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焔鎧のフェルミ  作者: ルト
第一章
4/25

2:空を飛べるはず

「え? ああ、えっと」

 今朝? 今日、朝……時間。

 はっ。

 と、した。

 血の気が転がり落ちて、絶望の沼にべちゃりと沈んだ。

「やば、このままじゃ遅刻だ! おいフェルミ、急いで、いいか? いい? 大丈夫?」

「うん! 遅刻はダメだもんね」

 フェルミはやけに元気がいい返事をする。昨日着替えるのをサボってよかった。パンパンと埃を打ち払って立ち上がる。

 学園は遅刻に対し注意をしない。やる気のない学生は、慈悲も容赦もなく切り捨てる。学園は、生徒に教えてくれるお優しい場所ではない。指導員に請うて教えをもらう場所だ。

「とにかく、フェルミ、今日は実体を消しててくれ」

「うん、分かった」

 応じてフェルミは目を閉じて、首をかしげた。

「あれ?」

「どうした、急いでくれ時間が……ちょっと。本気でどうした?」

 情けないマッスルポーズを構えて、いっしょうけんめい力んでいる。

 息をついて力を抜いたフェルミは、どうしよう、と顔でつぶやいて俺を見た。

「実体が解けない……」

 絶望の沼は当然のごとく底なし沼で、ずぶずぶと生気が沈んでいく。

「も、もういい! 人間体になった理由も分からないんだし、色々おかしくなっても不思議じゃない! せめてまともな格好に着替えてこう」

「うん、分かった」

 フェルミは嬉しそうにうなずいて、ぴょいと立ち上がる。それを尻目に箪笥に飛びつく。なんかこう、まともな服。いや、制服の予備でいいか。カッターシャツと夏用の薄いローブを引っ張り出す。

 俺の背後でフェルミがご機嫌に歌っていた。

「服を、脱ぐのもっ、初めって~。よいしょ……あれ? んー?」

「なにをやってんどわぁ!?」

「ね、主さま。これどうやって脱ぐの?」

 服の真横を掴んで真っ直ぐうえにあげようとして、肘がそれ以上あがらなくて止まっている。ヘソどころかお腹もくびれも全開で、某双丘の最下部が弛んだ裾から覗いていた。

「そのやり方は人体の構造限界を超えなければ脱げない! いい、脱がなくていい! 下ろして、そのままこれを着て!」

 裾を下ろすフェルミに押し付けて着させる。シャツは袖を通すだけで、ボタンが留められないと泣きそうな顔をしたので、その頭からローブをおっ被せて丸ごと隠した。

「あ、ねぇ主さまっ、上は脱げないけど下は自分で脱げるよ!」

「脱がんでいい! 靴は後な!」

 腰に手を掛けるフェルミを止めて、学業用の肩から提げる小さな鞄とは別に、履かせてあげる時間のない靴下と靴を入れた袋を抱える。

 玄関に飛び込み、走翔板を抱えて表に飛び出す。ぴょんぴょんと楽しそうについて来るフェルミを受け止めて、扉を閉めて鍵を閉めて、はたと気付いた。

「飛翔板は稼動できるのか?」

「ん、たぶん」

 フェルミはうなずいて、走翔板を見る。と思った途端、突然腕が跳ね上がった。一気に上昇した走翔板の端が、フェルミのローブを引っ掛けて、がばちょと捲り上げる。

「いででで!?」

「ひゃあっ?」

 スウェットパンツどころか、前が全開になっているシャツのお腹までしっかりさらして、驚いたフェルミが力を抜く。急に落ちた走翔板を指で支え、負荷が掛かってめっちゃ痛い。

 フェルミは不思議そうに自分の手を見ていた。

「な、なんかいつもより、すごい魔力が強い」

「扱えるか? 無理はしないほうが」

「んん、だいじょうぶ。今ので分かった」

 ふわ、と走翔板が軽くなる。いつもと同じ軽さだ。

 いつも通り飛翔板を投げて、柔らかく床に浮いた。もう調子はいいらしい。片足を乗せて、毛足の長い絨毯を踏むような感触が板を介して伝わる。

 それを確かめて、振り返って、困った。

「じゃあ、えっと」

「急ごう!」

 どん、と突き飛ばされて、つんのめるように残した足が板に乗る。ふよ、と浮かび上がり、狭い集合住宅の廊下を滑り出す。

 腹に圧迫感、背中に服が重なる感触。

「ふぇ、フェルミ?」

「跳ぶよ、しゃがんで!」

「お、おう?」

 しゃがむ足に合わせて板が吹き上がる。

 ひらりと、落下防止の高い塀を乗り越えて空に躍り出た。

 さっと眼下がいけないくらい広がって、辺りが眩しくなる。傍らの集合住宅を高速で行き過ぎ、あっという間に遮るもののない島の上空に飛び込む。

 風が全身を包んで、風に煽られるローブが肌に張り付く。いや、背中は風が吹き込まない。そこにはフェルミが鼻歌混じりにくっついて、走翔板は踏み直せないくらいに狭い。足の感触だけが、いつもと変わらない走翔板の踏み心地だ。

