4:第二区
さりとて第二区は遠く、道程はどうにもならない時間が掛かる。
このロマニエールという浮遊大陸は、絶海の上空にぷかりと浮いている。その事実はそういうものとしても、陸地が空に浮き続けるために、ある程度精霊が生まれ続けなければならなかった。
大まかな原理は、走翔板が空に浮くことと同じだ。
この空域に流れる霊脈、浮遊大陸その物に流れる魔力の流れ、そしてなにより、精霊という魔力。それらが淀みなく存在することで、空に浮き続ける。
つまり、精霊が生まれ続けるために、大陸の自然を保全しておかなければならないのだ。衛島という代物に集団居住する必要があったのも、用地の限界に由来する。
森を間に挟む街と街の間。ロマニエール本島――浮遊"大陸"だが、衛島に対応して"本島"と呼ばれる――の五大都市を移動するための手段として、跨座式の単軌鉄道が森をまたぐような高架に敷かれている。
眼下に眺める森は山まで覆うように密生し、傾いた日差しに照らされて緑を深めている。軽快に進む車両が、トタントタンと線路の継ぎ目を踏む揺れが伝わってくる。ゴンドラよりも高速に走る単軌鉄道は、座席のうえに透板が張られて景色が一望できる。人影もまばらな昼下がりの車内に、手すり棒が寂しげな影を落としていた。
隣に座るフェルミは、座席に伝わる振動が楽しいのか、嬉しそうに笑っている。
それを横目で確認し、反対側の隣に座るノルンに顔を向ける。
「河原で見つけたとき、他になにかなかったのか? 精霊が変な動きをしてたとか、怪しいやつがいたとか」
「いたらのんきに拾ってなどおらん。何にもなかったさ。ぽろっと道端に転がってたんだぞ。てっきり、ただの綺麗な石だとばかり思っていた」
ノルンは腕を組んで、むうと怪訝に口を尖らせて答える。
ユジンは楽しそうに会話を聞きながら、謎解きをする子どものような微笑を浮かべた。
「もしかしたら、精霊誘拐に関係あるかもしれないね」
「え? ああ、精霊誘拐は第二区辺りで起きてたんだったな」
第二区は高級住宅街で、その膝元である商店街もまた、高級店が軒を連ねている。山の斜面に沿って街が作られる、風光明媚な場所だ。
事件場所の性格も手伝って、身代金目的ではないかと疑われていた。ところが、別段そういう要求もなく、当初の見込みが大空振りして事件の捜査は難航しているらしい。
「第二区は山の中腹にあって交通の便は悪いけど、高級住宅街になるのは理由があって、つまりあそこは霊脈が濃いんだよね。だから旧家が集まってる」
「なるほどね」
ユジンはたまにこういう無駄な豆知識を持っていたりする。勉強はどうしたと毎回思うのだが、勉強どころか豆知識すらない俺は、偉そうに言える立場ではない。
フェルミが急に俺の手を取って体重を乗せてきた。
「着いたよ、主さま!」
「ん、おう、降りよう」
なぜこうも要所要所で甘えるモーションをかけてくるのか、心臓に悪い。
鉄道車両はゆっくりと減速し始める。巻き鐘が停車を報せて鳴り響いた。
駅舎は高い建物にある。高架路線なので、路線に高度差をつけると敷設・運行・維持管理のすべてに不利が生じるためだ。狭い空間から開放されて早々の、街並みを見下ろす駅からの眺めというのは、なかなか気分がいい。
「わーい、着いた着いた! 空気があったかーい! 風に魔力が濃いー! あ、主さま、おいしそうな匂いがするよ!」
ちょろちょろと走り回って落ち着きなく辺りを見渡すフェルミに、指を立てて叱る。
「落ち着け、静かに、ゆったりな」
「はぁい」
しゅんとなった。本当に素直だ、ちょっと可哀想かもしれない。
ノルンに頭を殴られた。
「いきなり何をやってるんだ、恥ずかしいやつだな」
「仕方ないだろ、フェルミはそもそも第三区以外で実体化したことないんだから」
「はしゃぐことは別問題だろうが。まったく」
言うだけ言って、ノルンはそそくさと足早に駅舎の出口に向かう。ユジンと顔を見合わせて、苦笑を交わして彼女に続く。
第二区の河原、といえば一つしかなかった。
山から滴る河川の多くは地下水で、島の底面から滝として遥か下界の海に流れ落ちていく。そのうちの一つが、この付近で地表に露出しているのだ。川には魔力の流れができるので、ユジンの言う魔力が濃い理由のひとつになるのだろう。
