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徒花の恋  作者: ミナ
2/18

02

会議用に資料を作成していた智紀は、ふと手を止めた。

ディスプレイの右下の時刻に目をやると、15:25の表示だった。

時間に縛られることが大嫌いな智紀であるが、最近はこの時間になると必ず手が止まる。

意識しているわけではないのだが、体内時計に組み込まれでもしたのか、自分でもよくわからない。

結婚して10か月、午後3時半頃にはいつも木綿子にメールを送ることになっている。

プライベート用の携帯を手に取ったところで、西條(にしじょう)がドアを開けて入ってきた。

「3時半ですが」

「わかってる」

「今日は何時にお帰りの予定ですか」

「帰らない」

「…7時」

帰る時刻を指定するような声に、智紀は西條をじろりと見上げた。

また始まった。

いつもは帰らないと言えばすぐに引き下がるくせに、たまにこうして無理矢理帰らせようとするのだ。

7時に帰るなんて、冗談じゃない。

近く始まる大がかりな再開発のための準備があり、だいたい明日の会議の準備も終わっていない。

「帰らないと言ってる」

「8時」

「西條」

「では、9時ということで」

「おい!」

西條は智紀の声を無視して、運転手に車の準備をする時間を勝手に伝えてしまった。

言葉づかいは馬鹿丁寧なくせに、やることは強引極まりない。

こうなるともう智紀も逆らう気力がなくなってくる。

仕方なく早めに帰ることにし、メールを打つ。

『9時頃帰宅予定』

その文面を覗きこんだ西條は、智紀を呆れたように見やった。

秘書としては最低な態度ではあるが、同級生かつ古くからの悪友であるため、咎められることは無い。

「何とかならないのか、その無愛想な文面は」

「うるさい」

「仮にも嫁さんなんだろうが」

言葉遣いを解いた西條の言葉は、的を射てはいる。

智紀がメールを送った相手は、確かに智紀の妻である。

だが、双方が望んでそうなったわけではない、と智紀は思っていた。

「…本当に、仮なんだよ。お前も知ってるだろう」

西條は智紀の言葉に肩を竦め、そのまま部屋を出て行った。

結局今の用事は、今日は智紀を早く帰らせるということだけであったようだ。

まったく、長年つるんでいるが未だによくわからない男だ。

そのとき携帯が震え、メールの着信を告げる。

『お食事は?』

智紀の送った文面に劣らず、そっけないものであるが、頼めばきちんと用意してくれることは知っている。

今まで何度か早めに帰った時も、慣れないはずの洋食を準備してくれていた。

愛情の無い結婚を強いられているのにも拘わらず、木綿子は律義な女だ。


愛情の無い結婚。

我ながらうまい言い回しだ、と思う。

木綿子との結婚は、表面上は単なる見合いだが、実情はそうではない。

保証人になったばかりに莫大な額の借金を抱え込む羽目になった今は義父である實を、父の光昭が助けたのだ。

その代わり光昭は、いつまでも結婚しそうにない智紀に、木綿子という娘を宛がわせた。

当初智紀はまったく結婚するつもりは無かった。

両親が勝手に進めてしまった話であり、もともと結婚に対して興味も願望も無かったからだ。

ただ、相手が淡粋の娘だというから、興味本位で会おうとしただけだった。

昔一度だけ父に連れて行ってもらった高級料亭で、一目見かけたことのある子ども。

その子が今どんなふうになっているのか、見てみたい気がする、とだけ思っていた。

部屋に入った途端、艶やかな着物姿の木綿子が目に飛び込んできた。

目を、奪われた、と言ってもいい。

小さな子どもは、既にその名残を消し、大人の女になっていた。

興味本位だったものが、形を変えて智紀の体内を衝き抜け、背筋がぞくりと震えた。

単純に、欲しいと思った。

だがその熱情とも言える想いは、呆気なく消されることになった。

木綿子が言ったのだ。

結婚すると決めた時、開口一番、父を助けてくれてありがとうございます、と。

つまり、木綿子は純粋に家のために、家の金のために、智紀と結婚しようとしていたのだ。

だから、智紀はいつか、光昭が肩代わりした金を實が返し終えるかその目処が付いたときには、木綿子を解放してやろうと思った。

もしそれよりも前に、木綿子に本当に結婚したい男ができれば、そのときにでもいいと思った。

それまでは少なくとも法的には自分の物だが、非生産的な想いを燻らせたままにしておくほど愚かなことはない。

智紀は、木綿子へ感じたものを強制的に消し去ることにした。

それはある程度成功し、今では木綿子のことを単なる同居人だと思えるようになっていた。


テーブルに並んでいたのは、やはり今日も洋食だった。

本来木綿子は和食しかできないと知っているが、どういうわけか智紀に対しては和食を作らない。

確かに智紀はどちらかと言えば洋食の方が好きではあるが、それを木綿子に言った記憶は無かった。

それに、木綿子の本当の得意な料理というものを食べてみたい気も少しはしていた。

「…あまり無理をしなくてもいい」

「あ、えぇ…はい」

曖昧な笑みを浮かべて返事をした木綿子に、智紀は内心しまったと思う。

今までにも同じようなことを何度も言った気がするし、冷たく聞こえたかもしれない。

「うまいが」

慌てて付け足したように言い、智紀は手に取った資料に目を走らせる。

「…お仕事、また持ち帰られたんですね」

「ん? ああ、なかなか思うように捗らなくてな。それに今日は西條に無理矢理…いや、まあいいんだが」

