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徒花の恋  作者: ミナ
7/18

07

クロゼットを開けたまま、木綿子はしばらく迷い、結局ネグリジェを手に取ることにした。

今日のネグリジェはアイボリーホワイトの膝丈のもので、胸元がV字に開き、サイドには解けば完全なスリットになる紐がある。

わざとらしくない程度の清楚な雰囲気と、どぎつくない程度のセクシーさとを併せもつそれは、やはり瑞枝のデザインだ。

男性の観点はよくわからない木綿子であるが、着るのに羞恥心が刺激されることを考えれば、路線としては間違っていないはずだと思う。

それなのに、と木綿子は小さな溜息を漏らした。

そんな姿で智紀の視界に入る機会は以前よりも格段に増えたものの、連続して惨敗中である。

もしかして似合っていないのだろうか、とも思ったが、瑞枝が似合いそうなものを作ってくれているのを知っているので、多分違う。

やはり中身の―つまりこの場合木綿子のせいなのかもしれないが、体型についての自己判断は当てにならない、と思うことにする。

あからさまに変な顔や嫌な顔をされるよりも、関心を全く示されないほうが辛い。

どうせ今日だって少しも気にしてはくれない、とわかっているのだが、それでも着てしまうのは最早意地の境地なのだろうか。


瑞枝の計らいで智紀とパーティに出席するようになってから、早くもひと月が経とうとしている。

相変わらずひどく緊張するが、少しは慣れてきている。

そして何より、パーティの日は智紀が一緒に家に帰って来てくれる。

どうして智紀がそうする気になったのかを木綿子は知らないが、理由などはもうどうでもよく、ただ嬉しかった。

瑞枝に出席を促される頻度がかなり高いため、最近の智紀の帰宅頻度も同じく高い。

と言っても、状況は以前と然程変わらない。

一緒に帰ってきても、家の中で一緒に過ごす時間がものすごく増えた、というわけでも当然ない。

少し雑談めいたことができるようになったくらいで、あとはいつもと変わらず、気づけばお風呂に追いやられておりそのまま就寝する羽目になる。

智紀の酒に付き合えればまだマシだったのだろうが、木綿子は酒にめっぽう弱く、智紀にも無理をするなと言われてしまった。

肴を作ることで少しは時間を稼げるのだが、なかなか木綿子の思うようにはいかないのである。


お風呂からあがった木綿子は、廊下に人の気配がないことに項垂れた。

相手にされないとわかっていても、とりあえず智紀の視界に入りたいのだが、いないのではそれも無理だ。

テレビか何かの音がうっすらと聞こえるので、多分リビングにまだいるのだろう。

だが用事が無くては傍に行けないのは十分わかっており、それが哀しく歯痒い。

今日はもう諦めよう、と思い部屋に入ると、携帯がチカチカと光っていた。

『木綿子ちゃん、旅行のお誘いです。とってもいいお宿があるんだけど。

 もうすぐ1年だし、記念日に合わせて4人で家族旅行なんてどうかしら。もちろん、智紀とふたりがよければそれでOKよ』

瑞枝からのメールだった。

もうすぐ1年、という文字に、あとひと月足らずで本当に1年経つことに気づき、木綿子は奇妙な気持ちになった。

最近でこそ一緒に過ごすことが少しは多くなったが、全く夫婦らしい関係ではないままでもう1年も経ってしまうのか。

そんなことが実際有り得るのだな、と自分のことながら呆れてしまう。

この先も、ずっとこんなままなのだろうか、と思うと空恐ろしいことである。

「旅行…かぁ」

瑞枝の誘いは、とても嬉しい。

智紀とふたりで旅行などしては、恐らくお互いに気づまりで困ってしまうだろうし、そもそも智紀が記念などとは思わない恐れもある。

そう考えると、光昭や瑞枝と一緒に4人で家族旅行に行くというのは、かなり魅力的に思えた。

