17:黒幕
下げられた護盾部隊の隙間を縫って、階段に足を下ろす。
古いが作りはしっかりしていて、軋むこともなく体重を受け止める。板の下には石が敷かれているのかもしれない。
一番下の土間で転がったままのプロポーサを見る。
ピクリともしないが、一応生きているようだ。生きる魔力の循環を感じる。
振り返ってオルギードを見上げた。
「あいつは、ドレイクテイルに魔石を渡したやつとは違うか?」
「あ? ああ。もっと小さいやつだった」
小さい、ね。
フェルミは俺を見上げている。
純粋無垢な瞳に、恐れを抱く。
その恐れは忌避すべきものではなく、戦意の燃料となる、失いたくないという自覚だ。
頼もしい仲間の存在を背後に感じる。
鉄扉を見る。錆の浮く古い鉄扉は、まるで何年もの昔から閉ざされていたかのように、どっしりと固まっていた。
おそらく、すべての元凶が向こうにいるのだろう。
深呼吸して、ゆっくりと息を吐く。
笑った。
「さて、引きこもり野郎にお灸を据えに行くとするか」
おうと応じて、二人の精霊術士はそれぞれ腕を鳴らす。
階段を降りて、鉄扉を前にする。
黒鋼の鉄扉は留め金も大きく、かなり頑丈に作られていた。そのうえに固定されるカンテラのなかで、魔導石に宿る火精霊が温かみのある白い光を広く投げかけている。
ふと、気がついた。この向こうでは、何が行われているのだろう。
音もなく、魔力を微塵も漏らすことない。
騒ぎも戦闘も、仲間が倒れても、この奥にいる人物は何の反応も見せていない。
声がした。
「引きこもるのにも、それなりの事情があるものだよ、セイジ」
ぴしり、と石が跳ねた。
蝶番を固定している石材が割れている。
隙間が空いた瞬間、そこから濃紫の水が細く噴き出して、少しも行かないうちに煙に蒸発して消えていく。
「まずい……!」
メギ、メキメキ、と乾いた砂を潰すような軽い音とともに、亀裂は広がっていく。
まるで物理的な結界として部屋を区切るかのように、外界との接触を閉ざしていた頑丈な黒鋼の鉄扉は、べコン、と傾いた。蝶番が吹き飛んでいる。
フェルミたちを背中で押して、階段まで後退りする。
ズリズリと開いていく隙間からは、ざばざばと透き通った黒い液体が流れ出ていく。それらは床を満たすことなく、広がるそばから煙に立ち上り、そして消えていく。
ありえなかった。
魔力だ。
尋常じゃない濃度の魔力が、擬似物質として液体を構成して噴き出している。
黒い風が俺たちを追い返すように吹き出してくる。その突風は揺れる鉄扉を大きく傾け、倒してしまう。石床を打つ鉄扉は、重さのあまりめり込んだ。
扉の向こうにあるのは、非常に広い空間だ。
四方を本棚とビーカなど実験器材を満載した机で埋め、隅には割れた魔導石の欠片が大量に投げ出されている。部屋の中心に魔法陣が刻まれていて、それはマーブルのような色合いを見せて発光していた。
そして魔法陣の中心には、悪魔――そう呼ぶのがふさわしい。そんな最悪が、足をつけて立っていた。
雄角を生やす牛頭は猿のように歪み、体格はオルギードの獣人に迫るほど大きい。背には蝙蝠のような翼まで備え、手足の爪は槍の穂先のように伸びている。
漂わせる魔力は莫大で、異常で、そして禍々しい。見るだけで恐怖を煽られるような、そんな異様な威圧感を放っていた。
そんな怪物の足元に、少年が立っている。
「やあ、ようこそ僕の工房へ。歓迎するよ。セイジ、ノルン」
黒髪を流す年齢の判別しにくい顔立ちに、黄みを帯びた日に当たらない肌。すらりとした体格で、背だけが少々小さかった。
今は学園のものではなく、魔術師然とした装飾の多いローブをまとっている。
オルギードが背後でいきり立ったのを感じる。
ノルンは扉の前で絶句している。
なぜ。
「なんで、お前がそこにいるんだよ。ユジン」
ユジンはその甘い口許に、意図の読めない爽やかな微笑を湛えている。
「なんで、と言われても、ここが僕の工房だからとしか言いようがないね。プロポーサには会ったろ? 彼は僕に全面協力してくれているんだ」
手の中で何か小さなものを遊ばせながら、なんでもないように応えた。
魔力は凄まじく吹きすさんでいる。霊脈の魔力をかき集めても、ここまで濃度を高めるには、軽く二十年は掛かるだろう。
ノルンが肩を怒らせて俺を突き飛ばし、部屋の中に殴りこむように踏み込んだ。怒号のような質問を叩きつける。
「こんなところで、何をしているんだ!」
怯えて見せるかのようにユジンは肩をすくめ、苦笑を見せた。
「ご覧の通り、今は何もしていないよ。でも意図を汲んで答えるなら、僕はここで魔術を行って『いた』。大規模なやつをね」
ノルンを追いかけて部屋に入る。
途端、ぬるりと肌を撫でる陰気な空気と、チリチリとした魔力の残滓を感じる。
魔術でこんな状態になるとしたら、並みの規模ではない。それこそ、第二区の旧家をして奥義と言わせるような、それほどの大魔術だろう。
「なにを、していたんだ?」
ユジンは答えず、手に遊ばせていた石を俺たちに見せる。
拳大の魔導石は、歪に膨らみ、ぼこぼこと泡立ったまま固まったかのように、奇形に姿を変えている。その紺碧の深い色合いは、どこかで見たことがある。
ユジンは、おかしそうに笑った。
「迅凱さ。ちょっと強く作り直していたんだ」
「なんだと?」
怒りも戸惑いも、だいたいの感情が吹っ飛んだ。
この醜悪な怪物が、迅凱だって?
