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宝箱に棲むスライムの話

作者: あやひろ
掲載日:2026/01/31


 あたしの一日は、自分の入れ物の掃除から始まる。

 川から汲まれてきた水にタオルを浸け、細部までよく擦る。迷宮の中は空気が淀んでいて埃も溜まるから、せめて自分のことくらいは綺麗にしておかないと落ち着かない。

 

 木目の隙間、金属の汚れなど色々な部分をしっかり磨き、最後に乾拭きをする。

 あたし自身の能力もあるけど、これくらいのケアをしていれば単なる木箱でも意外と保つものだ。


 自前の洗濯竿にタオルを掛ければ、掃除は終了だ。



 次に散歩。

 迷宮の大きさは村くらいの大きさだから一周するのにさして時間は掛からない。とは言ってもそれは人基準の話で、あたしには当てはまらない。

 人の三分の一くらいの速さであたしは歩く。

 みんな(・・・)は昔よりずっと遅く歩いているのに、それよりも遅くあたしは歩く。



 迷宮の中は、今日も静寂と臭気で満ちている。


 ──ガタン、ゴトッ。


 そんな迷宮の静寂を自身の移動音で破る瞬間が、あたしはたまらなく嫌いだ。



 しかし暇なものは暇なので、散歩はやめない。

 三周ほどしたら満足して、あたしは定位置へと戻った。


 迷宮のなかでも家々が立ち並ぶエリア。そこから少し離れて井戸があるところ。

 そこがあたしの定位置だ。


 散歩を終えたあとは読書をしたり、日記を読み返したり……

 こんな風に十時間ほどを過ごし、あとの時間は眠りに費やす。

 そんな生活を、一五〇年ほど続けている。



 暗い天井をポケーっと眺めていると、ふとコツコツと足音が聞こえる。常に聞こえてくるネチャネチャとした気持ちの悪い足音ではない、靴特有の足音。

 となると、足音の主は彼しかいない。


「おっ、ミク起きてんじゃーん! ただいまー」

『おかえりオリオ。外の様子はどうだった?』


 オリオ。

 グレーに紫を混ぜたような毒々しい色の肌に、白目と黒目の逆転した瞳。それは彼が人ではなく魔物である証だ。

 真っ白けな髪の毛はもう成長が止まっているらしく、昔からずっと同じ長さのままである。


 あたしの、唯一の話し相手。


「ミクは何してたのさ」

『あたし? 空中に人がいっぱいいてね、それ眺めてたのよ』

「え何それ幽霊? 幽霊? ちょー怖いんだけどやめてよぉ」


 ひとりで寝れなくなっちゃう、とオリオが至って真剣な口調で言った。睡眠など必要ないくせに何を言う。

 少しイラッとしたあたしは、語気を強めてオリオに再び問うた。


『それで? 外はどうだったの。スルーされるのは嫌よ』

「んー、まあいつも通りだったかな。木が目一杯生えてて、空をドラゴン的なやつが闊歩してて」

『もう外に建物はほとんど残ってない?』

「そうだな、迷宮以外に目立った建物はなかったよ。あったと思ってもゴーレムなことが多い」


 やっぱり、とあたしは思った。


『人が絶滅しちゃう(いなくなる)と、ずいぶん簡単に消えちゃうものね、人の営みって』


 人が絶滅して、一五〇年くらいの月日が過ぎているのだから、当たり前と言えば当たり前なのであった。





 今から、だいたい二二〇年ほど前。

 三つの頭を持つ狼が生まれた。



 それに驚く暇もなく、巨躯にして空を飛ぶ蜥蜴、生命を持った石など、物語の如き摩訶不思議な生き物が次々と生まれ始めた。

 突如として現れた非現実。それらを漫然と受け入れられるほど、人間の器は広くなかった。

 事態解明に協力する姿勢を見せた国々は、自国が誇る最高峰の科学者を集結させ、研究に研究を重ねた。


 研究結果、二つの事実が明らかとなる。


 此度の騒動の元凶は、とある未知のエネルギー。『魔力』と名付けられたそれは、恐らく近年初めて発生したものであった。

 その性質は──生物・無生物問わずの侵食。

 魔力はあらゆるものを蝕み、その形質に作用する。


