1:美少女精霊
その日の朝はいつもと違っていた。
目が覚めて、真っ先に感じたのは寒さだ。寒さに身が震えつつも、目蓋は重い。
「ふぇるみぃ、寒い……」
そう言ったつもりだが、朦朧としてろれつが回らない。
と、胸の内がカアッと熱くなった。次いで脇を通って背中にも暖かいものが回り、だんだん全身が温かくなる。ああ助かった。ほう、と力を抜いて、柔らかくもしっとりとした硬さのあるものを抱きしめる。うぅんと甘いうめき声がして、胸の上でもぞもぞと動く。その感触が柔らかくもくすぐったく、なにより温かくて気持ちい
「なにごとォ!?」
跳ね起きた。のっしりとした重みが体から剥がれて、硬いマットレスを叩く。
その瞬間から体を押し包む寒気に、布団に舞い戻ろうとした体が凝然と固まる。
なんかベニーロいのとハダイロいのが混じったやつ。
「どうしたのぉ……?」
それは寝ぼけたような音を発するらしい。億劫そうに肘を突いて上半身を起こし、体に巻きついた紅色の髪がサラサラと崩れていって、同時に肌色が面積を増やし、
ごん、と頭の中で鐘が鳴り響く。脳が震えた。
「えっ、なんで壁に頭をつけてブリッジしてるの?」
「俺が知るかっ!?」
叫ぶ言葉と裏腹に、超知ってる。見てしまえば、色々取り返しのつかないリアクションしかできないと思うのだ。
赤く咲くような頭の痛みで気がまぎれているが、あれは、いわゆる女性と呼ばれるものではないか。肉感を持って肌が滑らかに動くところは、年頃男子の春アイテムよりやばいのではないか。いや待て、興奮の波よ冷静になれ。こんな現実があるか? いやない。頭が痛いけどちゃんと考えろ。夢オチってやつじゃないか痛いって言ったじゃん夢はねーよ。じゃあなんだあれか、目の錯覚で実は別に裸なんかじゃないってか。
「ねぇ主さま」
不自然な間をおいて、柔らかい声がした。先ほどの少女と同じ声だ。
彼女は、自分でも信じていない現象をとりあえず上司に報告するような声で、言った。
「なんか私、人間になってる」
「……もう、なにがなんだか」
ついていけなくなって、力が抜けた。
とにかく、俺は反ったまま、口頭で指示して服を着てもらう。ボタンが留められないというので、一度履物を変えさせる羽目になった。
丸首シャツに、スウェットパンツを着ただけの姿になって、なぜか正座で向かい合う。
正確には、それは人間ではなかった。
精霊だ。火の魔力を帯びている。
この火精霊は、魔導石と同じ要領で、しかしずっときめ細かな構成で、人間そっくりな実体を作るらしい。しかも、しゃべる。
要するに、かなり高位の精霊だ。
すっと伸びた長い赤髪を床に重ねる。小顔のなかに、くりりとした瞳やぷくりとした唇その他人間のパーツを、よくできた人形のように散りばめている。胸部の脂肪物体を勘案していない男物のシャツなので、寄せ上げられてヘソが見えていた。
「へへ」
その美貌がだらしなく緩む。
「……なんだよ」
「あ、ご、ごめんなさい。私その、主さまとしゃべれるのが、嬉しくて……えへへ」
火精霊は嬉しさと恥ずかしさを等分に混ぜた顔で笑った。
だからそのアルジサマって、何だよ。ツッコみたい口を閉ざして、今はまだこらえた。先に聞くべきことがいくつもある。
余計なことを考えないように頭を切り替えて、真面目な顔を作った。
目の前で、応じるように真面目な表情が作られる。あどけない瞳のせいで「すごくいっしょうけんめい」みたいな感じが出て、ぜんっぜん気合が入らない。
深呼吸して、気合を入れ直す。
「で、お前の名前は」
「フェルミスラオト」
フェルミのフルネーム。
「俺の名前は」
「セイジ・アスハルテ」
俺のフルネーム。
俺は尋ねた。
「どういうことですかね?」
なぜか崩れた敬語になった。
「わかんないです」
崩れた敬語で即答される。