山の斜面らしい段々坂めいた街並みを下っていくと、焼き石造りの荘厳な橋があり、その下の水門から水がとめどなく流れ出ていく。
水の貴重な衛島住民としては、これは無駄遣いじゃないかと感じるのだが、別に誰かが占有して垂れ流しているわけではない。貧民の発想である。
この川に沿ってさらに街を下ると、建物が減って森が混ざってくる。そして土手は舗装が古びて、川辺に下りられるようになる。ここがいわゆる「第二区の河原」だ。
川のせせらぎがザワザワと囁いている。ここまで下ると流れは遅い。
点々と道沿いに古い作りの建物があるくらいで、ほとんど土手の向こう側は森に覆われている。川も遠い下流は狭まって、森の中に埋もれていくようになっていく。河原と呼べるのはこの狭い区域だけだろう。
水が弾けて、空気が湿っていた。雑草の生えた土手は傾斜がきつい。立っているだけで足首に負担が掛かってくる。小さな水精霊と土精霊が取っ組み合って遊んでいた。
「で、具体的にはどの辺で見つけたんだ?」
あちこち首をめぐらせるフェルミの腕を手綱代わりに掴んだまま、ノルンに声を掛ける。
「ああ、ちょうどあの辺り……」
ノルンが指差したほうで、ひょこひょこと動いていた。
動きを止めたノルンが、ゆっくりと俺を振り返る。大きく見開いた目と視線を交わし、もう一度視線を投げる。
そこには二人の男が、文字通り草の根分けてその場を探っていた。
大柄で頬に切り傷のある男は腕に、細身の男は目許が隠れそうなほど深く額に、黒地に竜の尾っぽを白抜きで描いたバンダナを巻いている。
「なァ兄貴ぃ、見つかりやせんよー。川に落ちて流されちまったんじゃねっすかぁ?」
「ばっきゃろ、万一そうだったらお終いだろうが! お前が先に諦めてどうすんだよ! いいからチャキチャキ探せ!」
「へえぇーい」
ノルンは振り返って、俺とユジンとフェルミを見て、うなずいた。
「帰るか」
「まあ待てノルン。お前怪しいやつはいない、って、あれはどうなんだあれは」
「知らん、私が拾ったときはいなかった。いやさ記憶にございません」
「あいつらのバンダナ見たことあるよ。ドレイクテイルだ。この辺を締めるチンピラだよ、結構あくどいこともやってるっていう」
「ノルンてめぇこのいい加減なことばっか言いやがってこのこの」
「やめてデコピン連打はやめていたたたた」
あ、とフェルミがつぶやいた。
なにかと顔を上げると、ばっちり連中二人と目が合う。何かに芳しくなくイラついていた彼らの形相が、歪んでいくのが目に見える。
「なに見てんだコラ、見せもんじゃねぇぞ!」
「ああっ! 兄貴、あの女の子、昨日この辺で見たっすよ!」
『なにィ!?』
兄貴と呼ばれた傷の男と隣のノルンが同時に叫んだ。
逃げようとした金ぴかの頭を捕まえて、こめかみに両手の拳をねじ当てる。
「お前コラやっぱりバッチリいたんじゃねぇか! どこが怪しいやつはいないー、だ!」
「い、いや確かに見なかったからな! あ、たぶん後ろだ! な、後ろ姿だろ!」
「え? あ、へい、帰ってく姿っした」
「ホラ見ろ! ホーラ見ろ!」
俺の拳を振り払って、胸を張って勝ち誇る。くっそこいつむかつくわぁ。
「じゃあああかっしゃあ! ガキの乳繰り合いに付き合ってられっかオラぁ! いいから魔石返せ!」
大柄な傷の男が吼えた。その怒号を聞いた舎弟らしいバンダナの男は、手で口許を覆う。
「ああ兄貴、彼女いないから……ホロリ」
「るっせぇぞダボぉ! 悔しくなんかねーよ! 泣いてなんかねぇーよぉ!」
バンダナを殴り飛ばした兄貴は雄々しく慟哭して、懐から一握の魔導石を取り出す。
「精霊戦だ! ぶちのめしてやる」
八つ当たりっぽい気がしないでもないが、こちらの土俵に乗ってきたと言えなくもない。腰のポケットに押し込んである魔導石を握る。
一応、確認のために尋ねた。
「レギュレーションは?」
「無制限だ!」
だろうと思った!
『精霊喚起!』
ノルン、ユジン、そして相手の連中が同時に精霊を顕現させる。周囲の魔力が一瞬で膨らみ、密度が高まっていく。
そして俺の腕に引っ付いていたフェルミも、喜ぶように俺を見上げる。
「主さま!」
「フェルミ。やれるか?」
「もちろん! 私は、主さまのパートナーだよ!」
フェルミは満面に笑みを煌めかせる。
炎より眩しいその笑みに励まされ、俺は魔導石を握る。
「精霊喚起、フェルミスラオト!」