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Game Continued -ゲームの続き-  作者: 茶川左子(旧:シリカゲル)
第三章「おいかけっこ」
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Chap.9 船渠98番

 電話に出たのは子ギツネだった。

「レイノルドは」

『お待ちください。只今お繋ぎします』

「子ギツネ」

『はい』

「お前は、まともな電脳アシスタントか?」

『まともという言葉が何を指しているか正確には把握できませんが』

 断りを入れてから、彼女は言った。

『操縦者の割には常識的なことを評価されて良いはずだと、自身では考えております』



 船渠(ドック)に入ってきた船を見て、ナターシャは動きを止めた。

 三百トン級の小型船。

 初心者向けのカタログを開いたなら、真ん中の価格帯に色違いでずらりと揃っていそうな恐ろしく単純な型の船だ。ペイントはなく、塗装は錆止めの色がそのままの、くすんだ銀色。およそ、人の目を引くとは思えない船だった。

 だが。

『こちら・フォックス』

 応答を願います、と機械の角張った声で言われて、ナターシャはマイクを取る。

「こちらドック・ナイン・エイト。船体の固定終了まで三分。気圧が一になるまで待機を求めます」

『待機を了解。入渠許可に・感謝します』

 不自然というほどではないが、短いセンテンス中心で言葉同士につぎはぎの印象が残る電子音声。安価な個人所有の船に多い、廉価版のアシスタントの特徴だ。

「牙」

「なんだ」

「今、私は、抱きついてキスをしたいほどあなたを恨んでいます」

 背後に立つ牙は何も答えなかった。

 ドック内の気圧の推移を片目で追いながら、彼女の意識は船から離れない。

 この船だ。

 見間違えるはずはない。あの時の船だ。

 あらためてこうやって目にしてみて、驚嘆を覚えた。見事なまでに『遅そう』な船なのである。

 スコーピオンという型に似ていたと言った船乗りが、一番的確な表現をしていたかも知れない。ナターシャや他の者は、どうしてももっと速い船の型名を挙げてしまった。スコーピオンは、そこそこ値段は張るが、とにかく扱いやすくて揺れが少ない。あからさまな『素人向け商品』で、このあたりで乗っていると、毒なしサソリと笑われる。

 あれほど卓越した技術を持った船乗りが、こんな船に乗っているなど、誰が思おう。

 こんな形での再会でなければ、ナターシャでも見逃したかも知れない。類型の船はいくらでもいるし、ゆっくり泳いでいれば、誰も見向きもしないだろう。

「塗料を渡しますから、表へ行って、線を一本足してきてくれませんか」

「線?」

「九八の数字を、一九八に。番号の買い取りはこちらでやっておきますから」

 さすがに牙も失笑した。

 ディケンズには大きな惑星がなく、遠来の船が停泊できるような大型施設がない。住人のほぼ全員が自家用船と、ガレージ代わりのドックを持ち、余ったスペースを外の宇宙からの船乗りに貸し出して金を取っている。

 もちろん普通のドックなら船の責任者と挨拶ぐらいするし、名前も尋ねる。

 だがここは、九十八という番号を持つ船渠。ドックを貸す時には船の素性を一切尋ねないことが、八十番から百二十番台での暗黙のルールだ。

 アラームが鳴った。

「固定完了。気圧、千ヘクトパスカル。標準大気圧内とみなします。入渠完了しました。後はご自由に。何か修理や物資の依頼があればどうぞ」

『お気遣い・ありがとうございます。現時点では・特に・何もありません』

「了解。ごゆっくり」

 その一言を放てばあちらが名残を惜しむはずもなくて、すっぱりとそこで通話は切れてしまった。

「ドックへ降りる通路は?」

 牙が尋ねた。ナターシャは近くのドアを指で示す。「終わったら呼べ」と言い置いて、彼は船渠へ降りていった。とっとと仕事に戻れという意味が言外に嗅ぎ取れて、誰の頼みで船渠を開いてやったのだとナターシャは眉を上げた。口は笑ってしまったが。

