っておくぞ。外殻部突入の二十秒前でいいだろう。怖いならお前も切っておいてやろうか、黒?」

『素敵な冗談ね。アシスタントなしで全部位の操作をするつもり?』

「必要ならそうするが」

 冗談を言っている声ではない。

『レイノルド。あなたがそれをできるのは知っているけど、感心しないわ。使えるものを使わないのは馬鹿って言うもの。私がいなくなったら、どれだけたくさんのことを一人でやらなきゃいけないか解っているでしょう?』

「電気嵐の中で、パニックもクラッシュも起こさない自信があるんなら、大丈夫だの一言で終わりにしてくれ。今こっちは操縦だけで手一杯なんだ」

 喋りながら、頭では背後の白い船との距離を確認している。同じ小惑星の隣を通過する時間を計測して、惑星自身の移動によるずれを修正し、二機の開きを秒数で算出した。

 画面に表示された差は、四分五十一秒。

 五分を切った。

 差が縮まっていて思わずレイは舌打ちをする。近くの惑星からの引力を計算して針路の修正をしていた時、シェイドの人工脳が語りかけてきた。

『ねえ、レイノルド、忙しいところごめんなさいね』

「なんだ」

『後ろがまた加速したわ』

 レイが呻いた。

 いったい、どれぐらいの速度を出せば満足するんだという言葉を飲み込んだようである。

「秒速で負けてるよな?」

『ええ。あっちの方が格段に速いわ。しかもあの巨体で、この障害物の海をあなたと同じペースでこなしている。言っていいかしら。広いところに出たら負けよ』

 なんとも言えない表情がレイの口元に去来した。

 その通りだと思うものと、負けてたまるかというものと。

「あのカラス、どんな緩衝装置を積んでいるんだ? じき、うちのキツネの安全航海速度を越えるぞ」

『フォックスの安全って他の船には充分危険だと思っていたけど、認識を改めなくてはいけないわ。あの白い船、小さいけどほとんど軍用航空機よ。シールドが硬すぎて、エンジンの割り出しが利かないの。うちの製品かどうか知りたかったのに』

「シールド…」

 レイが考え込む。

 強力な軍事用シールドには、砲弾などを防ぐほか、副作用としてある種の電磁波を必ず遮断してしまうタイプのものがある。しかし、そんな大がかりな物が、果たして、速く飛ぶことだけを目的とした船に必要なものだろうか。

 考えていくうちに、笑顔になっていた。してやられた、と。

「なるほど、そういうことか」

 真っ正面から突っ込んできた炎――実際には八千度で燃える水素の塊――をよけもせずにレーザー砲で撃ち抜き、開いた小さな穴を間髪容れずにくぐり抜ける。背後では炎が拡散して火の海になった。

『何って?』

「確かにジャンキーだと思ってな。まともな神経じゃない。後ろを見てろ」

 レイが遠慮なく炎をばらまいたおかげで、あちこちのジャンクを巻き込んで小さな爆発が起こっている。核融合の反応が次々計器にひっかかった。水爆の花盛りである。

 ほどなく白いカラスもそこへさしかかった。

 船乗りは素早く針路を調整し、もっとも炎の少ない場所を的確に選んで、更に一瞬、加速する。

 炎を抜ける時、かすかに船体がぶれた。派手に火花が散る。

 その後はスキップだ。圧力の変わる層の反発を利用して、ポン、ポン、と一定のリズムで跳ねながら進んでくる。

 爆発群との接触を最小限にとどめた、しかし奇妙な動きだった。

「どう思う?」

 レイは尋ねた。

 こういう人間的な表現が的確かどうかは別にして、黒が()()()()()()のを、彼は確かに感じていた。

『…無茶苦茶な人ね。あなたといい勝負だわ』

 レイは笑う。

「評価が低いな。馬鹿さ加減でいったら、とても、私は彼女に太刀打ちできない」

『今の計測が計器の誤作動でないと仮定して言うけど』

「うん」

『あの船は、シールドを、高速飛行での負荷に対する緩衝材としてのみ使用しているっていうことになるのよね?』

「人間に確認を取るな、アシスタントが」

 くすくすとレイが笑う。

 背筋が寒くなるような快感があった。逃げても逃げても食いついてくる。安全なだけの攻め方では勝てない。

『いつか死ぬわよ、あの操縦者』

「今日まで生きてきたんだ。上等だろう?」

 子ギツネなら、誰の話をしているんだと嫌味を言っただろう。

 前方を高速で突っ切るジャンクとタイミングを合わせて、レイはコンマ八秒間、エンジンを昇圧した。ほんの刹那の加速でぎりぎり衝突を回避してすり抜ける。口の中に血液が溢れた。少しは顎まで伝ったが、拭いている暇がない。

