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徒花の恋  作者: ミナ
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完全なる勢いで言ってしまった、というわけではないと思う。

木綿子との関係における限界は、最初からわかりきっていたことで、そしてこれまでにも何度も感じてきていた。

もともと、当初からいつか木綿子を解放してやるのだと決意はしていたことでもある。

ただ、正直なところ智紀としては、たとえ不毛でも非生産的でも愚かに思えてもそれでも、形だけでも自分の手の中に木綿子を留めておきたかったのだ。

それならばもっと積極的に行動を起こせば良かったのだ、と笑われるかもしれないが、それはできなかった。

なぜなら智紀から見た木綿子はいつでも、誠実な實の娘らしく律義で忠節で恭順な妻だったからだ。

恐らく木綿子は、智紀が何を言おうと行おうと、拒むことは無かったに違いない。

だが、始まりが間違っている以上、木綿子にとっては負担になるだろうし、全てが虚像になる気がした。

言うまでもないことであるが、智紀は本心から木綿子を解放したいと願っているわけではない。

木綿子に言ってしまった今でさえ、できることなら出してしまった言葉を回収してしまいたいと思っている。


けれど、涙を見てしまった。

それはある意味、衝撃的なことだった。

この一年間、木綿子が泣いているのを見たことは無い。

もしかすると陰で泣いていたのやもしれぬが、少なくとも智紀の前で涙を流したことは無かった。

その木綿子が、智紀の目の前で、涙を抑えられなかったのだ。

木綿子の中では智紀以上に、限界がすぐそこまで迫っているのだろう、と想像するに余りある。

そんな木綿子を見てしまったら、これ以上この意味の無い結婚関係に縛りつけることはできないと思う。

実際、智紀が解放してやりさえすれば、木綿子は自由に、そしてきれいにほほ笑むのだろう。

木綿子が幸せなら自分も幸せだとか、木綿子が笑っていられるなら自分は大丈夫だとか、そういうキレイゴトを唱えるつもりはさらさら無い。

けれどそれでも、木綿子が泣くことを望んでなどいないし、そして何より耐えられないのだ。


朝食までには木綿子の涙も止まっていたが、その代わり泣き腫らした目の縁が痛々しかった。

光昭と瑞枝の物言いたげな視線が智紀に集中したが、言い訳する気も起きない。

木綿子は、二日酔いのせいで頭痛がひどいのだと言い訳したが、木綿子はそこまで酒を飲んでいなかったし、無論ふたりは信じていない。

木綿子を心配したふたりが早々に東京に戻ろうと言い出し、慌てたように木綿子が智紀を見上げたが、智紀も異論は無かった。

抗議するように頭を振りかけた木綿子だったが、すぐに顔を顰めて動きを止める。

泣きすぎたせいで頭痛がしているのだろう、こめかみをぐっと指で何度も押さえつけている。

「木綿子ちゃん、無理しなくていいのよ。旅行なんて、いつでもまた来られるんだから」

事情を知らない瑞枝が発したその何気ない言葉は、智紀の心を抉った。

木綿子に視線を遣ると、木綿子もまた複雑そうな表情を浮かべている。

多分、こんな機会はもう二度と訪れないだろう、という思いがお互いの中に同時に根付いているのだ。

光昭や瑞枝に対して今すぐにぶちまけてやりたいような、けれど一生涯ひた隠しにしたいような、矛盾した衝動が智紀の内側に沸き上がる。

しかし、いずれにしろ今が適切な時ではないことくらい、智紀もわかってはいる。

ひとまず木綿子に頭痛薬を飲ませて車に乗せると、智紀は光昭と瑞枝のもとにいったん戻った。

「俺たちだけ先に帰ります。でないと、木綿子が気にするので」

「でも心配じゃない。だいたい、あんなどう見たって泣きましたって顔して…。智紀、どうせあなたが原因なんでしょう」

「まぁ…否定はしませんが」

「ま、何ですか、開き直って」

噛みつくように捲し立てられ、まともに相手にするのも疲れておざなりに返答していると、瑞枝はさらに怒り出してしまった。

宥めるように光昭が間に入り、結局光昭と瑞枝は予定通りの行程を行くことに決まる。

瑞枝はまだ怒りを収めてはいなかったが、光昭の手前抑えてくれているらしく、それ以上は何も言われなかった。

昨日した会話から、木綿子との喧嘩が悪化したのではないかと推察したらしい光昭が心配そうな視線をくれたため、智紀は決まりの悪い思いをする。

「…すみません」

小さな声で詫びると、光昭は昨晩したと同じく、智紀の肩を軽く叩いた。

木綿子を解放してやれば木綿子は自由になるが、木綿子をかわいがる瑞枝や責任を感じつつ気遣ってくれている光昭を苦しめるのだろう。

不甲斐なさが情けなく、この歳になって親を失望させることになることが心苦しい。

重苦しい気持ちをため息と一緒にひとまず吐き出し、智紀は覚悟したように車に乗り込んだ。


頭痛薬が効いたのか、しばらく経つと木綿子は眠ってしまった。

車の振動や道路の傾斜などによってぐらつく木綿子の体が気になり、智紀はそっと自分に寄りかからせてやる。

じんわりと木綿子の体温が伝わってくるのを感じる。

力なくだらりと垂らされたままの手を取って、膝の上に置いてやろうと思ったが、その手を離せない。

血迷っている、と頭の片隅で警報が鳴るが、それを意に介することができず、木綿子が眠っているのをいいことにそのままにする。

