酒場のオルゴール
「お、フランツか。いらっしゃい」
行きつけの酒場のマスターが、ドアをくぐった、馴染みのフランツに声を掛けた。
フランツはいつも座っているカウンター席が空いていることを確認すると、そこに腰かけた。席に着いたフランツがいつもの酒を頼もうと、カウンターの方を向いた。するとそこに、いつもは無い、大きな円筒にツブツブの付いた、変なものが置いてあるのが目に付いた。
「何、これ?」
マスターが答える。
「オルゴール、って言うらしい。ツケの払えない細工師が、試作品を替わりに置いてった。ハンドルを回すと、円筒が回って、金属の櫛に当ったツブツブが音を出すらしい。」
「へー、面白そうね」
いつの間にか、隣に座っていた女が、口をはさんだ。マスターが言った。
「回してみなよ」
女も言った。
「やってみてよ」
フランツがゆっくりハンドルを回すと、綺麗な音色が出始めた。曲は有名な恋愛歌のようだ。マスターも、女も、他の客も、皆が聞き入っている。隣の女は、リズム乗って揺れている。
フランツも楽しくなってきた。自分が演奏をしているようで、高揚感も出てきた。
とはいえ、長いこと回していると疲れてくる。フランツは手を止めた。
(俺だって飲みたい)
そうしたら、周りからブーイングが飛んできた。
「え、止めちゃうの?」
「今、いい感じじゃないか?」
「もう少し、根性見せろよ!」
フランツは疲れた目で、ブーイングを眺めた。ブーイングの中には、マスターも混じっている。
(いや、お前が回せよ。俺は客だぞ)
マスターを睨んだ目で、隣の女に目を移すと、キラキラとした目でこちらを見ている。よく見たら、結構可愛い。…仕方ない。
フランツは、気合を入れ直して、オルゴールを回し始めた。結局、閉店まで回す羽目になった。
閉店間際になると、もう客は居ない。フランツと目の前の女しか残っていない。
「もう閉店だよ」
マスターが言った。フランツも手を止めた。汗だくだった。
(何をしに来たんだ、俺は)
隣にいた女がクスリと笑って、ハンカチを差し出しながら言った。
「頑張ってたね。オルゴールも素敵だったけど、貴方も素敵だったわよ」
フランツは照れながら、意を決して言う。
「…良かったら、この後一緒に歩かない?」
出て行く時に、女がマスターを一瞥した。
マスターは、一仕事したという目で二人を見送った。
これが、フランツと奥さんの、馴れ初めの話という事だそうだ。




