10:プロポーサ
驚きのあまり、瞬きを忘れる。数秒間は息もできなかった。
フェルミが不思議そうに俺を見上げる。彼女の胸元に埋まる、小さくも美しく呪わしい魔石の輝きが、脳裏にありありと思い出された。
「で、できるのか?」
「ええ。簡単な外科手術ですよ。ほら、ごく稀に、契約が上手くいかない精霊に魔導石が癒着してしまう事例があるでしょう?」
あるのだ。
実体・非実体に関わらず、契約した精霊は魔導石に存在の核を預ける。
そのとき本来は、契約する精霊自身が魔導石の格や質を確かめて、宿るに足るものか判断している。なので滅多に起こらないものの、それが希少な魔導石や低位精霊などの場合、魔導石に上手く適合できないことがあるのだ。
その症例の一つに、今のフェルミのように魔導石が精霊の実体に食い込むケースがある。
とはいえもちろん、実体化を解けない、などということはありえない。精霊が実体化して肉体を構成するときに魔導石を含んでしまい、結合してしまうだけだ。核を預けた魔導石を自分の体と誤認してしまうからだ、と考えられている。
この男はフェルミの魔石を、その症例と同じだ、と言っている。
「それは、おかしい。この魔石は魔導石じゃない」
「いいえ。極めて特殊な魔導石です」
プロポーサは断言した。
「その石は非常に特異な性質を持っています。癒着した精霊に強い力を与える、というような。ですが、その力は、魔導石が初めから持つものでもなければ、どこかから湧き出したものでもありません」
分かりますか、とプロポーサは俺を見た。うなずく。
ゼロから魔力を汲み出すような代物など、神話の中にしか存在しない。
彼は教鞭を執る猫のように、細めた目のまま饒舌に語る。
「他の精霊から魔力を奪って、その魔導石は魔力を保持するのです。だから然る後に癒着した精霊に、強い魔力が与えられる」
目を剥いた。
精霊とは、もともとが魔力の塊だ。
その魔力をごっそり他の精霊に与えれば、それは魔力の過剰保有によって暴走もするだろうし、うまく制御下に置けば、強大な魔力を手に入れるだろう。
他の精霊から魔力を奪う魔導石など、信じられない。
だが、現実としてフェルミは突然強い力を得ている。
それは、誰かの命を奪えば自分の物になる、と言うようなものだ。論理が飛躍している。
「ありえない。そんな、どうやって、そんなことが起きるって言うんだ」
喉が痺れたように動かない。絞り出した声は、なにか呻くかのようだ。
傍証はあった。
ゼロから魔力が湧くことはありえなくても、既に存在するものをそっくり移し替えるなら、その可否は別として結果には納得できる。フェルミが高位精霊にのし上がることも、必ずしもおかしいとは言えない。
世界中に存在する精霊の力を、自分の精霊に加算する。
そんなシンプルなルールが存在すれば、強い精霊と契約するために莫大な費用を投じて探し出したり、破格の条件を提示したりする必要が、まったくない。
力を増したい者たちが目をつけるには、うってつけのものだ。
プロポーサは、沈痛な面持ちで目を伏せる。
「最近、精霊が突然いなくなる、という事件が起こってしまいましたでしょう。旧家の契約する精霊は、みな力も強く小器用なものたちです。今は野良精霊狩りになっていますが……それが安全策になるだけの力を、すでに得てしまった、とは考えられませんか」
「まさか」
腰が浮いた。
こめかみが冷たくなり、キーンと耳鳴りがする。血の気が引いていく。
最悪の推測を認めるように、プロポーサは顎を引いた。
「魔石による被害は広がっています。そんな危険なものをあなたに持たせておくわけには行かない。ユジンくんのたっての頼みとあって、私はあなたをお訪ね申し上げたのです」
なんてこった。
今度は膝から力が抜けて、腰を落とす。
傷の男が持っていた、むく犬面の獣人が脳裏に浮かぶ。
現実として魔石は他にも存在しているのだ。そんな、三人がかりで辛うじて勝ちを拾うような難敵が、ごろごろと作られている。考えるだけでぞっとした。
それを為すだけの魔石が不気味で、ましてフェルミについていると思うと、それだけで嫌になる。どこの誰とも知れない精霊の力が、今のフェルミに流し込まれている。おぞましい話だった。人が肩に腕を付け足して、その腕力を喜ぶようなものだ。
プロポーサは心から人を気遣うような、良心その物の心配顔を浮かべて、おもねるように声を掛けてくる。
「お分かりいただけたでしょう? あなた方は、それを持つべきではないのです。大丈夫、施術はすぐに済みます。フェルミ嬢を怖がらせるようなものでもありません」
ああ頼む、と喉まででかかった言葉を飲み込む。
必死に抑え込んで、冷たくなった頭で現実を改めて捉える。
そう、この男は、信用できない。
「待て。待ってくれ。大事なことが分かってない」
「なんでしょうか?」
「その手術を行って、フェルミは大丈夫なのか? 精霊の力が奪われる原理はなんだ?」
「それは」
プロポーサは、意外そうに丸めた目を、苦渋に歪めた。
「申し訳ありません。私にも、そこまでは」
「そうか」
深呼吸する。
魔石がやばい代物だと分かっている以上、迂闊な真似は、厳に慎まなければならない。
フェルミが暴走状態に陥っていないのは、不自然な力を土台にした、危うい均衡状態の上で成り立っていることなのだ。
冷め切ったコーヒーを置いたまま、席を立つ。
「安全に魔石を取り出せる確証が得られない限り、フェルミを預けるわけにはいかない」
「左様、ですか」
「ん、主さま? もう行くの?」
ものすごく退屈そうに窓の外を眺めていたフェルミが、嬉しそうに俺を見上げた。うなずいて彼女の手を引き、プロポーサの脇を抜ける。
「わざわざ来てもらったのに申し訳ない。ユジンにも謝っておいてほしい」
「ええ、いえ。構いませんよ。もしかしたら断るかもしれない、とは伺っておりました。私はまさか、と思っていたのですが」
未だに信じられないような顔をしている彼をよそに、俺は内心で苦笑する。
まあ、ユジンには分かるだろう。彼は知っているのだから。
「俺はフェルミを絶対に失いたくない理由があるんだ。どんな立派に見える石橋でも、隅から隅まで叩くさ」
「それは」
プロポーサは、やっと首を動かして俺を見上げた。
「フェルミ嬢が、あなたと誓約を結んだ精霊だから、ですか?」
「なんだ。やっぱりあんたも知ってたのか」
笑う。
答えになっていない答えを受けて、彼は神妙にうなずく。おずおずと、今までの飄々とした態度とは打って変わった顔つきで、口を開いた。
「ひとつ……ああ、これは、完全に興味本位からの質問なのですが、ひとつ、質問してもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「誓約した精霊、というのは、なにか違うのでしょうか? 私は契約精霊しか見たことがないもので」
「違うね。全然違う」
即答して、笑う。
この質問は、初めてユジンが投げかけてきた質問と、同じものだ。
同じ答えを一瞬たりと迷わずに、返す。
「誓約は、自分の半身を得るようなものだ。なくなったら、もう生きていけないかもしれない。それくらい大事で、重くて、ありがたい」
比翼の鳥が、片割れを失っては飛ぶこともできなくなるように。
俺にとってのフェルミは、分かちがたく失いがたい、大切な存在だ。




