① 商店街の幽霊
3年くらい前まで宮島で働いていたので、宮島にまつわる話を書けたらいいなと思っています。
宮島は西日本の広島湾に浮かぶ島で、厳島神社や大鳥居をはじめとする観光名所で知られている。
また、宮島は日本でも珍しい鹿の自生地として知られており、島内の至る所で野生の鹿が歩き回っている。
そして、この物語の主人公である月乃紅葉は、広島県立宮島工芸学校に通う高校2年生で、生まれも育ちも宮島の女の子である。
紅葉は、クラスで三番目くらいにモテる容姿を持ちながらも、頭が良く、理屈が通らないことに対しては我慢できない理系気質な女子高生である。
ある日、高校の休憩時間にクラスメイトから耳にした噂話が少し気になった。
「ねえ、宮島商店街のあたりで、深夜になると女の霊が出るって噂、知ってる?」
4限と5限の間にある50分ほどのお昼休み。紅葉は、食事後にすぐに校庭に遊びに行く同級生たちを横目に、一人教室で読書を楽しんでいた。
紅葉のいる2年4組には、紅葉を含めて6人ほどの生徒が、おしゃべりや勉強、読書などそれぞれの方法で昼休みを楽しんでいた。
「ねえ、聞いた? 宮島商店街で、深夜になると女の霊が出るって噂」
「え、そんなのただの噂じゃん。高校生にもなって、幽霊なんて信じるの?」
「いや、でもさ、夜中に商店街から女の声が聞こえるって話だよ? それってちょっと怖くない?」
教室の後ろの方では、同じクラスの女子3人組が楽しそうにおしゃべりをしていた。
(おしゃべりは外でしてくれよな)
紅葉は読書に没頭しつつも、ふと耳に入ってきたその話に少し気を取られてしまっていた。
「でもさ、その幽霊、商店街だけじゃないんだって。なんか海の中でも声が聞こえた人がいるって噂もあるらしいよ」
「海の中に幽霊がいるとか、めっちゃ怖くない?」
「でも、うちらの島に幽霊がいるなんて、ちょっとウケるくない? 宮島って、そういうのあるんだー」
普段なら、同級生たちの噂話には全く興味を示さない紅葉だったが、噂話の発端が宮島商店街だと聞いて少しだけ興味を抱いてしまった。宮島商店街には紅葉の実家が営業しているもみじ饅頭屋さんがある。
ちなみにもみじ饅頭とは、広島県と宮島の代表的な銘菓で、カステラ生地にあんこが入った、もみじの葉の形をしたお菓子である。
(くだらんデマだろ)
紅葉はそう思いながらも、その噂話に少し興味を持ち始めていた。
紅葉は16年間、宮島という小さな島で生活してきた。
そのため商店街に女の霊が出る類いの怪談話は何度も聞かされてきた。しかし、今回の噂話には少しだけ興味深い点があった。
それは、その幽霊とやらが海の中にも現れるという点だった。大抵の宮島での幽霊騒動の原因は、真夜中に島内を彷徨う酔っ払いの観光客だったが、今回の噂話では幽霊が海にも頻繁に現れるという。
(さすがに酔っ払いが深夜に海で彷徨うとは考えにくいな)
宮島でかれこれ16年間も生活し続けてきた紅葉は、この噂話の顛末をほぼ察していたが、それでもいくつか納得できない点があった。
(よし、どうせなら今日の夜にでも幽霊に会ってみるか)
好奇心旺盛な紅葉は、興味本位でその幽霊に会ってみることに決めた。
その日の放課後、宮島工芸高校からの帰り道、月乃紅葉は一人で薄暗い夜道を歩いていた。静かな島の夜に、紅葉の黒いローファーが石畳の上でコツコツと音を立てている。
道端には昨晩降った雪がまだ少し残っていた。
(あー寒い、早く家に帰ってこたつに浸かりたい…。でも幽霊とやらには少し会ってみたいかもな)
高校がある山の上から島の中心街が見下ろせた。今日は金曜日で平日であるが、午後8時を過ぎても商店街ではまだ多くの観光客が、まだシャッターの下りていないお店で色々と楽しんでいるようだった。
