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焔鎧のフェルミ  作者: ルト
序章
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序章:炎の鎧(下)

「これをやろう」

 内懐から取り出して放り上げるように投げ渡されたのは、透き通った親指大の石だ。

 ぺしりと手で受けて、軽い。表面はツルツルと滑らかで、その硬質な手触りは魔導石に似ている。

 目の前に透かしてみる。紫に濁った水晶のようだが、光の加減で緑や赤にも見えた。

 ただ、一般的な魔導石はこんなに透明度が高くない。

「なんだこれ?」

「拾った」

「はぁ?」

 驚いてノルンを見る。

 水晶の向こうに見えるノルンは真っ黒に歪み、そっぽを向いて拗ねている。

「綺麗だし、魔導石にも似ていたからな。珍しくて手に取ったが、魔力を帯びた気配もなし。珍しいだけで、ただの石だ。お前にやろう」

 体よくゴミを押し付けられた。

「まあ確かに、こんなもの見たことないな。いいか、もうこれで……」

 大人しく受け取って懐に落とす。これで明日の昼飯代はどこを絞って捻出するか、考えなければならなくなったわけだ。

 ふん、とノルンは鼻を鳴らし、俺を指差した。

「私が勝つ前に精霊を失うなんて体たらくのないように、せいぜい気をつけて帰るんだな」

 吐き捨て、足を踏み鳴らして去っていく。

 肩をすくめて、物言わず傍らに控えている鎧騎士を見上げる。勇壮な面覆いに夕日が差し、ぼやけるほど赤い。頼れる相棒は、俺よりほんの少し背が高かった。

「今日もお疲れ。剣を捨てたときはどうなるかと思ったよ」

 フェルミは顎を引いて俺を見て、詫びるように小さくうなずく。

 表情も何もない全身鎧だが、表されない内側に豊かな感情が広がっているのは、端々に感じていた。それを一つひとつ慎重に、心のこもった所作で伝えてくれる。

 その実直さが、好きだった。

 かつん、と手の甲で鎧を叩く。音は洞に響き、反響している。

 熱くもなく冷たくもなく、ただ湯気のようなゆわりとした感触が手をなで上げた。フェルミは常に何かをまとっている。おそらくこれが、戦闘時に炎の衣と化すのだろう。

 黙して俺を見下ろすフェルミに笑う。

 土砂利を踏む足音。

「相変わらずだね、ノルンは」

 聞き慣れたその声は、間違えようもなかった。

 そこには同じ魔術科二回生を表す緑のリボンを胸に結う、ユジンがいる。

 黒髪を流す年齢の判別しにくい顔立ちに、黄みを帯びた日に当たらない肌。口許に薄く笑みを浮かべる顔は細い。すらりとした体格で、若干運動不足のきらいはある。これで背が高ければ、文句なくモテていただろう。

「ユジン、見てたのか」

 学園に入って十年になるが、彼とはその十年間の付き合いだ。

 基本的にこの学園には多くが六歳に入学する。教養科八回生の卒業試験を終えて修了となり、専門の学科に再入学する形で職業訓練を行っていく。魔術科は四年制の、比較的高度で専門性の高い学科だ。ただ魔術とは名ばかりで、実際は精霊を使役する精霊術が主な科目になっている。

 不意に、ぼうっと音を立てて鎧騎士の姿は消えた。熱だけが残る実体を消したフェルミが、俺の周りに漂う。気を使ってくれたのかもしれない。

「帰るところか?」

「まあね、そんなところ」

 ユジンの答えを聞きながら、背後に放り置いた細長い厚板を取り上げる。

 なだらかと言えど山中にあるこの街は、至るところに斜面がある。この魔力を流すと浮かぶ、走翔板という乗り物が専らの移動手段だ。

 ユジンは学園の外に足を向けて歩き出す。彼は走翔板を使わずに歩くのが好きだという。仕方なく走翔板を抱えたままで隣を歩く。ユジンは俺を見上げ、肩をすくめて笑った。

「相変わらず、ワンオンワンの精霊戦は負けなしだね」

「ま、フェルミとはずっと一緒に戦ってきたからな」

 精霊戦というのは、文字通り精霊同士戦わせる競技のことだ。

 公式大会も行われており、スポーツの一種と扱われる。設定した戦闘領域の中で精霊同士が戦い、規定された以上の衝撃を相手に与えたら勝ち、というシンプルなものだ。

 ルールはシンプルであっても、精霊は個々で特性や個性が違ってくるし、後方に立つ精霊術士が魔術や精霊術で直接的に援護することができる。相性や個性、性格でその戦略は無限に広がっていく。

