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焔鎧のフェルミ  作者: ルト
第三章
18/25

16:不完全な精霊

 フェルミの体が力を失って、ぐらりと傾いていく。

「はれぇ?」

「フェルミっ」

 飛びついて、間の抜けた声を上げるフェルミの肩を抱く。熱い。顔をしかめるだけにとどめて、無視して肩を掴む。

 足が重い。

 無理に飛び掛ったせいで重心の位置が悪く、倒れるフェルミの体を支えられない。

 体勢が崩れ、気持ちの悪い浮遊感が腹をなぞって、倒れこむ。

 胸にフェルミの頭が打ち付けられ、背中に突起物がめり込んだ。床に散らばった木屑だろう。厚手の外套を着たままで助かった。

 フェルミが飛び上がるように起き上がる。

「わ、主さま、だいじょうぶっ?」

 口を開こうとして、胸に鋭い痛みが走る。

 顔には出さず、フェルミを見上げた。

「ああ。フェルミは?」

「へいき。ごめんなさい」

 体を起こす俺の前で、フェルミが悔しそうにうつむいた。フェルミの頭を撫でてやる。いつものようにご機嫌な顔を見せてはくれない。

 また炎の衣を出そうとしたのだ。

 あれがなければ、フェルミは本来の力で戦えない。

 それで今が弱いわけではないが、歯がゆい思いがあるのだろう。それは俺も同じだった。

 オルギードが叫ぶ。

「そう上手くはいかねぇぞ!」

 床を踏み切って、巨盾に足掛け、大柄な巨体がぶわりと舞い上がった。

 似合わない機敏な動きで距離を飛び越えて、プロポーサに掴みかかる。

 だが、プロポーサも見かけにそぐわない俊敏なスウェーバックでその手をかわし、一気に飛び下がって距離を取った。

 ノルンの部隊はオルギードの巨体が邪魔で、その開けられた距離を詰めに走れない。

「邪魔だデカいの!」

「ああるっせぇ!」

 ノルンに叫び返し、オルギードは廊下の角に逃げたプロポーサを追いかけた。彼が角にある階段を覗き込んだ瞬間、

 どん、と。

「なにィ? ぐあっ!」

 オルギードの巨体が吹き飛ぶ。

 枯れ枝のように浮き上がり、廊下の壁に叩きつけられた。廊下に落ちる。

 雷のような槍の残光が薄れていく。

「デカいの! 護盾部隊!」

 彼をかばって精霊たちが階段の前をふさいだ。

 しかしプロポーサは階段下から攻撃を続けている。

 打ち上げるような攻撃を受けきれず、討ち取られる速さは増すばかりだった。それでも怯まず役目を全うする精霊たちの熱誠ときたら大したものだ。

 身軽なフェルミが跳ねるように廊下を駆け抜ける。オルギードを掴み、廊下の入り口近くまで引きずって退避させた。

 ノルンと並んでオルギードを診る。

 顔を苦悶に歪ませて、びっしりと汗を額に浮かばせていた。大きい右手で抑える彼の肩からは血が溢れて、指の股を伝い黒いシャツをさらに赤黒く染め上げていく。

「こんな……くそ。くそっ! あいつ!」

 ノルンが目をきつく閉じ、こみ上げる何かをこらえるように歯噛みする。

 フェルミは荒れた床に膝を突いたまま、真剣なまなざしでオルギードを見つめていた。俺に目を向ける。

「主さま」

「フェルミ。だけど」

 影が駆け抜ける。

 ノルンが走り出していた。

 廊下を駆け抜けて、死屍累々の有様で堅守する護盾部隊の後ろにつく。

 怒りに歪んだ形相で、階段下を指差し、烈火のごとく怒鳴り散らした。

「命令(Obey my orders)! 砲撃部隊(Blast Unit)、重装部隊(Heavy Unit)、白兵部隊(Infight Unit)、全軍(and the whole army)! 突撃せよ(do charge)! 蹂躙せよ(do trample)! 撃滅せよ(do demolish)! 進め、進め(go and go ahead)!」

「あの馬鹿!」

 走る。フェルミが後についてくれる。

 ノルンがいくら命令を重ねても、精霊戦団は彼女の周りに渦を巻くばかりで、実体化すらしない。戸惑うようにわずか足を進めるだけで止まる。

 どれほど忠実であろうと、精霊は契約を違えて従うことはない。

 お互いの制約こそが契約という在り方であり、共存する条件なのだ。

 廊下は戦闘の余波を受けて、あちこちが崩れている。

 地下に続く階段が見えた。階段は木で組まれているが、壁や天井は組まれた石がむき出しになっている。明かりはなく、階段下と廊下のカンテラだけが光を投げかけている。

 怒り狂うノルンは興奮して我を失っており、肩に触れるだけで振り払われる。

 階段下、鉄扉の前に立つプロポーサは、勝ち誇ったように高らかに笑っていた。

「無駄です。精霊がいくら群がろうと、私を倒すことはできない!」

 魔術構築。

 濃密過ぎる魔力が擬似物質に変わりかかって、ギリギリと音を立てる。

 その欠片がぶつかり合う静電気で雷光を伴いながら、巨大な魔術を組み上げ始めていた。

 胸が冷えた。

 こめられた魔力量も、構成される魔術も、生半可な精度ではない。

「馬鹿な。そんなものを撃てば、お前もただでは済まないぞ!」

「構いません。私は捨て駒になろうとも、我らが大望の助けにさえなれれば!」

 ははは、と引きつった声で狂ったように哄笑する。

 狂信者? 一体何を。そもそもプロポーサが黒幕では、ないのか? 黒幕ではないとしたら、何のために長々と。

 思い出した。

 首を向ける。廊下の先。

 扉の開いた奥の部屋は、執務室になっている。

 彼はここから出てきたのだ。

 プロポーサは、初めは地下にはいなかった。

 単なる足止めでしかない!