 頭が三つできていた狼は、そういう種に作り変えられていた。全く関係のない個体と交配させても三つ首狼が生まれたのだ。

 巨大な空飛び蜥蜴も命を持った石も例に漏れず。

 魔力に蝕まれた生物──これより『魔物』と呼称する──は年々その数を増していった。


 そして、もう一つの事実。


 魔力は、人間をも蝕む。






『もう抜け落ちてるんだから、服なんて脱いじゃえばいいのに』

「おいミク、ナニについての話かは知らんがそれ以上言うな。誇りを失おうとも、俺の心はいつまでも男の子だ! リピートアフタミー! オリオは立派な男の子!」

『オリオはりっぱなおとこのこー』

「よし」


 あたしの横に腰を下ろしたオリオと軽口を交わしつつ、あたしは周囲をチラチラと見回した。

 太陽の光が届かない迷宮は、されど仄かな光を放っている。それは迷宮の原材料が発光する性質を持っているからだ。


 魔力が人間を脅かしかねないと判明してから、人間は魔力の解析と『防ぎ方』の研究に心血を注いだ。

 その果てに開発したのが、“限りなく魔力っぽい物質”である。魔力は魔物以外を優先的に侵すらしく、魔力の構造に限りなく近い物質で要塞を築くことで魔力が逸れる(・・・)のだそうだ。

 そうすることで、中の生物の侵食を防げるらしい。


 その要塞こそ、迷宮である。


 あたしが今いるカサラ迷宮を含め、世界各地にいくつもの迷宮が築かれた。

 ここは、人の終の棲家として築かれたもの。

 人を人として終わらせるための、名誉を守るためのもの。


 だが──


「まあ、魔物には必要ないものなんかねぇ」


 その機能にも、限界があった。


 簡単に言っちゃえば、迷宮そのものが蝕まれたのだ。

 雨漏りのように、外壁が魔力を含んでしまったら内部への侵入は容易い。


 結果、カサラ迷宮に限っては築かれて五十年ほどでその効力を失ってしまい、中にいた人はみんな魔物になってしまった。

 オリオもまた、魔物になった。


 オリオはなんだか気まずそうに頭をかきむしる。次に言う言葉を迷っているときの人のそれだ。

 無言の時間が続き、耐えきれなくなったあたしは「言いたいことあるなら早く言っちゃいなよ」と洩らした。


「あー、えと、そうだな。言わないとだよな」

『なによモジモジしちゃって』


 はー、と大きく息をついて、オリオがじっとあたしを見つめた。


『な、なに』

「この迷宮、もうすぐ壊れると思う」


 オリオは至って静かに告げた。



『…………そうなの』とだけ、あたしは零した。


 迷宮の倒壊。

 それ自体は、ある程度予想できていたことだった。


 迷宮はそのときの状況も相まって急突貫で建設された。加えて原材料の大部分を新たに開発された物質で賄っているのだ、なるほど確かに頑丈さを求めても仕方ないのかもしれない。

 寧ろここまで保ったことを褒めるべきだろう。


「だから、ミク」

『やめて』


 あたしはオリオの口元に手を伸ばし、彼の言葉を制する。


『それ以上言わないで』


 しかしオリオは「何度言ったらわかんだよ」と少々苛立った様子であたしの手を払い除けた。


「迷宮を出よう、ミク」

『……うるさいなぁ!』


 これまで幾度となく投げられたその要求に、あたしは絶叫で返した。


『オリオこそ何度言ったら分かるのよ! ……あたしはここから出たりなんかしない』

「迷宮はもう限界だ。いつ崩れるかも分かったもんじゃない。このままここにいたら巻き込まれて死ぬぞ!」

『別にいいよ』


 あたしの強情っぷりに辟易したのか、オリオはハァーとため息をついた。


『オリオだけ出ればいいじゃないの。あたしなんか置いてきゃいい』


 あたしは再び手を伸ばし、自身の入れ物である“宝箱”をコツコツと叩いた。

 静寂の迷宮の中に、その音が静かに広がる。


「じいちゃんはあたしを助けてくれた。その恩に報いることはもう無理だけど、せめて死ぬときまで一緒にいるの」




 □



 

