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あれは確か、入学式の日だった。
僕、鴻池歩人は、中学のときからの友達の伊井直弥話をしながら駅のホームで電車を持っていた。
到着の音楽が鳴り、ホームに入ってきた電車。
「俺、ちょっと待ち合わせてるから次の電車乗るわ」
「おー、またな」
直弥に軽く手を上げ、車内へ入る。帰宅ラッシュより少し早いためか、思ったほど混んではいない。おばあさんの隣に腰掛け、イヤホンをつける。
音楽を聴きながら、電車に揺られていると自分がどこに向っているのか分からなくなる。このまま遠くへ行ってしまいたくなるが、終点が自分の降りる駅なのだからそれは無理なのだが。
慣れないブレザーに、革靴。何もかもが真新しくて、なんだかくすぐったい。カバンの中には教科書がずっしり入っている。自分が高校生だなんて、まだ実感がわかない。新しい生活に来たい半分不安半分というところだ。
「……………え?」
ふ、と右肩に何かが当たった。反射的に右を見ると、真っ黒な頭が視界に入った。
「すぅ……、すぅ……」
そして、寝息?
視線を下へとずらすと、同じ高校のセーラー服と、スカートから伸びた白い足が見えた。そこまで見て僕は、女の子に寄りかかられているのだと気付いた。
このまま寝かせておいたほうがいいのかもしれないが、それだとこの人の降りる駅を過ぎてしまうかもしれない。かといって起こしていいものなのか………。どうしよう。
「あのぅ……」
考えた末声をかけることにした。彼女にとっては余計なお世話かもしれないが、仕方ない。彼女の髪の毛からふんわりと香ってくるシャンプーの匂いに、変な気分なりそうだからだ。
見知らぬ女の子にベタベタ触るわけにもいかず、右肩を揺らしながら声をかける。
「ん…………」
何度か肩を揺らすと、彼女が身じろぎした。やった、起きた! もう一息だ。
「すみません、あのぅ……」
根気強く声をかけ続けると、はっきりと目が覚めたのか彼女が僕の肩から勢いよく離れた。
「うわっ、ごめんなさい! って、ああ!」
彼女は状況を理解したのか、ものすごくうろたえている。そして、膝の上に置いたいたカバンを落としてしまった。
バサッと音を立て、筆記用具、ポーチ、教科書などが惜しみなく散らばった。
「だ、大丈夫ですか?」
カバンの中身をいそいそと拾う彼女の表情は、長い髪の毛で隠されてよく見えないが、たぶん相当恥ずかしいはず。知らない男の肩を借りて眠っていた上に、散乱した荷物。穴があったら、入りたいだろうに……。というか、カバン開けっ放しだったんだな。
「はい、どうぞ」
自分の足元に転がっていたポーチを拾い彼女に渡す。そしてこちらを振り返った彼女に息を呑む。
「あ、ありがとう………」
綺麗な黒髪は背中まで伸びていて、目は綺麗な二重。少し小さめな唇は血色がよく、ほんのり赤らんでいる。恥ずかしさからか、頬も赤い。なのに肌は透き通るように白い。どことなく日本人形みたいなイメージだ。あんなに薄気味悪くはないんだけど、人間って言うより人形に近いような、そんな感じだ。
「………? あの?」
あまりの可愛さに見とれていると、彼女は眉間にしわを寄せて首を傾げる。少し低めの声とその動作すらも可愛くて、僕はポーチを返すのも忘れ見惚れていた。
「ポーチ、返してもらえますか?」
と言いながら手を伸ばしてきた。
「ご、ごめんなさい! 可愛くてつい………、あ……」
本人を目の前にして何を言っているのだろうか。顔に血液が集まるのがわかる。僕は今、トマトよりも真っ赤になっているだろう。彼女は、ぽかんとしている。気まずくて気まずくてしょうがない。こういう時は
「あ! 降りなきゃ! それじゃ、さよなら!」
「え? ちょ!」
言い逃げに限る。よかった、たまたまどこかの駅で停車中で。プシューっと扉が閉まり、ゴウンゴウンと電車が発車する。うっすらとかいた汗を拭うべく、額に手をやる。
と、自分が何かを握り締めていることに気付く。
「………………あ」
やってしまった。僕は握り締めていたピンク色の可愛いポーチと、電車が走っていった方向を交互に見た。
次の日、カバンにピンク色の可愛いポーチを忍ばせ家を出る。今日は寝癖もちゃんと直した。運がよければ行きの電車で昨日の彼女に会えるかもしれないからだ。もし電車であえなくても同じ学校なのだ、どこかで遭遇できるだろう。
それで、できれば名前だけでも聞きたいな……。淡い期待を胸に駅に向かう僕であった。
「おっすー」
「おー、おはよ」
直弥と駅のホームで会い一緒に電車を待つことになった。
これじゃあ、昨日の女の子がいても声をかけづらいな……。そんな僕の不安をよそに、行きの電車で彼女に会うことはなかった。
「今日、一時間目から体育館らしいぞ」
下駄箱で上履きを出しながら直弥が言う。
「え、まじで? 何で?」
革靴を下駄箱に入れながら、直哉に尋ねる。
「部活勧誘だかなんだかで、って昨日帰り際に担任言ってたぞ。聞いてなかったのか?」
そういえば、そんなことを言ってたような言ってなかったような……。よく覚えていない。