木綿子にこうして触れられたのは、パーティの時と夢だと思った一昨日の晩と、今朝と、そして今だけだ。

今更ではあるが、夫婦というにはあまりにお寒い事情である。

これでよく一年ももったものだ、と妙に感心してしまう。

そして同時に、今朝の木綿子の泣き顔を思い出して、胸が詰まった。

「泣きたいのは、俺も同じだ…」

涙は出ない。

叫ぶこともない。

それでも、泣いて良いと言われれば人目も憚らずに泣けるのではないだろうかと思うくらい、木綿子への想いはいつの間にか抑えきれなくなっていた。

愚かだと最初からわかっていたのに、必死に抗おうとしていたはずなのに、結局この様だ。

手の中にある木綿子の手を見つめながら、智紀は自嘲気に小さく笑った。


お互い話し合う必要があると感じてはいたが、家に着いても木綿子の頭痛が治まらなかったため、智紀は木綿子をほぼ強制的にベッドに入れた。

何か言いたげだったが、いつでも話し合いはできると言い聞かせ、渋々引き下がった木綿子はまた眠りの中だ。

木綿子が暮らし始めてからは初めて入ったこの木綿子の部屋で、智紀は落ち着かない気分で絶えずそわそわとしていた。

木綿子が眠りに落ちたのを確認すると、智紀はそそくさと部屋を出ようとしたが、ミニデスクの上にあるフォトフレームが目に留まり、足を止める。

てっきり淡谷家や淡粋のスタッフの写真ばかり飾ってあるのかと思ったが、智紀とのウェディングフォトも飾ってあった。

ウェディングフォトはリビングにも一応申し訳程度に飾ってあるのだが、まさか木綿子が部屋の中でも飾っているとは思っていなかった智紀は、俄かに動揺した。

これは、どういうことなのだろうか。

普通、嫌な相手との写真を飾ろうなんて思うはずはない。

ましてウェディングフォトなら尚更そうなのではないだろうか。

義理で結婚しただけの相手との写真を、わざわざ自室にまでも飾る、その意味は何なのだろうか。

まさか、自分はとんでもない思い違いをしてきたのだろうか、と智紀の胸中がざわざわと音を立て出す。

けれど木綿子が家のことを念頭に結婚を決めたのだということは、木綿子の発言からは疑う余地は無かったはずだった。

結婚して以降、わりと最近まではほとんど意味のある接触を持とうとさえしていなかったのだから、木綿子との間に何かが育まれる可能性だって無いに等しい。

しかしそれでは、この部屋におけるこの写真の存在の説明がつかない。

眠っている木綿子を窺ってみたが、何かがわかるわけもなく、智紀はため息をつきながらひとまず部屋から出た。


頭の中を整理したくて、けれど具合の悪い木綿子を置いて遠出するわけにもいかず、智紀はモモを連れてマンション内のドッグランに出向いた。

モモを放して、適当に遊ばせ、智紀自身はベンチに座ってぼんやりと考えている。

木綿子と見合いをすることになった時まで記憶を遡らせてみたが、結局、写真を見た時に感じた相容れない何かが解決しないままだ。

やがて、他のマンションの住人が犬を連れてやってきて智紀に話しかけてきたため、考えは強制的に遮断された。

他人と何でもない会話を楽しんだせいか、木綿子の部屋を出た時に比べるとだいぶ気分が晴れていた。

結局のところ、木綿子と話し合わなければ何もわからないし、どう転がるにしろ話し合う必要はある。

思い切ってしまえば、多少気が楽だ。

モモの足を拭いてから家の中に入り、木綿子の様子を見ようと木綿子の部屋に入ったところで、智紀は立ち竦んだ。

眠っているとばかり思っていた木綿子のベッドは空っぽで、家の中に人のいる気配も無い。

念のため家の中を隅々まで歩き、テラスにも上がって確かめたが、木綿子の姿は無かった。

ダイニングテーブルの上にあるメモを見つけた瞬間、智紀は握りつぶしそうな勢いで拾い上げる。


“どうしても今日行きたい場所があったのを思い出しました。少し出かけてきます。 木綿子”


とりあえず、用事が済めば帰ってくる気はあるらしいということに、智紀は安堵の息を漏らす。

けれど、つい一時間ほど前までの木綿子の様子では、出歩くのはかなり辛そうに思えた。

木綿子は運転手つきの車にも未だに慣れずに、出かける時もできる限り車を使いたがらないから、多分今日もそうだろう。

心配で、木綿子の携帯を鳴らしてみたが、木綿子の部屋から音が聞こえてくる。

ため息をついた智紀だったが、聞こえた着信音にはっとさせられた。

パッヘルベルのカノンは、披露宴の時に流す曲の中で木綿子が唯一希望したものだったはずだ。

悪いと思いつつ、木綿子の携帯を開き、設定を確認すると、着信音はデフォルトのパターン音になっている。

ついでに、アドレス帳を確認すると、醍醐家と淡谷家の家族のほか、パーティの時に話していた例の男のものだけだった。

そして、その中で、個別に着信音を設定されているのは、智紀だけだ。

「何だよ、これは…」

さすがにその意味がわからないほど鈍感では無い。

しかしあまりにひどい思い違いをしていたことが確実となったことで、智紀はしばし呆然としていた。

やがて、のろのろと木綿子の置き手紙に視線を下ろし、もう一度その文面を読んだ智紀は、急きたてられるように駆け出した。


智紀が、何かを掴み、ようやく光が見えてきました。

あともう少しだ、行け~!(笑)

ということで、このまま一気にほどける方向へ行ける…と思うのですが^^

木綿子がどこに行って、そして智紀が追いかけられたのかは、次回へ♪


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