「う、うおい、うおあっ!?」

「あははっ!」

 フェルミは快活に笑う。

 吹き付ける風は強く、普段よりもずっと速度が出ていた。斜面よりも降下が遅く、見掛けの高度が上がっていく。

 目の前を窓が過ぎていく。手を伸ばせば届いてしまいそうな錯覚にとらわれた。あっという間に行き過ぎて、次の建家が目の前に流れる。

 眼下の鋪装された坂道がだんだん離れていく。

 並木の形を初めて知った。朝日に照らされて輝く縁石と並木が、また路面に落とす影が、異様に目に残る。新鮮な感動が胸に吹き込んできた。

 空から見下ろす団地の景色は、不思議な感じがする。見たことのない位置から、見覚えのある景色を眺めるのだ。見える景色を知っているのが不思議で、知っているのに初めて見るというのが不思議。

 風に揉まれながら空を行く。

 いくつもの屋上を飛び越えて、空を撫で切るように滑り落ちていく。

 集合住宅群を飛びぬけて、大きい公園の空まで差し掛かった。

「ああ、フェルミ? そろそろ下りないと、索道に乗れないぞ」

「んー……。急いでるんだよね?」

 俺の肩にフェルミが顎を乗せる。顎先の感触が肩を押し、鼻先だけが視界の端っこをかすめた。初めての感覚に戸惑う。

 笑い声が耳元で囁いた。

「一度、やってみたかったんだ」

 なにを――、と聞き返す前に、走翔板が強く浮き上がる。バランスを取っている間に、足下を索道乗り場が通り過ぎた。

「あ、おい行き過ぎ、これ以上はちょっとまじやばいってぇええぇえっ!?」

「しょーっ、と、かぁあああーっと!」

 空気がスパッと冷たくなった。

 島の縁を飛び越え、路面の反射光が消えて一気に暗くなる。そのぶん空の青が、襲い掛からんばかりに降ってくる。

 眼下のごみごみとした街並みは、まるで大きな湖のように広がっていた。朝の空気に動き出し、世界が回り始めた感覚が、目に見えるかのようだ。

「毎朝、思ってたんだ! 索道なんて使わなくても、うんと早く飛べるって!」

「危ない上に魔力を無駄遣いするだけで、なぁーんにもなんないだろっ!?」

「あははっ! やっぱり、私を気遣ってくれてたんだぁ!」

 腹に巻きつけられる腕に、力が入って抱きすくめられる。背中が熱い。

 不思議と、戸惑う気持ちがなくなってきた。

 寒いときに暖めてくれるように、フェルミはいつも俺に気を使ってくれる。だからたぶん、言葉にしないだけで、こういう性格だったのかもしれない。

 足元を下りていった索道のゴンドラが、背後に消える。

 風に巻かれて、落ちてるのか飛んでるのか進んでるのか、分からなくなってきていた。

 辺りには何もなく、下界の町は遠すぎて、現在地を比較するものがなにもない。風が吹き付ける中に停止しているだけかもしれない。

「このまま学園まで行っちゃおうね。そうすればきっと、間に合うよ」

「そりゃあいい、もうこの際遅刻しなければなんでもいいよ」

 わりと自棄になっていた。ここまでくれば、もうなにがどうなっても似たようなもんだ。

「じゃあ、急ごう! 今日はすごく、力が溢れてるんだ!」

「え、ちょっと、おわあああああっ!?」

 ばうん、と空中を跳ねるように走翔板は加速して、郊外に見える学園へと向かう。

 肝を冷やしながらも、ただ風が吹き付けるばかりの時間に、考えが巡った。

 フェルミは石で突然変化した。

 内面は変わっていないようだが、魔力量といい実体といい、精霊としての格が高位精霊としてのものになったようだ。しかし、それが不自然な状態であると証明するかのように、フェルミは実体化を解くことができない。魔力量を扱い切れないのだ。

 おそらく全てはあの石に為されている。

 精霊の持つ魔力量の、急激な増加。

 それは、精霊の暴走を招く。

 ゾクリ、と背筋に怖気が走った。今そこに暖かいフェルミがいてくれてよかったと思う。

 暴走とは、換言すれば精霊の死だ。保持していた魔力を維持することができず、ゆっくりと爆発するように、破壊を撒き散らしながら消滅していく。

 いくら突然女の子と分かって戸惑うと言っても、ずっと随伴してきた相棒だ。フェルミを失ったら、俺は、どうすればいいのか分からない。

 あんな不気味な石など、どうにかして、フェルミから取り除かなければならない。


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