なんというか「すごくいっしょうけんめい」という顔の美少女は、俺をじっと見つめて「すごくたよりにしてる」オーラを全開にしている。緊張のあまりにじむ手汗を、さりげなく拭う。脇が冷たく汗を垂らしていた。なんだこの状況は。
つまり、と頭の中で整理する。
「つまり、お前はフェルミで、俺の相棒で、火精霊ってことでいいのか?」
「うん」
うなずくと、赤い前髪がぱたりと揺れる。
そんなに頑張ってうなずかなくてもいいんだけど、と思いながら、質問を続ける。
「なんでいきなりそんなことに?」
「うーん、分かんない、けど、ねえ主さま。見て」
推定フェルミはおもむろにシャツの襟に手をかけると、ぐいっと強く引き下ろした。
柔らかい曲線を描く二つの面は谷間まで白く、弱い朝日のなかにもまぶしい。起き抜けに見てはいけないものが再び脳裏を貫いて、悲鳴が喉をほとばしる。
「えぉわあ、あ、あれ?」
「これ、なんだろう?」
悲鳴が途切れ、フェルミもつつきながら不思議そうに首をかしげる。ふにふにと弾力も豊かに、ゆるやかな張りを見せつけるソレのことではない。
ちょうど胸の真ん中、ペンダントのヘッドが飾られるような位置に、親指ほどの小さな石が埋まっていた。
「い、痛くないのか?」
「へいき。でも強く動かそうとすると、突っ張っちゃって痛いかも」
完全に癒着しているのかもしれない。親指大のその石は、ぬめるように光っていて、魔導石よりも複雑な色合いを見せる。
はっとした。
「まさかこれ」
振り返ってそこに、昨日の石はない。ベッドの周りを確かめ、枕も放り投げて下を見る。なし。布団の間に埋まってないかと打ち広げる。やはりなかった。
ぞっとした。
フェルミを振り返る。
きょと、と首をかしげる彼女の胸に、間違いなく、ノルンに渡された石が埋まっていた。
冷たい予感に胸が重くなる。やっとの思いで口を開いた。
「その石……なんなんだ?」
「わかんない。さっき服を着たときまで、気づかなかったから」
のんきに言って、不思議そうに石をなぞっている。
その太平楽な態度に安堵と恐怖を同時に得る。今はなんともないからいいが、この先もそうであるか分からない。慎重な態度を取らなければならなかった。
精霊の構成に変調をきたす石など、まともであるはずがない。
「じゃあ、人間体になったのは、その石がなんらか関係ある可能性高し、として……」
そして、根本的な疑問を口にした。
「なんで女の子?」
それについては、むしろ答えを期待していなかった。なのだが、フェルミはなぜそんな質問を、という表情で、不思議そうに首を傾ける。
「初めから女の子だよ?」
「えっウソ」
「ほんと」
「またまた~。……ウソだよな?」
「ほんとにほんと!」
倒れる。
せめて答えられることは答えようと、健気に頑張っていたフェルミが、目を丸くして俺に飛びついてきた。
「わあ、主っ、どうしたのっ!?」
「うわ! ごめん大丈夫なんでもない! 大丈夫、大丈夫だからほら」
即起き上がり、すごい不安そうに瞳を揺らすフェルミの両肩を掴む。素直すぎだろう。
どうどう、とフェルミを慰めながら、どくどく、と動揺に脈打つ心臓を感じていた。
同士ってノリで接してきたあれやこれやが、頭に浮かんでは溶けていく。
鎧に触れるなんて、まだいいほうだった。風呂とか着替えとか、むしろ寒いからフェルミを招いてたくらいだ。
なんてこった。
目の前にある澄み切った瞳を見る。穢れを知らない、どこまでも純粋な瞳だった。
う、うわぁ……!
知らぬとはいえ、積み重ねてきた狼藉にずきずきと良心が痛む。超素直な幼女をペテンにかけて、尊敬のまなざしを向けられてるような感じ。
いや、外見は俺と同い年くらいで、しかも、なんか、俺と同じくらい背が高いんだけど。
フェルミは首をかしげる。
「それより主さま、今朝はずいぶんのんびりしてるけど、いいの?」