 あれは迷宮ができて四十年ほど経った頃だったか。

 村長が外から拾い物をしてきた。


「オリオぉー! なんか入れるもん持ってこい、蓋付きな!!!」

「…………俺ぇ仕事終わったばっかなんすけど〜。せめて何拾ってきたのか教えt」

「魔物」


 俺は急ぎ家に向かって駆けた。


 取り敢えず木製のバケツと鍋蓋を手に戻ると、村長は脇に抱えていた黒い塊をその中に滑りこませる。とろりとした軌道をもってしてそれは収まった。

 それを満足気に眺めつつ白い髭を撫でる村長に、


「で、なんなんすかコイツ」


 と俺は顎でバケツの中のそれを指した。


「さっき言ったじゃねえの! 魔物だよ」

「なんでんなもん拾ってきたんだって訊いてるんですよ」


 語気を強めて俺は言った。


「迷宮が作られた意味くらい理解してますよね? 魔力を中に入れないためっすよ。

 食料も極力内部で作った野菜に頼ってるのはなんでですか。肉取ってきても最低三日は食わずに置いて魔力抜いてんのはなんでですか。この迷宮内に魔力を通さないためだ」


 俺の語りに対して、村長は何もせずただ俺を見つめている。

 俺はガリガリと頭を掻き、バケツの上の鍋蓋をコツーンと指関節で叩いた。


「魔物っつったら魔力の塊でしょうが! しかも生きてんでしょう!? そんなものを迷宮の中に入れて…………なに考えてんすかあんたは!」

「……コイツはなぁ、藪のなかで蒸発(・・)しかけてたんだ」

「はい?」


 村長は地べたにドシンと腰を据えてあぐらをかき、俺にも促す。俺は渋々それに応じた。

 村長の筋骨隆々な足が苦しそうに組まれている。


「シュー……っつってな。煙が上がってて見てみたらそいつが転がってたのよ。多分生まれたてのスライムだろぉなあ」

「…………で? それがなんで拾ってくる理由になんすか」

「オリオよぉ、お前も気付いてんだろ? そろそろこの迷宮も役目を失うって」


 俺は閉口するしかなかった。それは、見ないようにしていたことだったのだ。

 最近、明らかに異常が起きていた。

 育てていた野菜になんだか人面が浮かぶようになったり、肉から魔力が抜けるのが遅くなっていたり、ひいてはみんなほんのりと肌が紫色になってきていたのだ。


「迷宮の守りを失ったら俺らに魔力から逃れる術はなくなる。俺らはそろそろこの世界から去るときなんだよ」

「そっ………………、すね」


 下を向いてしまう俺に、村長がずいと迫る。


「コイツは多分、魔物としての機能になにかしらの障害を抱えてる。スライム種は確かに元が水とはいえ、生き物が蒸発するなんざ異常以外の何物でもない。

 魔物は次の世界の覇者だ。オリオ、俺は死に際に自分のことしか考えられねえような男にゃなりたくない。

 次に繋げられるのが、一番カッコいい死に方じゃねえのかい」


 しかし……、と俺が言いかけたとき、鍋蓋がカランと音を立てた動いた。

 黒い触手のようなものが、下から蓋を開けているのだ。


『ここ………………どこ?』


 それが、ミクとの出会いだった。

 

 