「主さま!」

 フェルミが悲鳴のように叫んだ。

 くそ、と叫ぶ。何かないのか。何もなかった。俺が突っ込んだところで、たどり着くころには焦げた死骸になっている。

 すまない、フェルミ。

「フェルミ、行け!」

「はい!」

 しゅ、と空気すら縮むほど、フェルミは鋭く剣を取り回す。柄を構えた。

 手持ちのカードをすべて砕く。

 ありったけの強化を注ぎ込み、フェルミの駆ける空の道を組み上げる。

 赤い矢のようにフェルミは空間を貫いた。

 プロポーサの腹に飛び込むように、柄を打ち込む。

「――は?」

 プロポーサは、表情を初めて大きく動かした。

 凄まじい速さで一撃を叩き込んだにもかかわらず、震えた程度にしか動かない。与えた衝撃を余さず相手の体に伝えていた。

 世界が崩れていく様を目撃したように目を見開いて、膝を折り、倒れていく。

 口の端に泡を垂らし、誰かの名を呼ぶように喘がせて、音を発さずに床に伏した。

「フェルミ」

 フェルミは剣を逆手に携えたまま、足元に転がる人間を見下ろしている。

 石の壁の囲われる階段は、狭く暗く、そして冷たい。フェルミもまた輝きを消している。鉄扉の上に飾られるカンテラの明かりが、立ち回りに怯えたように揺らめく。

 階段しか挟んでいないはずなのに、その距離はやけに遠く感じられた。

 階段を下りたくても、配置されたままのノルンの精霊が邪魔で降りることができない。角に手を掛けたまま、踏み出すこともできずにフェルミの背中を見つめる。触れる岩のざらついた表面が手のひらに冷たく刺さる。

 フェルミは俺を振り返って、弱く口の端を持ち上げた。

「だいじょうぶだよ、主さま」

 そうか。

 安堵に胸を撫で下ろした。

 その目はいつもより弱っていたものの、いつも通りの純粋な色をしている。

「お前、どうしてフェルミが、人を」

 冷や水を浴びせられた。ノルンが凍りついた表情を俺に向けている。

 はは、と笑い声が漏れた。

 胸に満ちた安堵は消えて、胸が締め付けられる。

 階段は一段の影が長く伸びて、暗く曇っていた。

「ノルンも知ってるだろ? 俺とフェルミは誓約してるってこと」

「え? あ、ああ」

「だから俺とフェルミは、契約してないんだ」

 怪訝の間を置いて、ノルンが息を呑む音が聞こえる。

 これまでずっとそばにいたフェルミは、いつでも人を傷つけることができたのだ。そして俺は、それと知りながらずっと連れ歩いていた。

 カウンターで伸されている男と同じだ。

 もっとも、契約規範という存在は、誓約を初めから考慮していない。

 誓約できる精霊など限られているし、力を借りるなら契約したほうが確実だ。そういう事情もあってか、制度的に無視されるほど誓約の例は少なく、そのために一般に知られていない。その意味で、俺は社会的には彼らとまったく異なっている。

 しかし、それは大きな引け目として俺を縛っていた。

 いつでも誰かを傷つけうる。

 ちょうど、今のように。

 めき、と板材を踏む音がした。

「ったく。そんな便利なやつがいるなら、さっさと倒してくれりゃよかったのによ」

「オルギード。肩は大丈夫なのか?」

「ああ。メイザルは治癒みたいな細々した真似が得意でな、血は止まった。だが動かすのは、ちぃと無理だぜ」

 壁を伝うように、オルギードは大柄な体を引きずって歩いて来ていた。

 心なしか体格が細くなっているように見える。血だけでなく、負傷で気力も削られてしまったのかもしれない。これまでのような覇気がなかった。

 はん、とノルンはため息をついて、苦笑交じりに口を開く。

「デカいのは知らないかもしれないが、セイジのフェルミ偏愛は筋金入りだぞ。他人を傷つけるような真似なんか、そうそうさせるわけがない」

「いや、分かるぜ。他人の目があろうがなかろうが、お構い無しにべったべたべったべたと……常識を疑うぜ」

 なぜか二人は意気投合しているように、呆れ顔でうなずいていた。

「待て。いや待て。いろいろ待て」

 そろって俺の顔を見て、申し合わせたように同時に、変態を見るような目になる。そんな目で俺を見るな。もう本当になんなんだこの空気。

 階段を上ってきたフェルミが、なんの話? と顔をかしげる。その素朴な瞳に救われる。俺の味方はもうお前だけかもしれない。

 ノルンは不愉快そうに鼻を鳴らし、傲然と顎をそらした。

「心配せんでも、分かってるさ。お前は人を傷つけるやつじゃないし、フェルミもそれを望んでない。だから、余計な気を持つな」

「……ノルン」

 金髪を俺に見せるように向こうを向いて、ノルンはそう言った。

 締め付けられた心が緩んで、ほぐれていくのを感じる。

 口の端が浮き上がってきた。

「そうだな。すまん、ありがとう」

 ふん、と鼻を鳴らす。振り向きもしない。素直に礼を言ってみればこれだ。


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