21:再帰
あの感情爆発直情娘が、なにを見ても喜び、なにがあっても楽しんでいたフェルミが、ここに来て、いきなり嫌だとわめく。
ただ。
これがフェルミの初めての涙で、初めてのわがままだ。
軽んじていいわけがなかった。分からないと一蹴するわけにはいかなかった。
ユジンも迅凱も突然の狂態に戸惑っている。
ノルンは動かないが意識を向けている。
オルギードはさすがに怒りをにじませた表情で、しかし魔術に神経を注いでいる。
もう本当に何やってんだ、とちらりと頭のどこかで笑った。
「そんなこと考えてる場合じゃないだろ」
「んっ、うん、負けたくない、けど、だって、主さま、ぜんぜん、迷ってなくて。でも私、すごく嫌で、だって、勝っても、戻ったら、私鎧で……表情もないし、しゃべれないし」
えぐえぐ、と両手で涙を押さえるようにフェルミはうつむいている。
その震える肩に手を乗せて、頭を撫でる。暖かかった。
すん、とフェルミは大きく深呼吸した。
「ずっとずっと、たくさんたくさん主さまとお話したかったんだよ。いっぱい、いっぱい伝えたいことあったんだよ? 鎧だけじゃ、なにもできなくて、もどかしくて……さびしくて……! まだまだ、ぜんぜん、できないのに……もっともっとお話したいのに……!」
声が震えている。
頭を撫でて、引き寄せた。コトンと頭をぶつけてくるフェルミの熱い体温が、外套を通しても、じわりと伝わってくる。
分かった、よく分かった。ようやく分かった。
鎧騎士は、いつも慎重に、所作の一つひとつに感情をこめて示してくれる。
うなずき一つに万感をこめるようなフェルミは、本当はそうではなくて、万の言葉でその気持ちを伝えたかったのだろう。話すことができないから、それを我慢して、うなずきに全てをこめるしかなかった。
鎧騎士のときから、ずっと、溜め込んでいたのだ。
フェルミの素直さ実直さは、関わりたい、寂しい気持ちの表れだ。
「せっかく、話せるようになったのに……もう戻れなんて、言わないでよぉ……」
まったく。
「馬鹿だな」
笑う。本当に馬鹿馬鹿しかった。
トントン、とフェルミの頭を叩くように撫でる。くしゃりと髪が手に柔らかく触れた。
もう本当に何やってんだか。
「俺はフェルミと一緒がいい。もちろん、話せたのは嬉しいし、楽しい。ずっとそうしていられたらって思ったことも、一度や二度じゃない」
じゃあなんで、と恨めしそうにフェルミは上目遣いに俺を見上げた。
その目を正面から見返して、諭すように、俺の本音を言葉以上にこめる。
「でも、魔石は不安定で危なくて、暴走状態になって……フェルミを失うかもしれない。それなら、話せなくなるくらい、なんてことない。フェルミと一緒にいられなくなるより、ずっと、ずうっとな」
「……でも、主さまとお話、したかったのに、もっと話したいこといっぱいあるのに……」
「話はできなくてもさ。なあフェルミ。鎧のとき、なにも表せないって言ったけど、それはお前の勘違いだぞ」
フェルミは、ぽかん、と口を開けて俺を見上げた。
素直すぎる。一瞬で涙が止まっている。
風向きよりも切り替わりの速い感情に苦笑して、もう一度、頭を撫でまわす。
「俺はお前が色んなことを感じてるのは、知ってる。喜んでるときも、悲しんでるときも、ちゃんと分かってたんだ。だから俺は、お前と精霊戦をするのが大好きなんだ」
ワンオンワンでは敵なしと称されるほど、俺と鎧騎士フェルミは、強かった。
誇らしかったが、称号なんてなくてもよかった。
名誉のために、尊敬されるために精霊戦をしたことはない。契約していないからと遠慮していたが、だからこそ、いつだって俺たちは精霊戦を渇望していた。
だから、ノルンの存在は本当にありがたく、嬉しいものだ。
「息を合わせるのが楽しくて、お互いに支えあうのが嬉しくて、それで、相手に勝つのが最高に痛快でさ」
鎧騎士の動きに合わせて、カードを割る。
掛けられた魔術に合わせて、鎧騎士が戦う。
これで俺たちが勝てないはずがない!