 □




『あたしは、なにかに寄生しなきゃ生きられないスライムだった』


 宝箱の中から、オリオを静かに見据える。


『でも木や岩じゃだめ、あくまで箱みたいなものじゃなきゃだめだったのね。そんなもの外の世界にはどうせ残っていなかったもの。

 じいちゃんがあたしを迷宮に入れてくれなきゃ、あたしは外で一人干からびてた』


 迷宮にあった本には、人が考えた空想動物についての本もあった。

 その中にあった、ミミックという動物。

 宝箱を模し、人をおびき寄せて食べちゃう存在。生態は真逆としても、外見だけでもあたしと重なるそれはなんだか面白かった。

 少なくとも、じいちゃんがくれた“ミク”という名は確実にミミックを意識していただろう。


『じいちゃんはあたしにこの宝箱をくれた。あたしに名前をくれた。あたしに家族をくれた。

 そのじいちゃんも、他のみんなも残して、あたしは行けない』


 「いつまでもバケツじゃあ恰好がつかんだろ」とじいちゃんがくれたのは、飾り気のない木製の宝箱だった。

 以来ずっとこの宝箱の中に棲んでいる。毎日の手入れだって欠かしたことはない。


『みんなして、魔物になっちゃったあとはあたしたちに見向きもしないでウロウロしてるから、あたしが留まる意味なんてないかもしれないけどね』


 つい自嘲してしまう。


 人は魔物になったあと、物言わぬ徘徊人形になるらしい。本の中の動物で言うと、ゾンビが近いだろうか。


 グレーと紫を混ぜたような毒々しい色の肌。

 目が眼窩にきちんと収まっていることは少なく、足跡には腐った肉のようなものがこびりつく。

 寿命のない腐肉人形。それが、人の末路だ。


 そんなものをじいちゃんだと言って固執するなんて、馬鹿らしいと自分でも思う。

 でも、そう簡単に捨てられるわけもないのだ。


「…………それは、俺への当てつけかなんか?」とオリオが弱々しく呟いた。


「それは、魔物になりきれなかった俺への、当てつけか?」


 オリオが再度問いを投げる。


 オリオもまた、置いていかれた側だ。

 彼はみんなと同じで魔物になったのに、なぜか自我が消えなかったのだ。


『……そんなんじゃないけどさ』


 あたしは不貞腐れた口調でそう言うが、オリオはもう何も返すことなく、頬杖をついたまま黙りこけてしまった。

 暫しの静寂の末、オリオが口を開く。


「俺はさ、はっきり言うと、もう村長とか村のみんなより、ミクのが大事だ」

『──は?』


 何を言っているの、こいつは。

 あたしは確かめるようにオリオに問うた。


『それはさ、もう村のみんなやじいちゃんはどうでもいい、って意味?』

「そういうことになるな」

『ふっ、ふざけないでよ!!!』


 あたしは手を伸ばし、オリオの胸倉を掴んで引き寄せた。


『じいちゃんのことがどうでもいい!? 村のみんながどうでもいい!? 何言ってんのよあんたは!!』


 嘘でしょう、嘘だと言ってよ。そんな意図を込めてオリオに怒鳴りつけるが、彼はただじっとあたしを見つめた。

 それが答えだった。

 胸倉を掴んでいた手がスルと落ちる。



『────なんで、残ったのがあんただったのよ』



 つい、言葉が滑り落ちた。


『あんたじゃなくて、じいちゃんが残ってくれれば良かったのに』


「…………そうだよな」とだけ言って、オリオがすくと立ち上がり、どこぞへと歩き出す。

 その様子を見て初めて、あたしは自分が何を口走ったのか気付いた。


『まっ、違っ…………!』


 手を伸ばすも、オリオは早足で行ってしまい、声も手も届くことはなかった。




 □




 いつも豪快で、歳が七十を回ってもなお元気に歩き回っていたじいちゃんのベッドにいる時間が長くなっていた。


「俺も、そろそろ成るだろうなぁ」と床に伏したじいちゃんが言ったのを聞いて、あたしはもう堪らなくなってしまった。何に、なんて訊かなくてもわかる。


 もう、村のみんなもほとんどが魔物になって辺りを彷徨っている。じいちゃんもまた、そうなるだけだ。


 当時あたしは、齢十歳。

 簡単に受け入れられるわけもなかった。


『…………やだ、やだぁ。嫌だあああ…………!』

「俺かて嫌さあ。でも拒否したからってどうとなるもんでもないのさ」

『じいちゃんっ、やだ……行かないで………………置いでがないで…………ひどりにしないで……』


 ベッドの下から見上げていたあたしを、じいちゃんは宝箱ごと抱きかかえる。


「ひとりじゃねえよ。オリオがいる」


 オリオ。村のなかでも、じいちゃんを除けばあたしが一番親しかった存在。

 あたしとの遊び係に任命されていて、読み聞かせなりをしてくれていた。


 彼もまた肌色など魔物化の兆候が見られていたが、他のみんなと違って身体機能の低下や異常行動(虚ろな目で徘徊するなど)といった、生態に関する部分は変化していなかったのだ。