牛頭の魔人は翼を畳み膝を曲げて、忠臣のようにユジンの隣に控えている。
それは確かに迅凱の面影を残していて、同時に残っていることが不思議なほど、悪魔のように歪み切っている。
その姿を見ても、ユジンはなんとも思っていないようだった。
「僕は精霊を、迅凱を『作り変えた』んだよ。しがない中位精霊に過ぎなかった迅凱に、ドレイクテイルから回収した魔石の魔力を与えて、自分のものとするように」
「そんなの、どうやって……」
「理屈としては難しいことはないさ。魔石は精霊に癒着する。構成が極めて近似にあるから、精霊は魔石を同化してしまうんだ。魔導石を取り込んでしまう、精霊の契約事故と同じだね。その結果、魔石は魔力を取り込むことができるし、精霊は魔石にこめられた魔力を引き出すことができる」
ユジンはパチリと手で打って、魔導石を跳ね上げた。
フーワリと浮き上がる紺碧の石は、床に広がる魔法陣の光を取り込んで、不気味に混ざり合った色を含ませる。
降ってくる魔導石を再び握った。そのリズムで講釈する。
「そこで、癒着するような中途半端な同化ではなく、完全に、精霊の構成の中に魔石を溶け込ませる。すると、不安定な魔石は崩壊して精霊に取り込まれる。当然起こる魔力過剰による暴走状態を、精霊その物を再構成することで回避するんだ。そして、大きな魔力をもつ精霊として、改めて存在する」
ユジンは肩をすくめた。
親切に解説する自分に苦笑するように、隣に控える巨大な迅凱を見上げる。
「ま、要するに強い精霊として生まれ変わらせる、ってことさ」
言うだけなら簡単。
この言葉がこれほど似合う話もない。
精霊を人工的に作ることと、やってることはほとんど同じだ。
「いやまあ、素体があれば、その構成を多くの魔力でより精密に再現すればいいだけでね。新たに作り出すのとは、難易度に雲泥の差がある」
俺の顔色を見て、ユジンは補足した。
その飄々とした態度は、いつも通りにも見える。その『いつも通り』が、ありえないことをしている齟齬で、どこまでも歪み切っている。
オルギードが堪えられないように足を踏み鳴らした。
「ンな能書きはどうでもいい! よくもまあ、いいように俺たちを使ってくれたな!」
「えぇ? おいおい、誤解しないでくれ。僕は騙しもしてなければ、嘘もついていない。実験に協力してくれ、とは初めに言ったじゃないか。同時に、露見しかねないような真似はするな、とも。あれだけ好き勝手な真似をするのは、契約違反じゃないか」
心外だ、というふうに手のひらを向けて理性的に語る。
そしてニコリと爽やかに、言葉を続けた。
「契約が解消されたら……魔石を返してもらうのは、当然だろう?」
「っそガキが!」
オルギードが怪我を忘れたように魔導石を握る。
制止する間もなく、辺り一帯に過剰なほど満ちる魔力をかき集めて、耳がびりびりするような大音声で宣言した。
「精霊喚起!」
鎌を持つ馬頭の男と、むく犬面の巨大な獣人。
天井に頭をこするような獣人は、鉈を構えて、咆哮した。耳が張り飛ばされたように痛み、腹が震えるような重低音。びりびりと岩が共鳴し、砂がこぼれ落ちる。
ユジンは仕方のないと肩をすくめた。
「その魔石も、返してもらおうか」
「できるもんならな!」
「ありがとう」
応酬にすらならなかった。
オルギードが攻撃を指示する前に、獣人が鉈を構えるより前に、そしてユジンが身構えるより前に。
丸太のような腕が、獣人の首に埋まる魔石を抉り出した。
そして、魔石を抉り取られた獣人の、精霊としての構成が崩れて暴走するよりも早く。むしり取られた痛みに悲鳴すらあげる間もなく。
迅凱の拳によって、獣人は跡形もなく叩き潰された。再び押し付けられた魔石に、その命を作る魔力すべてを奪われていく。
オルギードの手元で内側から弾け飛ぶように、魔導石が砕け散った。