もともと、智紀は口数が少ないというわけではない。

たまに家に帰ってくると、ついうっかり何か口を滑らせるようなことになりそうで、用心している。

結局智紀はひとりのほうが性分に合っているのだ。

いつまでも木綿子と向かい合っているのもどこか気づまりで、木綿子にお風呂を勧めてさりげなく席を外すように仕向ける。

木綿子は静かに席を立って挨拶をすると、キッチンのほうへ抜けて行く。

プライベートエリアへ繋がるドアの閉まる音が聞こえると、智紀はふぅ、と長い息を吐きだした。


箸をペンに持ち替えて資料をチェックし出すと、食べている間ずっと足もとでお座りしていたモモが不満そうに鼻を鳴らした。

ちらりとモモを見れば、じぃっと智紀を見つめており、しっぽがぱたっぱたっと床を軽く叩いている。

久しぶりに早く帰宅したのでかなり喜んでいるらしく、遊べと訴えている。

「しょうがないな」

智紀はペンを置くと、食器を先に片づけ、それからリビングへ行って小さくて柔らかめのボールで遊んでやった。

嬉しそうにリビングと廊下を行ったり来たりするモモを眺めて、智紀は気持ちが落ち着くのを感じた。

モモは、智紀が拾ってきた犬だ。

捨てられてガリガリにやせ細った姿でうろついているのを連れてきたのだ。

もともとこのマンションはペット可で、ペットのための施設もあるし、モモも賢かったため問題は無かった。

智紀が結婚するまでの2年間、智紀は自分でも意外だと思いつつ、モモの世話はきちんとしていた。

最近では、滅多にここへ帰って来ないから、モモの世話は木綿子に任せきりになっている。

ボールを投げながら、そういえば、結婚前はそれでもきちんと家に帰っていたな、と智紀は思う。

ここまで頑なに、西條に無理矢理促されなければ帰らないのは、理由があるのだ。

だがもう、その理由も考えたくない。

もう何度目か、ボールを廊下に投げた智紀が時計を見ると、さきほどから40分ほど経っている。

戻ってきたモモの口からボールを外し、箱にしまって終了を知らせる。

「これでお終い」

モモはまだ足りない様子だったが、素直に従った。

モモの小屋はバルコニーにあるが、冬の間はかわいそうなのでリビングにもスペースを作ってやっている。

モモは自分からそこへ歩いていくと、置いてある毛布にもぐり込んだ。

「…おやすみ」

わん、という返事にほほ笑み、照明を落とすと智紀はリビングを後にした。


タイミングが悪かった。

智紀がドアを開けた瞬間、パウダールームから出てきたらしい木綿子が目の前にいた。

「きゃっ…」

木綿子は小さな悲鳴を上げ、軽く体を飛び上がらせてから智紀を見上げた。

智紀自身も驚いたが、木綿子の驚きようはかなりのものがあったため、智紀はどこか申し訳ない気持ちになる。

「すまない」

「い、いえ…」

驚いたせいで、鼓動が跳ね上がったのだろう。

頭を横に振りながらも、木綿子はまだ軽く上下する胸のあたりを手で押さえていた。

木綿子は、お風呂上がりのせいか、上気して顔も肌も少しだけピンク色に染まっている。

胸元が大きめに開いた白いネグリジェを着ており、照明のせいで木綿子のシルエットが生地にうっすらと映っていた。

その生地の終わりからは、ほっそりとした手と形の良い膝頭、そして裸足の両足がのぞいている。

その様子を見ながら、智紀は必死で無関心と無表情を装い、木綿子が落ち着くのを待つ。

「…大丈夫か」

「はい。すみません…」

「いや。…湯冷めしないように、おやすみ」

木綿子が挨拶を返すのが聞こえたような気がしたが、智紀は振り返らずに自分の部屋に向かった。

とにかく、早く木綿子から離れたかった。


部屋のドアを閉めた瞬間、智紀はドアに靠れかかりながら、目のあたりを手で覆った。

きつく目を瞑ったその瞼の裏に、今見たばかりの木綿子の姿がちらつく。

上気した肌。

生地に映し出された躯のライン。

呼吸に上下していた、手で押さえてもこぼれそうな胸のふくらみ。

智紀を見上げていた濡れたような瞳。

「畜生…っ」

顎が痛くなるほど奥歯を強く噛みしめたその隙間から、智紀は自分を罵るように悪態をついた。

年甲斐も無く熱くさせられてしまう自分が、腹立たしい。

頭も体も冷やそうとバスルームに向かいかけたが、木綿子が今出たばかりだと思いだして止めた。

木綿子が入ったバスルームに、浴槽に、お湯に、そんなものにまで熱くさせられそうな自分がいる。

「…変態か、俺は」

最早笑うしかない。

渇いた笑いが、呼気となってひとりでに口から漏れ出た。

だから、帰ってきたくないのだ。

消し去ったと思っているものを、一瞬で、それもこんな些細なことでいとも簡単に再燃させられるから。

家のために義務感で結婚した女を、未だに欲しがっていると思い知らされるのが嫌だ。

平静を装うために無駄に力を込めていた掌を開くと、くっきりと、四つの爪痕が残っていた。


本当に、すれ違い夫婦。

お互いがお互いを、愛の無い結婚をしたと思っております。

なんて不毛…。


ところで、ネグリジェって着ます??

私は完ぺきなパジャマ派というか、スウェットとか着ちゃうんですが。

というか、ネグリジェって表現で合ってますよね…?(汗)

シンプルが好きな私は、レースとかフリルとかいっぱいのラブリーなランジェリー類には縁が無いもので…。

無知というか、女力無しというか…^^;

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