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焔鎧のフェルミ  作者: ルト
第二章
10/25

8:暮らす精霊術師

 家に帰ってからのほうが疲れるとは、思いもよらなかった。

 河原で大立ち回りをして埃まみれになったフェルミを、風呂に入れてやろうとしたら、一緒に入ろうとごね始める。今までは一緒に入ってた、と膨れられてもさすがに勘弁できない。入れたら入れたで、風呂嫌いの犬みたいに騒いで、ろくにお湯を浴びもせずに風呂から飛び出そうとする。

 なだめては励まし、ときには叱って、ようやく体を洗わせただけでもうグッタリして、フェルミを出してしまう。さあと俺自身が風呂に入れば、突撃しようとするフェルミと風呂の扉を挟んで攻防戦を繰り広げる羽目になった。風呂嫌いはどうした。

 風呂に入る前より疲れた体を引きずって、とっとと寝ようと寝台に入ってみれば、フェルミは楚々と添い寝を敢行する。怒る気力もなく、仕方がないので、もう一つ布団を敷いてそこで寝る。ところが、フェルミの変化に気付いた朝もそうだったが、最近の天気では、フェルミがいないと寒くて眠れない。懲りずに潜入したフェルミの暖気で意識が落ちてしまい、まんまと床を共にしてしまっていた。

 もちろん翌朝、起き抜けからぐったり疲れた。

 そうして今日が始まったわけだ。

 走翔板の二人乗りにもようやく慣れてきている。

 今朝は余裕を持って出て、フェルミを連れて常識的に朝の街道を通って学校に向かう。

 朝の街道は影も薄く広く、夜露が気化して朝霧がかかっていた。すれ違う荷車が、積荷を満載して道を登っていく。

 この第三区には空港がある。大型の貨物が空港に空輸され、貿易が行われ、仕入れられた商品を流通させる。

 第二区が古くからの精霊術で作られた家柄だとすれば、第三区は実力と経営手腕でのし上がった豪商の住む場所だった。もちろん下働きとしての貧民層も多く、俺のように団地などでせせこましく暮らしている。

「んー、朝は気持ちいいね!」

「そうだな」

 フェルミは相変わらず機嫌よさそうに俺の後ろにくっついている。どうも甘え癖がついている気がするが、よく考えたら鎧騎士の時だって実体を消していたときは片時もそばを離れなかったかもしれない。フェルミの主観的には、こんな感じだったのだろうか。

 今日もまた学業用の鞄と別に、手提げが増えていた。このなかには児童小説が詰まっている。授業中のフェルミを抑え込むための策だった。

 鎧騎士のころ、フェルミは一度だけ児童小説を読みふけっていたことがある。

 大柄な鎧騎士の手に本というシュールな構図と、同時に異様にハマっていたギャップがあまりに面白く、とてもよく覚えている。そのときは硬質な手甲に負けて本が傷んでしまい、それ以来フェルミが本を読むことはなかった。

 今なら大丈夫のはずだ。

 気付けば緑の増えている通りを抜けて、校舎裏の置き場に走翔板を置き、その脇の通用路を通って廊下に上がって教室に入る。教室は多くが埋まっていた。その中の一席に、見慣れた金髪を見つけて声を掛ける。