 ドック内の温度はマイナス二十度だ。

 牙が降りた先で使えるように、移動用の小型ポッドを階段の出口に用意してやる。機器の電源を手際よく落とし、ナターシャは立ち上がった。歩き出そうとしたが、首は勝手に階下の船の方を向いていた。

 まさか、牙がこの船を連れてくるとは。

 ひどい牽制だ。

 自分のドックに入れられてしまったら、九十番台のプライドにかけて、他人に喋ったり競争を申し込んだりできない。宇宙で浮いていれば船体をスキャンして丸裸にしてやるのに、ここでそれをやったら信用問題だ。

 ため息をして仕事場へ戻る。

 まさに、後ろ髪を引かれるような思いだった。



「牙」

 レイが振り向いた。それからちょっと決まり悪そうな顔をする。

「……隣の部屋を見たんだな」

「ああ」

 不機嫌なのはそれだけが理由ではないが。

 たったあれだけの時間で、バーカウンターが新設されていた。

 どこにこれだけあったのかと思うような、様々な酒がずらりと臙脂の棚に並んでいる。その棚も購入品だ。洒落たデザインのスツールや、数種類の道具も。ブリッジに設置されなかっただけ良かったと考えるべきだろうか。

「聞いてくれよ、牙。レイってば、すっげえ金にうるさいの。高いとか、値段の割に品が悪いとか、全然買ってくんない」

「レッド・アイ。お前は、私の目につく場所に酒瓶を並べて何がしたい」

「大丈夫だよ。お前に飲めなんて言わねえから、心配するなって」

「当たり前だ!」

 からりと笑うアルの横で、レイが自分が叱られたような顔をしていた。

 同じ民族の出身である牙とアルは、大雑把に言えば同じ神を信じている。ただ、流派が少し異なる上に、彼らの信仰の度合いには非常な温度差があった。牙自身は自分のことを敬虔な方だとは考えていなかったが、アルのルーズさに較べれば誰だって原理主義者だ。日に二回の祈りの時間を理由もなくたびたびすっぽかす。食べ物の戒律もほとんど無視してしまう。葬式だけが仏式で、日常ではクリスマスを謳歌する仏教徒にたとえても良いだろう。最初から異教徒だから、と割り切って見られるレイよりも、同じ聖典を読んでいるはずのアルの行動の方が、牙にはずっと目障りだ。

 特に、酒。

 アルの周囲は酒づくしである。ほぼ毎日酒を呑み、時に操縦中のレイにまで勧めたりする。職業も元バーテン。名前もレッド・アイ。だが本来彼らの宗教で酒はタブーなのだ。カクテルという言葉すら知らなかった牙の、そのあたりの事情を知った時の激昂は凄まじかった。以来、レイが牙に対してやけに気を遣うようになったほどである。

「いやしくも主星の司祭に秘蹟を授かった身で…」

 まさに苦虫を噛み潰すようにといった様子で呟く文句は、すでに皆おなじみだ。

「あの、牙、それよりも」

 ためらいがちにレイが口を挟む。

「ここは?」

 レイに尋ねられた途端に、牙が彼を見下ろす。

 とにかく来いと言って座標だけ送りつけ、問答無用で入渠させた。何が起こっているか知りたがるのは当たり前なのに、自分の状況を理解していない彼に苛立ちを覚えた。低い声で要点だけを言う。

「目立つ行動を、取るな」

「え?」

「ここを発つまで、船を動かすな。今、ディケンズ内の船乗りが、鵜の目鷹の目でこの船を探している」

 アルが振り向く。レイの瞳がすっと冴えて鋭さを増した。

「普通の、船乗りが?」

「子ギツネ」

『はい』

「さっき何故、レイノルドを止めなかった。まともなアシスタントなら、あれほど磁場が悪く大量の障害物が散らばる場所へ突っ込むような指示を、了承するわけがないと言っていたぞ」