(この島は観光客ばかり多いよな、もともとの島民は島から出ていくばかりなのに)
紅葉はそう心の中でぼやきながらも、宮島商店街へと降りていく、50段ほど続く長い階段にゆっくりと足を踏み出した。
宮島という島は元々平地が少なく、山の斜面を切り崩して家や田畑を作ってきた。そのため、島に住む人々の家は山の斜面の中腹に多くある。
紅葉の家も山の上にあるが、今日は瀬戸内海に面する宮島商店街に少し用事があった。
商店街に到着すると、ほとんどの店ではシャッターが下りていた。宮島ではホテルや宿を除き、ほとんどの店が午後6時に閉まる。なぜなら、商店街の近くには一部の地元住民が住んでいるからである。夜にうるさいのはさすがに地元民に迷惑だ。
しかし、20時半を過ぎた商店街では、一部の飲み屋がまだ営業を続けていた。酔っ払いの観光客たちが、大声を上げながら騒ぎ続けている。
(商店街では夜の18時以降、営業禁止じゃなかったっけ)
紅葉も噂で聞いたことがあったが、どうやら夜の宮島商店街では、こっそりと一部のお店が営業時間外でも店を開いているようだった。
商店街の近くには宿泊施設が多くあるため、夜遅くに営業していれば宿泊客を引き寄せられる。もちろん、夜遅くに営業することは宮島商店街委員会の規則に違反しているけど。
(儲けたいのは分かるけど、ルールは守れよな)
最近、宮島商店街ではお店が頻繁に入れ替わっており、委員会は新しく開店した店の管理が追いついていない。だからこそ、規則違反をして営業を続ける店が最近増えている。
(今度、これらの店ぜんぶ委員会の偉い人に言いつけてやろ)
紅葉は幼い頃から実家のもみじ饅頭屋さんに顔を出していたため、委員会の偉い人たちとは少しだけ顔見知りだった。
酔っ払い観光客の脇を抜けようとしたその時、1人の酔っ払いが急に大きな声を上げた。
「幽霊だ!女の幽霊が出たぞ!」
ワイワイとビールを飲んでいた酔っ払いのうちの1人が立ち上がり、商店街の暗い奥の方を指さしながら叫んだ。
紅葉も耳を澄ますと、酔っ払いの騒ぎ声の合間を縫うようにして、クウィーンクウィーンという甲高い声が商店街の奥の方から聞こえてきた。
紅葉はその声の正体が大方予想できていたが、念のためその声の主に近づいてみることにした。
商店街の奥の方に近づくにつれ、クウィーンクウィーンという声が大きくなってきた。
紅葉は暗闇の奥に目を凝らしてみた。すると、そこには8〜10頭ほどの茶色い生物が暗闇の中で動いているのが見えた。
それは紛れもなく鹿であった。宮島では全国でも珍しく、島内でシカが自生している。島内の飲食店やお土産屋、弥山を含めて、至るところにシカがいる。もちろん商店街も例外ではない。
どうやら、酔っ払い観光客達はシカの鳴き声を女の幽霊の叫び声と勘違いしていたらしい。
たぶん素面でシカの鳴き声を聞いたら、大の大人はクウィーンクウィーンというシカの鳴き声を女の人の叫び声とは思わないだろう。
しかし彼らはグデングデンに酒によっていたので、こうしてばかげた怪談話もどきを島中に広めてしまったのだ。
(ふざけた野郎どもだな)
紅葉は真っ暗な商店街の中で1人苦笑いを浮かべると、そのままシカ達がいた商店街の奥地を後にした。
シカは夜に海を泳ぐこともある。だから「海の中から女の幽霊の叫び声が聞こえた」という話も一応納得できる。
紅葉は商店街の奥地から、さっきいた酔っ払い観光客のいた飲み屋の方に戻ってきた。酔っ払い観光客達は、未だに幽霊じゃなんじゃ囃し立てている。ほんとにバカなやつらだ。
紅葉はそういって肩をすくめがら、宮島商店街内にある飲み屋を後にして家に帰ることにした。
夜空には雪が少し降り始めてきた。暗闇の中を紅葉は1人歩いている。山の上にある家まではここから歩いて15分ほどで着く。