「部活強制だよな、この学校。お前なに入る?」
「特にコレっていうのはないんだけど、強いて言うなら楽なやつ。試合とか大会とかないのがいいかなぁ……」
基本的に人と争うには苦手だ。平和主義とまではいかないが、平和主義予備軍なのだ。そんな僕と比べて、直弥は勝負に燃えるらしい。慎重に石橋を叩いて渡る僕に対して、直弥は石橋が崩れるなんて考えないタイプ。外見も、黒髪眼鏡な僕と茶髪にピアスと、反対とも言える僕達だが、意外と気は合う。
だから、一緒に行動しているんだけど。
「歩人はそうだよなぁ。俺はどうしよっかな。バイトもしてみたいし、活動頻度少ないのにしよっかな、帰宅部的な」
「バイト……。そっか、僕たち高校生だからバイトできるんだよな」
「何言ってんだよ、まだまだ気分は中学生ってか?」
「いや、入学二日目で高校生の気分にはなれないって……。たぶん」
それから他愛ない話をしながら教室へ入る。教室内には半分くらいのクラスメイトが登校してきていて、すれ違いざまに軽く挨拶を交わす。みんな、人見知りをしないというか、結構いいクラスかもしれない。
自分の机にカバンを置き、イスに座る。直哉は他のクラスメイトと楽しそうに話をしている。僕はと言うと、持ってきていた文庫本を取ろうとカバンに手を伸ばす。
「………あ、忘れてた」
文庫本の隣に入れてるピンク色の可愛いポーチが視界に入る。結局、電車でも会えなかった。持ち歩いていたらそのうち会えるだろうから、当分カバンの中に入れておこう。
そう思い、文庫本を取り出し読み始める。
時間が経つにつれて、教室が賑やかになる。キリのいいところで文庫本を閉じ、教室内を見渡す。
女子はすでにいくつかのグループに分かれている。どこに行っても群れるのが好きらしい。女子の習性なのかな。男子はというと、派手なグループがひとつあるだけであとはそれぞれがやりたいことをやっている。……かくいう僕もそうなのだけど。
派手なグループの中心には直弥がいる。中学のときもそうだったが、直弥は人を惹き付けるのが上手だ。意図的に、ではなく気付けば人が直弥の周りに集まっていく。ああいうの見たら、直弥とは正反対だなぁと実感する。
僕は、どちらかと言わなくても地味で、冴えない。大人数でギャーギャー騒ぐのは苦手だし。根っからの根暗なのかもしれない。今更そんなことを考えたところで、どうにもならないのが分かっているから、僕はそれを『個性』だと思うことにしている。
派手で顔が広くて友達が多いのも『個性』、地味で冴えないのも『個性』。そう考えると少しだけだが楽になる。
「ほらお前ら、席に着けよー。出席取ったら廊下に並んで体育館へ出発だ」
担任が教室に入ってきて、それぞれが自分の席に戻っていく。そして点呼を取り廊下に並ぶ。並び順は特に決まってないらしく、直弥に引っ張られた僕は直弥の前に並んだ。
「いい感じの帰宅部ないかな~」
独り言なのか、と思い放っておくと
「おい、無視かよ」
と背中をつつかれた。僕に話しかけていたのか……。
「独り言かと思ったの。それよりバイトって、どんなバイトするの?」
実は地味に気になっていた。まあ、明るくて朗らかな直弥は何でも似合いそうだけど。僕なら本屋とかでバイトしてみたい。本屋ってなんか落ち着く。紙の匂いなのかインクの匂いなのかよくわからないけど、ほっとする。
ああ、そういえばあの作家の新刊見に本屋もいかないとなぁ……。
軽くトリップしかけていると、背中をさっきより強めにつつかれた。
「バイトはまだ決めてない。つか、とことん無視だなお前……。いい加減悲しくなるぞ」
あからさまに項垂れ、直弥が言う。
「あ、ごめんごめん。ちょっと考え事してた。バイトするって言ってたからてっきり何か当てがあるのかと………」
「軽い謝り方だなー、別にいいけど。そうだなぁ……、コンビニもいいなって思ってんだけど時給低いし、かといって飲食店ってなんかめんどくさそうだし」
今度は直弥があーだこーだと言いはじめた。放っておこう。そうしている内に、前の子が歩き出したので僕も進む。体育館へ向かうのだ。
「………で、我が校は文武両道を目指しており、部活動は精神を鍛える場所として………、というわけでこれから各部活による部活動紹介を行います。くれぐれも私語のないように。以上」
十分近くに及ぶ校長の話も終わり、壇上から降りる校長と入れ替わるように若い教師が壇上に立つ。そして、マイクの高さを調節し無駄にニコニコしながら喋り始めた。
「えー、進行役を任せられました、藤間です。社会科を担当しています。えー、これから各部活の紹介を部員達にやってもらいます。気になる部活があれば放課後にでも気軽に見学に行ってみてください。仮入部期間を二週間設けますので。それじゃ、プリントが行渡ったら始めたいと思います。」
藤間先生がステージから降りるとほぼ同時に、列の外側からプリントが配られる。ちょうど真ん中辺りの僕がプリントを手にするのは最後のほうになりそうだ。
「なぁなぁ、校長ヅラっぽくね?」
小声で話しかけてきたのは直弥。そう言われ校長を見てみると、確かに
「怪しいな………」
「だろ」
前髪が不自然に多い。前から枯れるタイプなのだろうか。