『牙、その言葉はあまりに理解がありません』

「理解だと?」

『あの程度の飛行をレイノルドに禁止していては、私は、自意識の崩壊まで徹底的に反論を聞かされることになります。また、あれを許容せざるべき度合いのものと定義するなら、あなたが乗船なさってから本日までで、少なくとも十一回はレイノルドが私を説得しようと言葉を尽くす場面をご覧になっていたはずです』

 つまり四日間で十一回、ディケンズのスピード狂たちが目の色を変えるような曲芸飛行をやっていたということである。牙は一瞬、誰をどう詰っていいか判らなくなった。

『今回は法定速度内で、飛行禁止勧告もなく、乗務員のお二人も、はじめて座席でベルトを着用なさいました。危険と言ってもおよそ可愛らしいものです』

 ナターシャが聞いたら泣いて羨むだろう。

 こんなに操縦者の暴走に寛容な電脳アシスタントはそうそうあるものではない。

「とにかく」

 いつもと型の違うゴーグルの位置を直すような仕草をして、牙は言った。

「お前たちのその操縦が人目を引いたんだ。ここの界隈は速く飛ぶことだけに命をかけているような奴らばかりが集まっている。一度気付かれたら収拾がつかない」

「って言うと?」

チェイス(おいかけっこ)を申し込んでくる。場合によっては、攻撃を仕掛けてでも始めたがるからな。海賊船だろうと連邦警察の船だろうと、速いと見ればたかってくる奴らだ」

「すげ」

 アルが素直に感心した声を出した。

 海賊船に挑みかかるとは並大抵の根性ではない。勝っても負けても殺されかねない。

「レイノルド」

 牙は声をかけた。眉間を押さえてじっと黙り込んでいたレイは、やがて顔を上げ、頼りない表情で牙を見つめる。

「…ごめん」

 雨降りの日に、捨てられた犬のような目で。

 牙は、腹に用意していた言葉を喉で詰まらせてしまう。苛立ちが急に衰えた。

「すごく軽率だった。ごめんなさい。まさか目立ってしまうなんて」

「謝れというわけでは」

 普段には腹が立つほど強気なレイが、『ごめんなさい』である。いくらか及び腰になった牙をアルが面白そうに眺めていた。

「あなたにドックまで用意させてしまった」

「それは、気にするな」

「何か、俺たちのために、時間を無駄にさせてしまったんじゃないか?」

「いや」

「そうか」

 安堵にレイが見惚れるような笑顔になった。「じゃあ、予定通りの日程で発てるな」

 見る間に牙が憮然とした顔になって、アルが吹き出した。鼻から上は覆われているが、口がへの字になったのは隠しようもなかった。

「お前、最っ低!」

「え?」

 笑いながらやってきて髪をぐしゃぐしゃ掻き乱すアルに、レイがきょとんとしている。

 牙もあまりレイの挙動で一喜一憂することはないと思うのだが、本人には自分の意志でどうできる問題ではないのだろう。牙は根が真面目だ。レイに悪気がないだけ余計に振り回されて、いっそ哀れなほどである。

(こんなに『惚れてます』って顔に書いてあんのになぁ…)

 レイは気付いていない。

 仕事の関係以上のものを求めず、牙が親切を示せば、同じ過去を共有する()()()からだと考えて納得してしまうらしい。

「ファルクって、よく覚えてないんだ」

 誕生日カードを贈った次の日に、牙がいないのを確認し、決まり悪そうな顔でレイがそう言った。

「牙からは恨んでたって言われたんだけど、覚えてないことを謝るわけにもいかないし。はづみが彼に何をしたのか、解る範囲で教えてもらえないかな」

 その時アルがあんまり複雑な顔をしたものだから、レイはそんなに酷いことをしたのかと不安そうに聞き返した。

「お前、それ絶対牙には言うなよ」

「それ?」

「あいつのことを、覚えてないっての」

 彼らにとって、過去の命の記憶とは、ずっと前に見た映画のようなものだ。

 基本的にはすべてが他人事であり、それでも必ず『自分』という主人公に感情移入をしている。印象的なシーンは限られていて、元の自分にとって大切だったエピソード以外、なかなか思い出すことができない。