「ようノルン」

「ああお早う。今日は空からじゃないのか?」

「あれは遅刻しそうだったから、苦肉の策だ」

「じゃあ、またやるかもしれないな」

 否定できない。

 ノルンは気だるげに頬杖を突いて、重いため息をついた。

「昨日、帰ってから色々と調べたんだ。精霊誘拐とか、第二区の不審な事件とかについて」

 真面目な話に、顔を引き締めて隣に座る。フェルミはそのまた隣に。

 安い椅子はクッションも薄く、尻が凝りそうな硬さのうえ、体重が乗るだけでぎしりと軋んだ。机に肘を乗せて聞く体勢を整える。

「何か分かったか?」

「なにも!」

 はっ、とノルンは鼻で笑うように答えた。

 がっくりと肩の力が抜ける。肩透かしとはこのことだ。なんだよ。

「何か分かったから切り出したんじゃないのかよ」

 俺の虚脱に、ノルンはムッとしたように眉根を寄せる。

「なんだ。徒労の愚痴も許されんのか。大変だったんだぞ直近の新聞を引っ張り出して」

「ああ、そうか。すまん。俺たちのためにやってくれたんだもんな。ありがとう」

「へ? あ、い、いや別に、必ずしもお前のために、ってわけでは……ふん、まあ感謝は受け取ってやろう」

 傲岸な態度で顎を上げて威張る。殊勝に感謝してみたらこれだ。

 ノルンはスパッと態度を切り替えて、疲れを隠さず机にグッタリともたれかかる。

「いやしかし、てっきり、何かあると思ったんだがな。関連性のない窃盗やら接触事故やらがあるくらいで、悲しいくらい何もなしだ。精霊誘拐についても、最初に二件あったばかりで、ぱったり音沙汰無しだからな。ときどき野良の精霊が瀕死で見つかる、ってのは、ちょっと不審か。まあ愉快犯だろうと思うが。ああそうだ」

 腕に首を乗せたままノルンは首を曲げた。

「ドレイクテイルについても調べたぞ。あの二人組の」

「あいつらか。どうだった?」

「こけおどしだな」

 ノルンはばっさりと断じた。

「犯罪組織って言うほど筋金入りの悪党集団でもない。単なるチンピラ、分類としては同好会みたいなもんだ」

「え、そんなもんなのか?」

「少なくとも、記録ではな。そういう筋とのつながりもないし、綺麗なもんだ。あの集団から出た犯罪者なんて、ケチなもんだぞ。万引きと恐喝がせいぜいだった」

 意外だった。

 あの傷の男やバンダナを見る限り、ずいぶんと組織を恐れているようだし、同時に魔石を扱っているのも主たるのは組織の側であるような口ぶりに見えた。

 肝心の組織が、そんな取るに足らないものとは、思えない。

「やっぱり、おかしいだろう。釣り合わない」

「そうだよな」

 ノルンもその不自然は感じているようだった。

 精霊に変調を来たす魔石、それもフェルミのように偶発的に影響を受けるほどに、その発現は簡易なものだ。それでいて効果はてき面、フェルミは高位精霊になり、むく犬面の獣人は並外れた膂力を得た。

 そんな危険な代物を、たかだか不良の集まりが扱えるとは思えない。

 あの二人はドレイクテイルではないか、あるいは偽装か。疑って掛かるべきだろう。

「ねぇ主さま、もう授業始まるよ」

「ん、ああフェルミ。そうだ、授業が始まったら本を」

「それよりさ。ユジンがいないよ?」

「え?」

 鞄を手繰る手を止めて、改めて辺りを見渡す。

 確かに、どこにもユジンの姿が見当たらなかった。

 興味を惹かれたように、ノルンも起き上がって辺りを見回す。

「珍しいな。ユジンは遅刻も欠席もしたことなかったが」

「風邪でも引いたか?」

「さてな、昨日は元気そうに見えたぞ」

 ノルンは不思議そうに首をかしげる。

 不審をさておいて、教員が教室に入ってきた。

 フェルミに本を渡して、静かにしてもらわなければならない。

 放課後になっても、結局ユジンは学園に姿を現さなかった。

 昨日の今日で、ということもあり、何かあったのかと心配になる。

 一応ユジンの住む長屋まで、ノルンもついて様子を見に行ったが、無人だった。彼は下方の島から単身移り住んだと言っていて、もともと一人暮らしだ。

 近所の人に言付けを頼んで、潔く引き返す。

 石造りの迷路にも見える高い建屋の居並ぶ道を行く。裏路地に入ると道は狭く、行き違うのがやっと、というほどだ。限られた用地の追求がこの結果にたどり着いている。日暮れ前から薄暗く、水はけが悪いのかどこか泥臭かった。

「体調でも崩したんじゃないか? それで医者に行っていたとか」

「風邪なら風邪でいいんだけどな」

 ノルンと話しながら道を歩く。この辺りは道の見通しが悪いせいか、雰囲気もどこか暗くこもっていて、気がつけば早足になっている。

 通りを抜けて、大通りにつながる少し広い道に出る。壁を照らす日差しに息をついた。

「とにかく私は、もう少し何か調べてみるよ。実家の書庫も、こういうときこそ思う存分使ってやらないとな」

「頼む。ありがとう」

「礼なら形で示してくれ。それじゃあ、また明日な」

 軽く手を振って、ノルンは立ち去っていく。建物の合間に消える背中が見えなくなっても、そのまま眺めていた。

 この辺りの建物は木で柱を組み石を積んだあと、砕いた石粉や石灰などを混ぜたものを塗りこんで壁を作る。砂の色をしている建物は昼下がりの光に照らされて、向かいの建物から落ちる影に沈んでいる。


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