 ただ、レギュレーションも厳しく取り決められている。

 まず戦闘領域を正確に設定し、結界を張ること。精霊が行使する魔力や攻撃力を、必要以上に損害を出さないよう厳しく管理すること。精霊術士が支援を行うために用いる魔力は、カードに成型したうえでお互い分かるように持つこと。

 ノルンと行ったのは、ショートレギュレーションと呼ばれる、精霊の力を制限してカードは無形五枚を持つ、一般的で簡単なものだ。

 精霊戦は教養科から課程に取り入れられている。競技を通して切磋琢磨することで、精霊術、判断力そして精霊との絆が深められ、精霊術士としての腕を磨くことになる……という触れ込みだ。

 ユジンは試すように口を開く。

「そんなに強いんだから、部活に入ればいいのに」

 積極的に精霊戦を行い精霊術の腕を磨く部活動には、魅力を感じていた。飛び込んでもかなりいい線まで行ける、という自信もある。

 しかし、意図せず顔が曇ってしまう。

「それは確かに、本気で惹かれるんだが……やっぱ、精霊と契約してないと、ちょっとな」

 俺の返事に、ユジンは呆れたように肩を落とす。

 契約なんて済ませてしまえばいい話で、していないのは学園でも俺くらいのものだ。

 魔術科に至っては、ほぼ全ての者が五体以上の精霊と契約している。得手不得手が極端という精霊の特性を補うため、必然的に数を求められてしまう。

 なんとなく、契約というものを進んでしたいとは思えなかった。それは俺の我がままだ。

 校舎の敷地を出て、公園内道路のようなレンガ敷きの通りに出る。

 学園はその名の通り教育を目的とした総合施設群であり、基本的に授業を行うこの校舎のほか、各専門演習のための施設、大きな図書館などが集められている。それらの間は広い中庭になっており、芝生や植木など自然が多く作られていた。精霊は自然の多い場所に集まりやすいからだ。

 のんびりと歩きながら口を開く。

「そういえばユジンが精霊戦やってるところ、最近見ないな」

「そう? 見えないところでは結構やってるんだけどね」

「へえ。お前の強化魔術は精度が凄いからなぁ、やっぱり負けなしなんだろ?」

「まあ一応、魔術師だからね」

 ユジンは笑う。彼は決して成績が優秀なほうではなかった。実技は抜きん出ているが、座学のほうがいまひとつなのだ。精霊科に再入学するときも危ぶまれた。そして、その特徴をマイルドにしたのが、俺だ。そんなわけで俺とユジンはよくつるんでいる。

 通りの脇に植え込まれた並木の上では、小さな風精霊と土精霊がじゃれ合っている。

 話しながら歩いているうちに日はいつの間にかずいぶんと落ちて、辺りはかなり暗い。いや、暗い印象は日のせいだけではなく、建物の数が増えたことにもある。紙袋を抱えたおっさんが、急ぎ足で喫茶店に入っていくのが見えた。

 学園の敷地は、厳重に区切られていない。ただ密集しているというだけで、外れに行くほど商店街が融合するように混成されていく。背の高い建物が徐々に増えていき、気付いたときには完全に街の中だ。

 ゆったりとしていながら、どこかごちゃついた活気の残滓が夕日の影に溜まっている。

 世間話をしながら隣を歩いていたユジンの足が、不意に鈍る。

「じゃあ僕は、ちょっと寄るところがあるから」

「ん、ああ。じゃあまた明日な」

「精霊誘拐に気をつけてね」

「そっちもな」

 手を振ると、ユジンも軽く笑って手のひらを見せる。踵を返し、喫茶店に入っていく。

 精霊誘拐というのは、最近この街を騒がせている事件のことだ。

 精霊が襲われる、という事件で、何件か死にかけた精霊を保護したなんてニュースも流れている。ほんの数件だが、契約している精霊が襲われたという話もあり、本島の住民は不気味な影の存在を感じていた。