どれだけ冷めた関係でも木綿子にとってはやはり記念日は記念日であり、その日くらい明るく楽しく過ごしても罰は当たらないはずだ。

返信前に智紀に相談しなければならないことを思い出した木綿子は、今晩は傍に行く理由ができた、ということに気づき、心の中で瑞枝に感謝した。


リビングは照明がほとんど落とされており、智紀はソファに座りグラスを片手に映画を見ていた。

木綿子がドアを開けた音に気付いたのはモモだけで、智紀はモモが木綿子に駆け寄ったことでようやく木綿子に気づく。

「どうした?」

すぐに用事を話してもよかったのだが、なんとなくもったいない気がした。

画面に映る映画は木綿子の知らないもので、残りがあとどれくらいなのかもわからなかったが、少しでも一緒にいたかった。

「い、っしょに、見ても、いいですか?」

「…ああ」

どぎまぎしながら聞いたせいで、かなり不自然な聞き方になってしまった。

智紀の表情はあまり読めなかったが、とりあえず嫌がられはしなかったので、木綿子はそのまま智紀の隣に腰を下ろす。

その一瞬、智紀の視線を強く感じた気がした。

ちらりと見上げてみても、智紀は画面を注視しているようだったから、気のせいだったのかもしれない。

10人くらいは余裕に掛けられるソファで、わざわざ智紀の隣に座ったというのに、本当に気にも留められないというのはかなり切ない。

だが今までそんな機会は無かったのだから、とりあえずそれでもいい。

映画はアクションもので、もともと木綿子には馴染みのないジャンルだったし、途中から見たせいで全く話が掴めなかった。

だから、映画を一緒に見ると言って座ったのに、木綿子は智紀ばかりをちらちらと窺っていた。

時々グラスを傾ける智紀の、グラスの淵に触れる唇と、液体を飲み下すその瞬間上下する喉骨に、どきりとする。

スピーカから出る音が大きくて助かった。

静かだったら、心臓の音が大きすぎて智紀にも聞こえてしまいそうだと思った。


映画が終わると、智紀は照明を元に戻した。

明るさに慣れずにぱちぱちと瞬きを繰返していると、智紀は酒やグラスを自分で片づけ始めてしまう。

「あ、あー…私が」

慌てて立ち上がろうとしたが、智紀に手で制されてしまい、仕方なくもう一度座る。

キッチンへ向かう智紀の足元にモモが纏わりついているのを見て、木綿子は一瞬本気でモモが羨ましくなってしまい、そんな自分に哀しくなる。

片づけたまま自分の部屋に行ってしまったらどうしよう、と密かに心配していたが、智紀はきちんと戻ってきた。

ただし、元々座っていた場所からひとつ空けた席にだ。

隣に座るのはNGだったらしい、と切なくなりながら智紀を見上げると、智紀はどこか困ったような顔をしていた。

そんな表情を見たのは恐らく初めてで、木綿子は智紀の気持ちがよくわからず、こちらも困ってしまう。

「それで、何か話があったんじゃないのか?」

「え、あ、はいっ」

どうしてわかったのだろう、と思いながら、木綿子は旅行の件を話し出した。

話し終えても智紀が特に何も言わなかったので、やはり行きたくないのだろうか、と思い始めた頃ようやく智紀が口を開く。

「…行きたいか?」

「あの、……はい。家族で旅行、って、なかなか無いですし」

本当は記念日だから行きたいのだが、そんなことを正直に言って呆れられたら怖いから、家族旅行を前面に出してみた。

実際、家族旅行というシチュエイションが楽しみなのも、嘘ではない。

淡粋は不定休だったし、旅行に行けるほどまとまった休みが取れるわけでもなかったから、特に家族旅行などしたことは無い。

行ったことのある旅行は、修学旅行だけである木綿子としては、瑞枝の誘いはかなり嬉しかったのである。

「じゃあ、行くか」

智紀は意外とあっさりと答えを出した。