「よく分からんが、きっとあいつは完全に魔物になっても自我を失わない。まだミクと一緒に過ごせる」

『違うの…………! じいちゃんじゃなきゃヤダの……』


 あたしは弱々しい口調で言った。

 中々退かないあたしを見て、じいちゃんは鼻息と共に微笑み、ベッドの上にいながら近くから何かを取ってきた。


「じゃあ、これを俺だと思って持っておけ」と言ってあたしにそれを手渡す。


『これは…………?』

「見りゃあ分かんだろ? 手紙だよ」

『てがみ……』


 それは白い封筒のなかに紙を一片いれただけの簡素な手紙だった。

 閉じられている部分にあたしは手を伸ばすが、


「まだ開けちゃダメだぜ?」


 とだけ、じいちゃんは制した。


「こいつは、ミクが『一緒にいたい』と思ったやつに読ませてやれ。あ、俺以外だからな?」


 一緒にいたい…………そんなの、じいちゃん以外にいないのに。じいちゃんはなんて残酷なことを言うのだろうかと思った。


「頼むぜ?」


 そう言って、じいちゃんはあたしを床に下ろした。


「おやすみ、ミク」




 翌朝、じいちゃんはおぼつかない足取りで、辺りを徘徊し始めた。




 □




 手で床を押し、跳び箱の要領であたしは歩く。オリオを追うのにはあまりにスピードが足りない。


 咄嗟に、ひどいことを言ってしまった。

 あれはきっと、オリオも思っていたことなのだ。オリオもきっと自分だけ残ってしまったことをずっと虚しく思っていたはずなのに。


 追いかけなければならないと、義務感に駆られてあたしは歩く。


 でも、オリオに会ったところで何を言えばいいのか分からない。


 それでもじっとしていることが出来ず、あたしは迷宮の中をグルグル歩いてはオリオを探していた。


『オリオ! どこにいるの、オリオ……!』


 見つからないなら見つからないだけ、よくない想像が膨らむ。


 もし、オリオが一人で迷宮の外に出てしまっていたら?

 あたしを見限って、一人で生きていこうとしたら?


 そう思うと、なんだか泣きたいような気持ちになった。


 ──オリオだけ出ればいいじゃないの──


 あんなことを言っといて、今さら「一人は寂しい」と思うなんて、なんてあたしは身勝手なのか。


 ………………あ、そっか。


 いつの間にか歩く手が止まった。

 気付いてしまったからだ。


 あたしは────




 そのとき、家の陰からオリオが出てきた。

 魔物になったみんなの集団に紛れているのだ。


『っ、オリオ!』


 力を目一杯振り絞り、オリオの元に駆けた。

 彼はみんなと同じくノロノロと歩いていて、追いつくのは容易かった。


『オリオっ、ごめ……あたし、ひどいこと言って…………!』


 彼の足元に縋りつくが、オリオは歩を止めない。存外力が強く、宝箱がミシミシと悲鳴を上げる。

 バランスを崩して倒れてしまうかもしれないが、縋りつくのをやめてはいけない。


『ね、待ってよ…………! 待ってよ、オリオぉ……!』


 彼は何も物言わず、ただ歩く。


『ねぇ、オリオ!!』


 ふと、彼の首が、こちらを向いた。



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛? ? ? ?」



『え』


 一瞬、オリオなのかどうか疑った。

 虚ろな目をしていた。左目を眼窩から飛び出させていて、足跡には腐肉がこびりついていた。


 否定したい心を、目に映る情報が否定する。


 まるで、魔物。


『オリオ………………?』


 あたしは脱力してしまい、彼の足から手を放す。

 するとオリオは足元にあった段差につまづき、盛大に転んだ。


『ちょっ! オリオ!?』


 身体をよじり彼の元に向かうと、あたしは彼の身体を激しく揺さぶった。


『オリオ! しっかりしてよ、オリオ!』

「…………んえ、あれ、なんで俺転んで…………? え、ミク? あ、そうかまた……」


 起きたオリオはすっかり正気を取り戻しているようだった。そして、さっきのことについても把握している様子だ。


『オリオ、どういうことか説明してくれる……?』


 オリオは暫し迷ったあと、ゆっくりと頷いた。


 



 

「兆候は前からあったんだ」とオリオは説明を始めた。拾ってきた靴をはきながら。


「ミクが寝てる間なんだけどさ、気付いたら違う場所にいたみたいなことが結構あって」


 オリオが左目を眼窩にグリグリとはめる。少し血が出た。


「最初は夢遊病でも患ったのかって思ったんだけどさあ、寝てなくてもそうなったし。頻度も多くなってった」


 一拍ためて、オリオは言った。


「たぶん俺は、完全な魔物になりかけてる」


 まるで村のみんなのときみたいだな、とオリオは笑いながら言った。

 なんで笑っていられるのと、あたしは思った。


『なんで、言ってくれなかったの』とあたしは問うた。


 オリオがそうなっていることはショックだったけど、それ以上に言ってくれなかったことがショックだったのだ。


『魔物化、迷宮にいたことが原因なんでしょう? おかしいと思ってたのよ、最近になって迷宮から出ることが多いなって。

 お肉の魔力抜きをしてたのと同じで、迷宮の瘴気を時々抜きに行ってたんじゃない?