 息をつく。

 街並みに人影はいない。幅の広い道を照らしている火精霊の街灯は、明るさや色が微妙に違う。ぽつぽつと立つそれらは、忘れ物のようにさびしげな影を落としている。

「んじゃ、帰るか、フェルミ」

 ふわり、と支えるボードが軽くなる。投げ落とすと、地面に水平に、少し浮いて止まった。ついでに火を掲げるような明かりが灯り、暗い足元を照らしてくれる。

 走翔板を使うのにも、精霊の力を借りなければならない。

 ほとんどの人間は、日常使いするような魔力など、生まれつき持ち合わせていないのだ。だから誰もが精霊と契約を交わし、精霊に対し礼を払い、共に生きていく。

 走翔板に乗る。柔らかい腐葉土を踏むような感触が、板を介して伝わってくる。両足を乗せると、フェルミは揚力を傾けて、走翔板は滑るように走り出した。

 夜の街に活気はない。火精霊に明かりを貰い続けるほど、夜にするべきことはない。人は日の出とともに起き、日没とともに眠る。そうやって営みは続けられるのだ。

 走翔板が向く先の駅舎から真っ直ぐ伸びる鉄索は、遥か上空、夜空に沈む浮遊島に届いて消えている。

 本島の周りに浮かぶ衛島は、言ってみれば団地だ。

 俺の住む第八衛島は住宅地と一部の商業施設があるばかりで、他には何もない。逆に他の島には工場施設しかない、ということもあるらしい。どちらにせよ、間近を浮く衛島の多いことは、このロマニエールという浮遊大陸の大きな特徴だ。

 衛島は小さな島なので、平地が少ない。索道前の貴重な平地に公園や商業施設が密集し、その向こうの斜面に張り付くようにして、集合住宅が整然と並び立っている。

 俺の家は、その一番上にある八階建ての、二階だ。

 店から遠く、景観どころか前の建物の影で昼以外は暗く、一階ほど出入りが楽ではない。いいところなしの最安物件。ついでに言えば、働き倒しの母親が帰らず、俺もギリギリまで学園にいるために、無人であるほうが多い家。

 鍵を開けて玄関に入り、真っ暗な中に走翔板を立てかける。戸締りをして、二部屋しかないうちの、リビングでないほうに入る。着替える気力もない。狭い部屋を半分も占めるベッドに直行し、安くて薄い擦り切れかけた布団をかぶって寝転がる。

 ごりっ。

 胸に固い感触が、思いっきり食い込んだ。むしろ刺さった。

「いってぇ! があっ、体重が乗ったッ!」

 肉に切り込むような激痛にのた打ち回りながら、懐からそれを引っ張り出す。

 フェルミが灯してくれた明かりにかざした。透き通った小石。ノルンに譲られた変な拾い物だ。大人げなく負かせ続けて恨まれたか、復讐のつもりで仕込まれたのか、と明らかな責任転嫁にまで思考が振り回される。

 痛みが治まってきて、落ち着いてきた。人心地つく。まったく、なんてものを寄越してくれたのだ、あのお嬢様は。

「それはそうと、これ、本当になんなんだろうな」

 見れば見るほど魔導石に似ている。

 魔導石は、魔力が結晶化してできた擬似物質だ。魔力の伝導性が極めて高く、魔術を用いる触媒としてはもちろん、精霊との契約に際して取り憑いてもらう仮の宿としても使う。だが、その構成要素から分かるように、結局は魔力だ。魔力を帯びていない以上、これはただの綺麗な石、と判じるしかない。

「また変なものを拾ったもんだ」

 軽く掲げて、フェルミに示す。赤く輝く煙と化しているフェルミは、不思議そうに首を傾ける代わりに、ゆったりと渦を巻いた。

 枕元に投げ置いて、横になる。

「さっさと寝よう。おやすみ、フェルミ」

 まるで暖かくない布団を補って、フェルミの煙が俺のそばに降り積もる。火精霊はほんのりと熱を帯び、安らかな寝心地で睡魔を引き起こしてくれた。

 その睡魔を励ますように、目を瞑る。さっさと眠って、明日を迎えたかった。

 一人は嫌いだ。




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