 埜流にとって、ファルクは鮮烈な光を放つ記憶のひとつだ。何があったかをほとんど全て覚えている。だがはづみにとっては人生の中ですれ違った一人に過ぎなかったらしい。

「ファルはお前が大好きだったんだ」

「でも、牙は」

「俺を信じろよ。第一あいつが『はづみ』を嫌ってようと、お前とは違うだろ。牙は人質助けに突っ込んできたレイノルドって馬鹿に惚れてここまで来たんだぜ」

 けれどレイは、馬鹿正直に牙の所へ行って、自分は『はづみ』で『ファルク』にどんな酷いことをしたのかを思い出せないでいる、どうしても嫌だったら船を降りてもいいが、と告げてしまった。

 まったく、可哀想だったのは牙だ。

 ファルクがはづみに心酔していたこと、牙はレイを嫌いではないこと。更には、はづみを嫌ったのは憧れと嫉妬が過分にあったことまでを自分の口から語らなくてはならなかったのである。嫌というほど彼の心理が理解できるアルは、聞いていて居たたまれなかった。

 おかげで羞恥の限界を超えてしまったらしく、その後牙は自分の心の赴くままレイに執着を示すようになったのだが、レイの方は、それでもよく解っていないようだ。

「そういえば、埜流とファルクって、よく喧嘩してたな」

 何かにつけてアルと牙が衝突する理由も、それで納得してしまった。

 目下、心情的に、アルは牙の味方だ。

 もちろんそれは優越感から来る余裕であり、色々理由を見つけて牙で遊ぶのをやめる気はないのだが。

「アル、もうやめろよ」

 ずっとレイの髪をかき混ぜていたら、苦情が出た。

 乱れた黒髪を軽く手櫛で整えて、アルは指を抜き取る。猫っ毛というほどではないが、レイの髪はさらさらと柔らかかった。将来的には禿げるかもしれない。

 明日禿げていたら牙はどんな顔をするだろうと空想して、アルは口元を歪ませた。

「何を笑っている」

「別にー?」

 挑発の笑みを浮かべレイの髪を一房指にねじり取るアルに、コンマの反応で牙の空気が凍る。またかとレイがうんざりした顔になった時だ。

『牙』

 突然、子ギツネが呼んだ。

『ドックの持ち主が、あなたとの会話を望んでいます。どうしますか?』

 牙が動きを止めた。

 しばしの沈黙があってから、「繋げ」と応える。

「ただし、こちらの映像は映すな」

『もちろんです、牙』

 相変わらず人を食った子ギツネの返事。

 レイとアルの二人に喋らないようにと指示をしてすぐ、「牙、私です」と娘の声がした。相手が女だったことにアルが瞬きをする。

「先にニードルをつけました。一度、装着して試してみて下さい」

「解った。今行く」

 画面でしっぽを揺らしている美しい狐の画像に、牙が手で合図をした。

 短い通信が終わり、ノイズが消える。

「私は行くが――」

 絶対にこの船は動かすなと言いかけた牙は、レイの顔を見て言葉を飲み込んだ。

 呆然と口を押さえた少年。

 かすかに瞠った両眼が、どこをも見ていない。

「レイノルド?」

 はっと、勢いよくレイが振り向いた。

 そこでアルも異変に気付いて、訝しげな顔をする。

「…牙」

「なんだ」

「今の人は?」

「このドックの持ち主だ。ジャンクから部品を拾って、武器や戦闘用の機器を作ることを仕事にしている。私の装備品はすべて彼女の作ったものだ」

「名前は」

「なぜそんなことを聞く?」

 レイは答えなかった。

 じっと押し黙っていた後で、立ち上がり、牙を見つめる。

「俺を、彼女と会わせてくれないか」



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