 たとえオリオに自我が残っていても、同族がこんなにいちゃあ引っ張られてもおかしくはないもんね』

「…………ミクには、なんでもバレちまうな」


 ほんと、なんで言ってくれなかったの。

 あたしはそう弱々しく呟くが、オリオはまるで悟ったかのような笑みを浮かべるだけだ。


「俺を、理由にしたくなかったんだ」


 そう、オリオは言った。


『それ、どういうこと?』

「ミクは優しいから、俺がちゃんと説明したら迷宮から出ようとしてくれるだろ? でも俺を理由にしちゃったら、出たあとに『オリオのせいでじいちゃんから離された』なんて考えになっちまうかもしれない。

 要は、ミクに嫌われたくなかったんだ。さっきはみんなのことどうでもいいなんて言ってごめんな。身勝手でごめんな。

 ミクにとって村長の代わりになるやつなんて誰もいないのは分かってる」


 でも俺にとっても、ミクの代わりになるやつなんて、誰もいないんだ。

 オリオは最後にそう呟いた。




『────あたしもよ』


 オリオが、目線をこっちに向けた。


『じいちゃんの代わりになるやつなんて、誰もいない。オリオもそうよ。オリオはじいちゃんの代わりになんてなれない』


 そうか、とオリオは洩らした。


『でもね、オリオ。

 あたしにだって、オリオの代わりになるやつなんて誰もいないの』


 オリオの手に、あたしの手を重ねる。

 体温は特に感じないのに、なんだか暖かく思った。


『さっきは、ひどいこと言ってごめんね』


 オリオ、と一拍置いて、あたしは告げた。


『あたし、迷宮から出る。

 オリオのためなんかじゃない、あたしのためにここから出る』


 だから、一緒に来て。あたしを助けて。


 オリオはそれを聞いて少しの間固まって、最後に満面の笑みと共に威勢良く返事をした。








 オリオは立ち並ぶ家々に侵入すると薪を背負う用の道具を見つけ、あたしと宝箱を縄でそれに固定する。

 あとはナイフだったり火打ち石なりを拾ってはあたしに持たせ、自身はあたしを背負う。


『歩くくらい自分で出来るよ?』

「バカ言え、外は魔物ひしめく魔境だぞ? ミクの歩くスピードじゃ入れ食いですよーだ」


 あたしは少しムッとしたがオリオの言うことも尤もだと、苛立ちを少しポカッとする程度に抑えた。


「痛い痛い」


 そう言いつつ、オリオはすくと立ち上がり、


「じゃあ、行くぞ」と歩き出した。


 家々が、少しずつ遠くなっていく。じいちゃんたちが遠くなっていく。迷宮の出口に近づく。


 あたしが泣きそうな気持ちになったとき、違和感が一つ。静寂が広がるはずの迷宮のなかに、走っているような大量の足音がしたのだ。

 ドドドドドドドドドドド。


『なに、この音』

「ん……?」


 オリオが歩く足を止めたとき、あたしの目に毒々しい色の塊が映った。


『みっ、みんな!?』


 カサラ迷宮にいたみんなが、一斉に走ってこちらに来ていたのだ。


『オリオ大変! なんかみんなが走ってる!』

「うっそお!」


 そのとき、迷宮全体が大きく揺れた。天井から埃が落ち、辺りに瓦礫が散らばる。


「まずい! みんなが走り出しちまった衝撃が…………迷宮が崩れるぞ!!」

『っ、走ってえ!!!』


 オリオが駆け出した。


『なんでみんな……!? オリオが外に行くときもこんなことなかったのに!?』

「たぶんミクがいるからだ!」

『え!?』


 走りながら、オリオが言う。


「たぶんみんな、ミクを行かせたくないんだ。心配なんだろうよ!!」

『………………!!』


 ふと、後ろにいるみんなを見やる。


 よく宝箱のメンテナンスをしてくれたクライブさん。

 オリオが仕事のときに遊んでくれた、ミーナちゃんとハルジくん。

 先頭からあたしがよく関わっていた人たちが他にもいた。


 そして、じいちゃんも。


『うっ……みんな、』

「泣くなミク!」


 オリオが叫ぶ。


「いまじゃない! いま泣いちゃいけない! 大丈夫って顔してろ! 安心させてやれ!」


 言いながらオリオは出口へと駆ける。