『レイ』

「なまったな。この程度のGで」

 呟く。

 差が再び開いて、リードは六分にまで増えていた。

『姉さんが泣いてるわ』

 ため息とともに黒が言った。

 ちらりと目をやれば、フォックスの姿がすぐそこにまで来ている。二分もあれば、こちらが追い抜いてしまうだろう。子ギツネと黒は同じプログラムを母体とする姉妹だ。

「繋ぐなよ」

『できないわよ。繋いだりしたら問答無用で格納庫まで引っ張られちゃうもの。こんな面白い追いかけっこ、途中でドクターストップなんて』

 レイの口元が笑いに崩れた。

 人間だったらスピード馬鹿はいくらでもいるが、機械の常識からすれば、彼女がもっとも図抜けたジャンキーだろう。だからこそ、この間もアルの送迎に彼女ではなく子ギツネをあてた。子ギツネは口うるさいが、黒はあまりに安全性に無頓着だ。

「フォックスは電気嵐を避ける針路を取っているな」

『姉さんだけであそこを通るのは無理よ』

「通られたら困る。無人ならともかく、今はアルが乗ってるんだ。いきなり外が見えなくなったらびっくりするだろう」

 びっくりするとか、そういう問題ではない。

 普通は、嵐に突っ込んだら船体を揺さぶられて制御不能になる。その最初の波を上手く回避したとしても、嵐の影響を受けて放電してしまうおそれのある機器はすべて切って、後はいくつかの生きている探査機をもとに操縦者の勘で飛ばなくてはいけない。付随して宇宙を映す画像も入らなくなるが、それは、もっとも些末な影響のひとつだ。そもそもが、不慮の事故で嵐の中へ入ることはあっても、自分から突入するものではない。

 それでも、レイは直進することを選んだ。

 迂回してしまえば、後ろから来る対戦相手が、遠慮なく嵐の中を突っ切って差を詰めてくるという確信があるということだ。

「そろそろ入るぞ。シャットダウンのカウント」

『百十一秒』

 頭の方に響く声と同時に、画面の右隅に秒数が表示されて減っていく。

 脳へと直接入ってくる情報と、バイザー内側の画面、船内の各種モニターの表示。複数の情報をレイは一度に処理していた。

『重力波の感知器はどうする?』

「切れ」

『了解。百秒』

 背後で白烏が彗星をひらりとかわした。他人事ながら、超低温のアンモニア粒子を防御シールドを使用していない船体にたっぷりと浴びている姿を見て心配になった。

「寒そうだ。あっちは耐熱シールドの出力を落としていただろう」

『慣れてるわよ』

「女の人なのに」

『六十秒。その台詞、本人が聞いたら怒るわよ』

 黒の言葉を肯定するかのように、ナターシャがまた速度を上げた。嵐に入ってシェイドを見失うのを恐れたのだろう。無茶苦茶な速さだ。レイは血を吐いたが、あちらは肋骨の二、三本は折ったのではないだろうか。

「ジェシカが、女は体を冷やしてはいけないって言ってたぞ。水銀計の棚をオープン」

 温度の話をしたので思い出した。

 座席左側の壁がせり出して、なんともアナログな水銀柱が十五本ばかり現れる。様々な箇所と連動する気圧計と温度計だ。こういう原始的な仕組みは嵐や雲に強い。

『三十秒』

 突入までは五十秒。一分を切った。

 機器類のシャットダウンまで、十二秒を残すというタイミングに入った時、突然、通信機のブザーが鳴った。

「レーニャ! 右折して。NEU、二十四度」

「は?」

 いきなりだった。

「ターリャ、何を言ってる?」

「追いかけっこは中止、フォックスが艦隊に絡まれてるよ!」

 その叫びの最後が放たれた時には、シェイドは電気嵐の中に突っ込んでいた。



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