そのことに驚きつつも、行けるなら何でもいい、と木綿子は思わず笑顔になる。

その後いつものように早々におやすみの挨拶をする羽目になったが、それも気にならないほど木綿子の気持ちは浮き立った。


週末、二日間ともパーティが入っていることは、既に珍しいことではなくなっている。

そんな感覚に、随分慣れたものだな、と思うが、精神的にも身体的にも楽ではないことは確かだ。

だいたいが立食パーティで形式に気は遣わないが、逆に様々な人々と話す機会が多く、その面では非常に気を遣うのだ。

昨日に引き続いて今日も智紀と連れだって出席したパーティで、よろよろとまでは行かないが、木綿子はかなり疲れていた。

遠目で智紀に向かって手を上げて挨拶を送ってくる男性と、それに返す智紀に気づき、木綿子は長話になりそうだと内心溜息をつく。

「多分、長くなる。君は座って待っていたほうが良さそうだな」

「え…?」

「疲れてるんだろう。少し休んでいたらいい」

智紀に連れて行かれた先に用意されていたアームチェアに、促されて腰掛ける。

ひとりになるのは心細かったが、他にも腰掛けて休んでいる物静かな年配のご婦人たちを見て、ほっと小さく息をつく。

同じ会場内だが、ここは少しだけ時間や空気の流れが異なっているように思えた。

「話し終わったら戻るから」

「はい、あの、ありがとうございます」

智紀は軽く頷いて、先ほど手を上げてきた男性のもとへと歩いて行った。

正直限界かもしれないと思っていたので、休憩できるのは素直に嬉しい。

そして、智紀のこういう気配りを感じるたびに、胸がきゅっと痛む。

今更ながら、智紀のエスコートは完ぺきなのだ。

優しい手、木綿子に合わせて進む歩幅、木綿子が苦手なお酒を勧められたときにやんわりと断る口調。

それに例えばエスカレータに乗る時、必ず木綿子の側に体を少しだけ向けてくれること。

乗り合わせている周りの女性たちの静かな感嘆のため息とそれぞれのパートナを言外に責める目線が、智紀に大切にされていると木綿子に錯覚させる。

何より、木綿子の体調や気持ちに気を遣い、疲れたと思っているとこうして休ませたり、可能な場合は帰るようにしてくれる。

馬鹿だと思いつつ、期待してしまうのは、女の性なのだ。


本当に、馬鹿だ。

と、今確信してしまった。

しばらく休んで随分楽になったと、目を開ければ、智紀が目に入った。

立ち上がりかけた木綿子は、智紀の隣にいるひとに目を奪われ、不自然な姿勢で硬直してしまう。

それは、先ほど手を上げていた男性ではない。

智紀と並んで全く見劣りしない、一言で言ってゴージャスな女性。

何か言葉を交わしているふたりの、エスコートの域を超えて密着しているその自然な様は、木綿子に強烈な敗北感を味わわせた。

「やっぱり、ネグリジェとか、そういう問題じゃなかったんだなぁ…」

思わず小声で呟いてしまい、聞かれてしまったかと慌てて周囲を見回したが、誰にも気づかれていないようだった。

そのことにほっとして、そして、見たばかりの現実に力が抜けて、木綿子はアームチェアにもう一度体重を預ける。

パーティの日は、智紀があまりに優しいから、特に昨日は映画なんて一緒に見てしまったし、旅行も行ってくれると言ったから。

だから勘違いしてしまったではないか、と誰に対してかわからない怒りに似た感情が湧く。

取れたはずの疲れがまたどっと襲ってきたような気がして、木綿子はきつく目を瞑った。


一緒に家に帰っても、智紀はなかなかに手強い様子です。

でも、瑞枝のおかげで1年記念の旅行には行けそうです^^


ラストのゴージャス美人は、愛人なのか!? …なんちゃって、彼女が誰なのかは、次回わかります~。


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