強敵との精霊戦、張り詰めた緊張のなかで共に戦う、あれほど愉快な瞬間はない。
フェルミを見下ろす。もう悲しい顔は消えていた。
「な? ちゃんと、伝わってるだろ」
「……うん!」
ぎゅう、と背中に腕を回されて抱きしめられた。
ちょっときつい、っていうか痛い、っていうかはしゃいでるフェルミ今熱い!
「お、おいちょっとフェルミ?」
「抱き溜めておくの!」
「だ、ためっ? なんだそれ?」
「鎧姿でぎゅってしたら、痛いでしょ?」
そりゃそうだ。
なんというか為す術もなく、ただ熱いのを我慢してフェルミの為すままにする。
いや一応、せっかくなのでまた頭を撫でる。髪質がいいからか、すごく撫で心地がいい。頬擦りが追加されてくすぐったい。
「なあ見ろよアレ。正しくバカップルだな」
「彼女いないデカいのは、どうだ、悔しいか?」
「いやぁ、ああはなりたくねぇな」
なにか好き勝手言われている。彼らの意見のほうが正鵠を射ている気がして悔しい。
がばっとフェルミが手を離してやっと解放された。
なにか満たされたような、つやつやした顔でフェルミは拳を握る。
「ねぇ主さま! 私、全力で戦いたい!」
「なんだって?」
目を剥いた。全力とは、つまり炎の衣のことだ。
今まで何度か失敗している。どころか、明らかに不調を起こしていた。
しかし、
「だいじょうぶ!」
即応するフェルミの顔は、自信に満ち溢れて輝いている。
今までとなにか違うのだろうか。確信があるようだった。
よし、とうなずく。
最初から、フェルミのことは信じている。
「分かった、全力で行ってやれ!」
「はい!」
肩を押す。フェルミはひらりと体を離し、両手を掲げて合わせた。そこに炎が立ち上り、割って出る剣の柄をつかむ。
その炎は延焼して、フェルミの腕、肩、体を伝っていく。やがて全身が燃え上がって、フェルミは炎に包まれた。
炎の衣はフェルミの特徴であり、全力で戦うことを示す、戦闘装束だ。
生半可な魔力の消耗では済まない。これを出してしまえば、精霊戦向きのまともな魔術など、ロクに使えなくなってしまう。
もともと魔術を使わないフェルミだからできる、まさに力技だった。
しかし、フェルミの炎はさらに盛んに燃え上がる。
炎というより、もはや火柱だ。天井を黒く放射線状に焦がし始めている。
むあっと熱波が顔をなぶり、熱気が空気を焼いた。
頼もしさは一転して、ぞっとした。
「フェルミ、おい、まさか! フェルミ!」
まだ扱いきれていないんじゃないか。
魔石のせいで増えた魔力を持て余したところに、フェルミの持つ魔力を存分に注ぐ炎の衣の顕現は、失敗して暴走してしまうんじゃないか。
「なんだっ?」
「ふふ、大丈夫かい?」
ノルンが動揺してうめき、他人事のようにユジンは笑う。
ぐあ、とオルギードが叫んだ。
迅凱がぐっと立ち上がり、屈したように魔術の鎖がはじけ飛ぶ。
濁った声で高々と吼えた。その双眸が火柱をにらむ。
完全に、詰みか。
火柱が、ちらりと俺を振り返った。
「だいじょうぶだよ、主さま」
火焔を割って、フェルミがふわりと出てきた。
その姿は、全身を鎧に包まれている。
炎よりも紅く、まばゆく、美しい。
鎧騎士のときよりも無骨さは減じ、よりスマートで洗練された、そして女性的な形状になっている。面覆いは全身鎧の名残を残す重厚さで、口許だけを辛うじて覗かせていた。
肘当てや胸当ての隙間から、おびただしい火焔が吹き上がり、立つだけで彼女の周りには陽炎が立ち上る。
もはや炎の衣ではない。炎の鎧、いや、そんなものでは足りない。
焔鎧、と。
そう呼ぶのがふさわしい。
それほどまでに凄絶で、壮烈で、秀麗だった。
笑う。
「さあ、戦闘再開だね」
フェルミが告げた。




