7:精霊術師
フェルミが宙に投げ出されている。
鉈を構えた獣人が、それを睨み据えて笑っている。
俺は、
「魔術展開」
迷わなかった。
魔導石を介して、魔力を導き、特性を与えて、波及する巨大な効果を組み上げる。
フェルミを守り、戦いに勝つ。
獣人は枝が大きくしなるように、腕を大きく振りかぶる。
その肩に。
「螺天緋槍!」
まるで槍を携えた巨人が突進してくるような。
手持ちのカード五枚すべてを使って作られた魔力の収束点を突き破って、緋色の豪槍が獣人に突き刺さる。鉈に対応するような大きさの槍に貫かれ、獣人の巨体は、宙を舞った。
魔術の直撃。
撃破だ。
フェルミは地面に墜落する寸前で体勢を整えて、なんとか着地する。安堵のため息をつく向こうで、石つぶてを投げた髭面の小男が、脅えたように体を翻した。逃げ出そうとする背中を、細い槍ほどもある巨大な矢が穿ち、縫いとめる。
「雑兵の掃討なんて雑用だけで、申し訳ないね」
強弓を放った迅凱が、苦笑するユジンの隣に立っていた。
相変わらずユジンと迅凱は、安定して強い。
「主さま、私を助けてくれた! ありがとー!」
どん、と突き飛ばされるようにフェルミに飛びつかれた。吹っ飛ばされて、ぎりぎりで後ずさった足がフェルミの体重を支え切る。と思った瞬間にフェルミは身を翻してカタールの頭をもみくちゃに撫でに行っていた。
「カタールもありがとうー! 助かっちゃったよ」
ごう、と低い声で獅子は応じる。落ち着いた瞳は、気にするな、と言っているように見えた。この老獪な魔獣は、ノルンとは似ても似つかないほど渋い。
勝負は俺が決めたように見えるが、実際は、カタールのおかげだった。
彼が敵の側から魔力を奪い続けていたおかげで、俺の魔術に防御を張ろうとした相手の魔術に、一瞬の遅延を生じさせた。その一瞬がなければ、威力を減じた槍は勝負を決められなかったに違いない。
余裕があれば充分凌げていたはずの一撃に対して、カタールはその余裕をじりじりと削り、奪い去る。地味でありながらも勝敗を左右する、いやらしくも強力な能力だった。
「ば、馬鹿、な。嘘だろ? 魔石強化してる精霊が、まさか、負けるわけが」
傷の男はあえぐように言う。彼らの精霊たちは、すでに実体化を解いていた。結界が解けて、濃密な魔力が空に溶け出していく。
バンダナは半泣きで傷の男にすがり付いている。
「あ、兄貴ぃ、やばいですぜ! 魔石貰ったのに負けたなんて知れたら、おいらたち……」
「るっせえぞ、がたがた抜かすんじゃねぇ!」
バンダナを怒鳴りつける傷の男は、俺たちを握り殺さんばかりの形相で睨む。フェルミが殺気に応じるように身構えた。
そんな頼もしい相棒の肩を叩いて、一歩、歩み寄る。
「分かってると思うが、俺たちの勝ちだぞ」
「……ああ、そうだな」
「レギュレーションでは、俺たちが勝てば『俺たちとあんたたちの間で起こったことを、なかったことにする』だ、間違いないよな」
傷の男が顔を上げた。
そのなにか引っかかりを覚えたような顔に、改めて、突きつける。
「あんたのいう『舐めた真似』はもちろん、この勝負も、全部無し。他言無用だ。そのほうが、俺たちにもあんたにも、後腐れがないだろ?」
「てめぇ」
傷の男は、呆気に取られたように言う。
「さりげなく俺たちをペテンに掛けやがったな?」
「同意したのはお前たちだぞ。結果的には、このほうがお互いのためになるみたいだし」
バンダナがキッと怒りを露にして拳を握る。
「いいわけがあるか! おいらたちは魔石を見つけないと、どうなっちまうか……」
「よせ。俺たちは、精霊戦で負けたんだ」
傷の男はバンダナを押し止め、俺を見下ろした。
「いいだろう。俺とお前たちの間では、なにもなしだ。魔石を紛失したことよりも、お前たちに負けたことのほうが、ケチがつく」
「じゃ、そういうことで」
笑って、彼らに背を向ける。ユジンたちを手で促して、河原から帰る。最後にちらりと振り返って、大柄な背中に手を振った。
「さよなら、知らない人」
肩越しに小さく振り返った傷の男は、ふん、と鼻を鳴らして立ち去っていく。
「あれで、よかったのか?」
日が傾いた第二区の重厚な街並みを歩きながら、ノルンが俺に尋ねてきた。
「さあな。でも、石についての手がかりは得られたし、あんまりあいつらに深入りしたくなかったし。一番いい結末だったんじゃないか?」
「うーん……。まあ、そうかもしれないが」
まあ確かに、肝心な情報は何も手に入っていない。やばい代物、と分かったとはいえ、どういう形でやばいのかもまだ分からない。
精霊の力を強くするらしいことは、確実だろう。しかし、そもそもどういう原理に則るのか、代償や欠陥はないか、魔石とはなんなのか、分かっていないことのほうが多すぎる。
どうやって外せばいいのか、まだ見当もつかない。
とにかく迂闊な真似だけは、厳に慎まなければならないだろう。
その意味で、魔石はどうやら危ない組織に関わっているらしい、と分かったことは収穫だ。慎重なアプローチの方法を考える余地が出てくる。
「わざわざ敵を作る意味はないしな。それで恨まれて闇討ちでもされたら、それこそ堪ったもんじゃないだろ」
「まあ、それはそうだな」
ノルンは納得したようにうなずいた。
フェルミはいい気なもので、お土産に買ってあげた露店のローストラムサンドを頬張って、幸せそうな顔をしている。
あの獣人の姿が脳裏で被る。
もし、魔石の影響で、フェルミがあんな狂人めいた状態になったら。
考えるだけで恐ろしかった。
錯覚だと確かめるように、ほくほく顔のフェルミの声を聞く。
「美味いか?」
「うん!」
フェルミははちきれんばかりの喜びを一声に満載して、元気よくうなずいた。
ふと、ユジンの歩きが遅れていることに気付いた。振り返って、無表情でうつむく彼に声を掛ける。
「ユジン、どうしたんだ?」
「ん? あ、いや、なんでもないよ」
彼は顔を上げて、微笑んだ。
隣に並んで、緩みきったフェルミの顔を微笑ましそうに眺める。
そのユジンを横目に、思う。
彼の表情は、ときどき読めない。