(寒い、早く家に帰ってこたつに浸りたい…。)
紅葉はそう思いながら、宮島商店街を後にしようとした。
辺りには少しずつ白い雪が積もってきた。転ばないように気をつけなければ。
静かな島の夜に、紅葉の黒いローファーがコツコツと音を立てる。
紅葉は、宮島の寒い夜の道を1人歩いていた。
家まではあともう少しだ。家に帰ったら制服脱いであったかい服に着替えてこたつに浸ろう。冷たい風が、紺色のスカートの間を吹き流れていく。寒い。ほんとうに寒い。
紅葉は家まであと5分ほどという所まで歩いてきた。
あともう少し歩けば、家に着きそうだった。
家までの一本道を歩く紅葉の肩に、うっすらと雪が積もっている。
あとは、目の前にある家まで歩いて帰るだけだった。ただそれだけだったのに…。
しかし、紅葉の頭の中では何かが無性に引っ掛かっていた。なんでだろう。外では雪が降っている。今は2月の第1週目で季節でいったらまだ冬だ。
寒い冬だ。冬といったらこたつ。寒いからこたつの中でみんなうずくまりたいはず。なのになんでシカ達はこんな寒い夜にああして商店街に集まっていたのだろうか。
てか、そもそもシカがクウィーンクウィーンっていう特徴的な甲高い声で泣くのは、雄鹿が雌鹿に求愛しているからである。シカが求愛行動するのはたしか7月から10月にかけてのはずだっ気がする。
今は2月、なんでシカが秋でもないこんな寒い冬に声出して泣いてるわけ…。
(これって絶対におかしい!)
紅葉はそう思った瞬間、気がつくと再び宮島商店街の方に走り出していた。
雪の降る島の夜、冷たい風がヒューヒューと音を立てて紅葉の制服を容赦なく打ち鳴らす。
紅葉は全速力で走った。久々に全速力で走ったせいで横腹も痛くなるし、雪が目に入って染みていたかった。それでも紅葉は夜の街を切り裂くように1人走り抜けた。
毎日同じことばかりで変わり映えのしない島での生活で、久々に紅葉は我を忘れて島の中を1人走り抜けていた。
なんだか知らないけど、久々におもしろいものに出会った気がした。
商店街に辿り着き、酔っ払い観光客達を抜けてシカ達のいる商店街奥地の方に向かった。商店街奥地では、以前にまして暗闇が濃くなっているような気がした。
商店街の奥地では、シカ達がある場所を中心にして何やら頭を下げたり上げたりしていた。
紅葉はシカ達が集まっている場所を後ろの方からそっと覗いてみた。
すると、シカ達十匹ほどが取り囲む中心部には何やら茶色いペットフードのような塊が大量に置かれてあった。
どうやら、シカ達は毎晩商店街に置かれているこの誰かさんのペットフードを目当てに集まっていたようだった。
商店街には雄鹿だけでなく2、3匹の雌鹿も集まっていた。だから、雄鹿はこんな季節外れの2月にもなってこの商店街で雌鹿に求愛行動目的でクウィーンクウィーンと深夜に泣き叫んでいたのであった。
後日談。
宮島商店街委員会の調査によると、夜になると商店街の近隣住民の一人がこっそりとペットフードを商店街に撒いている姿が目撃された。
どうやらこの一件を引き起こした近隣住民によると、夜な夜な酔っ払い観光客でうるさい商店街に少し嫌がらせをしてやりたかったらしい。まあ、確かにシカ達が一箇所に集まると、その後フンの処理とかが異常にめんどくさくなるので、嫌がらせとしてはなかなかの効力があったと思われる。
結局、その近隣住民と商店街では、今後商店街での18時以降の営業禁止と、商店街への嫌がらせ禁止という条件で和解した。
まあ、とりあえずこれでこの怪談もどきの一件は一応お開きとなった。
月乃紅葉は、宮島生まれ宮島育ちの16歳の女の子である。紅葉は、生まれつき好奇心が人よりも旺盛なせいで、これからもこの宮島で巻き起こるさまざまな事件に巻き込まれていくことになる。