 もうすぐ、着く。



『っ、みんなあ!!!』



 気付けば、今まで出したこともないような声量で叫んでいた。

 辺りに散らばる瓦礫は多くなり、迷宮全体が上げている悲鳴は大きくなっている。その悲鳴に負けないくらいの声量で、叫ぶ。


『あたしは、だいじょーぶっ!!! 行ってきます!!!』

「っ、出口だ! 開けるぞぉ!」


 あたしたちがもう出口だというところで、後ろにいたみんなの足が止まった。


 そして、静かにじいちゃんが手を振って、


 “ い っ て 、 ら っ し ゃ い ”


 そんなことを言ったような気がした。



 オリオが扉を力一杯押し、迷宮に光が射した。込めていた力そのままに、オリオは倒れてしまう。


『っつ、オリオ!!!』


 あたしは手を伸ばし、倒れ込んだオリオの身体ごと、迷宮の外に思いっきり投げた。


 そのすぐあと、轟音と共に迷宮が崩れた。


 二人して何も言わずに眺めていて、轟音と迷宮が崩れた現実だけがそこにあった。

 反響が止むと、次第に静寂が訪れる。

 木々のさざめきも、上空に飛ぶドラゴンの羽ばたきも、全て含めての静寂。


「…………ぅあ゛っ、」


 ふと、鼻づまりしたような声がした。

 そんな声を出したオリオを見ると、まるで子どもみたいに泣きじゃくっていた。大粒の涙をポロポロ落として。


『あたしに、泣ぐなって言っどいで…………泣いてないでよぉ…………、ひぐっ、』

「うぐっ、ひっ、」

『あああ………………!』


 あたしたちは満足するまで、大声を上げて泣いた。




 ■




『落ち着いた…………?』

「うん、あんがと」


 気遣ってくれたミクに礼を言いつつ、目を擦って涙で滲む視界を明瞭なものにする。

 ミクに泣くなと言っておいて俺から泣くなんて、つくづく恰好のつかない男だ、俺は。


『ここから、どうする?』


 と、ミクが静寂を破った。


「そうだなあ……とりあえず死なないようにしながら、この世界を見よう」


 俺もミクも、ずっと迷宮が世界の全てだった。

 でもその迷宮はもうない。


 では、世界はなくなったのか。否。


 ここからだ。ここから、俺たちの世界はいくらでも広くできる。いくらでも生み出せる。


 そうね、と言ったミクが、


『そうだ、オリオこれ』と言いながら、宝箱の中から白い封筒を取り出した。

 飾り気のないシンプルな封筒だ。


「これは?」

『じいちゃんが“一緒にいたいと思ったやつに読ませろ”って。オリオ読んで』


 なんだか照れたような口調のミクに嬉しさを覚えつつ、俺は封筒を開けた。


 そこには、こう書いてあった。




 オリオへ。


 ミクには“一緒にいたいやつ”とだけ言ったが、どうせお前なのだろう。

 今までありがとう。ミクと一緒にいてくれてありがとう。これからも、ありがとう。


 お前も、ミクも、俺の宝物だ。


 どうか、大事にしてやってくれ。


 オーストン=カサラより。





「ははっ」と、俺は吹き出した。


 あの豪快ジジイには見合わない丁寧な筆致だったのもあり、もし俺じゃなかったら恰好つかねぇぞ、と思ったのもあり。


 突如吹き出した俺に、ミクが怪訝そうな目を向ける。

 宝箱に大事にしまわれた、村長と俺の“宝物”。


「任せとけ。後生大事にしてやる」


 言いながら俺は立ち上がる。予期していなかった上昇に、ミクが戸惑いの声を上げた。


「よーし、ミク! まずは川行くぞ! 顔が鼻水と涙でベッチャベチャだからなぁ!」

『う、うん!』



 そう言いながら、俺は歩き出す。

 俺と、ミクの旅の第一歩を踏み出す。



 宝物の重みを、その背に感じながら。




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行ってらっしゃい。お元気で。 どうか2人の行く先に、面白くも優しい出会いが有りますように──。
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